勇気を
「堂本君、見て」
桜子は、その光を目に焼き付けているようだ。
確かに見える発光したエーテルの煌めき。対に立ち上る、蛍のような青い渦。体外にエーテルを放出する存在を、科学者は「天使」と名付けた。
その意味を、桜子は自身の瞳で理解した。
大林陸斗の両手の甲からそれぞれ左右に上るエーテル発光。エーテルは大気に放出されるとき、かならず二本一対の流れを作る。それらは上空目指して浮上して、減衰して消えていく。その様は──翼のようだった。
ゆえに、天使。人間を超越した子供は、その両翼を広げる。目で見てわかる覚醒が、陸斗の身体からあふれ出す。
桜子はその光を見て──呟いた。
「怖い……」
◆
子供たちは恐怖に敏感だ。人は一度力の気配に飲まれ、それが自身の制御下にないと分かったとき、恐怖に頭を支配される。その表情、声、足の震え。まるで牢から逃げた獣に送る視線。
けれど、本人たちはそれが没交渉の合図であることに気が付かない。言葉で歩み寄ろうという意思をまず初めに捨てているのだ。お前は怪物だ、近寄るな、助けてくれ。雄弁に語る態度が、話し合いという解決策を溝に捨てる。
だから、陸斗は弱い奴が嫌いだった。
弱い父が嫌いだった。
皆死ねばいい。どいつもこいつも弱すぎだ。
自分はまだ子供で──本当は──大した人間ではない。偶然力が宿っただけのガキでしかない。
怖がらないで。勇気を出して。もう一度──。名前を呼んで。
「いくぞ」
陸斗は走りだした。手の甲から漏れる光が空間を切り裂き線を描く。目にも止まらぬ青い閃光。岬目掛けて繰り出された一撃は──。
腕でガードされた。受け流せなかったのだ。
「っ!」岬の額に汗が浮く。
「俺を恐れるな」
「誰があんたなんか!」
エーテル発光は岬ごと包み込む。空間に流れ出したエーテルの念じれば物理的な意味を持つ。その最たる例が三年前の新宿崩壊だ。爆弾や噴火を思わせる超火力がメガロポリスを木っ端みじんにした。
陸斗の覚醒は突発的だ。まだエーテルの物理的な使い道に気が付いていない。そこまで意識が回らない。目の前の敵を倒すことだけを目的としている。血管が浮き出ている額。充血した眼。もはや正気じゃない。
岬は陸斗と組み合いながら、テントの方向を見た。
瀬名は黙って腕を組んでいた。
ならば──と。岬は戦いに集中する。
不思議と心が温かくなった。瀬名を見たからだろうか。
岬は陸斗の腹を蹴飛ばした。物理的なエーテル利用をしていない天使は未完成だ。陸斗の場合エーテルの性質も未確認である以上、天使化前と大差はない。
陸斗は吹き飛ばされた。
◆
天使化。
パラチルドの覚醒。体内エーテルを外に放出している状態。身体の対となる部位を穴として、あふれ出る異能の光だ。
外に放出されたエーテルの使い道は二つ。
一つは、物理的な攻撃だ。
体内エーテルがパラチルドの身体を強固にするように、こぼれ出たエーテルも念じることで力を現す。形はそれぞれだ。
力場のように操る者もいれば、斬撃を飛ばす者もいる。地面から針山を生やすイメージの者や、目からレーザーを出すように使う者もいる。力は当人のイメージを具現する。当然エーテルの量、密度が大きければ強力な攻撃となる。
そもそもとして天使化できるパラチルドは極めて少ないが、これまでの例だと、ほとんどの天使化パラチルドが持つ物理イメージは一種類だけだ。戦いの際はその一種類を応用する。
そして、もう一つの使い道は、エーテルそのものの性質を利用することだ。
こちらは特殊な例である。
エーテルがまき散らされることによって、空間そのものに作用する特殊能力。代表的な例は先日戦った、エクスクルーデッドのステュクスと名乗った大男。あれは空間にエーテルを散布することで、他のエーテルの動きを鈍くした。岬はその影響で行動が制限され、ステュクスを逃がした運びとなったのだ。
エーテルの性質は、戦いに利用できるものばかりじゃない。明確に判別がつかない例も多くある。本人でさえ作用条件や効果が不明なものがほとんどだ。ゆえに多くのパラチルドが、戦いの中で偶然理解する。
自身の力の意味を──。
◆
「俺を恐れる奴は全員死ね。どいつもこいつも死ねばいい」
吹き飛ばされた先で陸斗は呪詛を呟いた。青白く光る視界。目を閉じると何度でも浮かぶ、自身を恐れる父の顔。危ないことは悪いこと。今は陸斗自身が危険なモノ。だから、きっと父親は悪いものを怖がった。本当は──。
「──────あああぁぁぁぁああ」
陸斗の眼前にエーテルが集中する。今陸斗は自身の物理イメージを固めつつあった。岬を殺す、そのためだけの一撃に、念入りにエーテルを集中させていく。両手を前にかざして、集まり渦を巻くエーテルに溢れんばかりの殺意を込める。
「死ね」
小さな子供はこの時、本当の獣になろうとしていた。
その時──。
「だめだ!」と陸斗の脇に何かしがみついた。バランスを崩して陸斗は倒れた。集まっていたエーテルが霧散した。
「なんだ、てめえは」
ハインは倒れる陸斗に覆いかぶさっている。
「それをやったら、岬が危ないだろうが!」
「黙れぇ!」陸斗は頭突きでハインを弾き飛ばした。立ち上がり、仰向けに倒れるハインの腹を踏みつけた。
「俺を恐れるな!」叫んだ言葉は支離滅裂。陸斗は未だ遠くにある父の影に吠えている。
「何言ってんだよ!」
「俺をそんな目で見るな!」
「だからさあ! 何言ってんのって!」
「弱い奴は死ね!」
「話になんねえなあ!」
ハインは力を振り絞って陸斗の脚を浮かせて、転がり、体制を立て直した。
──なんだ、この感じ。
どうしてか、ハインは言葉にできない高揚感を覚えていた。心が燃える。わからない。この大林陸斗という少年から目が離せない。それは危険人物だからか。否、違う。この感覚は──陸斗の怒りとは対極にある。
パラチルドはエーテルに呼応する。ハインは自身の能力も相まって、陸斗の力を理解した。
──ああ、そうか。
──なんだ、こいつ。
──バカじゃないか。
「ばーか」
「お前を殺す」
「ばーか、ばーか」ハインは笑った。
「俺を──」
「怖くねえ!」ハインは大声で吠えた。この訓練広場にいる全員がその声を聴いていた。ハインというパラチルドがこの先、福祉執行士たちの戦いをどう左右するのかわからない。それでも、確かにその叫びは、狼煙のようだった。
「え──」
陸斗の瞳に光が戻った。
「誰がお前みたいなやつ、怖がるか。自惚れちゃってさ」
「……」
「そんな力、怖くもなんともない。そういう風にできているんだ」
「何がわかるんだ、お前なんかに」
「わかるよ。優しい力だから」
ハインは呆ける陸斗の頬を殴りつけた。
──!
陸斗は吹き飛び、地面に転がされた。既に服は泥だらけだ。
「目、覚めたか? まだまだ遊ぼうよ。友達」
「──誰が友達だ」
陸斗は立ち上がった。
二人は岬の方を向いた。
──遊びを続けよう。
◆
岬は陸斗とハインがなにやら揉めているのを黙って見ていた。
不可解だった。どうにも身体が軽い。否、身体ではない。心が軽いのだ。まるであの大男のエーテルを浴びた時とは真逆の感覚。それこそ、背中に翼が生えたようだった。
「一体なんなの……?」
沸々と湧き出る感情。ただの遊びのつもりで始めたこの戦いが、岬のエーテルに変化をもたらそうとしていた。
──!
ハインと陸斗の話し合いが終わったらしく、二人はこちらを向いていた。送られる視線にはこれまでとは違う闘志が込められている。
そして、次の瞬間。
ハインが走り、踏み込み、飛び蹴りを繰り出してきた。瞬く間に縮まる二人の距離。疾走する少年の身体はまるで砲弾のようだった。岬はそれを──。
「よっと」
ひらりと避けた。勢いに任せて吹き飛んでいくハインを無視して、岬はもう一人に視線を送った。
──何!
ハインに気を取られていた。既に間合いにいる大林陸斗。
彼は岬の腕を掴んだ。岬を睨む陸斗。その攻撃は──。
「オオオオオォオオオオオォオオオ!」
エーテルの放出だ。陸斗は岬と接触しながら、捻出できるエーテルのすべてを解放した。あたりは膨大な光に包まれる。煌めく濁流に飲み込まれながら陸斗は叫んだ。
「これが欲しかったんだろう!」
「こいつ──!」
パラチルドはエーテルに呼応する。岬は自身の天使化の兆しを得るため、陸斗とハインを戦いに誘った。本気のエーテル放出を受ければ、自身も覚醒に至れると考えたからだ。それが今、目論見通り達成されようとしている。けれど、なぜか岬は敗北感を味わっていた。
「私が先輩よ! でしゃばるんじゃないわよ!」
「だったら俺を越してみろ!」
超越の意思に恐怖は介在しない。
それは陸斗が最も欲しかった視線だった。
「ハァアアアアアァァアアア!」岬も力の限り、エーテルに念を込めた。体内に眠る導火線を必死に探している。覚醒の予兆を見逃さない。光に包まれながら、振り絞る。
意思が燃える。心が猛る。叫びだしそうなほどの高揚感が身体を熱くしていく。
一体これは何なのか。
◆
彼はエーテルの性質を感じることに長けていた。
大林陸斗は恐怖を恐れた。恐怖を向けられることを憎んだ。そんな目で見ないでくれと、心の底から叫んでいた。
体外エーテルには二つの役割がある。一つは物理イメージによる遠隔力、もう一つは性質による空間掌握。エーテルの性質にはパラチルド本人の意思や願いが宿るらしい。
願いの具現。空間ごと塗り替える。
ハインは陸斗の願いを理解した。
なるほど、あいつは補佐官向きだ。
轟桜子の目は陸斗の本質を見抜いていたというのか。
陸斗のエーテルは──。
周囲のパラチルドに勇気を与える性質があった。
恐れを恐れた少年は最も恐れから遠い感情を空間に散布する。
本当は怖がってほしくなかった。一緒にいてほしかった。陸斗のエーテルは父に向けて放たれ、泣き叫ぶ子供のようだった。だから勇気を──。もう一度自身に触れてほしいと願ったのだ。
ゆえに、ここにいるパラチルドたちに最高のパフォーマンスを可能にした。
岬は体内エーテルを振り絞り──。
そしてハインは──。
◆
陸斗は叫んだ。
「いけ! ハイン!」
陸斗の腕をつかみ、集中する岬。その視界の外側──不意を衝く拳が飛んできた。
これは遊び──ゲームのルールは岬を転ばせること。
「オリャアアァァァァ!」
ハインは岬の横腹に攻撃を決めた。岬は地面に転がった。
勝敗はついた。
「はぁ……はぁ……。勝った!」とハインは陸斗にブイサインを送った。
「フン……」と陸斗は鼻を鳴らした。もうエーテル放出をやめているようだ。
倒れこんでいた岬は、すぐに立ち上がった。
ずんずんとハイン達に近づいてきた。
なにやら怒っているようだった。
ハインと陸斗の頬に一発ずつビンタをした。
──! なんで!
二人ははたかれた頬を抑えている。
「なにすんのよ! 痛いじゃない!」
岬に散々どつかれた二人の服は泥だらけだった。