Case 大林陸斗
『危ないことはするな』
そう父に言われ、友達に誘われていたサッカーチームに入ることを諦めた。
『お前じゃなくてもいいだろう』
そう父に言われ、組体操の頂上に乗る配役を断った。
『怪我をしたらどうするんだ』
そう父に言われ、バカにされ悔しい思いをさせたクラスメイトに反撃しなかった。
少年は──父が好きだった。優しい父の言う通りにした。父の仕事は機動隊。社会を守るヒーローだ。
この世界には想像すら及ばない凄惨な暴力が存在している。そのことを父は実感として知っていたし、常日頃から危険と向き合っている。だから、息子だけは安全な場所で健やかに育ってほしい。
極々当たり前の、ささやかな願い。
──わかったよ、父さん。
にこやかに笑い返す少年の表情は、成長するほどに歪になっていた。父に対して笑うことが下手になっていた。どうしてだろう、父が言うことは正しいはずなのに。
ある日、少年、大林陸斗はパラチルド陽性と判定された。
そして陸斗の内側で燻っていた、衝動が爆ぜた。
パラチルドになったことを報告した時の、父の目が忘れられない。父にとっての陸斗は守るべき対象で、弱者で、まだ世界の何も知らない半端者だ。ゆえに庇護されるべき。その前提があるから、父は陸斗を危険から遠ざけた。
けれどあの時、その強固な思想に罅が入った。父の目はあの時確かに──陸斗を恐れていた。
それが気持ちよかった。この世の何より快感だった。脳に良からぬ物質でも注入されたのか思ったほどだ。全身の毛穴から湯気が立っているような、高揚感。陸斗はその時、自身の定義を改めた。
何もできない守られるべき弱者から、力持つ守護者になる。
そして、陸斗は父に初めて反抗した。
『俺、手術は受けない』
その一言で、父は激高した。恐怖を宿した拳には、怪物に向ける殺意が乗っている。陸斗は抵抗しなかった。痛くなかったからだ。
「馬鹿が」「未来を捨てるのか」「俺を困らせるな」「陸斗、すまない」「笑われて生きることになる」「お前は俺が殺すしかない」「愛してる」「殺してやる」「どいつもこいつも死ねばいい」
ごちゃごちゃな主張の中には、きっと陸斗が知りえない情報が含まれている。それこそ、普段の仕事で見てきた、パラチルドが生み出した地獄とか、恐ろしさとか──。父はパラチルドに同僚を殺されているし、職業柄驚くべきことじゃない。
陸斗は父の体力が続くまで殴られた後、すくっと立ち上がり、自らの脚で児童相談所に行き、手術を受けない旨を伝えた。
正直この時の決断が正しかったのか、まだわからない。
衝動的な行動だったことは認めている。
陸斗自身、まだ判断がついていないのだ。
自分が怪物として死ぬのか、大人になるのか。
せめて、この世界がクソだと思ったとき、自分で全部壊せるくらい強くなろう。
これからは自分で決められるのだから──。
◆
「俺は構わないが、止めなくていいのか、轟」
瀬名はベンチに座りながら、灰皿に煙草を押し付けた。
「ほんとにやばくなったら止めますよ」
「それができればいいけどな」
岬は、ハインと陸斗を広場に整列させた。
「なにするんだ?」とご機嫌なハインと、腕を組み押し黙る陸斗。
「ゲームをするの。五分間で私を転ばせられたら貴方たちの勝ち。シンプルでしょう?」
「えー。俺、あんまり仲間と喧嘩したくないんだけど……」と言ったハインの視界の端に、疾風が舞った。
──え。
陸斗は駆け出し、岬の顔面目掛けて拳を放った。一瞬にして消えた二人の距離。その動きをハインは見ていた。
「いいわね」岬は笑う。
拳を掴み、その勢いを殺さず、陸斗の腹に手を添えた。すると、陸斗は岬を飛び越えるように宙に浮き、五メートル先の丸太に身体をぶつけた。
「…………」
陸斗は立ち上がる。すぐさま反転し、岬へ攻撃を繰り出すも避けられる。戦闘経験の差が如実に出ている。陸斗は見るからに苛立っている。
「──くらえ」
「だったら当ててよ」
再び陸斗は岬に投げ飛ばされた。遠くに飛ばされ、鈍い落下音が響いた。
「そういう感じ?」といまだに緊張感のないハイン。
「あんた! 真面目にやってよ」
「なんでだよ! 危ないだろ!」
するとハインの背後から、地の底から鳴るような声がした。
「黙れ」
陸斗は再び駆け出し、岬に突進する。工夫はない。ゆえに攻防は先刻と同様の結末を迎える。陸斗は投げ飛ばされ、地面に転がされる。
「わかったわ、ハイン。あなた達が負けたら、あのメガネをボコボコにするわ」
「恭士は関係ないじゃん!」
岬は地面にある石ころを掴んで、テントの方向に弾いた。
戦いを眺めていた恭士の足元がえぐれ、土が飛び跳ねた。わずかに上がる煙。
「え?」恭士は突然向けられた攻撃に、理解が追い付いていない様子だった。
恭士の横にいた桜子と瀬名が何も言わずに、スススと距離を空けた。
◆
「手加減しないからな!」とハインは叫んだ。
「そうしろって言ってるのよ」
ハインは駆け出した。
「──!」
岬は突進してきたハインを、陸斗と同様にいなして、投げ飛ばした。そう、陸斗と同様に。
「今のは──」
ハインを放り投げたあとは、暇を与えぬ陸斗の攻撃。拳を避けて、次に繰り出される回し蹴りを腕で受け止めた。そして、陸斗を再び投げ飛ばす。
けれど、この時は油断した。岬の目の前には陸斗がもう一人いた。
「違う、あんたは」
全く同じ動きを再現する。陸斗ではない、ハインだ。敵意の形──エーテルの流れが陸斗だと錯覚させるほどの行動の類似性。否──同一性。
岬は不思議な感覚を抱いていた。
ハインの特性を知る。
──確かにあんたは補佐官に向いているかもね。
けれど、岬に敵うかは別の話。無力化した攻撃を二度繰り出されたところで、こちらも同じ行動をとればいいだけ。
ハインは陸斗と同じ方角に吹き飛ばされた。
しかし──。
ハインはまた、岬の位置まで投げ飛ばされてきた。地面に落ちてゴロゴロと転がるハイン。
「なにすんだ、陸斗!」
──これは!
予想外。大林陸斗というパラチルドは岬より先の位階に至っていた、その証明。
だからこそ、岬は笑った。
好都合。大当たり。ここまでは期待していなかった。
揺らめくエーテルはまだ形を選んでいないけれど、確かに体外に流れ出している。パラチルドならば間違いなく感じ取れる感情の奔流。
──転成、天使。
大林陸斗の未完成な力が、溢れ出す。