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強くなることは難しい

2040年、5月11日。午後2時、八王子警察署、訓練広場。


 息を切らしながら岬は走っていた。鉄棒や丸太を掴み、飛び越えながら疾走する様は、重力を感じさせないほど軽やかだった。頬には泥が跳ねているが気にする素振りもない。舞う汗が太陽に照らされて輝いている。


 表情は真剣そのもの。感覚を確かめるように自身の身体を操ることに全神経を集中させている。


 彼女が縦横無尽に駆け回る広場の隅のテントで、瀬名は煙草を吸いながら、ひとつぼやいた。


「病み上がりだってのに」


「岬ちゃんは真面目だから」と桜子は言った。


「……」瀬名は押し黙った。


「たぶん、悔しいんでしょうね」


 恭士は眼鏡の位置を直して、走る岬を見ていた。


 三人は岬がいつもと様子が違うことに気付いている。訓練は常時本気で取り組む岬だが、今日はそれ以上の熱意を感じる。


「……気持ちはわかるよ」



        ◆



 友野岬は、パラチルドだ。


 八歳という異例の若さでパラチルド陽性判定を受け、精神的な成熟も認めらたこともあり、補佐官候補となる。二年の補佐官教育期間を経て、盤石なコンディションで実務へと送り出された。福祉執行士、瀬名穂高の補佐官として着任。それから四年間、数々の危険な任務をこなし、瀬名を守ってきた。


 四年。それが彼女にとってのプライドだった。瀬名穂高に降り注ぐ暴力に対する盾となる。


 岬はそれが自身の役目であると信じていた。


 現在の精神に至った重要な転機は三年前。あの日、東京の県庁所在地、新宿は崩壊した。


 八王子の事務所からも見えた、爆弾が落とされたかのように立ち上るきのこ雲。その粉塵を貫くように聳え立つ二柱の光。自衛隊と機動隊の連携部隊が出動。連絡があった時点で、事態はすでに最悪。福祉を執行する暇などなく、瀬名と岬には何の命令もなかった。


 暴力だけが存在を許される地獄。


 あの時の──事務所の屋上から光の柱を見つめる瀬名の横顔を、岬は忘れない。


『何が、子供を守るだ……』


 その感情はきっと、怒りだった。東京、千葉、埼玉に、戦時状態が宣言され、公共交通機関は軒並み運行を停止。路上には大量の自動車が乱立し、逃げる人々の群れで地面が見えない。


 社会の仕組みは自動的だ。瀬名は知っていた。パラチルドに接してきた彼だからこそ、本質を見抜いていたのだ。


 あの柱は、結局のところ、子供の癇癪に過ぎない。規格外の破壊力を有しているとしても、極論を言えば、子供と子供の喧嘩でしかない。


 それが多くの人を殺し、経済を破壊した。


 ゆえに作動する社会の暴力装置。瀬名と岬の頭上を高速で過ぎ去る軍用ヘリが、瀬名の独り言をかき消した。


『…………誰が、誰を守れってんだ』


 かすかに聞こえた。膨大な憤怒。瀬名は今にも人を殺しそうな熱気を内側に滾らせていた。


 この時、福祉執行士たちはのけ者にされていた。


 瀬名の足は震えている。


 岬にはわからない。ただ今は、すぐ逃げよう、と声をかけられない。


 岬はこの状況を、自身が()()()()起きたことだと解釈した。


 なぜなら、この災害の中心はパラチルド。自身もパラチルド。


 であるならば、対等のはず──今すぐ新宿の中心に降り立ち、全員をボコボコにできるはずなのだから。


 岬は心の中で、瀬名に謝った。そして決意した。


 瀬名の怒りの本当の理由はわからないけれど──。あの理不尽を叩き潰すくらい強くなるから。


 誰にも負けない瀬名の補佐官になる。


 よく聞かれることがある。補佐官の仕事をしているパラチルドたちは、同年代の子供たちが勉強や部活をしている間、目の前の任務にあたる。将来はどうなりたいのか、担当医師に岬は質問されたことがあった。


 その時、岬はバツが悪そうに上目遣いをした。


 絶対誰にも言うな、と強く念を押した。


「……穂高のお嫁さん」



        ◆



「なあ、陸斗」


「……」


 テントのベンチで瀬名と桜子、恭士が話している隣で、ハインはしゃがみこみ、地面を見つめている。陸斗はハインの横でつまらなそうに岬の運動を眺めていた。


「蟻の行列って一生見ていられると思うんだけど、どう?」


「…………」


「ほら、この蟻だけデカい。見て」


「………………」


「うわ、俺の手くさ」


「…………話しかけるな、バカが」


「やっと口きいてくれたな、へへへ。戦略通りだ!」


 ハインは指で鼻をこすった。次の瞬間その指が臭かったらしく悶えている。


 陸斗は大きくため息をついた。


「勘違いしているようだから、言っておく」


「なんだ?」


「俺はお前が嫌いだから、二度と話しかけるな」


「…………なんでだよ」


「弱いからだ。弱いことに危機感がないからだ」


「どうして弱いと嫌いなんだよ」


「…………話しかけるなと言った」


──弱い奴はどいつもこいつも死ねばいい。いや、俺が殺す。


 そんな会話を横から聞いて、桜子は陸斗を見ていた。



        ◆



 岬の頭には、あの大男の──ステュクスの顔が焼き付いて離れない。


『正直に言うと、あなたは殺したくない。一目ぼれというのは本当です。きっといいパラチルドになる。あなたも守りますよ。任せてください。負けそうなときは、私を呼んでください。助けにいきますから』


「舐めるな、舐めるな──ああ、むかつく」


 不甲斐ない。テロリスト相手に後れを取った。その事実が、病み上がりの岬を動かす原動力だ。


 ずっと感じていたことがある。


 岬は補佐官としては優秀だ。しかし、パラチルドとしてはどうだろう。


──あの時、敵は天使化した。


 パラチルドの切り札。エーテルを体外にあふれ出させる、超能力。あの時、ステュクスは天使化し、空間ごとエーテルの動きを鈍くした。岬の体術の切れを奪い、空気に抵抗を感じさせるほどの倦怠感を押し付けてきた。


 あれの位階が、対パラチルドとの戦闘において重要であることは言うまでもない。


 真っ向勝負で、天使化したパラチルドに勝つ術はないという現実が、岬を悩ませる。


──エーテル同士は共鳴する。


 岬は足を止めた。


 テントを見た。煙草を吸う瀬名。お茶を飲む桜子。手を振る恭士。そして二人のパラチルド。


「ちょっと、ぼんくら二人!」


 岬は大声を上げた。


「なーに?」ハインも声を上げて返事をした。ぼんくらと呼ばれたことなど微塵も気にしていない様子だ。それとは対照的に陸斗は、岬を睨んだ。


──そうよ、それそれ。


 光る太陽は、岬を真上から照らし、影を伸ばさない。


 エーテルは共鳴する。いい意味でも悪い意味でも。


「──私と戦いなさい!」




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