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エクスクルーデッド

 2040年5月7日、厚木警察署。


「神坂灯矢君と神坂弓さんをどう思う?」


「うーん、友達」


 恭士はハインが起きてからすぐに話をしようと思っていたが、ハインの腹の虫が鳴ったため、宅配ピザを頼んだ。何が食べたいか聞いたところ、食べ物のボキャブラリーが乏しいらしく「うまいもの」としか言えなかった。結局のところ、恭士は自分が好きなものを宅配サービスで注文することにした。領収書は八王子福祉執行所とした。


 ピザを両手に持ち、がむしゃらに口に運ぶハインは恭士の話を聞いている場合ではない様子だった。「うまい、うまい」と燥いでいた。それを見ていた恭士は緊張している自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


 十五分程度、ハインの食事を待っていると、食べ終わって眠そうにしている。さすがに二度寝されると困るから、恭士は話を切り出した。


 率直に、二週間同じ部屋で過ごした二人のことを訪ねた。


「友達か……。二人はなにか悩んでそうだったかい?」


「そうだなあ……、俺にはよくわからないなあ。灯矢は俺にいろいろ教えてくれたし、弓は話し相手になってくれたよ。だから友達。それ以外のことはよくわからないんだ」


「いろいろって?」


「パラチルドのこと。大人になれないんだろ? 俺ら」


 パラチルドは二十歳で寿命を迎える。


「そんなことはない。手術を受ければ大人になれるよ。何にだってなれる」


「そう、それ! 手術。灯矢が言っていたんだよ。手術を受けるって。でも逃げたってことは、なに? 手術って嫌なものなのか?」


「……そうだね……。パラチルドではなくなる儀式みたいなものだ。神坂兄妹は手術を受けたのち、裁判が待っている。けれど……それで終わりじゃないんだ。裁判は確かに自身の罪と向き合う時間を作るが、それは普通の人に戻るために大切な時間なんだ。決して悪いものではない」


「へえ、だったらいいじゃん。俺、二人に手術受けるよう言ってみるよ」


「────!」


 恭士は驚いた。記憶がない少年の無垢な瞳が眩しい。世界と自分と能力と裏切りと優しさがねじれて混濁した少年少女たち、それがパラチルドだ。絡まった糸を解くのは尋常なことではなく、眩暈がするほど果てしないことだった。


 なにより──自分がそうだった。


 記憶喪失。


 きっとハインは記憶を失う前も、こうだった。そう信じたい自分がいた。


 恭士は本題を切り出した。


「そんな君にお願いがある」


「なにさ、改まって」


「僕の福祉執行士の仕事を手伝ってほしいんだ」


 恭士の一世一代の「お願い」。こんなことを頼む資格があるのか、問われると足がすくんで逃げ出してしまいたくなる。力のない大人が、理不尽な力に挑むために必要は盾は、本来守るべき子供という絶対的な矛盾。福祉執行士の歪んだあり方を表した、この世で最も不合理なお願いだ。詐欺師になったような気分。


 だけど──大丈夫、ちゃんと守るから。


 恭士は心の中でそう付け足して、ハインの顔を見た。


「よくわかんないけど、いいぞ」


 ハインは鼻をほじりながら、そう答えた。


 恭士は肩の荷が下りたからか──。


「ぷっ……!」


 笑ってしまった。



        ◆



 その後、警察からハインの身柄を預かる手続きを済ませて、恭士とハインは厚木警察署の出口をくぐった。東から降り注ぐ太陽を遮る雲は一つもない。青い天井の下、三人が恭士たちを待っていた。


「瀬名さん、轟さん、それと……」


 サングラスをかけているスーツ姿の男、瀬名穂高はポケットに手を入れながら立っている。


 そして、オフィスパンツとカーディガン、車の鍵を手で遊びながら空を見ているショートカットの女性、恭士の同期である轟桜子(とどろきさくらこ)


 さらに、桜子の傍らにいる見知らぬ少年。中学生くらいだろうか。前髪で右目が隠れているその子は、待ちくたびれと言わんばかりにしゃがみ込み、地面をつついていた。


「あ、堂本くん……とハインくんだね。瀬名さん、ほら、来ましたよ」


「遅刻だ」


 瀬名は恭士を見るなり、駐車場へ歩き出した。


「これから八王子執行所に戻るから……ってニンニクくさ」桜子は鼻を手で押さえながら、恭士を見た。


「あ、たぶんピザだ」


「朝からピザ? やばいね、それ」


 そこでハインは手を挙げて言った。


「こんにちは、知らない人。ピザ食べたの俺だ」


「初めまして、ハインくん」桜子は笑って──恭士に耳打ちをした。「思ったより元気な子で安心したよ」


 恭士も同感だった。


「そっちは……どう?」恭士も小声で聞いた。


 そっち。轟桜子も福祉執行士だ。ペアを組む補佐官が就く。


 恭士はしゃがみ込む少年と目線を合わせるためにかがんだ。


「初めまして、俺は堂本恭士。轟とは同期だ」


「…………」少年は何も答えない。


大林陸斗(おおばやしりくと)くん、私の補佐官よ。挨拶は……また今度でいい?」


「うん」と恭士は短く応じた。よくあることだ。


「じゃ、移動するよ。駐車場はあっち」桜子は指さして、三人を誘導する。


 青空の下、陸斗は誰にも聞こえない声で、呟いた。




「どいつもこいつも、死ねばいいのに」




        ◆



 灯矢と弓は夜通し走った。東名高速道路に沿うように進んだ道は、新宿区に続いている。道中は泥酔している大人のカバンから財布を盗り、コンビニで食品を購入して空腹を凌いでいた。


 ステュクスとの連絡手段はない。移動している途中で、ステュクスの言うアジトに向かうためというより、機動隊に拘束される前の、普段の生活に戻るために新宿を目指していた。


 だが、灯矢の「このままバックレよう」という提案に弓は応じなかった。


 これまで灯矢の主張に追随するだけの妹は珍しく頑固だった。


 新宿に着いた。


 見慣れた廃墟。電気、水道などインフラが機能していないアンダーグラウンド。3年前から時間が止まっているように、昔の広告看板が横に倒れている道路。ぽつりぽつりと見かける人影は、水や食料と薬の売人だ。政府と法の外で築かれた経済圏。それが灯矢と弓の古巣だった。


「弓、そろそろ理由を聞かせてほしい。どうしてあの時、ステュクスの誘いに乗ったんだ」


「それは……」


 弓は数年隠してきた力の秘密を兄に打ち明ける。


「私、天使化できるみたいなの」


「…………!」


 灯矢は弓の口から言われた事実を受け止めた。ステュクスが言っていた、神坂兄妹を選んだ理由。拒絶されたハインと自分たちの違い。


「それなら……俺もだ。お互い強くなったが、大丈夫だ。今まで通り機動隊から逃げてさえいれば」


 そう、大丈夫。そうすれば寿()()()()は穏やかに暮らせる。


 弓は続けた。青い空の下、弓の顔を暗い影が覆う。


「天使化すると、力に目覚める。私の能力はなんていうのかな……予知みたいなものだと思うの」


「予知?」


「うん……とっても怖い映像が頭に流れた……」


「どんな内容だ?」


「ハインが……世界で一番強いパラチルドになる……。そんなに強くなる必要なんか、ないのに」


「なんだそれ、なんであいつが」


「プルート……」弓は小さくつぶやいた。運命の中心を回る歯車の名前を。


「それはステュクスが言っていた……」


「うん、ハインはプルートになる。それはきっと恐ろしいことだから」


 弓の力。頭に残る絶望のヴィジョン。


 灯矢は──能天気なハインという男を思い浮かべた。


「アッアッアッアッ!」と、もはや聞きなれてしまった不快な声がした。


──!


「二人ともよくここまで生きて辿り着きました。私も仕事をした甲斐があったというものです」


 瓦礫の影から現れたステュクス。だが、その身体は至るところに傷があり、右肩は脱臼しているのか、ぶらりと垂れ下がっている。


「参りましょう。二人とも──パラチルドの王が待っている」



        ◆


 

 そこはクレーターのように地面が円形にえぐれた場所だった。元はオフィス街だったのだろう。へしゃげて使い物にならないモニターや椅子。半分が燃えカスになっている文書があたりに散らばっている。倒壊したビルの瓦礫が取り除かれた、開けた穴。二人とステュクスはそこで待っていた。


「連れてきましたよ」とステュクスは声を上げた。


 すると、何かが飛んでくるような風切り音がして、彼らの右前方の瓦礫が吹き飛んだ。人が、降ってきたのだ。


 舞う粉塵の中から、一人の少年が出てきた。


「へえ! そいつらがカロンとヒドラの後継か! 期待していいんだな?」


 全身黒いタイツのような衣類。機動隊が来ているような強化ボディスーツだろうか。それにレザージャケットを羽織っている。髪は白く、首から額にかけて大きな傷がある。


「ええ、ケルベロス」


 ケルベロスはステュクスに怒鳴った。


「てめえには聞いてねえ! 寄生虫」


 ステュクスはやれやれと肩をすくめた。


「俺はニクスに聞いてんだ!」


 すると左前方から女の声がした。


「期待はしていい。少なくとも私のエーテルはそう判断した。優秀だよ、この子達は」


 女は背中に巨大な銃を背負っていた。このまま戦争に行くかのような、重装備の軍服。ニクスと呼ばれた女は淡泊にケルベロスの問いに応じた。


「ところで、ステュクス。お前だけ無作法では?」


「ええ、確かに。ニクスに言われれば仕方ないですね」


 すると、ステュクスは膝をついて()()()


──!


 身体をびくつかせながら、のたうち回っている。そして、男の周りが光に包まれた。


「天使化か──!?」灯矢は弓の前に立った。


「違えよ」とケルベロスは灯矢に対して落胆を込めた視線を送った。まるで「知らないのか?」と挑発するような物言いだ。


「ぁぁあぁあああああああああああああああああ!」


 男は叫びをあげた。


 のたうち回り、地面に爪を食い込ませ、口からは唾液が垂れている。まるで──。


「これが、パラチルドの寿()()だよ。私たちの未来さ」


 ニクスがそう言うと、男の体は光とともに消え──。


「地獄に……落ちろ……!!!」というかすれた言葉を最後に、跡形もなく霧散した。


「エーテル崩壊。パラチルドは二十歳を迎えると、自身のエーテルに食われて死ぬんだよ。知っているだろうが」

 

 ケルベロスが頬杖を突きながら付け足した。


──これが、俺たちの未来?


「というか、ステュクスが死んだぞ! 仲間じゃないのかよ!」


「仲間だよ、残念ながらな」ニクスは灯矢たちの背後に視線を送った。


 そこには──。


「アッアッアッアッ! 失礼、驚かせてしまったようだね。心配してくれてありがとう。私は生きているよ」


──この口調は!


 灯矢と弓の背後には、暑苦しいロングコートに黄金の長髪、胡散臭い笑みを浮かべた青年が立っていた。なめるような視線を感じた弓はその男に怯えた。


「その身体は限界でしたので、この任務で廃棄する予定だったのですよ。彼は優秀なパラチルドだが、プルートと相性が悪かったので、有効活用させていただいていました。やあ、ニクス、ケルベロス。生身の私と話すのは2年ぶりでしょうか?」


「私がお前と話したそうに見えるか?」と汚物を見つめるようなニクス。


「黙れ、外道が」と笑うケルベロス。


「冷たいですねえ」と眉を顰めるステュクス。


「──ともあれ、私たちパラチルドの王が来ます。神坂兄妹、気をちゃんと持ってくださいね。言ったはずです、力を示せ、と」


 灯矢と弓は寒気がした。


 本能が叫んでいる。自分たちの力はあの存在に捧げるためにあると──。


 巨大なエーテルが圧縮されている。視界がゆがむようだ。


「久しぶり、ニクス、ケルベロス、ステュクス。俺は──プルート」


 前方に現れた人影はなぜだか視認できなかった。ゆらゆらと揺らめく影にしか見えない。


「あ、あんまり見つめないほうがいいですよ。気が狂いますから。今は言葉を話すエネルギー体だと思っていればいいので」


 灯矢は口から水分がなくなっていた。息が荒い。ここから逃げなければ──否、()()()()()()()()()()()()


 本能はぐちゃぐちゃに複数の命令を叫んでいる。



「ようこそ、エクスクルーデッドへ」



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