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かつて天使だった君へ


「私たちは天使として生まれ、獣に墜ちる。




 まるで人類は絶滅したがっているみたい」




 プルートと名乗った彼女はそう言った。




       ◆


 

 東京、八王子。十階建てのビルのエントランスからトイレまで歩く道中にある小さな一室に、二人はいた。4階の事務所に喫煙スペースがないため、彼らはいつもここで休憩する。


「今日で研修期間は終わりだ」と言い、瀬名穂高(せなほだか)は煙草を灰皿に押し当て、火を消した。


 残る煙は宙を漂い、恭士の鼻腔をくすぐった。褒めるわけでも、祝福するわけでもない。感情が読めないのはいつものことだが、今の瀬名の言葉は、意味合いが理解しづらかった。


 サングラスの向こう側から覗く鋭い双眸。優柔不断さを許さない強い意志を感じた。


 引き返すにはもう遅い、瀬名はそう言いたいのかもしれない。


 恭士は黙って頷いた。


「明日、厚木隔離医院で補佐官候補を紹介する。知っての通り化け物だ。手綱を握れるかはお前次第」


「瀬名さん……」


「ふん、いちいち俺に口答えしていたら、キリがないぞ」


 瀬名はベンチから立ち上がり、恭士の肩をひとつ小突いた。


「もう俺は帰る。岬との約束があるからな」


 エレベーターまで歩く瀬名。まだ火のついた煙草を咥えながら、その背中を眺めていた。


 厳しくも、本質を捉えている先輩だった。どうせ苦言を呈されるから、お世話になったなどと言えない。だから恭士は今後の仕事振りで恩返ししようと思った。


 ──恩返し。


「荷が重いっすよ」と恭士(きょうし)は笑って火を消した。


 引っ越しはもう終わった。新居にある段ボールを片付けるところから、新生活が始まる。


「初めての相棒か……。どんな子なんだろう」


 恭士は眼鏡の位置を直した。



        ◆



「ちょっと! どきなさいよ! ウスノロメガネ!」


 エレベーターから出た恭士の視界には、トイレに向かう小さな人影があった。視界の下で歩く彼女に気付いたのは、その強気な声を聞いたからだ。恭士を見上げながらも、内心では見下すような態度だ。


「来てたんだ、岬ちゃん」


 白いシャツと紺のスカート、エナメルに光る赤い靴。瀬名の相棒である、友野岬(とものみさき)がいつものようにで恭士に冷たく当たる。


「ちゃん付けやめろって前も言ったわよね。穂高が降りて来る前におトイレ済ますの。どいて!」


「ご、ごめんよ」


 岬はカツカツとフローリングに靴を打ち付けながら、大股でトイレに向かった。


 話さなければ可愛い女子中学生なんだけどな、と頭をかいた。


 瀬名と岬は、研修の間、恭士の手本となるペアという位置付けだ。けれど、岬から懐かれなさすぎて、恭士は何度も転職を考えた。


 実際、同期からはよく辞めないなと心配半分に誉められたものだった。


 転職しようとしても、できることなどないし、社会の役に立とうと思ったらこの仕事しかないと思う。消去法と言えばネガティブだが、恭士は前を向いていた。


 まだ見ぬ相棒が彼を待っているのだから。


 今日から恭士の胸の名札から、「研修」の文字が消えるのだ。


 厚生労働相管轄の国家公務員、福祉執行士の堂本恭士(どうもときょうし)


 彼はエントランスに飾られた絵を見た。天使たちが羽を使わず地面に立っている絵だ。誰が書いたかはわからない。意味するものも察せない。ただ、この絵は執行士の試験を受けるときから目にしているため、記憶に強く残っていた。


「あの天使、サイゼリヤで見たことある」


 と、トイレから戻ってきた岬が腕を組みながら言った。


「…………岬ちゃん」雰囲気が台無しだとは言わなかった。


 耽っていたと知られれば、また何か言われるに違いなかった。


「あ、宿題、後で手伝ってね。写真送るから。途中式も書くやつだから、宜しくね」


「瀬名さんに頼みなって」


「穂高は厳しいのよ。自分で考えろって」


「はは、僕もよく言われる」


「一緒にするんじゃないわよ、メガネ!」


 岬は恭士の足を踏んだ。


「痛いよ、岬ちゃん」


 そう、痛い。ただ、その程度で済んでいることが、恭士と岬の関係を如実に表していた。


 本気を出せば、彼女は簡単に恭士を打ちのめすことができる。けれど岬はそうしない。恭士はそんな岬を怖がらない。


──それとは別に、態度に問題はあるけどね。


 心の中で恭士は頭を掻いた。


 そこで、エレベーターが一階に着いて、ドアが開いた。帰り支度を終えた瀬名が、低い声で「お疲れ、お前も早く帰れよ」と言った。


 サングラスの位置を直して、岬を見た。


「宿題は自分でやれ」


「えー!!」


「ふん、帰るぞ」


「はーい。じゃあね! メガネ! 明日会う奴に舐められないようにしなさいよ! ガツンと行きなさい! ガツンと!」


 瀬名と手を繋いで、出口に向かう岬は、恭士への激励をエントランスに響かせた。


「ありがとう」


 二人はビルを後にした。


「さてと──僕も帰ろう」


 恭士は、エレベーターで四階の事務所まで登った。



        ◆



──この世界は、歪だ。


 随分前からおかしなことになっている。


 この世界には、すごい子供たちがいる。


 拳で岩を砕いたり、何も使わずに自動車をひっくり返したり、百メートルを2秒で走ったり、めちゃくちゃだ。


 そんな、夢の世界の住人のような彼ら。超常の子供たちは、一つの代償を抱えていた。


 夢はいつか覚める。


 超常の子供たちは、何故か二十歳になると示し合わせたように死んでしまうのだ。


 だから、これは一つの病だった。


 福祉執行士は、病を治すために働いている。


 超常の力を持つ少年少女、社会は彼らをパラチルドと呼んでいる。


 パラチルドは病人だ。超能力は治療で治すことができる。


 福祉執行士は治療を拒むパラチルドを保護(捕獲)し、治療を促す。


 社会の秩序のために、子供自身の未来を守るために。


 けれど、どうしてだろう。治療を拒む子供たちは皆、口をそろえて言うのだ。


「人類を滅ぼす」と。



        ◆



 福祉執行士にはパートナーとなる補佐官があてがわれる。


 補佐官は危険の多い仕事をこなす執行士を守るために隣にいる、パラチルドだ。


 補佐官は治療を受けるまでの少しの間、執行士の力になる。


 そういう関係だ。


「僕の初めての……」恭士は、明日顔合わせする補佐官候補の少年のプロファイルを見た。


 名前は──ハイン。


 日本人ではないようだ。


 恭士は何度も読んだその書類の、最も気がかりな一文をもう一度読んだ。


「…………記憶障害、厚木施設に入るまでの記憶がない……」


 恭士は出会う少年の顔写真を目に焼き付けた。


 


  


 




 

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