第4話 親公認居候
「漫画を売るってことは個人事業を始めるってことだよね。満十五歳になってない俺がやっちゃダメじゃない?」
「わからない」
遥は人間だと思い込んでいる賢は、つい天使にこの世界のことを尋ねてしまう。インターネットを簡単に使える賢はスマートフォンを操作してそのことについて調べた。彼の懸念は正しく、十五歳未満が事業者となることは不可能とあった。従って賢はどこかの事業者に代わりに自分の漫画を売ってもらい、儲けの一部を受ける選択を余儀なくされた。最近では小学生の漫画家が雑誌に連載を持つなど、若手作家が漫画界を盛り上げる傾向にあり、門戸が賢にも開かれているのは明らかだ。
「商業目的で描くってなると、心構えも変わってくるなぁ」
彼は開かれた扉の前でしり込みをしている。自分の作品は畢竟、同好会という狭い世界で愛読され、高い評価を得ているだけの井の中の蛙であり、プロという大海に出ればたちまちに惑うものなのだ…彼は不安だった。
「売れたらこの先の金にかかわることは楽になるかもしれないけど、私の制服を買うためにそれほど大きな決断をすることはない…って言ったら意思が揺らぐか」
「いや、その主張はもっともだよ。もっとスケールの小さな金の得方っていうのはあると思うんだよね…いっそ親に報告して送金してもらうかぁ」
投稿することと親に相談することとの重さの比較は、後者が圧倒的に軽かった。賢は優しい母に電話をかけた。明るく懐かしい声が応えた。事情を聞き、遥の声も聞いた彼女は父に代わると言った。父は厳格な男だが、息子の意思を砕くようなことは言わない。彼の答えは『構わない』だった。二人は遥のことを見ていたし、彼女の両親が信用できる人間だと思っている。二人は息子に自分の役割を見失わぬよう堅く命じ、今日のうちに賢の口座に入金すると約束してくれた。
「『息子をよろしくお願いします』って言われちゃったよ。私がお姉さんとしてしっかり賢を護らなきゃってことだよね!」
賢はそれに対して口を尖らせた。
「俺を『絶対殺す』なんて言ってた人が今度は『護る』だなんて都合がよすぎるよ。俺が兄のほうが相応しい」
痛いところを突かれた遥は『ぐぅ』と唸り、彼の言葉に甘んじることにした。彼女は自分が姉として誰かを導くことにも、自分が妹として誰かに導かれることにも憧れていた。
「昼ご飯は俺が作るよ。遥の料理ほどおいしいかはわからないけど」
賢は冷蔵庫を見た。しばらく硬直し、そっと閉じた。
「調味料しかねぇ!」
卵は冷蔵庫の最後の食材であり、賢の朝食のベーコンエッグの卵の数は二つだった。残り三個の卵を、遥は一個残さずにすべて使い切ったということだ。一個だけ残っていたとしても大層な料理を作れるわけではないので、買い物に行くことは避けられない。
「スーパーに来たの久しぶりだなぁ。天界には個人商店しかなかったから…」
「個人商店が胸を張って軒を出せるのはいいことだよ。資本主義にありがちだけど大手チェーンに客をとられて畳まなきゃならなくなった店は数知れず…」
賢には悲しい思い出があるのだろうが、それを乗り越えてこの店を愛顧しているように思える。
「天界特有のものってあるの?」
「天界にしか生息しない生き物はいるね。『テンタキュロス』とか『アウテスタテリス』とかね。あんまりおいしくないけど…」
聞きなれない固有名詞に惑う賢。詳しく訊くと、前者は海藻のようなもので後者は猪に似た生物だそうだ。天使たちはそれを専ら食すわけではなく、人間界にもあるものを好むという。
「欲しいものはある?日用品も足りなければここで買うよ」
「後で買いに行くわ。正直な話、けっこう多いから…それに、お腹が空いていて早くご飯を食べたいのよ」
急いで食材を揃えた賢は支払う額が表示されたところで青ざめた。遥が彼の財布を覗き込むと、そこには、
札が入ってなかった。