第33話 裏切りの螺旋
賢が目を開けても、彼を迎える声はなかった。常に誰かしらがいるリビングの灯りは消えており、隣の部屋には誰もいない。それよりも自分を囲う不愉快な空気が気になった。みんな出かけたのかと思ったが、当番制だから5人揃って買い物に出ることはないし、仮に服を買いにみんなで少し離れたショッピングモールまで行っているとすれば、書置きがあるはずだ。携帯電話で連絡を試みたが、つねに最大強度で通信している端末がさっぱり送受信をせず、wi-fiのインジケータが表示されない。キャリア回線も圏外を示しており、賢の端末はメディアプレイヤーとしてしか使えなくなっている。彼は異常を察知し、すべての窓を閉め、玄関に鍵をかけて外に出た。自宅のが使えなくても、近所のコンビニの無線通信は使えるはずだ。しかし彼の期待は裏切られた。利用できる回線の候補が一つもないのだ。こうなったら自分の足で遥たちを探すしかない。一度家に戻ろうと踵を返すと、視界に縦長の黒い物体が入った。今まで背を向けていたので気づかなかったが、大きな塔がある。自分が休んでいる間にあれほど高い塔は建てられない。賢は天使が来た時のように、非日常が訪れたのだと思った。
賢は遥たちのいない状態がデバフのように自分を蝕んでいることに苦しみつつ、高い塔を攻略することをゲームのように面白がっていた。最初はレベル1、持ち物は服と家の鍵だけ。塔の入り口には天使をモチーフにしたレリーフがあり、つめたい色の大小さまざまな石が床を敷き詰めている。コツコツと靴音をたてて進むと、螺旋階段が上へ続いていた。歓迎のないことに不満を持ちながらも、次のフロアで戦えることを期待して一段飛ばしで進んでゆく。百段くらいだろうか、程よく脚が疲労したところで第二層に入った。円状の暗い部屋の壁面の高いところに四角に抜かれた部分があり、そこから光が差し込んでいる。まるで戦う者を照らすスポットライトのようだ。
「ようこそ」
影が集まり、人の形をなした。賢を迎えた最初の刺客は、
「そういうことだろうと思っていた」
賢はこの世界の仕組みを理解していた。明らかに自分の知る世界ではないこと、遥たちがいないこと、塔が自分を拒まなかったことを考えると、これは賢に課せられた試練なのだ。彼は見落としていたが、入り口付近の床には『取り戻したくば、自分に打ち勝って見せよ』と刻まれていた。ただ、その言葉は彼には必要なかったようだ。
「私が仲間になったからって怠けてないよね。戦った時より弱かったら承知しないよ」
遥はやはり素手で戦う。貫手こそ彼女の最大の攻撃であり、それに集中することで強さを得てきた。賢はあの時を懐かしく思い、両拳を握った。
勝敗は言うまでもなく、遥はこの世界の束縛から解放された。
「よく憶えてるよね...ま、最初の戦いだから当たり前か」
賢はあの時の遥かの動きを完全に記憶していた。この世界の遥は現実の遥とは異なり、賢の記憶に依存して構成される存在だ。欠落部分があればそこを世界が補うが、すべて憶えていたのならこの世界の遥は賢の記憶通りに行動する。賢は自分の動きすら憶えていたため、同じことをもう一度するだけで確実に勝てるのだ。
「ということだから、俺は全員に勝てるんだよ」
「すごいね、全員分を憶えてるなんて」
「遥も、葵も、霞も、渚と紬も、俺のところに来たことで俺の人生を変えた。今まで変化に乏しい俺だから、否応無しに記憶するんだろうね」
次のフロアには葵がいて、その次には霞がいて、その次にはメイド二人がいる。賢の天使との戦いの記憶はそこで終わるが、この塔はそれだけでは終わらなさそうだ。




