身につける
いつからだろう。
いつの間にか手放せなくなっていた。
ちっぽけな端末。電気の消えた部屋で画面を輝かせるそれ。
昔はもっと大きかった。機能も少なく操作も煩雑だった。説明書も分厚いわりにあまり丁寧ではなくて、実際に触って見る方が分かりやすかった。
友達と、うんうん唸りながら色々と試しながら機能を覚えた。懐かしい記憶だ。
あれから随分、便利になったものだと思う。
何となくでも、したいことが出来る。
でも、使い道は変わってない。
指を動かし、くるくると画面を操作する。他愛ないニュースや気になっていた小説を斜め読みしていく。
飲み会で話題になった小さなゴシップ。
苦笑いする芸能人や真剣そうな顔で口を開く政治家の写真。それを煽りたてるような文字がずらずらと並んでいる。
目でざっと追うものの、頭には入らない。
来ない。
頭に入らないままニュースを眺め終えると、小説を探し、画面を開く。
大好きなファンタジー。剣と魔法の王道世界。冒険の始まり、プロローグをさっと読み流す。
気になってたはずなのに、どこか集中が出来なくて、次々とページを進めた。視線がゆらゆらと文字を上滑りする。
あまりに早いペースのせいで、話がどんどんわからなくなる。でも落ち着かなくて、さらにページを進めた。
そうして無為に物語を追う。分からない内容は勝手に補完していく。頭の中でぼんやりとした世界が散らすように広がっていった。もはや妄想に近いかもしれない。
ふと、視線を遮るように、画面に文字が浮かんだ。
『起きてる?』
今まで見ていたものと同じ、ただの文字。でもどうしてこんなに、気持ちが高ぶるのだろう。
自ずと笑みがこぼれる。待ってる時はあんなにももどかしかったのに、こうして連絡が来れば自然と嬉しさで胸がいっぱいになる。
しばらくにやにやと文字を眺めてしまう。
読んでいた小説のことはもうとっくに記憶の外。ぼんやりとした空想もあっという間に霧散した。
目を瞑る。空想が消えた頭の中に、昨日見たあの人の笑顔がはっきりと思い浮かんだ。
ぼんやりとし過ぎたのかも知れない。瞼の裏に感じる光が消えた。
目を開けると端末の光は落ちていて、夜の暗闇が辺りを覆っていた。
慌てて画面を点灯させると、『起きてるよ』と文字を返した。
いつからだろう。
きっと、昔からずっとだ。
私はいつも、連絡を待っている。繋がりを求めている。
小さな小さなやり取り。それでも、嬉しくて小躍りしたい気持ちになる。
本当はもっと、なんて思うこともある。
でもこれで充分。だって本当に幸せなんだから。
たまに全てを消したくなることがある。
実際にしたこともあった。後悔はしなかったけど、寂しさは心を覆うように募っていった。
少しずつ慣れていくしかないのだろう。
幸せと、寄せては返す波のように迫る悩ましさを噛み砕いて。
暗い部屋にまた、小さな明かりが灯る。
簡易なやり取り。いつもの挨拶で終わりの言葉。
画面に表示された文字をなぞる。
溢れる笑みを抑えようともせず、私は送られた言葉をそのまま返した。
いつものように。