猫(仮)
私は猫だ。
いつどこで生まれたかはわからん。
兄弟猫が今どこで何してるかもわからん。
いつこの街に住み着いたかも覚えとらん。
今日も何もなく普通に過ごすのだ。
あー素晴らしき「何もない」。
猫であるそれだけで私には十分なのだよ。
ただネズミは捕まえたことはないが。
屋根の上でのんびりとしていると、下から会話が聞こえてきた。
この家の主人が定年間近のパーマ頭な主婦とそれより少し若く見える主婦だ。実はこの二人は同い年であるのだから驚きだ。
「みっちゃん! よくきたわね! さあ上がって!」
「ええ、おじゃまするわね」
みっちゃんと呼ばれた若く見える方の主婦が靴をそろえて家に上がる。
毎年数回、どちらかの家に遊びに行く関係なのだ。幼馴染らしい。
今年はこっちへ来たか。私だったらこんな古ぼけた家にわざわざ入りたくないがな。ただし屋根の居心地は評価する。
「ご主人の方は?」
「あの人は今日も仕事よ40後半になったら、メシ、フロが大半のセリフでまともに会話したのは何年前かしら?」
またか、いつもこの会話から始まるのだ。そんな繰り返しすぎてわかり切ってるようなことをよくも飽きずにできるものだ。
「みっちゃん、また若くなった? いいなぁ私も若くなりたいわあ。羨ましい!」
「そんな全然よ。なっちゃんこそ、若くなってるんじゃない?」
「あらやだみっちゃん。ほめても何も出ないわよ!」
これを人間界ではお世辞というらしい。ただ「羨ましい」というセリフは本当だ。
なっちゃんとやらは主人がいない間はせんべいを食いながらゴロンとしながらテレビを見ている。
それをやめればすぐにでも昔の美貌とやらを取り戻せるかもしれんのに…
みっちゃんは若さに対する執着が半端ではない。
家族に内緒で健康雑誌を買いあさり、食事にもさりげなく良い栄養素を入れている。そのおかげか夫の肌年齢は20代である。
「そうだ、なっちゃん! はいこれ!」
「あら? これは?」
「新しく出たココナッツオイル! これを食事に取り入れればお肌のツヤが良くなるのよ!」
「まあ! ホント!? うれしいわあ! ありがとう!」
ちなみになっちゃんはこの数年、こういう類の物をもらってはいるが、結局数日と持たずに置きっぱなしにする。この数年で主人の肌ツヤが良くなったのは気のせいだろう。
「最近はどんな健康情報があるの?」
「実は今ね。丹田ダイエットっていうのやってるの!」
「たんでん?」
「いわゆる腹式呼吸ね」
「ふくしき?」
「お腹で息をするの。こう…鼻から思いっきり息を吸って思いっきり息を吐くの。吐くときにお腹に力を入れて引き締めてやるのがコツよ!」
「へえ、それだけで痩せられるの?」
「そうなのよ! 家事に追われて運動もできない私たちにピッタリよ!」
「確かに! それだけでいいのね! どれくらいやればいいの?」
「朝と昼と夜、具体的に言うと、起きた後、昼食前、寝る前にやると効果的よ!」
「まあ、なるほどねえ」
ちなみにすべて雑誌の情報でみっちゃん本人が編み出したわけではないことを一応言っておく。
それにいくら言っても無駄だ。毎年健康法を教授するもやりゃしない。
私が彼女らの会話をぼうっと眺めていると、シロがやってきた。一応友人だ。名前の由来は白いから。なんのひねりもない。
「よお、タカ。なにしてんだ?」 ちなみにタカとは私の名前だ。
「ああ、彼女らの会話を聞いてたのよ」
「お前好きだねえ。そういうの」
「いやいや面白いぞ。それにいい睡眠導入にもなるんだわ」
「ふうん。俺は好きじゃねえな」
「こっち来たってことは帰りかい?」
「そうだ。もうすぐ飯の時間だからな」
「お前んとこの主人は優しそうだよな」
「放任してる感じだけどな。一定の時間になったら飯がでるからそのタイミングで家に帰るのさ」
「自由でいいねえ」
「お前もだろ」
「そういやそうだった」
「じゃ、俺は腹減ってるから」
そういうとシロは最速で家と向かった。猫の強みは足の速さだろう。これは人間に勝る。ちなみに不思議なことに人間界の最速はネジなのだという。どういうことだろうか?
「ふわあ~。眠たくなってきたなあ」
そんなことを考えてると私は会話は聞く気もなくなり眠ることにした。まだ家に帰らなくても大丈夫だろう。そう思いながら。