最低の國 2
気が付けば教室に、下駄箱に名前のあった人数が揃っていた。
明らかに素行の悪そうな金髪の男子生徒。
目も座っているが肝も座っていそうな少年に、近寄りがたい雰囲気を持った眼鏡の少年。
さらに挙動不審な少年に、気の強そうな悠以外の唯一の女子生徒。その女子生徒に至っては、私物なのかノートパソコンを持ち込んで何か必死に作業をしており、周囲どころかこの状況そのものに興味がなさそうだ。
この6人で1年間みっちり勉強漬けにされる、と思うと悠はもうすでに胃が痛くなりそうな心持ちになっていた。
(女子2人だし、男子もコワい感じの人ばっかりだし、ほんとに問題のある人ばっかりなのかな……)
まだ何も始まっていない上に、自らもその一員だというのに、悠は遂に集結したクラスのメンバーを見て更に落ち込んでいた。そんな悠の気持ちとは裏腹に、1日の始まりを告げる始業のチャイムが爽やかに教室に鳴り響いた。
(そういえば、担任って誰なんだろ?)
ガラッ
「うーん、8秒程遅れてしまいましたねぇ」
なんと、教室の引き戸を足で開き、白衣を纏った20代くらいの男が入室してきた。
男は、好き放題に伸びたボサボサの黒髪を後ろで一つ結びにし、理系で知的な印象を感じる銀色の眼鏡を掛け、俗に「便所サンダル」と呼ばれる茶色のサンダルをつっかけている。
一般的な「教師」のイメージとはかけ離れた風貌のその男は、手には小さなダンボールの箱を6箱抱え、その上に見慣れた出席簿と、黒いボディのノートパソコンを乗せて教壇にどさり、と置いた。
少なくとも悠が本校舎で過ごした2年間で見かけたことの無いこの男。
まさかこのクラスを受け持つ担任なのだろうか。
「えー。特別クラスの皆さん、進級と転級おめでとう?ございます。私はこのクラスを受け持つことになった、有栖川 誠一郎といいます。1年間よろしくお願いしますねぇ。こんな見た目ですけど、ちゃんと教員免許はありますんでぇ」
中途半端に語尾を延ばす癖があるらしい有栖川という男は、疑わしいなら今度来る時に免許のコピー取って持ってきますからねぇ、と付け加えた。
「ではでは早速になりますけど、この特別クラスについて皆さんに詳しく説明させていただきますねぇ」
「あの、その前にちょっといいスか?」
説明を始めようとした有栖川を遮ったのは、悠に席順を聞いてきた金髪ヘアピン男子だった。言葉は一見丁寧に聞こえるが、足を机の上に上げて、携帯電話を手放さないスタイルは崩していない。まともな教員ならばすぐに指摘しそうだが、
「はい、なんでしょう?」
有栖川は見て見ぬふりなのか、指摘する必要がないと判断したのか、そのまま彼の質問ににこやかに答える姿勢を見せた。
「今日って始業式ッスよね?生徒は全員、体育館に行って参加するんじゃないんスか?」
「ああ、ご心配なく。君達は出席できませんよぉ。最初から頭数に入ってませんからぁ。ついでに、今後は体育祭とか文化祭なんかのイベント参加も一切認められてませんので、そこのところは誤解の無いようお願いしますねぇ」
これには質問したヘアピン男子だけでなく、クラスのほぼ全員が違和感を覚えた。1年間勉強漬けになる、というのはこんなにも様々なことを制限する必要があるのだろうか。イベントへの参加にも制限がされるのは、最早いち生徒として認められていないような気持ちにさせられた。
「じゃあ、質問も解決したところでこのクラスについて説明しますねぇ。あ、メモとかはしないでくださいね。情報漏えいになるので。」
有栖川はそう断わりを入れると、順を追って話し始めた。
特別クラスの生徒は、本校舎への出入りは原則禁止であること。
部活動への入部は禁止で、在籍していた生徒は既に除籍となっていること。
荷物を取りに行くだけでも家に戻る事は一切禁じられており、果てはこの学区内から出ることすらも、原則として禁じられた生活を強いられることになるという。
おおよそ、通常の中学校では考えられない規則に悠は、
(学校じゃなくて、強制収容施設じゃん……)
という感想と、絶望感しか持つことができなかった。
どこの誰がこんな法律をOKだと言ったのか、特別クラスの生徒たちは次々に出てくる制限事項を聞きながら、大人への不信感を募らせていった。
「っと、忘れてた。これをお配りしないといけませんでしたぁ」
これ、というのは有栖川が抱えて持ってきていたダンボール箱だった。
不思議な事に、まだ誰も自己紹介どころか名乗ってもいないというのに、有栖川の手で正確に小さく名前の書いてある段ボール箱が各々に配られた。
「それの中身は今日から君達に使ってもらう、特別クラス専用携帯電話ですよぉ。今まで使っていた弐本國管理の中学生専用携帯電話は、特別クラスの君達のぶんのみ、只今をもって國から直々に利用停止措置が摂られましたのでねぇ」
そんなバカな、と悠だけでは無い特別クラスの面々は自分の携帯電話を確認したが、有栖川の言った通り、切っていなかったはずの電源が切れており、電源を入れる操作を試みるものの、誰の携帯電話も復活する気配はなかった。金髪の男子生徒が、力任せにブンブンと携帯電話を振り回してみたが、携帯電話が再び動き出すことはなかった。
余談だが、この國の携帯電話と呼ばれるものは少々特殊な管理をされているのだ。見た目はいわゆる「スマートフォン」のような形をしており、通話・メール・インターネット等を利用できる非常に便利な多機能携帯電話機だ。
弐本国の義務教育のはじまりである小学校入学時に、政府を通じて学校から全ての生徒に支給されるため、弐本國全国民が所有しており、未成年者であろうとも本人名義で支給され、名義人が死亡するまで使用できることになっている。
学生の内は携帯電話のボディカラーで区別されており、小学生は黄色、中学生は緑色、高校生は青色、大学生は赤色と区別されている。学生の身分を脱してしまえば、好きな機種に変えられるが、政府の監視下から逃れることは一切不可能とされている。
携帯電話のシステムから個人情報まで全て政府が管理しているため、携帯電話を使ってやっていることは、送受信メールの内容からネットの履歴まで全て政府にリアルタイムで筒抜けているのだ。一昔前は個人が所有・管理していたため匿名で誰かの悪口を発信したり等、様々な問題があったが政府側でシステム管理をするようになってから、問題はぐっと少なくなったという。
悠は、小学生の時分から、ずっと国に管理されていたのを改めて痛感した。それと同時に、なかなかに趣味の悪い国家だということも再確認した。
「その携帯電話、中身は従来のものと大した違いはありませんが、完全防水はもちろん、世界の最先端技術を使用した強固な対ショックモデルなんですよぉ。あ、番号とかは変更されてませんので、そこはご心配いりませんよぉ」
道が冠水するような大雨の日にうっかり落としてしまっても使用に影響はなし、仮にマンションの10階からアスファルトの地面に落としてしまってもなんともないスグレモノですよ、と嬉しそうに有栖川は携帯電話の性能を語った。
悠は、まるで爆発物でも触るかのように、恐る恐る有栖川に渡された箱を開けた。中には、有栖川が言った通り、いままで自分の使っていたものと同じ機種、同じ色をした新品の携帯電話が入っていた。ビニールを剥いで手に取ってみるが、有栖川が言った通りで、いままでの機種と目立って変わったところは見当たらなかった。
「それでは、いつでも使えるように設定してしまってくださいねぇ」
-
「さて…特別クラスについてはある程度説明して、携帯電話の設定も終わったみたいですし、休憩がてら自己紹介でもしてもらいましょうかね」
では端からお願いしますね、と有栖川は廊下側の一番後ろの2席を陣取っている、気難しそうな二人組の片割れである、眼鏡を掛けた男子生徒に起立するよう促した。眼鏡を掛けた男子生徒はゆっくりと立ち上がると、気乗りしていない調子で話はじめた。
「坂田 大輔。2年の時は6組でした。部活とかはしてないです。よろしく」
大輔という眼鏡の男子生徒は、つらつらとそこまで話しきって、すぐに席についてしまった。なんとなく人を寄せ付けないような話し方をし、それなのに表情はどこか睨んでいるような、言葉は悪いが「じわり」とゆっくり絞め殺されてしまいそうな、謎の雰囲気を持つ大輔。
この特別クラスはやはり「特別」なのかもしれない、と悠は誰にもわからないくらい弱くではあるが、体が震えた。
「趣味とか話してくれてもいいんですよぉ?」
「……別に、ないですけど」
「ほう、そうですかぁ」
大輔の持つその雰囲気を知ってか知らずか、持ってきた黒いノートパソコンに何かを打ち込みながら、有栖川は「では次は隣の君」と、大輔と一緒に入室してきた男子生徒に自己紹介するよう促した。男子生徒はのろのろと立ち上がり、大輔以上にやる気なさげに自己紹介を始めた。
「……今井 小太郎。2年は6組。剣道部やってたけど、すぐ辞めた。……まぁ、よろしく」
大輔よりも人間味のない冷たい話し方をする生徒で、かなり独特な人間であるのが小太郎の佇まいから伺えた。教室の端ということで、すぐ傍で話しているわけではないにしても、あまりにも小太郎と悠との距離が遠くに感じるのだ。ぼんやりとしているように見えるが、隙がないというのだろうか。なんともいえない小太郎の纏う不思議な雰囲気に、悠はただただ戸惑った。
「それでは次、お願いしますね」
二人まとまった席は終わってしまい、残りはバラバラの席。
残された4人が「誰かやればいい」となんとなく顔を伏せていた時、意外な人物が立ち上がった。席についてからずっとノートパソコンのキーボードを叩いていた、ツインテールの女子生徒だ。
「明星 鳴海と申します。今年度より神聖学園に転入してまいりました。よろしくお願いいたします。」
(…そっか、転入生だったんだ)
中学生にしては異常に硬い挨拶をすると、鳴海と名乗った女子生徒は席に着き、またノートパソコンとにらめっこを始めてしまった。しかし、転入早々なぜ底辺も底辺の特別クラスに鳴海は振り分けられているのだろうか、編入試験の成績が振るわなかった等、悠の中で考えられるだけの可能性は思い浮かべてみたが、なんだかどれもしっくりこない。妙なモヤモヤを残しながら、鳴海の自己紹介は終了した。
「では次は、誰にします?」
自己紹介の済んだ人間と済んでいない人間とで半分の割合になった。
ここまで来ると人間というものは「最後だけは勘弁してほしい」と思い始めるようになる。悠も例に漏れずその通りの考え方で、ここで手を挙げてさっさと済ませてしまおうかと右腕を持ち上げようとした瞬間だった。あの金髪ヘアピン男子がガタンと机から足を下ろして立ち上がったのだ。
「松崎 彈。2組で帰宅部だった。ま、ひとつよろしく」
彈と名乗った男子生徒がどんな人間なのかよりも、悠は先を越されてしまったことに危機感を覚えていた。
「では、次」
残るは悠と、あの大人しそうな男子生徒ただひとり。緊張してしまっているのか、男子生徒が動く気配はなかった。最後になってしまう彼には申し訳ない、と思いながら悠は右手を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
「烏丸 悠っていいます。2年の時は8組で、吹奏楽部やってました!えーっと…、よろしくおねがい、します」
慣れないメンバーに緊張したが、なんとか最後まで言い切り、悠は着席する。
「では最後ですねぇ」
有栖川が大人しそうな男子生徒を見やり、「君ですよ」と声をかける。すると、男子生徒は弾かれたように立ち上がり、震える声で自己紹介を始めた。
「わ、渡部 誠也で、す!」
なんだか全ての動作に力が入りすぎており、動きはおろか話し方すらもぎこちない。自分のことでもないのに悠は誠也という男子生徒が心配になった。
「僕は、えっと…、あんまり、その、学校に来てなかった、です。けど、えっと…、あの、よろしく、おねがい、しま、す」
やりきった。誠也の表情から緊張の色が抜け落ちていくのを悠はしかと見届けた。
しかし、見事に各々のキャラクター性が見事にバラバラなこの特別クラス。
まだスタート地点に立っているだけに等しいというのに、悠はおろか、この誠也という男子生徒は1年間もここで生活をしていかれるのだろうか、と消えることのない不安を抱え続けることとなった。