最低の國 1
張り紙に書いてあったA教室という場所までの道のりは短く、旧校舎の入口からすぐの場所に位置していた。
下駄箱で確認したが、悠の場所以外に一足も靴が入っていなかったとなると、この教室に一番乗りということになる。
悠は昔から「1番」というのが好きではないタイプだった。
特に「こういった場合の1番」というのは尚更苦手な部類である。1番先に居た、というだけの理由で必要以上に注目を浴びてしまうのがとても苦手なのだ。
しかし、ここまで来てしまった以上、もう後に引くことはできない。
悠は気乗りしないまま、A教室の引き戸を開いた。
(おぉ……。教室もがっちりリフォームしてあるんだ。)
教室は白がベースになっており、新品なのであろう黒板替わりのホワイトボードが美しく、窓からの光を反射している。6人しかいない教室のはずなのに、机は本校舎の1クラス分である、40人分そろっていることに疑問を感じながら、教室の綺麗さに悠は少し安心した。
悠は教室を見回し、ホワイトボードに新たな張り紙を見つけ、その内容を確認する。
「指示があるまで教室で待機していること」とだけ書かれた張り紙だった。席順表などはなく、どうやら席順等は決まっていないらしい。
(当たり触りのないところにしよう……)
なんとなく最前列と最後列の席はやめておき、悠は廊下側寄りの前から3番目の席を選んだ。席に座り、改めてぐるりと教室を見渡す。
本校舎の教室の広さとそう変わらないこの教室。
確か2年生の時の1クラスは、先程も思い出したように40人程だったはずだ。
40人の中学生が各々の机を並べて授業を受けて昼食を共にして、少し狭いくらいに感じたあの教室と同じ規模であるはずのこの空間は、今の悠にとってはどうしようもないくらいだだっ広く感じられた。
この教室でただただ座って勉強をする、6人だけの1年間というのはどんなものなのだろうか。今の悠には想像も付かなかった。
いい加減に気が滅入ってきたその頃、がらりと教室のドアが開き、悠は凍り付いた。
入って来たのは本校舎での2年間では話したことのない男子生徒だった。悠の記憶が間違っていなければ、同じクラスになるのもこれが始めてだ。
この男子生徒、髪は脱色して金髪にしており、非常に「ガラの悪い」印象を受けた。オレンジと紺のドラムバッグを抱え、シルバーのヘアピンで目を覆ってしまいそうな長い前髪を上げ、制服のワイシャツははみ出し、指定のネクタイもほどけるのではないかと思うほどにゆるく結び、いかついウォレットチェーンを学校指定ではない二つ穴のベルトにつないでいる。
まるで校則違反の塊が歩いているようだ、と悠は思った。
悠自身、自分が真面目な生徒に見られるような外見でないことは重々承知しているが、ここまでではない。せめてここまで悪そうな外見をしていても、女子だったら多少は心強かったのに、とただただ気持ちが落ち込んでいくのを感じていた。
「…お前も特別クラス?」
金髪ヘアピンが悠に話しかける。
「お前も、ってことは君も?」
「質問に質問で返してんじゃねーよ」
「ですよね」
「2年の時の担任に、特別クラスは頭足りないヤツしかいないって聞いてたから、男しかいないと思ってたわ」
「偏見じゃない?それ」
「いや、恥ずかしがるとかじゃねーの?そこは」
完全に悠がボケて男子生徒がツッコミ役になっている。会話のレベルはほとんど同じのようだ。少し話してみただけだが、この男子生徒からは不良特有の嫌な雰囲気を悠は感じなかった。見た目は確かに不良そのものだが、性格はおそらく普通の明るい中学生なのだろう。
そんな彼もこの1年間勉強漬けの毎日を送っていたら、きっと性格に歪みが加わってしまうのだろうと思うと、悠は悲しくなった。
「席ってこれ順番あんの?」
「指示ないし空いてるみたいだし、どこでもいいと思うよ?」
「あー、そう」
男子生徒は「ありがとう」も言わずに悠の席から離れると、窓際の1番後ろの席、いわゆる『不良の席』を陣取り、机にローファーを履いたままの足を上げて豪快に席につき、ポケットから携帯電話を取り出して弄り始めた。
そしてそれっきり会話もなくなり、なんとなく悠が気まずさを感じ始める雰囲気になってきた頃、廊下に足音が響いた。
ゆっくりとだが、この教室に向かって歩いてくる音が聞こえる。
ガラッ
教室の引き戸を開けたのは2人。しかし、どちらの生徒も悠は知らなかった。
少し目付きの悪い男子生徒と、細身の眼鏡を掛けたこれまた男子生徒だった。どうやらこの2人も特別クラスの生徒らしい。
先に入って来た目付きの悪い方は、金髪ヘアピンよりは大人しそうな印象だが、妙に坐った目のせいか、かなりワルそうな印象を与えてしまう男子生徒だった。
髪は「悪い意味で」手入れが行き届いているようで、明るすぎないシルバーアッシュのカラーリングが施され、それをワックスで爽やかな印象に整えている。整った顔立ちで身長も高めで、完全に「イケメン」と呼ばれる人間の部類である。
後から入室してきた眼鏡の方は、今いる男子の中では一番知的な印象を受けた。目つきの悪い方とは違って、髪は染めていないのか自然な黒髪をしており、中学生らしい範囲で手入れされていて、制服もさほど着崩しているわけではない。見た目だけであれば何故特別クラスに居るのだろうかと思ってしまう程、普通に見える。しかし、どこか冷淡さを感じさせる目をしており、なんとなく気を許し難い雰囲気がある。
(この2人、なんかやばそう…!)
完全に直観だが、悠はそう感じた。不良だとか、そういう次元ではない何かを感じ取ったのだが、具体的になにを感じ取ったのかは悠自身もよくわからなかった。
「………」
彼らは金髪ヘアピンのように誰かに話し掛けたりはせず、廊下側の1番後ろの席を2つ並んで陣取った。仲が良い者同士、固まるのは当たり前である。不思議でもなんでもない。しかし、2人がそうしたことで教室の雰囲気が重苦しくなり、ますます居心地が悪い。
さらに悠は、自分以外の入室者が男子ばかりなことがほんの少しだけ気になっていた。もしかすると本当にこのクラスの女子は自分ひとりなのかもしれない。
普通の女子ならば不安で潰されてしまいそうなその状況を、
(ネチネチした付き合いとかなさそうだし、思ってるより悪くはないかも)
悠は教室に入ってからの短期間で、この状況をプラスに考える努力をしていた。
ガラ……。
不意に教室のドアが開く。誰も足音や気配を感じなかった。
ほんの少し開いた引き戸の影から、これまたほんの少しだけ顔を出し、こちらを伺っている男子生徒が悠の目に入った。もちろんこの男子生徒のことも悠は知らなかった。
しかしこの男子は、今までの3人とは全くもって雰囲気が違い、今にも消えてしまいそうな程に不安そうな面持ちで教室を覗いている。悠の目から見ても、「緊張」を通り越してそれはもう「挙動不審」の領域であった。
「あ、の…」
また不意にその男子が声を上げる。
教室の4人の目線はもちろん、彼に突き刺さる。
「特別クラス、って、ここ…で、すか…?」
緊張のあまりか、一言づつ区切ってなんとか文章にしている男子に、悠以外の3人は冷たく無視を決め込んだ。
一瞬だけ彼に向いた目線は、もう各々の携帯電話や、関係のないあさっての方向へ向けられていた。要するに、興味がないというわけだ。
「ここが特別クラスだよ」
誰も彼の質問に答えないのはまずいと思い、悠が代表して答えた。
「あ、りがとう…。あの、席、とかって…」
「決まってなさそうだから、適当な場所でいいと思うよー」
彼はまた悠に「あ、りが、とう」と小さな声で礼を言うと、持っていたスーツケースをごろごろと転がし、教卓のすぐ前の席を選んで座った。
(大人しい人っぽい?)
悠はひと仕事終えたので、第一印象で周りの人間を分析し始めていた。
先ほどの気の小さそうな彼は、まず間違いなく大人しい人。ある程度打ち解けられればきっと緊張もなくなって普通に話ができるだろう。
最初に話し掛けてきた金髪ヘアピンは、悪ぶっているだけで、いつかは友達になれそうな人。根拠はないが、なんだかそんな気がする。
次に入ってきた2人組は……、
ガラッ
悠がひとりで色々考えていると、また教室の入り口が開いた。
なんと、今度は男子ではない。女子だ。
見間違いなどではない。紛う事なき女子生徒だ。
しかしこの女子生徒、なんとなく近寄りがたいような、独特な雰囲気を醸し出している。
腰までありそうな長い空色の髪を耳の後ろでふたつに結んだ、かわいらしいツインテールの髪型とは裏腹に、きりりとした顔立ちで意思の強そうな目をしている。
おそらく天然ものではないのであろう、その奇抜な髪色とは正反対の、膝が隠れるほどに長い学校指定のスカートが非常に違和感がある。
はっきり言って、かなりキャラクター性のつかみにくい人だ。
(女子自分1人だけかと思ったけど、他にも女の子いるんだ…。ちょっと助かった気分)
(なんだ?もしかしてアイツも頭足りねぇのか?)
(……気が強そう)
(モメたらめんどくさそう…)
(なん、か…恐そう、な人…)
日常生活においてまず見ることのできない空色の髪色のせいか、挙動不審な彼の時とは打って変わって、クラスメイト全員の視線が彼女から外れない。
それを気にするでもなく、彼女はぐるりと教室を見渡す。悠と彼女の目が合った。
悠は、にっこり微笑んだりした方が良いのだろうかと一瞬悩んだ。
しかし、彼女は、悠を見るやいなや、とても悲しそうな顔をしたのだ。
悠は、彼女が教室のドアを開けてから目が合うまでの短い間に、なにか気に障るようなことをしでかしてしまったのかと気を揉むことになる。
悠がそうしている間に彼女は、周囲に人の少ない、教室の真ん中寄りの席を選んで、妙に重たそうなボストンバッグをどすんと起き、そこに座った。
(さっきのあれ……見間違い、だったのかな?)
もし今後、距離が縮まることがあれば聞いてみよう、と悠は思った。