◆第92話 ナルニオル練武場 中
その後も、ほとんど抵抗もなく藤子は進撃を続けた。
先に進めば進むほど強いモンスターが現れるのは、カルミュニメルの塔と共通だ。ただし、あくまで1対1の形式が貫かれていたため、藤子にとって遠慮なく戦えることができ、おかげで苦労はまったくなかった。
人ほどの大きさもある烏のような髑髏頭のモンスターや、2体に分裂し両方を同時に倒さなければならないモンスター、炎を操る巨大な獅子型のモンスターなどが行く手をふさいだのだが……彼らにとっては、相手が悪かったと言うほかない。
突破したものがいないとレストンから聞いていた5体目……5階はラストフロアではなく、たった今藤子は9階で紫色の巨躯を持った、魔王然とした異形を屠っていた。
現れた階段の先は10階。切りがいいので、次辺りが最後かと考えながら、藤子は無傷の身体を休ませることなく前へ進める。
「……む、ここは」
階段を上りきった先は、見覚えのある場所だった。
謁見の間を思わせる空間。しかし天井を支える柱の合間には誰もなく、一段高いところに鎮座する玉座も空席である。その後ろにかけられたタペストリにあしらわれた、月と星を合わせたような紋章だけが、静かにたたずむのみ。
しかし、かつて藤子がここに来た時とは異なり、その玉座の前には一振りの剣が刺さっていた。
刃渡りは1メートル強といったところか。片手剣よりも大きいが、その形はまさしく片手剣である。よほどの力の持ち主、よほどの偉丈夫でなければそうそう扱うことはできないであろうに。
一方すらりと伸びる刀身は薄く紫がかっており、光を浴びずとも光を放っているかのごとく美しい。握りや柄に施された装飾は金でも銀でもない色合いの物質でなされており、そこにはやはり月と星を合わせた――ナルニオルの紋章が輝いていた。
「……カルミュニメルと同じか。夫婦じゃのう」
その剣を見て……いや、剣が光を放つのを確認して、藤子はくすりと笑う。
そんな彼女の前の前で、光は一瞬赤く輝きを放ち、次の瞬間、人の姿となってその場に降臨した。
赤い髪、赤い瞳を持つ青年。いつかと変わらぬ優しげな笑みをたたえる彼こそ、この世界をあまねく見守る主神、ナルニオルその人である。
ただしその身体は半透明であり、本人がここにいるわけではない。カルミュニメルの時と同じだ。
「よっ、久しぶりだな」
その主神は、にかっと笑いながら手を上げて気楽に声をかけてきた。
彼のまるで気取らない態度に思わず笑みを浮かべながら、藤子も応じる。
「おう、8年ぶりか? お互い変わらんのう」
「ははは、俺もお前も不老不死だからな。そりゃあそうだろ」
「服装は変えてきたのか。存外気にするんじゃな、お主」
「おいおい、それじゃあまるで俺がファッションに無縁みたいな言い方じゃねえか。神もいろいろあるんだぜ?」
そう言って肩をすくめるナルニオルの格好は、最初に会った時とはまた違う。
チャコールグレーのカットソーに黒のジャケットを合わせ、すらりと長い足を強調するデザインのカーゴパンツはオリーブカラー。ブーツもドレープデザインと凝っている。
全体的に落ち着いた色合いだが、全体的にはややワイルドなテイストに仕上がっているため、彼の炎を思わせる髪や瞳をうまく引き立てていた。
首から下げられた首飾りは前回合った時と変わらないが、控えめに輝く金色の台座で光る赤い宝石は、彼のためのアクセサリと言えよう。
「……っつーより、藤子こそあの時と変わってねーじゃねえか。そりゃ、その恰好は似合ってるけどよ、ずっと同じってのは女としてどうなんだ?」
指摘を受けた藤子は、あの時と変わらない。裾がマント状に広がり、生足を惜しげもなく見せつける薔薇色の改造和装に、桜色の帯、露草色の髪飾りである。
「気に入ったものは長く使う主義でのう。質も最高の逸品じゃぞ?」
「要するにめんどくさがりじゃねえか! よくもぬけぬけと言えたもんだな」
やれやれ、と両手を上げて、ナルニオルが鼻で笑う。
とても神らしからぬ振る舞いではあるが、彼も元人間である。むしろ、こうした振る舞いはこの世界の神々にとってはごくごく一般的な反応だ。
「はっはっは、そうとも言う」
「わかってたのかよ! 本当によく言えたなオイ」
「まあ良いではないか。干物女の戯れよ」
「そういうのは自分で言うことじゃあねえんだぞ、ったく。……で?」
藤子が笑い終えるのを待って、ナルニオルは居住まいを正した。
元々整った顔立ちの彼だ。真剣な面持をすれば、それだけで周囲の空気が引き締まる。
そんな赤い視線を受けて、藤子もまたそれまでとは打って変わって真顔で応じる。
「ここの踏破をかけて俺のところまで来た。そうだな?」
「うむ。お主の紋章をもらいに来た」
「ま、わかっちゃいたがな。あんまり時間なかったよな、確か?」
「ああ、連れを残してきておるからのう」
「オーケー、それじゃあ早速おっぱじめるとするか」
言いながら、ナルニオルはそこにたたずんでいた剣を左手で引き抜いた。
そのまま美しい切っ先が藤子に向けられる。
「ふふふ、最後の試練もカルミュニメルと同じか。わかりやすくて結構なことよ」
殺気はないがプレッシャーは放つ切っ先に笑い返して、藤子は右手を横にすらりと伸ばした。
袖口から顔をのぞかせた漆黒の腕輪が、周囲の光を照り返して笑う。
『天地があわいに咲き誇れ――藤天杖、戦闘形態!』
そしてその発句により、青い光に包まれた腕輪がぐんと伸びて杖となる。
地球をそのまま写し取ったかのような宝石を、地球儀のごとく包む三日月状の軸を先端に持つ黒い杖。その瞬間、強烈な力の波動が満ちていく。
「おうおう、いいねそのプレッシャー。さすが天使が愛でる青き藤、半端ねえな」
「よく言う。お主こそその研ぎ澄まされた神威……今までわしが対峙してきた神の中でも最上級じゃ。お主なら、わしの世界に来ても旧支配者連中も倒せるのじゃがなあ」
「神々の争いほど泥沼な大戦争はねえんだから、遠慮しとくよ。……それより藤子、いい加減戦ろうぜ」
「くくく、お主とはやはり気が合うのう。よかろう、楽しい戦としようぞ!」
「行くぜ!」
「応!」
そして一人と一柱は、互いによく似た好戦的な笑みを浮かべたまま、真正面からぶつかり合った。
どちらも神速と呼んで差支えのない、ただの人間には決して到達できぬ速度で。
最初は、互いに小手調べとばかりに鍛えた技だけで渡り合う。マナは使わない。ただひたすらに、得物を扱う技術だけの戦い。
剣を振るうナルニオルに対して、藤子の得物は杖。その分射程は長いが、逆に懐に飛び込まれると柔軟に動けなくなる。それを理解している両者は、己の間合いに相手を呼び込もうと立ち回りながら、武器を振るう。
目にも留まらぬ早業で、ナルニオルが連撃を繰り出す。縦横無尽に動き回る彼の刃は、さながら意思を持った生き物であるかのごとく、的確に藤子の急所だけを狙って襲い掛かってくる。
しかし対する藤子もまた、己よりも長い杖を持ちながらもその速度に対応する。最小限の動きで斬撃を受け止めつつ、その合間に生じるかすかな隙をついて反撃に出る。
そうして、一人と一柱は一進一退の攻防をしばらく続ける。何十合、何百合と打ち合ってなお、彼らの動きは衰えるどころかますます研ぎ澄まされていく。
「ナルニオル!」
「そろそろ派手に行くか!?」
「応よ!」
「いいぜ、来いよ!」
笑いながら短く交わした刹那、彼らは同時に動いた。
藤子の周囲に青い光が集まっていく。ナルニオルの剣から、真紅の輝きがあふれ出す。
どちらも一歩も引かず、刃を交えながら整えられた最高峰の技が、放たれる。
『砲宣輝!』
先に藤子の魔法が発動する。
幅広の花びらで構成された花が、朴の木の花が一輪、盛大に咲き誇る。ただしその色は藤子に合わせてか青く、また径もラフレシアを思わせるほどに巨大だ。
その花に、大量のマナが集まる。それはたちまち臨界を迎え、轟音を響かせながら極太の破壊光線を発射した。
至近距離で放たれたその一撃に、しかしナルニオルは慌てない。技の準備動作もそのままに、空中を奔るようにして後方へと退き……。
「おらああぁぁぁっ!」
閃光をまとった剣を袈裟切りに振るった。
彼は迫りくる青い光に、己が剣の赤い光を叩きつけたのだ。
避けようがないはずだった藤子の魔法が、ナルニオルの剣閃によって切り裂かれる。
それでも青い一撃は威力を失わず、真っ二つになってナルニオルのはるか後方にそれぞれ着弾した。
だが魔法の終わりを見届けることなく、両者はとうに次の行動へと移っている。
「せい……やッ!」
赤い残光をそのままに、ナルニオルが突きを放った。
刹那、薄紫の切っ先が光となって伸び、藤子目がけて襲い掛かる。
しかし彼女は、光速に達した一撃をひらりと避けて空中へ舞い上がる。否、駆け上がる。
『水栓!』
その頭上に、水でできた水仙の花が華麗に咲いた。それは、花の姿をした槌だ。彼女はそのまま、重力に任せて花を振り下ろした。
と同時に、もう一つ魔法を組み上げる。
『黄泉津国、讃えて咲くや夢見草――』
空間全体に、上の句が朗々と響き渡る。
それを聞いてもなお、ナルニオルは自然体で剣を振るう。わずかなひと時に幾重にも刃が奔り、一つの軌跡にいくつもの力が多重に組み合わさっていく。
そんな複雑にして重厚な剣閃を、まるで網のごとくナルニオルは頭上へ展開する。普通ならば一瞬で消え去るはずのそれは、空間を裂いたようにして残り続ける。
そして水花の槌は、そこへ飛び込んだ。
魔法で組み上げられた破壊の力は、より効率的で局所的な破壊の力で切り裂かれ、雨となって周囲に飛散する。
『逝くも還るも終の花かも!』
そのタイミングで、藤子は下の句を完成させた。
同時にナルニオルも体勢を立て直して、剣、そして全身に星の力をみなぎらせる。
『神代光桜!』
先に放たれたのは、やはり藤子の魔法であった。
彼女の背後に、桜の巨木が天を衝いて現れる。枝という枝、すべてを彩る美しい撫子色の花が、直後一斉に散って桜吹雪となる。
光り輝く小さな花弁一つ一つが必殺の威力を持ち、それが前後左右、上下あらゆる方向から襲って敵を殲滅する魔法。解呪するにしても魔法を穿つにしても、その細かい花びらすべてが独立して存在しているため、防御以外の選択肢をも封じてしまう恐るべき魔法。
これこそ神代光桜、己の名を冠する魔法よりもなお強い威力と想いが込められた、藤子最強の魔法である。
「秘奥義、流星!」
一方、ナルニオルもまた己の持つ最強の技でこれを迎え撃った。
光の速さをも超えて、時空をも切り裂いてすべてを穿つ一撃は、彼もろとも赤い星のオーラをたなびかせて強く輝き、正対する敵へと迫る。
名前その通りに、まさしく流星そのものと化す技。彼がまだ人間であった頃、彼に『流星の赤太子』の異名を与えたそれこそ、大陸に伝承されている剣の流派、流星流の名となった世界最強の神技だ。
そんな規格外の力が、正面切ってぶつかりあう。
ナルニオルを狙う桜吹雪を突っ切って、ナルニオルの剣が藤子に迫る。だが、どちらも決して攻撃を緩めたりはしない。両者は己の身より勝利を選んだのだ。防御はとうに選択肢になかった。
爆轟を絶え間なく響かせながら、両者が次第に近づいていく。
次第に。しかし確実に。
そして遂に、ナルニオルの剣が藤子の身体を貫いた。
撫子色の光で満ちた空間に、鮮血の花がひときわ派手に咲き誇る。
同時に、藤子の魔法がナルニオルの身体を包み込んだ。
一際まばゆい赤の鮮光が、桜吹雪に飲まれて見えなくなる。
「……ぐっ!」
貫かれた勢いのままに、藤子は壁へと飛ばされ激突した。
他方、ナルニオルは光に飲み込まれて消滅し、その場に剣が落ちて刺さった。
「…………」
壁に叩きつけられた状態のまま、藤子はしばし剣を凝視する。
直前まで轟いていた激しい音は既に消え失せ、耳が痛いほどの静けさが満ちていた。
と……。
「やれやれ……さすが、と言うべきだなあ」
落ちていた剣の横に、再び半透明のナルニオルが現れた。
しかし、彼からはもう威圧感が出ていない。
「久々に戦える、お前と戦えるってんで、張り切って6割くらい魂を持ってきてたんだがな。神殺しと戦うにはまだまだ足らなかったみたいだなあ」
「お主それ……己の世界の人間にしてはおらんじゃろうな」
「しねえよ! お前が規格外すぎるからちょっとがんばっただけだ!」
「だとよいがな……」
くくく、と笑いながら藤子は静かに床へと降りた。
そのまま青い光をまとい、回復魔法を発動させながらナルニオルへと歩み寄る。
「しねえ、っつーに。まあいい、何はともあれ俺の負けだ」
「うむ。久方ぶりに楽しいひと時であった。己の血を見たのは何十年ぶりだったかのう」
「本当にお前はとんでもないな……お前に全部任せられればいいんだが」
「そうも行かぬのは、お主が一番知っておろう」
「まあな。……ってわけだ、とりあえず俺の玉座に移動するぞ」
言いながら、ナルニオルはフィンガースナップを決めた。
するとフロアの床全体を覆うようにして、魔法陣が姿を現す。
そこに記されている魔法式を確認して、藤子は頷いた。
「うむ、呼ばれるとしよう」
そしてその言葉を残して、一人と一柱の姿はそこから消えたのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
VSナルニオル。そして久しぶりの和歌詠唱でございました。
花がモチーフの魔法とくれば、やはり桜吹雪は欠かせませんよね、と。




