◆第91話 ナルニオル練武場 上
大陸の名を冠するセントラル帝都、アステリアの郊外にそれはある。
ナルニオル練武場。主神にして武勇の神、ナルニオルの名を冠する神話級ダンジョンだ。
それぞれが特徴的な外観を有する神話級ダンジョンだが、ナルニオル練武場のそれはカルミュニメルの塔によく似ている。二柱の神が夫婦であることの証なのか、飾らない様式や素朴な装飾に至るまで二つのダンジョンは似ているのだ。
ただし高さはカルミュニメルの塔が、横の広さはナルニオル練武場に軍配が上がる。
比喩でもなんでもなく雲を突くカルミュニメルの塔に対して、ナルニオル練武場はその端から端までを見渡すためには相当の距離を取らねばならないのである。
そんな巨大な建造物を内包するアステリアの都だが、元々は別の位置にあった二つの都市であった。それが発展と共に拡張した街が重なり合い、最終的に一つの街になったのがアステリア、というわけである。
そのナルニオル練武場。シルバー以上になれば挑めるカルミュニメルの塔に比べて、挑戦できる資格を持つ者はこちらの方が少ないはずだが、挑戦者は恐らくこちらのほうが多い。
やはり死ぬリスクがないという、他に類を見ない特徴が人を集めるのだろう。命知らずと言われるものが多い冒険者だが、それでも命を賭けるべきでない時には無理をしないのが成功の秘訣なのだ。
そして挑戦者が多いためか、このダンジョンは入場料が徴収されている。
表向きは入場者を制限するためだ……が、その実、帝国による体のいい搾取であることは誰もが承知している。
現代の地球で言えば、観光資源のようなものだ。これを手放そうとする国はないだろう。
「それにしても、一人当たり大金貨8枚というのはいささか暴利が過ぎると思うがな……」
受付を済ませ通行許可証を受け取って、藤子はぼやく。
大金貨8枚程度は、彼女にとってはした金ではある。ただ、それが一般的な金銭感覚ではないことも彼女は理解しているのだ。
大金貨8枚というのは、シルバークラスの依頼1.5回分の収入とおおよそ合致する。ゴールドクラスであっても、下位の依頼では1回分と同程度だ。
それだけの出費をして挑んでも、ナルニオル練武場ではモンスターを乱獲してのドロップアイテム回収ができない。
何故なら、ここで出てくるモンスターは1フロアにつきたった1体なのだ。
モンスターからのアイテムドロップは、1体につき1個という法則があり、例外は一切ない。つまり、どれだけ頑張っても1フロアで1アイテムしか入手できないのである。とても割に合うものではない。
「ほい、許可証じゃ」
「はい。……はい、確かに。どうかお気をつけて」
抑揚のない声で対応する事務員に小さく頷いて、藤子は先に進む。
長い通路を進んだ先に現れた巨大な扉を見上げて、彼女はなるほどと頷いた。
刻まれた装飾はやはりカルミュニメルの塔とよく似ていたのである。
そして何より、あしらわれた紋章もまたよく似ている。
星と月が重なるような意匠を紋章とするカルミュニメルに対して、ナルニオルのそれは月と星が重なる意匠になっている。どちらがより大きいかと言えば、前者が月、後者が星だ。彼らの出自に関する神話にちなんだものなのだろう。
その扉は、藤子が手をかけるまでもなく、目の前に辿り着いた瞬間に開き始めた。これは、神話級ダンジョンに共通する特徴だ。
「さて……どのような輩が出てくるのやら」
扉が開き切るのも待たず、好戦的な笑みを浮かべながら藤子はナルニオル練武場に踏み込んだ。
最初に彼女を出迎えたのは、古代ローマのコロッセオを髣髴とさせる円形のフロアだった。おおよそ障害物となりそうなものはなく、よほどのことがない限りはどんなものでも全力で戦えるだろう。
そして、その中心に光が差し込み、モンスターが姿を現す。
「……ミノタウロス、か」
牛頭人体の化け物だ。手にはこれまた巨大な手斧が握られており、直撃を食らえばひとたまりもないだろう。
その体躯は、子供のままの藤子の倍以上はあり、彼女から見れば山のようにも見える。
もちろん、体格差ごときで後れを取る藤子ではないのだが。
「よかろう。これなるは災厄の魔女、光藤子。タイマン張らせてもらおうぞ」
そしてミノタウロスの出現が終わり、臨戦態勢を取った瞬間である。
藤子はにやりと笑ったまま拳を前に突き出すと、直後に地面を蹴ってミノタウロスへ躍りかかった。
まずは小手調べとばかりに、強化も何もしていない拳でもってミノタウロスの膝へ一撃をお見舞いする。
「……なるほど」
手に伝わってくる感触を確かめながら藤子はつぶやき、ミノタウロスが反撃に動く直前にその場から跳び退る。
斧が猛然とうなりを上げるが、それがとらえることができたのは虚空だけ。藤子は既に攻撃範囲外に退いていた。
次いで、ミノタウロスの反撃が大ぶりの外れとなったを見るや否や、もう一度ミノタウロスへ肉薄する。
ただし、今度は正面からではない。
返す刀で斧を振るおうとする動きを確認すると同時に、途中で地面を蹴って方向を変える。そうして不規則な動きをしながらするりとミノタウロスの横へと回り込んだのである。
慌てて体勢を変えようとするミノタウロスだが、もう遅い。その足元を、青い光で覆われた藤子の鋭い蹴りが薙ぎ払った。
「ぐモォォウ!?」
悲痛にいななきながら、巨体がぐらりと横倒しになっていく。無理な姿勢だったのだ、当然である。
そしてミノタウロスが倒れこむ頃には、既に藤子の身体はそれの頭上にあった。拳が、やはり青いオーラで覆われている。
「破ッ!」
その拳に重力を乗せて、彼女は全力で振り下ろした。
それはミノタウロスの眉間を正確にとらえると、純然たる破壊のエネルギーを一気に解き放つ。
インパクトの瞬間にそれを全身に流されたミノタウロスは、まず顔全体が潰れ、次いで地面に薄く引き伸ばされ、さらには衝撃がその鎖骨付近までを粉砕した。
藤子の一撃はそれにとどまらず、フロアの地面にまで達する。それによって、その場に小さなクレーターが出来上がった。
「……温いな」
地面に拳を叩きつけた状態からゆるやかに立ち上がりつつ、藤子はつぶやく。
その傍らで、顔を消滅させられたミノタウロスの身体が静かに消えていき、蒼金貨とボウリングボール並みの最高級土霊石へと変じた。
それらをもちろん回収しながら、
「素手のままでも問題なさそうじゃったな。……ま、此度は時間も限られておるし、よかったと考えるか」
そう自分を納得させて、奥に現れた階段に足を向けるのであった。
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二階。
そこは先ほどとよく似ただだっ広い空間になっていた。
一階と異なるのは、藤子が降り立った場所が一段高くせり上がっており、その周囲が底なしの穴になっていることか。
その場所はちょうどプロレスのリングのような正方形になっている。ただしネットはないので、戦いの最中に端へ追い詰められれば落下の危険がある。そしてもしその危険を踏み越えた場合は、問答無用で踏破失敗となることは明白だ。
そんな状況をちらりと一瞥しながら認識した藤子は、改めて前を向く。
そこでは、ミノタウロスと同じようにして差し込んできた光から、モンスターが出現しようとしていた。
象ほどもある巨大な馬にまたがった、首のない鎧騎士。
「次はデュラハンか。はて、この世界に馬はおらぬはずじゃがなあ」
頷きながら藤子は、収蔵用の亜空間から槍を取り出した。
彼女の身長を優に越えるそれは、穂先がまるで雷のような形状になっている。そして実際、青白い光を思わせる刃には紫電がまとわりついており、常に雷鳴の如き音が響いている。
とある異世界で、神槍とうたわれた至宝である。
音におののいたか、姿におののいたか。
完全に顕現したデュラハン、それを乗せる巨馬が猛々しい鳴き声を上げた。
「ふっ、いずれにしてもうぬの恐怖は正しい。なぜならば……」
馬に笑いで応じながら藤子は、迷うことなく投擲の姿勢を取った。
と同時に、彼女の身体からほとばしったマナが槍を覆い、その姿が光と化す。
「わしはうぬから殺るつもりでおったからのう! 貫けグランゼニス!」
そしてその宣言と共に、神槍は藤子の見た目にまるで似合わぬ膂力でもって撃ち出された。
その速度は瞬時に光の速さへと達し、派手な雷鳴を轟かせながら、周囲に稲妻をまき散らしながら、馬の首元を一直線に貫く。
騎乗していたデュラハンは、直前にその危険を察したのだろう。すんでのところで馬から飛び降り、間一髪命を拾った。
しかし、騎乗の優位をなくした騎士などもはや藤子の敵ではない。既に彼女はデュラハンに迫っており、その手には光り輝く神槍がとうの昔に戻ってきた。
「疾っ!」
掛け声と共に、槍が振るわれる。
光と化した穂先が、デュラハンの持つ剣で受け止められる。
しかし、速度を殺しきることはできない。質量がなくとも、速度さえあればそれだけで威力は出るのだ。
かくして、デュラハンは派手に吹き飛ばされてフロアの限界を超え、そのまま底の知れぬ奈落へと消えて行った。
それを見送った藤子は、ゆるりと姿勢を整えながら元の槍姿に戻ったグランゼニスを亜空間にしまいながら、ため息をつく。
「……やりすぎた。これではドロップアイテムが手に入らぬ。しまったのう、迂闊であったわい……」
まともに戦えば、あのデュラハンも決して雑魚ではなかったはずなのだが……。
手っ取り早く手を突っ込んで取り出されて来たものが、異世界の神槍であったことが彼の運の尽きと言えよう。
まあ、藤子のアイテムボックス内にある武具の大半は一級品どころの騒ぎではないものばかりなので、彼女が戯れに武器でも使おうと思った時点で、デュラハンの命運は決まっていた。
「まあ……なんじゃな。場所が悪い、場所が。騎乗したやつには向かぬ戦場であった、そういうことじゃな、うむ」
無理やりに己を納得させながら、藤子は腕を組んだ。
それからぐるりと周囲を見渡すと、デュラハンが最初に現れた地点に登り階段が出現していた。
それを確認した彼女は、うむ、と頷き直前の失態を意識の外へと放り出して、そちらへ足を向ける。
次は如何なる相手が現れるのか、わずかばかりの期待と大きな諦観を胸に。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
モンスターたちは決して弱くありません(澄みきった目




