第84話 ムーンレイスの秘密 上
さてあくる日。
昨日の疲れもあって、目が覚めたのは結構遅い時間だった。でもちゃんと朝食は出てきたし、その内容もあからさまにシエルより上だったので、嬉しいやら悲しいやらだよ。
パンケーキ用に、ジャムとセットで生クリームが出てきたときは「勝ったッ! 第三部完ッ!」って思ったけど、よくよく考えたら別にぼくが発明したものじゃない。地球の知識をパクっただけだ。結局負けた気分。
それでもムーンレイスの人にすごいと言われたのは、嬉しかったけどね……。昨日はそうは思わなかったのに、いやはやシチュエーションってのは大事だよ。
ただ、朝になってもティーアが部屋から出てこなかったのには本当に心配だ。
トルク先輩が見てくれてるみたいだけど、一体何があったんだろう。一応ご飯は持って行ってもらったし、顔も出したけど……いつもなら子犬みたいにぼくに近寄ってくるティーアにそんな気配がまったくなかったから、もしかして相当重い病気にでもかかってしまったんじゃないかと気が気じゃない。あとで藤子ちゃんに聞いてみよう。彼女の魔法なら、きっと治せるはず。
ファムルさんの夢幻魔法でもなんとかなるような気もするけど……夢人族にとってマナは生命力と同義だ。そんなホイホイとお願いしていいようなことじゃない。
それに、なんかあの人に借りを作るのはどうもやめといたほうがいいような気がするんだよね。なんでだろうね? 日ごろの行いって大事だよね?
「さあセフィ、着いたよ」
「どうも。……うひょー、でっかあ!」
ともあれそんなわけで、ぼくは今、ハルートさんと二人きりでクレセントレイクの貴族街……その中でも一番奥まったところにある場所に来ていた。お城が建っている小高い山に、洞窟用のような横穴が開いてる感じだ。立地としては、お城のほぼ真下ってところだな。
まあ、横穴ってのはもちろん比喩で、実際のところは厳重とも言えるくらい分厚い壁や石で閉じられてるんだけどね。あと、ちょっとだけど魔法による封印も見える。
あからさまに「ここに何かあります!」って言ってるような状態だなあ。これ、警戒しすぎて逆効果じゃない?
「どこを見ているんだい? こっちだよ」
「え? あれ、ここじゃないの? だってこんな立派な……」
「これはフェイクだよ。こうしておくと、間の抜けた他国の間諜が結構ひっかかってくれるんだ」
ひそひそとぼくに耳打ちして、ハルートさんはウィンクした。
昨日も思ったけど、所作がいちいち洗練されてて、うちの父さんとはえらい違いだな、本当に。
いやそれは置いておくとして……なるほど。これはネズミ捕りなんだな。
そうだよねえ、それくらいの偽装工作くらいはしてるよね、うん。
納得しながら頷くぼくがハルートさんに連れられたのは、そんな囮の入口からぐるりと山を周ったところにある水際。都の名前の由来にもなってる、クレセントレイク湖だ。
そこには、小舟が係留されていた。水先案内人は、ハルートさんより1.5回りくらい年下の女性。細い、というよりは痩せた、という印象を受ける。
ただ、その顔は仮面で覆われていてうかがうことができなかった。……どうして狐のお面なのかは、聞かないほうがいいだろうか。この世界、狐っていなかったような気がするんだけど。
しかも、明らかに恰好が日本の巫女装束なんですけど、なんで? これで耳が丸かったら、日本人に会ったかと錯覚しそうだよ。
うーん……どうもこの国、日本の文化的影響がたまに見えるんだけどどういうことなんだろう?
「兄者、時間通りだね」
うおっ、思ったより低い声だな!
女性だとすぐにわかるその身体を隠してたら、声の高い男の人って言われても通りそうだよ。しかもちょっとかすれてる感じ、ハスキーボイスって言えばいいんだっけ?
「もちろん。……セフィ、彼女は私の……あー、そうだな、はとこに当たる、のかな」
「あ……と言うことは、宮家の方なんですね。始めまして、セフュード・ハルアス・フロウリアスと申します。以後お見知りおきを」
「ああ、よろしく。君がセフュードだね。故あって名は明かせないが、妾のことはツキコと呼んでくれ」
「月子様、ですか?」
「! う、うむ、そうだ。そう呼んでくれ。……ああいや、他人行儀な対応はやめてもらうと助かるかな」
……うーん。偽名、なのは別に気にしないんだけど……。
どこからどう聞いても日本語なんだよなあ……。
日本語の偽名を名乗る、っていうことは、藤子ちゃんの関係者なのか? でも、こんな人のことは藤子ちゃんからは何も聞いてないんだけど……。
……ま、いいか。これも後で藤子ちゃんに聞いてみよう。
「……わかりました。じゃ、改めてよろしくお願いします、月子さん」
「ああ。……さて、立ち話もなんだ。二人とも乗ってくれ」
「はい」
「わかりました」
やっぱり場所が場所だけに、あまりここに長居するのはまずいらしい。
月子さんは急かすようにぼくたちを小舟に招き入れると、手早く小舟を湖に出した。
湖に出ればほどなくして、右手に切り立った崖が現れた。見上げれば、その上にお城があるのがわかる。なるほど、お城の裏側はこうなってるのか。
ハイウィンドの王宮も、腐海側から見たらこんな感じに見えるのかな?
……けど、これでどこまで行くんだろう? 崖のすぐ近くで、個人的にはすごい圧迫感があるんだけど……。
「よし」
と思ってると、櫓をこぐ手を止めて、月子さんが一人で頷いた。その状態で舳まで移動した彼女は次に、小舟と崖の一部を縄でつなぐ。
彼女の背中に、疑問の視線を向けるぼく。その隣で、ハルートさんがどこか楽しそうに微笑んでいる。
と、今度は月子さん、どこからともなく縄梯子を取り出した。先端部分にかぎづめがついていて、とっかかりに引っかけて使うタイプの奴だ。
そして彼女はそれを……反動をつけて、上空に投げた。それは美しい放物線を描いて、崖の中ほどに取りつく。
それを2、3回強く引っ張って状態を確認すると、月子さんはためらうことなく縄梯子を登り始めた。
その所作はこなれていて、どことなく熟達した技術を感じる。……っていうか、もういいよね。言ってもいいよね?
……アイエエエ!? ニンジャ!? ニンジャナンデ!?
「よし。さあ、上ってきてくれ」
「まじすか!? ってことはこの崖の真ん中にあるってこと!?」
「そういうことだよ。では私も失礼して……」
「えええぇぇぇ!」
ハルートさんも身のこなし鮮やかだなあ!?
あ……ああ、あっという間に登りきっちゃったよ。
「さあ、上っておいで」
「は、はい……」
頷きながら、恐る恐る縄梯子に足をかける。
……あ、思ったより頑丈……かも? 意外といける……もんだなあ。
とりあえず、下や後ろは見ないようにして、だけど。
なんとか登り切って、二人に迎えられて……そこでぼくは目を疑った。
そこには、大人がかろうじて一人通れるかどうか、というサイズの小さな穴が開いていたのだ。
まあそれはいい。何が問題かって、結界らしき魔法の気配がすることだ。それも、先に見てきた囮のようなあからさまなやつじゃない。ものすごく巧妙に隠蔽されていて、ここまで来ないとその存在に気づけないくらいの結界だ。
ってことは、ここが本命なんだろうね。考えるまでもなく。
「さあ、こっちだよ」
そしてそれは言わなくてもあちらも承知しているのだろう。
何も言わずに、月子さんはその穴へと入っていく。
「セフィ、先にいいよ」
「え? う、うん、わかった」
かくして、月子さん、ぼく、ハルートさんという順番で洞穴を進む。
道自体はまっすぐだけど、かなり勾配がある。下り坂だから、これでバランス崩したらとんでもないことになりそうだぞ。
すごい厳重な場所だな……まあ、印刷技術のような、突出したものが隠されている場所だから当然と言えば当然なんだろうけど……それにしても、これは相当気を配ってるな。
そんなところに入れるってことは、ぼくは信用されてるって思っちゃっていいんだろうか?
と思っていると、突然目の前から光があふれてきた。横穴の中は相応の光度だったので、思わず目を細める。
それでも構わず前に進み続けると、今度は一気に空間が広がった。
そしてぼくは、あっと息をのんだ。
ぼくたちが出たのは、ベランダを思わせる踊り場だ。それはいい。そこはまあ、別にいい。
けど、その場所……なんと、これがオフィスビルを思わせるビルにくっついていたのだ。
「えええええええ!?」
驚愕を禁じ得ないぼくは、そのまま思わず大声を上げてのけぞった。
どういうこと、これ!?
ビル……ビルだよね、これ!?
そんな建物が、空洞になった地面から突き出してる!?
「ふふふ……それほど驚いてくれるとは思ってみなかったな」
月子さんがにやりと……もとい、月子さんのお面が、にたりを笑った。……ような気がした。
ぼくの後ろで、ハルートさんもしてやったりみたいに笑っている。
「い……いや、これ見て驚かない人なんていないでしょ!? 何この、……この建物!?」
あっぶね、「ビル」って日本語で言いそうになった。
「さあ……なんだろうね? 一応『四角柱型地下遺跡』と呼んではいるけど……私たちもはっきりとしたことはよくわからない。ただ……」
「……ただ?」
「かつてこの大陸に存在した古代文明……古の統一王国よりもさらに古い時代に存在していた文明の名残、という風には伝わっている」
「こ、こ、これが……古代文明の……」
「そう。かすかに残っている古書によれば、当時の人々はエルフィア文明と呼称していたらしいんだ……」
古代文明!? いやいやいや、こりゃどう見ても現代地球レベルの代物ですよ!
藤子ちゃんが古代文明について調べてるのは知ってるし、それに関する情報はぼくも多少聞いてるけど、まさかこれほどのものとは思ってなかったよ!
ってことはあれか、印刷技術ってのももしかして、当時のそういう資料……どころか、当時の機械が残ってるとか、そういうことか!?
「これで、正しい入口から入れればよかったんだけどね。何せ場所が場所だからね、こうやって途中の場所からしか入れなかったんだ」
月子さんが淡々と説明を続ける。
言われてみれば確かに、今いる場所はまさにベランダって感じの場所だ。目の前にあるスライド式の扉は、精巧なガラス窓(だと思う)がはめ込まれていて、苦も無く動かせる。
後ろを振り向いてみれば、この場所がぽっかりと開いた横穴からつながる形になってるわけか。
クフ王のピラミッドの、盗掘孔から入って上昇通路に出た、みたいな構造になってるのかな。
「ただ、どういう経緯でこの場所が発見されたのかはよくわかっていなくてね」
「……というと?」
「どうも我が王家は……この場所の存在を、最初から知っていたような節があるんだ。もちろん、判断材料は日記などの些細なものしかないのだが」
我が王家、って……あー、なんか月子さんの正体、うっすらとだけど察しがついちゃったかもしれない……。
……いや、それはひとまず置いといて……。
「ムーンレイスの建国の歴史を紐解くと、どうやらここに遺跡があることをわかったうえで、城を造ったと思われるんだ」
「へえ……あんなところからしか入れないのに?」
「そうなんだ。まあ、おかげでムーンレイスは他よりも強い国として今に至っているのだけどね……」
なるほどなあ。お手本にできる技術とかが、ここから見つかってるってことなのかな?
……だとしたら、ムーンレイスと肩を並べるセントラルも、もしかしてこういう遺跡を国内に持っている……可能性が微レ存……?
「……へ、ぅおほん。月子、あまり時間は長く取れない。そろそろ中に入ろう」
「ああ、そうだね兄者。そうしよう」
今まで黙っていたハルートさんに促されて、月子さんはそうだと言わんばかりに両手を合わせた。
それから、何やら呪文を唱えながら、開け放たれたままの扉へと手を伸ばす。
すると……。
【資格所有者を確認。1分間封印を解除します】
そんな、機械的なアナウンスが流れてきて、ぼくはまたしても驚いた。
「驚かなくていいよ。ここは神々によって封印されていてね……ただ、我が王家にはこれを一時的に中和する技術が伝わっているんだ。抜け穴を作る技術、と言ってしまえばそれまでだけど」
そんなことを言う月子さんのセリフは、どことなく茶目っ気があった。
自分たちが盗掘者である、みたいな感覚があったりするのかなあ?
……っていうか、二度目の我が王家発言……。こんな特殊な技術を持ってる上にそんなこと言われたら、ますます月子さんの正体に察しがついちゃうよ。
もしかして気づいてほしい……とかじゃない、よね?
「さあ二人とも、入るよ。封印に穴をあけていられる時間はわずかだから」
その言葉に、ぼくは思考を中断した。
そのまま、手招きしている月子さんに従って、神々の封印とやらの穴をくぐる。特に何もなかったけど、三人全員がくぐり終わったところで、何か閉ざされたような感覚がしたので、時間はギリギリだったみたいだ。
何はともあれ、ぼくは遂にムーンレイスが抱える重大な秘密……四角柱型地下遺跡へと足を踏み入れたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
月子さんの偽名と格好は大体彼女のせいです。




