◆第80話 インティス再び
無事にカルミュニメルの塔をクリアした藤子は、そのまましばらくマレナに留まっていた。
理由は色々あるが、最大の理由はミリシアの特訓だ。
保有する力そのもので言えば一番を誇るミリシアだったが、技術で言えば他の二人の後塵を拝する。これは全ての分野においてそうであり、このため多少でもミリシアの実力をセレンたちに近づけておく必要があったのだ。
ついでに、現在の世界の常識なども教えておく。まあ、これについては藤子もあえて守らない時もあるので、片手間ではあったが。
なお、その間セレンと輝良はそれぞれ単騎でカルミュニメルの塔に挑み続けていた。
もちろん、藤子が創るダンジョンと違って死ねば普通に死ぬ。少しでも危うければ帰還するように厳命していたために、あまり深くにもぐることなく戻ってきていたが。
そうした準備期間をおよそ一ヶ月続けてから、藤子はようやくマレナを発った。
目指した場所は、以前顔を出した幻獣の街、インティスだ。
塔に挑む直前に感知した次元震の調査のため北に向かうと言う選択肢もあったが、まずはカルミュニメルからもらった魔法の紋章を使ってみたかった、というのがその理由になる。
何せ、幻獣の街になら神が関与した封印がある。が、現状で場所を知っているのはインティスしかないのだから、他に選択肢はなかった。
かくして、シェルドール諸侯連邦と魔法王国ムーンレイスの間に広がる大森林。藤子たちは今、ここに到着した。
「あった、ここじゃ」
かつて通った巨大な木を、あの時と同じように眺めながら藤子は笑った。
当然だが、木はあの時と変わっていない。いや、多少の変化はあるのかもしれないが、少なくとも大ざっぱな人間の目ではそれはわからない。
そんな大木を見上げて、ミリシアが感動したような呆れたような、微妙な声を上げる。
「はああー……ここに本当に幻獣の街が?」
「あるある、大丈夫だってば」
「……ん。トーコは嘘つかない」
セレンたちは、いつもと変わらない。平常運転である。
そんな彼女たちをスルーして、藤子はあの時と同じように結界に触れた。
すると木の表面が裂けていき、そこに道が開いていく。
その様子を見て、後ろからおおー、と声を上げる。が、藤子はなるほどと一人で頷いていた。
結界が、藤子を拒まなかったのだ。ただし、藤子がこの街の結界から認められたということではない。
藤子の解析では、この結界は召喚士でなければ通さないようになっている。しかし藤子は、この世界の召喚魔法は修めていないのだ。
ではなぜ結界が抵抗なく開いたのか。答えは簡単だ、カルミュニメルからもらった魔法の紋章の効果である。
(なるほど、神が施した封印を一時解除する、ということじゃな。しかしこれだけで開くということは、幻獣の街自体の封印はさほど強力ではないということになる)
カルミュニメルは言っていた。各神の紋章を集めれば集めるほど、より強い封印も解除できるようになると。
現状1つしか持っていないのに開くならば、つまりはそういうことだ。
しかし同時に、幻獣の街ですら1つで開くような封印ならば、8つすべてが揃わないと開かない封印とは、一体どういうものなのか、という疑問も浮かぶ。
(ふふふ、その時が楽しみじゃな)
最大の封印を解く瞬間。それを想像して、藤子はほくそ笑んだ。
「……では、参ろうか」
「わかった!」
「はい」
「ん」
そして笑みを浮かべたままで、藤子は三人を引き連れて結界の中へと足を踏み入れた。
しばらく白と黒だけの殺風景な景色が続くが……ほどなくして、霊石で構築された美しい街の姿が彼女たちの前に現れる。
「あれが、インティス……」
それを見て、ミリシアが感慨深そうに声を上げた。
「どうじゃ、ミリシア。お主のいたルーイルと比べて?」
「ええと……結構違いますね。ルーイルはエルフィア文明時代の建物がかなりそのまま残っているので、見た目が特に。高い建物とか、高度な製品が結構残ってるんです。……使いこなせる人はだいぶ減りましたけど」
「ほう……それは興味深いことを聞いた」
「妾の記憶が確かなら、インティスは召喚士の祖と言われるルーイルが幼少期を過ごした場所と言われていたはずですので……エルフィア文明時代よりももっと前の赴きを、残していた街……だったような」
「なるほど、一種の聖地なのか。ふーむ……、って、都の名はそれにちなむのか、もしや」
「そうですよ?……本当に幻獣に関する話、伝わってないんですね……」
さすがに、幻獣の都に住んでいたミリシアから出てくる話は、どれも面白い。
とうの昔になく、記憶からも記録からも消えかかっている時代には、相応のロマンを感じる藤子であった。
もっとも、ミリシア本人は自分がいた場所のことを誰も知らないということに、大なり小なりショックを受けているようである。
「誰かと思えば、トーコか」
そこに、聞き覚えのある声が飛んできた。
顔をそちらに向ければ、そこにはシイルがペリドットドラゴンの姿で街の前に立っている。
「よう、久しぶりじゃなシイル」
「然り。……されど、ここと外は時間の流れが異なるために、我らとしてはさほどでもない」
「ははは、それもそうじゃのう」
「街のものをぬか喜びさせてしまう。トーコ、一人くらい契約を結んでくれてもいいのでは?」
「うーむ、正直これ以上人手が増えてものう……」
「……一人増えているな、そういえば。ハーピーロード……か。契約をしたのか?」
シイルの巨大な身体から見下ろされて、当のミリシアは及び腰になる。無理からぬことではあるが。
「いいや、ちとわけありでな……と、まあ挨拶はひとまず置いておこう。試してみたいことがあってな」
「ふむ。それは?」
「封印扉の回廊じゃよ」
「……いや、今あそこは封鎖を……、いや、トーコならば構わない、か」
「封鎖……? 何かあったのか?」
「うむ……4日ほど前だったか。突然、扉の一つが崩壊したのだ。原因が不明のため、人が近づかぬようにしている」
「ほう……扉の一つ、な……」
シイルの言葉に、藤子は目を細めた。そしてにやりと笑う。
その日数は、心のあたりがあったのだ。
幻獣の街は、時間の流れが外のおよそ8分の1になっている。そこから逆算すると、異変が発生したのは外で言うおよそ1か月前。それは、あの次元震を感じた日と一致する。
対するシイルも、それを察したのだろう。鷹揚に頷くと、その巨体を軽々と翻して街へと藤子たちを誘う。
「……いいだろう。案内しよう、来るがいい」
「うむ、頼もう」
街に一定距離近づいたところで、シイルの姿が人になる。幻獣に限り外見を変える結界だ。
しかし、最初から人に変化している輝良には効果を及ぼさない。
が、彼女だけではなく、ミリシアにもその効果は表れなかった。
藤子は気にせず歩き続けているが、ミリシアと並ぶセレンと輝良は「あれ?」と首をかしげる。
「……なんで?」
「ああ……あの結界、外見が人間に近い幻獣もスルーしちゃうの。アルラウネとかアラクネの系統がそう」
「へえー、案外適当なんだね、あれ」
「……トーコの結界のほうがすごい」
「同感……だけど、たぶんわざとだと思うわ。結界の中に結界を張ってるわけだし、神様たちもあまりたくさんエネルギーを使うわけにはいかないんじゃないかなあ」
「ふーん……」
「……よく、わからない」
後ろから飛んでくるそんな会話を聞き流しながら、藤子は歩く。
以前来た時と同じように、幻獣たちから熱烈な歓待を受けはするが、あの時と同じように受け流す。
やがて、見覚えのある建物の前へとたどり着いた。かつて寝泊りに使った、不思議な様式の建物だ。
しかし今の藤子には、カルミュニメルの塔で得た知識がある。そのため、彼女にはこの建物がどういうものなのかを把握することができた。
「……記念修道院、か」
表札に書かれていた文字を、読むことができたのである。
それはまさに、カルミュニメルの玉座に置かれていた本の背表紙と同じ文字である。藤子はそれを目ざとく記憶していたのである。
「ティルリラーン……は、何かの固有名詞か? ここを建設した人間の名前か……あるいはかつてこれが建っていた地名といったところかのう」
「どうしたのだ、トーコ?」
「いや、なんでもない。独り言じゃ、参ろうシイル」
足を止めて振り返ったシイルに、藤子は首を振って先を促す。
神話時代の文字については、まだ言わないほうがいいだろうという判断である。
場合によっては、誰にも言わないこともあるだろうが。ともあれ、今はまだ時期ではない。
そんなやり取りをしつつ、建物――修道院の1階ロビー部分の美しいステンドグラスにミリシアが目を奪われたりしながら、彼女たちは改めて封印扉の回廊へとやってきた。
「むう……」
そして藤子は、足を踏み入れただけでそこの異常に気がついて思わずうなった。
2階部分の長い廊下。そこに整然と並ぶ扉があるわけだが、その内の1つが崩れていた。周辺の壁ごと崩れ、そこに埋もれかけているのだ。
「崩れているだろう?」
「ああ、見事な崩れっぷりじゃな」
神が施した封印があるにもかかわらず、ここまで激しい損傷の仕方は異常である。藤子は大きくうなずいた。
しかし同時に、現場を見て彼女は確信していた。
これを引き起こしたのは、恐らく先日の次元震であり、ミリシアがルーイルの都からはじき出されたことと浅からぬ関係がある、と。
「……どう見る、トーコ?」
険しい表情で、シイルが問うてきた。
それに対して、しばらく顎に手を当てていた藤子であったが……。
「……恐らく、この扉の繋がっていた先に大きな異変があったと思われる」
ゆっくりと、そう答えた。
「……それはどういう?」
「実はなシイル……先日カルミュニメルの塔でカルミュニメルから直に聞いたのじゃが、この封印扉は他の幻獣の街と繋がっておるそうなのじゃ」
「……何?」
「ただし、幻獣たちのかつての罪のために、封印されているそうじゃ。行き来をさせるつもりはないようでな」
「…………」
シイルの顔が、複雑な表情に染まった。
藤子がカルミュニメルに対面してきたという事実に驚けばいいのか、自分たちが神に断罪されていることが明白になったことに悲しめばいいのか、わからなかったのだろう。
しかし藤子は続ける。
「そしてそれと前後してじゃが、幻獣の都ルーイルで何らかの異変が発生した。その異変により、ミリシアは街から時空の狭間へと落ち、同時に世界を揺るがす大きな次元震が引き起こされた」
「次元震……?」
「時間や空間に激しい衝撃が加わった際に起こる現象じゃ。身体で知覚することはできんがな。ともあれ、それだけのことが同時に起こったのじゃ、この扉が崩壊したのはそういうことなのではないかと思う。この扉の先は恐らく都のルーイルで、そこでの異変により接続に不調が生じてこうなった、と」
「ふむう……」
藤子の推論に、シイルは腕を組んで考え込んだ。
それと入れ替わりで、今度はミリシアが声を上げた。
「あ、あの……! ルーイルは無事でしょうか……?」
「……わからん、な。こればかりは現状確かめようがない」
「うう……っ。こ、これをくぐるわけにはいかないのでしょうか……?」
「見た目の上では扉は壊れているが、一応転移の機能自体は失われておらんようじゃな。……しかし、かなり不安定じゃ。この状態で無理に動かすのは、危険すぎる。時空にまつわる技術というものは、慎重に慎重を重ねるべきでな」
「……わかり、ました……」
そしてミリシアは、がっくりとうなだれた。
己の故郷で、明らかに何かが起きていることがわかるのに駆けつけることができないのだ。無理もない。
しかしここの扉が破損しているということは、他の幻獣の街でもこうなっている可能性は高い。他の街から飛ぶと言う選択肢は、もはや残っていないだろう。
となれば、正攻法で幻獣の都ルーイルを探すしかない。
手がかりは、カルミュニメルの塔に挑む直前に感じた次元震だけ。
あの時は北の方角からそれを感じたので、位置関係で言うとグドラシア森国かセントラル帝国が候補だろうか。あるいは北西ではあるが太陽王国ドランバル、もしくは大陸の最北端、闇の国ブレイジアか。探索するには、あまりにも広すぎる範囲である。
おまけにすべての幻獣の街は結界に閉ざされているので、どうあがいても短時間で回り切れるものではない。地道な探索を続けるしかないだろう。
「……シイル、ともあれこの場はやはり人を遠ざけておいたほうが良いじゃろう。ミリシアのように、時空の狭間に落ちながら生還できるのは稀な例じゃ」
「うむ……よくわかった。それについては徹底しよう。情報感謝する」
「よいよい。……ところで、ついでと言ってはなんなのじゃが、一つ実験してもよいじゃろうか?」
「? 何をするのだ?」
「これを使ってみたくてな」
問いかけてきたシイルに、藤子は懐からカルミュニメルからもらった魔法の紋章をかざして見せた。
金でも銀でもない輝きを放つ、二等辺三角形。そこに描かれた、星と月が重なり合う紋章がきらりと輝く。
それを見たシイルは、目を丸くした。そのまま口を閉ざしてしまった様子からして、相当に驚いているのだろう。
「あ、紋章。それ使うの?」
「うむ。神々の封印を解くものらしいからな。とはいえ、この場所くらいしかひとまず思い当たる節がなかったからのう」
「……なるほど。そういえばこれ、神の封印だった」
「はあ……そういうことですかあ」
「というわけで、……うむ、さすがにこの破損した扉には使わぬ。こちらの……何もない扉で試してみるとしよう。良いじゃろう、シイル?」
「む……う、うむ、構わない」
「よぉし」
シイルから言質は取った。にやりと笑った藤子は、破損した扉の2つ右隣へと移る。
深い理由はない。どの扉も見た目は一緒なので、どれでもいい。単に彼女の気分だ。
「ではやってみるぞ」
そんな扉に、藤子は肉薄した。手には、紋章を持って。
しかし……。
【認証できません。この扉を開くためには、紋章が5つ必要です】
扉は開かなかった。
どこからともなく流れてきた機械的なアナウンスに、一同唖然とする。
「……なんとまあ」
最初に復帰した藤子は、手にしていた紋章に目をやりながら苦笑する。そうするしかなかった。
そうして、踵を返してセレンたちに向き直りながら、扉から離れる。
「ここはずいぶんとセキュリティが厳しいらしいのう」
「……みたい、だねえ」
「5つとはのう……思ってもみなかったわい。やれやれ、幻獣とはそれほどまでに大きな罪を犯したのか?」
「…………」
「…………」
ちらり、と視線を向けられたシイルとミリシアが、目をそらす。
それを見て薄い笑みを浮かべながら、藤子は紋章を懐にしまった。
まあ、幻獣の街で生まれ育った身として、思うところがあるのだろう。本当に神から断じられてしまっているので、無理もない。
輝良は外の出身なので、それについては頓着がないようだが。
しかし、そのあたりのことについては言及しない優しさを藤子も持ち合わせていた。
「……ともあれ、この場所を移動手段として使えるのは、まだまだ先の話になりそうじゃな」
何事もなかったかのようにそう言うと、藤子はくくくと笑うのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回の藤子編は、あんまり長くはならないと思います。
たぶん。




