◆第68話 カルミュニメルの塔 5
互いの言葉とは裏腹に、藤子とカルミュニメルの最初の行動は共に後退であった。ただし、ただの後退ではない。
両者とも、勢いよく後ろに下がりながら、前方に魔法を放ったのである。
藤子が放ったのは、青い輝きの魔法弾。それが八つ。轟音を背負いながら一直線に、カルミュニメルを狙う。
カルミュニメルが放ったのは、氷の極大魔法。何本もの巨大な氷柱が暴風雪を伴って、藤子を襲う。
しかし、両者の攻撃が互いの相手に命中することはなかった。どちらの魔法も、相手に届くよりも早く消滅したのである。
解呪。相手の魔法の構成を瞬時に見抜き、魔法式を崩したり加えたりして、それをゼロと為す技術。
当然のことながら、戦闘中に相手の魔法をそこまで読み解くと同時にゼロにするなど、並大抵のことでできる技ではない。
メン=ティの魔導書、それも易しい位階の魔法ならば、ある程度以上の実力を持った者ならそれもできるだろう。
しかし、今現出した魔法はそんな生易しいものではない。
だが、そう。
今ここにいるのは、かつて神を殺した女と、神になった女だ。どちらも並みはおろか、超人をも超えている。
「面白い! やはりお主は魔法の神、こうなるであろうと思うたわ!」
「えへへへ、君にそう言われるとちょっと嬉しいね!」
初手が不発に終わった両者はしかし笑いあい、そのまま距離をつめようと動く。
しかしその動きは互いに鏡写しであり、動けど動けどその距離は縮まらない。
そしてその間にも、両者は魔法を放ち続ける。
『陽廻!』
無数の向日葵が咲き誇り、そこからそれよりも多い黄金の魔法弾が弾幕となってカルミュニメルに殺到する。
しかしその直前に、全ての弾は掻き消えていく。
「極大水魔法!」
津波とも言うべき膨大な水の壁が、上下左右から一斉に藤子を飲み込まんと襲い掛かる。
しかしその直前に、水の姿は消え失せていく。
直前、魔法を見た藤子が一瞬表情を変えた。驚き。珍しく、その色が彼女の顔に現れたのだ。
それを察したのはカルミュニメルのみだが、そんなことを会話する状況ではない。
何せ両者の魔法は、いずれも強大な威力を持つ。うっかりかするだけでも相当のダメージになることは間違いないのだ。
だから、両者は油断なく互いの一挙手一動を見逃すまいと真剣なまなざしをぶつけ合う。どれほど強かろうと、攻撃は当たらなければ意味がないから。
戦いは続く。
空気がざわめき、乾燥する。パリッ、と何かが弾ける音が鳴り始めた。
カルミュニメルの手から、電撃が迸っている。
それを見た藤子は、また一瞬、顔に驚愕の色を乗せた。しかしすぐに引き締める。
彼女を驚かせているものが何か……それをあずかり知る「人間」は、この世界には藤子しかいないだろう。
「極大雷魔法!」
豪雨とも言うべき、雷の襲撃。
が、それは藤子に届かない。
『水栓!』
水でできた、花――水仙の槌。
が、それはカルミュニメルに届かない。
「極大炎魔法!」
『霜破白!』
恒星にも劣らぬ炎と、花の形の氷の槍衾。いずれも不発だ。
次の魔法も、その次の魔法も、次も、その次も、次も、次も次も。
藤子が放つ魔法も、カルミュニメルの放つ魔法も、一つの例外なく、出ては消えていく。
その間一人と一柱は、広い部屋の中を駆け回りながら優位な位置取りを探り続けていたが、その努力もむなしく空振りに終わったと言っていいだろう。
しばらく、そんな一進一退のやり取りが続く。
「……おかしいなあ」
最初にそれに気がついたのは、セレンだった。
「……何が?」
「どういうこと?」
「いや……だって、藤子もカルミュニメル様も、魔法しか使ってないよ。藤子は肉弾戦もできるはずなのに、さっきから全然……」
「……言われてみれば、そうね」
「ん……何か、ある?」
「か、どうかはわからないけど……」
セレンたちは首をかしげた。
しかし彼女たちの疑問は、正しい。普段の藤子なら、そもそもこんな魔法のバーゲンセールはしないはずなのだ。
確かに、今まで藤子が実力の拮抗した相手と戦ったことはない。それでも藤子は、魔法だけが能のないような中途半端な使い手ではない。格闘をやらせても随一の技を持っており、彼女の戦闘スタイルも、必然的に格闘と魔法が織り交ざった戦い方だ。
にもかかわらず、今の藤子は魔法しか使っていない。何度解呪されようと、愚直とも言うべきやり方を崩そうとしない。
そしてそれは、カルミュニメルも同じだ。確かに彼女は魔法の神であり、それが彼女にとって最も得意な戦い方だろう。
しかし、仮にも神にもなったものがそれだけで終わるような、芸のない戦い方しかできないということはありえないはずなのだ……。
「カルミュニメルよ、どうやら三人とも気づいたようじゃ」
「うん、みたいだね」
攻撃の手を休め、位置は変われど最初と同じ向き合った状態で、藤子たちは言葉を交わす。
「なればそろそろよかろう? 正直、こんなまどろっこしいやり方はわしの好みではなくてな」
「いいけど……実は気づいて何かしらの対策をしたところで、勝ち負け関係なくボクとしては合格、のつもりだったんだけど……」
「莫ぁ迦、せっかくそこに同格の相手がおるのじゃ。こんなところで終わりとは、なんとも面白味がないではないか。それに、勝負は蹴りをつけてこそ意味があると思わんか?」
「うーん……ボク、君みたいに張り合ったり戦うことが楽しかったり、そういう気持ちはあんまりわからないんだけど……」
「はっはっは、わからずともよい。ともあれ、しばし付き合え!」
「はいはい……しょうがないなあ、藤子ちゃんは」
肩をすくめ、カルミュニメルがくすりと笑う。
それと同じくして、藤子は右手を高く天に掲げた。魔法の余韻がざわめき、その手首にはめられた漆黒の腕輪がきらりと輝く。
『天地があわいに咲き誇れ!』
そして日本語の言霊に応じて、腕輪は青い光となって放たれた。
それは藤子の手の中に集まり、やがて棒状へと変化する。と同時に、再度まばゆい光を放ってそれが一気に藤子の身長を上回る。彼女がそれを勢いよく手に取れば、その小さな手の中で、青い光は黒い杖に変化した。
藤子の背丈の、およそ倍はあろうかと言う極めて長大な杖。
色は上から下まで一切が漆黒であり、光を反射することなく飲み込んでいる。その先端は弧を描く半円を軸になっており、中央に青い宝石が佇む。その様は一見すると地球儀のようだが、宝石の支えとなる軸はない。
三日月状の杖先で、誰からも支えられることなく静かにたたずむその姿はまさに、藤子の左目と同じ姿。四十六億年を生き、全ての生命をその身一つで育んだ孤高の母、地球の生き写しのようだ。
『――藤天杖、戦闘形態!』
引き続き藤子が日本語で吠え、その小さな手の中で、長大な杖――藤天杖をぐるぐると回転させ、振り回し、そしてポーズを決める。
芝居がかった動きだ。しかし、それを見咎める者はこの場にはいなかった。
なぜならば、この藤天杖こそ藤子の強さの二段階目――武器を持った段階なのだ。これを解放したと言うことはすなわち、藤子が今まで抑えていた能力をある程度解放した状態と言うことに他ならず、すなわち周囲に放たれるプレッシャーもそれに比例して激増するからである。
神として、試練として藤子の前に立つカルミュニメルですら緊張の笑みを浮かべたのだから、一般人の域をようやく脱し始めている程度のセレンたちにとっては、とてつもない衝撃だ。
「――ぃぃいいいっ、トーコおぉおぉ!?」
「怖い怖い怖い、怖いっ!」
「ば、化け物……ッ」
鳥肌やら冷や汗やらを隠すこともせず、三人は全力でその場から遠ざかる。
しかし部屋は限られた空間であり、扉もまた閉じていて、壁まで下がればそれ以上は下がれない。
背中を壁に押し当てながら、三人は顔を青くしながら、身を寄せ合った。
「ふっ、この程度……わしのいた世界では、一国に数人はおったものよ」
「「「ええええ!?」」」
白い歯を見せて笑う藤子の背に、悲鳴に近い声が飛んできた。
「……そうだね、藤子ちゃんのいた地球は本当に魔法技術の進んだ世界だよね。まったく魔法が存在しない地球もあるけど……」
杖を握りなおして、カルミュニメルが言う。
「その中で君は、その地球に選ばれた最強。うーん、やっぱり君を見つけたグ……じゃない、ナルニオルの目は確かだったね。妻としては鼻が高いね、ふふ」
「最強か……それはわしよりもふさわしい者がおったがな……」
「そう言うと思ったよ。……それより藤子ちゃん、そろそろやろう? いつまでもそれを出してたら、彼女たちに毒だもの」
「鍛え方が足らんかったやもしれんな。……よかろう、では早速」
そして藤子はそう言うと、手にした藤天杖を高く掲げた。
するとその瞬間、鉱物が砕けるような音と共が部屋全体に響き渡る。部屋を覆っていた結界が破壊されたのだ。
「はは……一瞬、かあ。その闘技封印結界、ボクなりに自信あったんだけど」
「ふっ、わしは空間魔法の専門家じゃからな。それに……」
言葉を続けながらも、藤子は杖を下さない。そのまま杖先から、青く輝く日本語があふれていく。
「……その中でも、結界が一番の専門分野でのう」
「わー……何そのとんでもない情報量の魔法陣……」
部屋全体を覆っていく日本語を、唖然としながらもカルミュニメルが解呪していく。しかし、今までと異なりそれは魔法の構築速度に及ばない。
「くくく、やりおるわい。しかし甘いな、その程度の速度では、我が魔法を止めることはできん! 参るぞカルミュニメル! 誅仙陣!」
「げ……っ、それは……!」
一瞬強く青い光がほとばしり、部屋の内部が魔法によって支配された。藤子の魔法により構築され、その法則によって支配された、藤子のための空間と化したのだ。
刻み込まれた魔法式は、魂への一撃。それは、仮初の状態でこの場に存在しているカルミュニメルにとっては、わずかの接触で致命となりうる魔法である。
直撃でもしようものならオーバーキルもあり得るほどで、それを理解できるからこそ、カルミュニメルはさすがに焦りの色を隠せない。
しかし藤子は、神だろうと遠慮しない。
「瘟!」
そしてその言霊により、空間のありとあらゆる場所から、青白い光線が撃ちだされた。対象はもちろん、カルミュニメル。
攻撃は前後左右、上下の別なく一斉であり、回避する場所などどこにもない。が、この攻撃は物理的な打撃を与えるものではない。むしろ、物理的な肉体を持つ者に対しては、あまり効果が得られないものだ。
しかし今のカルミュニメルは、この魔法を防御するという道は選べない。戦術の通り、わずかの接触で致命打になりうるからだ。
そして……だからこそ、彼女は逃げなかった。
守りもしない。瞬きの一時に極限の魔法式を唱え上げると、手にした神杖を掲げ、直撃直前のタイミングでその魔法を解放した。
「禁断極大星魔法!」
カルミュニメルの選択は、迎撃。
名の宣言と共に放たれた魔法は、禁断と呼ばれるメン=ティの魔導書最強の魔法。星の力をそのままに、周辺すべてを薙ぎ払う極大の破壊魔法だ。
それが藤子のものとはまた異なる青――カルミュニメルブルーの輝きと共に放たれた。部屋全体が激しく鳴動し、ともすれば崩れてしまうのではないかと錯覚させかねないほどの音が鳴り響く。
その中で真正面からぶつかり合う、二つの青。互いを食い破り、侵食し、穿ちぬかんとする様は一見、美しい光の芸術にも見えるが……この場にいるものは、全員知っている。この光の攻防に、下手に手を出すと即死することを。
やがて――音がゆっくりと引いていく。それに比例して、光もまた消えていく……。
「……ははは、さすがは神よな」
「……そりゃあどうも、ありがとう」
全てが収まった後、両者は互いに杖を構えて、傷一つない状態で立っていた。
そして、どちらからともなく、彼女たちは笑う。
方や楽しそうに、方やため息をつきながら。
「うーむ、行けると思うたのじゃがなあ。分霊じゃし、せいぜい本体の10分の1程度であろう?」
「まあそうなんだけども。それを言ったら君だって、手加減して2割程度で撃ったでしょ?」
「お、見抜かれておったか」
「これでも魔法の神ですからー」
そして和やかな空気を醸し出しつつ、一人と一柱は構えを解いた。
さらに、藤子は藤天杖を元の腕輪の形へ戻す。次いで、部屋を包んでいた結界も消失させた。
「……まあ、この辺りが落としどころじゃな。ほどよく暴れられたし、これでよしとしよう」
「君は普段理詰めで行動する割に、たまに感情一辺倒で動くよね……」
いいんだけどさ、と続けて、カルミュニメルは苦笑した。
しかしすぐに表情を引き締めると、凛とした佇まいで再度口を開く。
「……言うまでもなく、試練は合格。扉を開けるね」
「うむ」
「細かい話はそっちで。それじゃ、ボクは先に中で待ってるから……彼女たちのアフターケアは自己責任で、ね?」
「む?」
カルミュニメルに言われて藤子が振り返ってみれば、呆けているセレンたちの姿が飛び込んできた。
身を寄せ合いながらも蒼白な顔で、そしてもはや動くこともできそうにないその姿は、凍死したかのようでもある。
「……まだこやつらの前で杖を出すのは早かったかのう。のう……って、あやつ既に行ってしまいよったか」
同意を求めようとして改めて向き直るが、既にカルミュニメルの姿はなかった。
代わりに、最初と同じ形で床に立った杖が一振り。
そしてその向こう側では、静かに扉が開きつつあった。
「……そろそろ訓練用の亜空間を使うか」
扉が開ききるのを見届けながら、藤子はそうつぶやいた。
それから、深めのため息をつくと、セレンたちに歩み寄る。
セレンたちが再起動するのは、それから実に30分は後のことであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
藤子をあっさり勝たせようかとも思いましたが、さすがに相手が神様なので引き分けにしておきました。
まあ、どっちも本気を出せる状況じゃないのでこれくらいが妥当かな、と。やりすぎるとセレンたちがショック死しかねないんで。
えー……ちなみに今回の藤子編はまだまだ続きそうです……。




