◆第7話 見つめる青と赤
異世界から呼び出され、突然世界を救ってくれと言われた藤子だったが、それは彼女を驚かすには足りえない。
何せ、日常的に異世界から異世界へ渡り歩いているのだ。召喚されるということ自体が、「今さら」なのである。
だから彼女にとって、見知らぬ空間も慣れたものだ。主神であるナルニオルから依頼は受けているが、それ以外については普段と変わらず行動するのみである。
彼女が新しい世界へ来たときに最初に行うことは、言うまでもなくその世界の言語を習得することだ。これができるのとできないのとでは、その後の活動に大きく差が出る。
そのためには、とにかく人の多いところへ行くことが一番。その考えの元、彼女はこの世界に来てからすぐ、目的の相手がいるというシエル王国に真っ先に向かった。どのみちそれ以外には、会うべき相手の所在も聞いていないことだし。
そういったわけて彼女は今、言語習得のかたわらナルニオルから聞かされたセフュードなる人物を探し求めて、エアーズロック内の街道を移動していた。
歩きではない。この世界の一般的な乗り物である竜車(小型の陸生ドラゴンに引かせた車のこと)の車内で、派手に揺れるその居住性の悪さをものともせずに、である。
大陸一の最貧国と揶揄されるシエル王国だが、その実、国内のインフラに関しては比較的他の国より優れていることも多い。
そもそも、価値がないと言うことで戦争を長く経験してこなかった国である。貧困であれど平和であり、それに伴い発達するところはしっかりしているのであった。
この竜車もその一つで、区域内の街を巡回する公共交通機関だ。決められた街道を、決められた値段で、決められたスケジュールに従い移動するこれは、地球で言うバスや電車に相当すると言えるか。
当然、車内には藤子以外にも数人の客がいる。その顔ぶれは老若男女、貴貧、そして種族もさまざまであり、この国がそれなりに充実した制度を整えていることの証左とも言える光景だ。
「ふむ……残りは元町か……」
がたがたとやけに揺れる竜車をものともせず、藤子はつぶやいた。手にはエアーズロック区域の地図を持ち、その中の一つにバツ印を羽ペンで書き加えながら。
しらみつぶしにシエル王国を調べるにあたって、最初に彼女が訪れたのがエアーズロックだ。山をはさんでセントラル帝国と接するこの区域は、直線距離で移動するには一番近かったのだ。
藤子は別に、急いでいない。世界を救ってくれと頼まれ、そのカギとなるのがセフュードと教えられてはいるが、そもそも彼が本当に世界を救う英雄たるかどうかまでナルニオルは言及していなかったし、そもそも聞くところによれば、相手はまだ5歳だというのだから、こちらの話を聞ける年齢でもないだろう。
だから彼女は、気長に国内を旅するつもりである。元々、異世界での生き方とはそうしたものだ。自分の世界ではないのだから、妙に気負うことはない。確かに世界を救ってほしいと言われはしたが、究極、まだ300年以上あるのだから……。
「人探しですか?」
うすぼんやりと地図を眺めていた藤子は、不意に隣から声をかけられてそちらに目を向けた。
そこには、質素ながらきりりと引き締まった意匠の服に身を包んだ少年が座っていた。その姿を、藤子はいつものくせでじろりと観察する。
年の頃は、まだ一桁だろう。藤子の見た目も相当幼いが、それに勝るとも劣らない。銀色の頭髪は美しいが、日ごろの生活がそこまで豊かではないのか、手入れはほとんどされていない。それでもその顔立ちは、何もせずとも各所で通用するだろう。薄いブロンドの瞳は、いかにも好奇心旺盛な色を帯びて、藤子の青と赤の相貌を覗き込んでいた。
そして彼女は、少年の魂の形を見て、かすかに目を細める。それは、人間族のものではなかった。
彼の種族に思いを巡らせる藤子だったが、そこでふと思い出したように口を開く。
「ああ、まあな。ようわかったのう」
「エアーズロックの街にそれぞれバツがついてるとなると、何かを探してると考えるのが妥当だろうと思いまして」
少年の答えに、藤子はふむ、と顎に手を当てた。歳の割に、随分としっかりした受け答えだと思いながら。
その仕草に不信感を見て取ったか、次に少年は小さく会釈をする。
「……失礼、ボクはシェルシェと申します。あなたのお姿が珍しかったもので、つい」
そしてそう名乗って、にこりと笑った。
その顔にうっすらと違和感を覚えながらも、それは態度に出すことなく藤子は頷く。
「よく言われるよ」
そして、ちらりと己の身体に視線を落とした。
彼女のいでたちは、この世界に召喚された時のままだ。薔薇色の、改造された形式の和装。開かれた裾から健康的な脚が覗くが、その足を覆うものは靴だ。袖口は広く、また飾り袖になっている。帯は普通の帯だが、それを留める飾りは見るものが見ればこの世界に存在しないものから造られていることがわかるだろう。
「その服、全然見たことのないデザインです。それに美しい。こんな鮮やかな色合い、初めて見ます。きっと、どこかの高いご身分の方なのでしょう?」
「さて、どうかのう」
「わかりました」
にやっと笑った藤子に対して、シェルシェ少年はそれ以上追及せず、小さく頷くにとどめた。本当にやんごとなき方と考え、あまりずけずけと聞くことはためらわれたのだろう。
「そういえば名乗っておらなんだな。わしは藤子という」
「トー……コ? これまた、聞きなれないお名前ですね……」
「よく言われるよ」
二度目の言葉に、一瞬きょとんとした後に、くすくすと笑うシェルシェ少年であった。
……がたり、と一度強く車内が揺れる。それに合わせて、会話が途切れた。
沈黙の中で外に目を向ければ、既に元町が相当近くまで迫っていることがわかった。そしてその様子は、なるほど行政府が置かれているだけのことはある。
「……元町は初めてですか?」
「ああ」
「でしたら、いかがです? ボクの家に泊って行かれませんか?」
「お主の?」
一瞬色の匂いを感じた藤子だったが、
「ボクの実家、元町で宿屋をしているんですよ」
続いた言葉に、ああ、と納得する。
「探し物となると、しばらく滞在されるんですよね?」
「しっかりしておるのう、お主」
「はい、もちろんです」
にっこりと笑うシェルシェに、藤子はくくく、と笑い返す。
「お主から声をかけたのじゃ、少しくらい加減しろよ?」
「かしこまりました、……一割引きで請け負いましょう」
後半、ひそひそとささやいてきたシェルシェに再度笑い、藤子は頷いた。
「あいわかった、世話になろう」
「ありがとうございます」
かくして商談成立となった頃合い、それをまるで見計らったかのように、竜車がごとんと動きを止めた。
「あいー、元町ー元町着きましたー。忘れ物のないよう気を付けてくださいー」
そして社内に、御者の声が響くのであった。
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元町に着き、シェルシェの案内で彼の実家である宿屋に入った藤子は、ひとまず三日分の費用を支払うことにした。
現代日本の東京や大阪ならばいざ知らず、この程度の街ならばそれだけで十分だろうと見越してだ。
その際、応対したシェルシェの両親が、彼とさほど変わらない幼い姿であることになるほどと頷くことになった。
「お主、小人族であったか」
「はい、その通りです」
「実際に見るのは初めてじゃ。うーむ、見た目では人間族と区別がつかぬが……本当に加齢があまり見た目に出ぬのじゃなあ」
そう言いながら、藤子は小人族の魂の形を覚えこむことにする。
小人族という種族は、見ての通り小さい人種である。成人してもなお、その外見は人間族ら一般的な人種の子供くらいにしかならない。
そして何より、なかなか老けないことで有名である。特に、40歳くらいまではほとんど加齢の影響が現れない。
かつてはその性質から、不老の術を持つ種族として人狩りや非道な実験の対象になったが、結局その仕組みを解明できなかったことや、狩りすぎて数が減ってしまったこと、そして当時の大陸各国がその保護を名目に泥沼の戦争に発展したことから、今は一つの種族として正式に認められている。
……といった、ここまでの道中で知り得た小人族に関する情報を記憶の引き出しから取り出しながら、藤子は魂を記憶を完了するのであった。
魂を見る、という行為は、少なくとも藤子にとっては日常のことである。異世界を渡り歩く過程で身に着けた、本来であれば彼女が知るはずのなかった技術だが、何せ魂は嘘をつかない。故に、彼女が重宝する技術となっている。
しかしそうであるからこそ、藤子は首を傾げる。シェルシェとその両親を比べると、その魂の色からして、シェルシェのほうが「より長く生きている」ということを示していたからだ。
その状態の意味におおよその予測を着けながらも、そこはもちろん口には出さず、案内するシェルシェに従う。
ともあれ。
「こちらがお部屋になります」
「うむ」
藤子はようやく、仮のねぐらに到着した。
第一印象は、値段に比べて質が良い、であった。とはいえ同時に、本質的には古いものであり、リフォームによる再構築物件であることを見抜けぬ彼女ではない。
廃業した業者から譲り受けそれを改修したか何かだろう、と一人で結論付けながら、諸々の説明を気持ち半分で受け流す藤子である。
「お荷物の紛失に関しましては、……ってあれ? トーコ様、お荷物は……」
「あるが、ない。すべて亜空間に入れてある」
「あ、あくうかん……」
旅人の常識を、打ち破るどころか勢い余って完全に破壊する発言に、さしものシェルシェも唖然とした。
だが、藤子にしてみれば慣れたものだ。そして、あえて混乱を深める理由もないので、説明もしない。人によっては、どれだけ説いても理解できないし。
「さて、と。まだ日は高いな。入ってすぐで悪いが、ちと出かけてくる」
「えあ、は、はい。よろしければご案内いたしましょうか?」
「いや、いらぬ。別段観光のつもりはないし、己の気分でゆるりとめぐりたい」
「畏まりました。お部屋のカギはフロントでお預かりいたしますので、一旦戻りましょう」
「うむ」
こうして、藤子はチェックインしたばかりの宿から気ままに出かけるのであった。
エアーズロック元町の大通りを適当に歩きながら、居並ぶ建物や行き交う人々、そしてその会話などに神経を向ける。何気ない風を装いながら、その実周りのすべてを経験として、また情報として摂取する心構えである。時には、自ら声をかけるなどしてより正確に裏付けも取る。
やっていることは間者のそれではあるが、予備知識もなくいきなり異世界に来た人間がすべきことは、まず何よりも情報を手に入れることだ。そしてそのためには、自然とそうした振る舞いになってしまうことは仕方がない。
時には、そこらの粗末な屋台で売られていた串焼きを、好奇心がてら買ってみたりもする。その正体が、シエル王国ではメジャーな食材、ツルギムシと聞き出してみたり、意外と美味であることに軽く驚きもする。
「あんまり嫌がらないね、お嬢ちゃん。他国の人は虫を食うって、あんまし気に入らない人が多いけど」
「汚泥の中でも生きてきたのでな、大抵のものは普通に食えるよ」
そんな会話をしたので、情にほだされた店主がおまけで一本追加してくれたりもしたが。
ともあれそんな調子で、藤子は異世界情緒を楽しみながら、ゆるゆるとした時間を過ごしていた。
とはいえ一方で、彼女のいでたちは明らかにこの国のものではない。そう言う点で、彼女は目立っていると言ってもよかった。かといって彼女に声をかけてくる、シェルシェほど勇気のあるものもいなかったわけだが。
ちなみに、この世界に来たばかりの藤子が金銭を所有していることについては、さほど込み入った事情はない。エアーズロックへの山越えの最中、無謀にも襲い掛かってきた獣たちを遠慮なく蹴散らしたことで手に入れた、毛皮や爪などがその資金源だ。
その気になれば、貴金属も純度100パーセントで精製する魔法を持ち合わせてはいるし、何ならその完品のレベルで貨幣をコピーもできるが、さすがにそれをすると経済に深刻な影響が出かねない。
「……む」
一通り街の表を見て回った後のこと。大通りから外れた地点、ちょうど街の中心となる地点の広場でそこいらの石に腰かけて休んでいた藤子は、ふとそれに気がついて目を向けた。
縦にも横にも大きい、いかにも意地の悪そうな男。それが、二人の子供を連れて歩いていた。子供のほうは、体格差から男に着いていくのがやっとという様子だが、どこか楽しげである。一見して人さらいにも見えるが、その雰囲気から仲のいい親子という感じだ。
それ自体はさほど珍しくもない。どの世界であっても、おおむね知性を持つ生命体の親子はああしたものだから。
だが藤子が気になったのは、男が連れていた少年である。
白みがかった金髪。サファイアを思わせる瞳。そしてその顔立ちは……。
「おやおや……存外早く見つかったな」
口にくわえた串をそのままに、藤子はにやりと笑った。
そのまましばらく串をもてあそんでいた彼女だったが、やがて視界から彼らが消えると同時に立ち上がる。
そこから彼女は、ほぼ予備動作もなく跳躍した。それは彼女の身長をゆうに超え、軽々とそこらの家の屋根へと上がる。
それに合わせて、彼女から気配の一切が消えた。それは魔法の類ではない。体系だった技術のそれではなく、また他事に依存したものでもない。ただひたすらに、彼女が修練の結果身に着けた技術。故に、この状態を感知するには直接その姿を目に収めるしかない。
しかし彼女は、屋根伝いに移動している。対象を俯瞰しながら、追いかけるのだ。そしてその際に、物音は一切立たなかった。これも、彼女が身に着けた隠行歩法である。
これらを組み合わせ、かつ通常の視点より上を行く彼女に気づくことのできる人間などそうはいない。実際、この街にそれだけの実力者はいなかった。
「……ここか」
やがて藤子は、追う相手が消えたあばら家のすぐ近くに降り立つ。
そのまま隠れることもなく、中の様子に意識を向ける。
こちらは、さすがに魔法を使う。中での会話を余すことなく聞き届け、さらにはそこがどういう状態にあるかも正確に把握することは、いくらなんでも人間の能力の埒外だ。
しかし、そこはエアーズロック元町でも裏中の裏通りである。その治安は表とは比較にならないほど悪い。
奇妙ではあるが整った身なりの、それも美少女がただたたずんでいるという構図は、それだけ人の目を引く。
藤子としては、追った相手から気づかれなければいいので、そんなことに力を割くつもりなどない。ただし、彼女がどういう存在かを明確に推し量れる相手など、この辺りにいるはずもなく……。
どこからともなく来るわ来るわ、とばかりに十人ほどの男が藤子を取り囲むことになった。いずれも栄養状態はあまりよくなく、態度は軽薄、その目に宿る光は鈍い。どこからどう見ても、悪漢の類である。
しかし藤子は気にしない。現れた連中など、彼女にとっては路傍の石にもなりえない存在でしかないのだ。
とはいえ、専守防衛に徹する心づもりもない。異世界を渡り歩けばこそ、火の粉は降りかかるよりも早く摘み取らねばならぬことは重々承知している。
だから、
「お嬢ちゃんよォ……」
そう、後ろに立った男が口を開いた瞬間に藤子は動いた。
口でもてあそんでいた串を手に取ると、そのまま順手に握る。と同時に、文字通り目にもとまらぬ速度でそれを振るった。
串は、あくまで串だ。剣ではないし、棍でもない。
しかし周りの男たちは、そうした武器に打ちすえられたかのように一瞬だけぴくりと身体を震わせると、そのままがくりと膝から崩れ落ちて、動かなくなった。
かつ、と藤子が串をかんだ音がかすかに響く。その刹那、何の変哲もないはずの串がかすかに青く輝いていた。
「……どうやら間違いないようじゃな」
今し方気絶せしめた男どもなど、まったく目もくれず彼女は薄ら笑う。
あばら家で交わされているやり取りから、確信したのだ。先ほどの少年こそ、ナルニオルに指名されたセフュード少年その人であると。
魂の形は、人間族と小人族の特色を備えていることから、ハーフなのだろうと判断した。
そしてさらに、その色がシェルシェと同じく、長く年月を過ごしたものの色の濃さをしていることに思考のリソースを割く。
(転生者、か? だとしたら、話はつけやすい。ナルニオルが英雄になり得ると言うはこのためか……)
そう結論付けながらも、しかし、とも思う。
(前世の色をここまではっきり継いだ転生者なぞ、わしの長い人生でもさほど多く出会ったことはないぞ。それがこの短時間で二人もとは……神々が介入権を保持する世界では、こうも多くなるものなのか?
にしても多くはないか? だとすれば、それほど連中にとっては切羽詰まっておると言うことか……?)
確かに、ナルニオルは世界は可能性ごと滅亡へ向かっていると言った。そしてその滅びの時が比較的近いとも、神々は普段から世界に介入しているとも。
そしてだからこそ、前世の記憶や知識をそのまま引き継いで新たな生を受ける転生者は、彼らにとっては必要な存在ということは理解できる。
つまり、態度こそ友好的かつ砕けたものではあったが、ナルニオルは必死なのだろう。それはもう、切実に。そう、藤子は判断した。
(神が手段を選ばぬ、か。元人間ともなれば、それも当然やも知れぬが……)
そこで藤子は、くわえていた串をぷっと吐き捨て、跳躍して屋根の上に上がった。そうして、その場から一直線に離れていく。
「……なりふり構わぬその態度、気に入った。同じ穴の貉ともなれば、わしも多少がんばってみるとするかのう」
そうつぶやいて、藤子は笑った。
今まで見せていた、意地の悪いものではない。どこか楽しげなそれは、年頃の少女のそれであり――かつて「手段を選ばず世界を存続させた」女のそれではなかった……。
当作品を読んでいただきありがとうございます。
感想、誤字脱字報告、意見など、何でも大歓迎です!
まずはニアミスしつつ、藤子のちょっとした実力披露といった感じで。
二人の顔合わせはもう少しだけ先です。
なお、もう一人転生者がいるような描写をしていますが、「異世界からの転生者」はセフィだけです。そこは最後まで変わるつもりはありません。