◆第64話 カルミュニメルの塔 1
その日は前日とは打って変わって、雨となった。
天高くそびえたつ神話級ダンジョン、カルミュニメルの塔は途中から雲によって隠れ、その頂を確認することはできない。
そんな塔のふもとにマレナ政府が用意した監督所で、藤子たちは入場の順番を待っていた。
基本的にダンジョンは冒険者ギルドが管理しているが、神話級と遺産級に関しては所属している国との共同管理となっている。ギルドの人員だけでは足りず、また国としても、重要な資源を産出するダンジョンを管理下に置いておきたいのだ。
その監督所はダンジョンによって細かいところは異なるが、高難易度のダンジョンへの入場審査と規制、それから退場の確認が主要業務であることはどこも変わらない。
そしてまた、この業務に関係せず中へ入ることは、仮に最上級の名誉クラス、プラチナの人間でも許されない。このため、藤子たちが審査を受けることは当然のことである。
「……人、多いねえ」
「意外」
「うむ……前情報では、8つある神話級では最も難易度が低く、見返りが大きいと言うことじゃからな。それだけ人も集まろうて」
審査待ちの待合室で、三人は口々に言う。
その会話の通り、周りは審査待ちの人間がそれなりにいる。
決してごったがえしているような人入りではないが、それでも神話級の入場審査待合室としては、十分すぎるほどの人口密度である。
「カルミュニメルの塔は他と異なり、シルバーから入場できるらしいからのう。おまけにパーティにシルバー以上が一定の割合でいるなら、ブロンズも入場できるというから無理もあるまい。神話級で得られるものがいかに実になるかは、言うまでもないしな」
「そっか、他よりクラス制限が一段階低いんだね」
「納得」
「まあ、わしらは別に金目当てで潜るわけではないから、そこはどうでもいいんじゃがな」
「そうだねー、私としてはどこまで私の力が通用するのか見れればそれでいいし」
「同じく。……アタシは神様がいるかどうかも、気になるけど」
「そうじゃな、そこも確認してきてやろう。神話級の初踏破者はわしらで決まっておるしな」
「あははー、そうだねー」
「全面的に同意」
そんなお気楽な会話を広げる彼女たちに、困惑と怒りがないまぜになった視線が複数注がれるが、そんなことに気が付けるならそもそも最初からそんなことは言わない。
まあ、藤子はわかっていてやっているのだが。緊張でピリピリしたその場の空気を盛大にかき乱して、面白い反応があれば儲けもの、といった迷惑な思考である。
とはいえ、さすがに神話級に挑む者たちはその辺りの節制はうまくできるらしい。結局、藤子たちが呼ばれるまでの間、つっかかってくるようなものはいなかった。
「ギルド証をご提示ください」
「ほい、三人分じゃ」
「はい。……はい、確認できました。お返しします」
冒険者ギルドではおなじみの、人目を避けて行われるギルド証の認証。通常ならこの後に実力審査を設けられるのだが、藤子を筆頭に全員が既に二つ名を持つ実力者だ。そしてその実績は、ギルド証に入っているデータで確認される。
よって、彼女たちは異例の実力審査を跳び越えてのダンジョン挑戦となった。
「……む?」
「?」
「どうかした?」
ダンジョン入口まで伸びる一直線の連絡通路。その先頭を歩いていた藤子が、不意に天井を仰いで立ち止まった。
それに合わせて足を止めた二人は、藤子の小さな身体を見下ろす形で首を傾げる。
しかし、藤子の返答に彼女たちはさらに首を傾げることになる。
「今、時空が乱れた」
「時空が……」
「乱れた……?」
「次元震が走ったということは、空間が裂けたか時系列が歪んだか……あるいは両方か。よほどのことが起きたに相違あるまい」
「……えーっと……」
「……よく、わからない」
「わからんでもよい。しかし……次元震なぞそうそう起こるものでもない、世界に重篤な衝撃を与えておらねば良いが」
あごに手を当て、ふむうと考え込む藤子である。
彼女は、主神ナルニオルの手により、世界の崩壊を防ぐために呼び寄せられた異世界人だ。いわば生物における異分子であり、存在するだけでアレルギー反応のような症状を引き起こしかねない存在と言える。
そんな彼女がいる中で世界に大きな打撃が入れば、急激に世界の状態が悪化する可能性が十分ある。さながら、合併症のように。彼女はそれを懸念していた。
「……このことも、ついでにカルミュニメルに聞くか。副神であれば、おおよそのことは把握しておろう」
一人でそう結論付けた藤子は、改めて歩き出した。後ろを振り返ることもなく、ただ参るぞ、とだけ告げて。
セレンと輝良は一瞬だけ出遅れたが、それでも即座に思考を切り替えてその後ろに付き従った。
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神話級ダンジョンには、他の位階のダンジョンとは明らかに異なる点がいくつかある。
中でも、誰かが入るたびに内部構造が変化し、異なるタイミングで入場した者同士が顔を合わせることがないという点は、特に大きな特徴と言える。
少し前、セフィが不思議のダンジョンと称したこの仕組みは、冒険者たちにとって奪い合いのリスクがなくなる代わりに相互補助も封じられ、なおかつマッピングが次に生かせないという問題を強いる。
さらに言えば、神話級は必ずすべて引き返すことができないようになっている。これがどれほどの障害かは、言うまでもないだろう。ダンジョンから脱出する手段はいくつか存在するものの、いつでも引き返せるわけではない、という緊張感は精神的な疲労となる。
そして当然だが、出現するモンスターの強さも相当。ダンジョンによっては、ここにさらに悪辣な仕掛けや難解な謎解きが設置されることもあり、世間で高難易度と言われているのも当然である。
逆に言えば、「易しい」と言われる神話級ダンジョン、カルミュニメルの塔は、そうしたものが比較的少ないということに他ならない。
今、塔の最下層区域を行く藤子たちは、立ちはだかるモンスターたちを難なく蹴散らしている。彼女たちの歩みを止められるものは何もなく、その出てきたモンスターは一つの例外もなく消滅させられていた。
「……なんだか拍子抜けだなあ。神話級のモンスターはもっと強いって思ってたけど」
「同意。これじゃあ、構える前に倒せる……」
先頭を並んで歩くセレンと輝良が、不満そうにこぼした。
「難易度が低いと言われているのは、つまりこういうことなのじゃろう。序盤のうちは、現代級でも出てくるような弱い輩しか出てこぬようじゃ」
二人の後ろにつき、傍観者に徹する藤子が軽く笑いながら説明する。
要するに、カルミュニメルの塔はいくつもの段階を経るダンジョンなのだ。
序盤からいきなり強敵が現れる他の神話級とは異なり、弱いモンスター、粗悪なアイテムで彩られた階層から始まる。その質は先に進めば進むほど上がっていき、罠なども増えていく。まさに「易しい」ダンジョンだ。
しかしそれ故か、このダンジョンは他のどの神話級よりも長いと言われている。踏破者がいまだにいないため、最上階がどこかわかっていないが、記録では67階まで到達したパーティがいるという。
「じゃあ、100階くらいまであるのかな?」
「そうだといい……切りのいいところだと、気が楽」
「さてな。それは登ってみてのお楽しみ、じゃのう」
くくく、と笑いながら、弟子二人の動きを観察する藤子である。
徐々に段階を上げていくこのダンジョンに挑むとなった時、彼女は一切手伝わないと最初に明言した。セレンと輝良、二人でどこまで行くことができるのかを見極めたかったからだ。もちろん死なせるつもりはないので、本当に命の危険が訪れた時は助けるつもりでいるが。
セレン達にしてみれば、それが修行の一環だと言うことは考えるまでもない。そもそも、藤子謹製のダンジョンに何度も単騎で挑まされているのだから、彼女の手伝いなしでのダンジョン踏破など日常的だ。
そのためか、下層のほうでは彼女たちの相手になるようなモンスターなど一切おらず、初日は実に18階まで一気に歩を進めた。
「カグラ、どっちが先に寝る?」
「どっちでも」
「じゃあ、いつも通りコイントスしよう」
「ん」
不寝番の順番を巡って、二人が話し合っている。
それを傍目から眺めながら、藤子は亜空間から本を取り出す。先日のうちに買い込んだ、シェルドール近隣の書籍である。
野宿もまた、冒険者の心得の一つだ。特に、ダンジョン内では重要である。出来立ての現代級のように極めて小規模なダンジョンなら話は別だが、大抵のダンジョンは内部で数日を過ごすことになるのだから。
しかも、モンスターは魔獣と違って睡眠の習慣がないし、火を恐れたりもしない。人がいれば即座に襲ってくるので、平原や森よりもなおのこと警戒を密にしなければならないのだ。
これも修行に含めている以上、藤子は二人を手伝ったりはしない。まして、不寝番を買って出ることもない。護衛をしているわけではないのだから。
「表! じゃあ、最初に寝るのは私だね」
「ん」
一通りの話を決めた二人は、手際よく野営の準備に取り掛かった。強さを第一に鍛えさせるため、携帯用のテントや、寝袋などは藤子の亜空間の中に入れてはいるが、彼女たちの手際はそんなことで左右されるほどお粗末ではない。
ほどなくして準備が整った二人は、さらに夕食も手短に用意する。
「トーコ、できたよ! 食べよう!」
「ん……うむ」
セレンに呼ばれて、藤子は本をしまって彼女たちが囲むたき火の前へと動く。
実のところ、不老不死である彼女にとって食事は不可欠ではないので、持ち込んだ食材をわざわざ使わなくともいい。その旨ももう何年も前に伝えてあるのだが、その上でセレン達は藤子の分も用意するのだ。
食べられないわけではないので、藤子としても用意されれば食べる。もったいないし、何より複数人で囲む食卓は、藤子にとっても楽しいものだ。
「それじゃあ、みんな揃ったところで……いただきまーす!」
日本式の、合掌する仕草をしてから、三人は早速ものに手を付ける。
通常、この世界の人間ならば自らが信じる神に祈りをささげるものであるが……ことこの三人は例外なのだ。
「ねえトーコ、ここまでどうだった?」
「どうじゃろうな。今日は雑魚しかおらんかったからな」
「ああー、やっぱりトーコから見てもそうなんだ」
「……現代級程度のモンスターは、もう稽古にならない」
「だよねえー。気配も普通に読めちゃえるし、もうちょっと歯ごたえが欲しいよね」
あははと気楽に笑うセレンと、相変わらず表情をほとんど変えない輝良だが、肩の力を抜きながらも周囲に向けた警戒は一時も緩んでいない。
それを確認して、藤子もふっと笑った。
「どこまでそうやって言っておれるか、見ものじゃな」
「ふふふっ、期待しててよ!」
「大丈夫、アタシもセレンも万全」
「……ふっ、わかっておる。見せてもらうとするさ」
彼女たちの今の全力を見るには、藤子では加減が難しい。だからこそ、この機会は重要なのだ。
その上で、今後の修行をどのように方針を組み立てるか。どのように石を磨くのか。
そんな算段を考えながら、藤子は輝良からスープを受け取った。その顔には不敵な笑みが浮かんでいて、弟子二人を怯えさせるには十分である。
それからしばらく藤子たちは他愛のない談笑を続けたが、夜が深まってきて、まずセレンがテントへと入っていった。それに合わせて、藤子も席を外す。
夜と言っても、外とは隔絶した空間なのでそれを感じることはできない。しかし普通の人間にとって、睡眠は必要な行為だ。
まあ、藤子はその「普通の人間」には当てはまらないのだが……これも食事と同じで、やろうと思えばできる。今回は、特に下層においてはあくまで修行が目的なので、藤子も普通の人間のように過ごすのだ。
かくして、たき火の前には輝良一人が陣取る。数時間後には、セレンと交代だ。それまでの時間、イメージトレーニングやマナの操作など、一人でできる訓練をひたすら続ける。全ての時間が修行なのだ。それは、セレンも同じである。
塔での初日は、かようにして終わっていくのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
いよいよ神話級ダンジョン攻略に乗り出します。まあ藤子はしばらく保護者ですが。
4話くらいで決着つけられればいいなあ……(願望




