第6話 初めての街
「どうだ?」
「だれ!?」
「ティーア落ち着いて、父さんだよ」
父さん、さすがに自らお忍び名人と言うだけあって変装は完璧だった。ティーアが父さんと認識できないくらいに。
今、ぼくたちの前にいるのはでっぷりと太った見知らぬおっさんだ。どこからどう見ても、悪代官かそれに付き従う商人って感じ。あの精悍な顔は見る影もなく、脂ぎった様子の、下卑た顔が張り付いている。物理的に。
21世紀の技術を見慣れたぼくは、さすがにそれが作り物だということはわかる。けれど、この世界の技術的に言うとこの特殊メイク、かなりオーパーツじみた造りこみだと思うぞ。ティーアがびっくりしたのも無理はない。
「父さん……本当に変装得意なんだね……」
「はははは、だろ? こう見えて、他国の王宮に間者として潜り込んだこともあるんだぜ」
「すごいや」
息子に褒められるのがよほど嬉しいのか、父さんは腰に手を当ててがははと笑った。
今の見た目が見た目だけに、その「いつもの父さん」な仕草はさすがにちょっと似合わないけどね。
「……ティーア、大丈夫だって。父さんだって……ダメだこりゃ」
彼女にとって、今ここにいるのはまったく見知らぬ人なんだろう。ぼくの後ろに隠れて、恐る恐る顔を出している。声は変わってないんだけどなあ。
……ちなみに、ティーアのほうがわずかに高いです。
「父さん、一度目の前で変装解いてくれる?」
「ああ、そのほうがよさそうだな」
苦笑しながら、父さんは顔に手を当てた。そして、どこぞの怪盗三世みたいに顔をはがした。
そこから出てきたのは、もちろん父さんの顔だ。白髪交じりの黒髪は、変装に合わせてあるのでぼさぼさになってはいるけど、澄んだ黒目の間に走る向こう傷と、たくましく日焼けした顔つきは見間違えようもない。
「とーさま!?」
「そうだよ、父さんだよ」
それを見て、ようやくティーアは納得したらしい。ぼくの後ろから出てきて、今し方父さんがはがした顔をしきりに気にしている。
それを改めてかぶりなおして、父さんは言った。
「うし、それじゃあ行くとするか」
「うん」
「はーい」
こうしてぼくたちは、母さんやフィーネ達に見送られて家を出た。
ちなみに、ぼくたちも普段とはかなり違う格好をしている。いつもなら、質は良くても飾り気の少ない、一見すると高級品には見えないものが我が家では使われている。
けれど、今着ているのはどこからどう見ても高級品と丸わかりなものばかりだ。成金という言葉を体現したような服、といえばいいかな。父さんの格好から考えると、コンセプトは成金商人一家、って感じか。
ティーアは、そのやたらめったら派手な服に目を丸くしていたけどね。
閑話休題。
家を出たぼくたちは、道に沿って丘を降りていく。道の両脇は見たこともない木がきれいに整列していて、果樹園みたいだ。
「父さん、あれは何?」
「あれか? あれはパンノキだ」
「パンの木?」
「お前らも食べてるパンな。あれの材料になるんだ。だからパンノキ。実からな、中身を取り出して乾燥させて、石臼で挽いて粉にするんだ」
「ほえー、じゃあとっても大事な木なんだね……」
元地球人としては、驚かずにはいられない説明だった。
なに、この世界って麦が存在しないの? 毎日のようにパンを食べてたけど、味のほうは普通にパンだったから、絶対ヨーロッパの田園風景みたいなのがあるんだろうなって思ってたんだけど!
まさかの果樹園である。魔法、言葉に並んで、異世界に来たんだと実感させられる代物だった。
歩きながら、木を眺める。高さは2メートルちょっとかな? というものが多い。成っている実は黒く、大きさは夏みかんくらいって感じかな。丸くて、表面はつるつる。光が反射して、光沢がある。正直なところ、前世におけるGを思い出す見た目だ……。
「おやー、旦那お出かけですかいー?」
そうやって歩いていると、居並ぶパンノキの間から出てきた男性が声をかけてきた。顔はすっかり日焼けしていて真っ黒。けれど、父さんと同じく身体つきや顔つきはたくましく、なかなかの実力者だろうと思われた。その背中には籠が背負われていて、中にはパンノキの実がたくさん入っている。
「おうー。息子が本が欲しいって言うんでな、ちょっと街までだ」
「おやおや、いつもの親バカで?」
「この、いつもいつもそれで流しやがってからに」
「いえいえ、そんなことは。将来が楽しみじゃあないですか。ゆくゆくは……」
「さあ、そいつはわからねーな。俺みたいに後がなくなれば話は別だが、今のところはな……」
小作人と思われる男性と、ざっくばらんに会話する父さんの姿はちょっと新鮮だった。
家にいる時も、使用人に対して偉ぶったりはしない人だけど、外でもこうとは……。使用人の態度から言って、身分がある世界だとは思うけど、父さんはそういうものにはあまり頓着しないのかも。
「父さん、この人……」
「ああ。うちの畑を任せてる、ドックだ。俺のこの変装姿を教えてある人間の一人だから、安心しろ」
言いながら、父さんはにやっと笑う。
それから、ドックさんがぺこりと頭を下げて改めて名乗る。
「初めまして、セフュード様、ティーア様。ドック・パニーカと申します」
「セフュードです、よろしくお願いします。セフィで構いませんよ。……ティーア、ほら、あいさつだよ」
お辞儀を返したぼくに反して、ティーアはまたしてもぼくの後ろに隠れてしまう。どうにも、人見知りする性質らしい。……いや、これくらいの子供は普通なんだっけ?
「……ごめんなさいドックさん。妹はどうも人見知りする子で」
仕方ないので代わりに謝ると、ドックさんは目を丸くした。
「いやいや、セフュ……セフィ様は大変聡明と旦那からは聞いてましたが、こりゃ本物だ」
「だろ? やっと信じたな」
くくっと笑い、父さんがドックさんの肩を組んだ。その様子は、これから相手を(金銭的な意味で)丸裸にしようと企む悪の商人に見えるけど。
「ところで、今年の収穫はどうだ?」
「ぼちぼちってところですかね。ただ、やっぱり実のほとんどできない木がちょくちょくあるんですよねえ……」
「うーん、やっぱりそれは避けられねーか。それを差し引いてもぼちぼちってんなら、すぐに気にする問題でもないが……」
「え? それって隔年結果じゃないの?」
話の内容に首を傾げるところがあったので、ふと口を挟む。
すると、二人分の視線が集まった。
「どういうことだ、セフィ?」
「えっと……ドックさん、その実ができないっていう木、去年は普通に実ってたんじゃないです?」
「あ、ああ……そうですけど、なんでわかるんで?」
「あー、じゃあやっぱり隔年結果だと思います。1年おきに実りが偏る現象ですけど、栄養状態の管理をしてないからじゃないかな。ひょっとして、摘果してないんじゃないです?」
「「てきか?」」
父さんとドックさんがハモった。
……まーじーで? この世界、摘果の概念まだないの?
「実った果実すべてを成熟させると、木にはそれだけ負担がかかるんです。長距離を全力疾走させるみたいな感じで。だから1年おきに実りが偏るんです」
「な、なるほど……? し、しかしそれではどうしようも……」
「ああいや、簡単ですよ。密集してる実とか、生育が遅れている実なんかは、あえて間引いちゃうんですよ。そうすると全体に負荷をかけないので、毎年ある程度安定した収穫ができるはずです。それに、残された実に栄養が行くので、質や大きさが向上するはずですよ」
ぼくの説明に、二人はそのまま絶句した。その顔に、「その発想はなかった」って書いてある。
……言ってから思ったけど、地球の常識がこの世界で通用するかな? これだけ大見得切っておいて、やっぱダメでしたってなったら死ぬほどかっこ悪いぞ。
「ドック、来年はその、……てきか? を試してみるぞ。覚えたな?」
「はい!」
しかし話は既に進み始めていた。……開き直るしかなさそうだ。
……で、えーっと? なんで後ろのティーアさんが誇らしげなんですかね?
「にーさますごーい!」
ああそういう。
ただね、ティーア。ぼくはさすがですわお兄様系の実力者ではないんだ。ただ、前世の記憶があるだけなんだ。あまり過度な期待はよせないでおくれ。
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その後ドックさんと別れたぼくたちは、さらに一つ防壁(いわゆる城壁というより、多くは柵で囲った簡易の)を出る。ここまでが我が家の敷地というから怖い。広すぎんだろ……うちは一体何者なんだ。
その直後に、父さんが「ここからは走るからな」と言ってぼくたちを抱え上げて走り出した。
方向は道なりではなく、直角に道から外れて山に向かい、それから山に沿って移動、さらにたどり着いた城壁(こちらは立派な城壁だ)を跳び越えて(ガチ)、それからその壁に沿って移動して、見えてきた城門から改めて中に入ると言う、気の遠くなるような遠回りだった。
まあ、仕方ない。我が家はどうも道の最奥にあるみたいで、うちに続く道から来たら我が家の関係者ということがばれちゃうのだ。それじゃあせっかく変装した意味がない。
ただ、父さんの移動速度が半端じゃなかった。前世じゃ高速の乗り物に乗ることがあまりなかったんだけど、少なくともサラブレッドより速いのは間違いないと思う。振り落とされないようにするのに精いっぱいだった。周りの景色を見る余裕なんて、もちろんなかった。
なお、それすらも父さんの巧みなマナ使いで、見事な安定性を実現していたんだけど……さすがにそれに気づいたのは、街が近くなって速度がある程度落ちてからだった。
この世界の人間がおかしいのか、父さんがおかしいのか……。あ、ちなみにティーアさんはジェットコースターで大喜びするタイプの人種だと思います。
ともあれ、ぼくたちは無事に街に着いた。うちの敷地を区切っていた柵と同じくらいの防壁が周囲を覆っている。その中にはいくつも建物が並び、この世界ではいまだ見たことのない数の人が行きかっていた。
「うわー、すごい! にぎやかだねー!」
「だねー!」
「おいおい、これでもシエルで一番小さい街の一つだぞ」
うそーん。シエルが最貧国ってことを考えると、セントラルの都なんて一体どうなるんだろう……。
「父さん、ここはなんていう街?」
「ん? エアーズロックの元町、だな」
どこのオーストラリアだ。
「元町?」
「ああ、さっきくぐったでけえ城壁があったろ? あれで囲まれた地域をまとめてエアーズロックっていうんだ。んで、その中にいくつかの街が点在してるんだが、ここはこの地域の代官所がある場所、だから元町だ」
「ははー、エアーズロック県元町って感じなんだね」
「けん?」
「ナンデモナイデス」
要するに県庁所在地ってことなんだろうね。なるほど、思ったより行政の形態は日本に近いのかも。
街そのものを覆う壁がさほど頑丈ではないのも、一つの大きな城壁がその外を囲んでいるからなんだそうだ。城壁外には危険な生物も多いけど、中はほとんどそういうものはおらず、せいぜいが家畜を狙う野生動物程度らしい。
ちなみに歩きながら聞いたけど、「エアーズ・ロック」ではなく「エ・アーズ・ロック」らしい。刃金の眠る土地、って意味なんだとか。紛らわしいわ。
「思ったより平和なんだね」
「まあな、うちは建国以来戦争で攻め込まれたことがないからな」
「え、でも最貧国なんでしょ?」
「セフィ、それは違う。最貧国『だから』だ」
うん? どういうことだろう?
「要するに、シエルは他の国にとって、占領する価値のない国なんだよ。資源はない、特産品もない、穀倉地帯でもない。しかも国土の大半は高原で、攻め込むには手間がかかる。地形の関係で拠点と拠点も相当離れているから、進軍もままならない。
そんな国のために戦争なんて言う外交の切り札を切るような国なんていない、欲しい土地は他にいくらでもある……そういうことだ。費用対効果にあわねーのさ」
「そ、そんなにうちって貧しいの?」
「いや、貧しいというか……んー、まあそうだな。国土の割には耕作に適した土地も少ないからなあ……」
「戦争で切り取るより、生活物資をほどほどの値段で売りつける輸出政策してたほうが得、ってことね……」
どうやら我が国は、地球で言うところの北の将軍様の国みたいな土地らしい。それって、漫画のための技術が手に入らないってことじゃないの……。
とはいえ、街並みを親子三人で歩いていても、街の様子に悲壮感や貧しさは感じられない。人々の顔には笑顔があって、どこを見てもにぎやかだ。
確かに服や道具は粗末だし、飾りっ気もほとんどない。それでも、ここに漂う平和な雰囲気は、前世の平和すぎた日本をどことなく思わせた。
この雰囲気なら、漫画のような娯楽を楽しむだけの精神的な余裕はありそうだ。
「つまんない」
ぼくが前世に思いをはせていると、ティーアがすねたように言った。
そうだね、確かに5歳児がする話じゃなかった。
「ごめんごめん、つい話し込んじゃったよ」
「ああ、うむ。セフィは大人顔負けだからな……」
けれどティーアはそっぽを向いたままだ。仲間外れにされたのがよっぽど気に障ったんだろう。
「ティーア、ぼくが悪かったよ。帰ったらこの間の続き話すからさ、機嫌直して? ね?」
「……ほんとう?」
「もちろん!」
「……じゃあ、ゆるしてあげる!」
ふう、チョロいもんだぜ。そのきれいな顔をフッ飛ばして……おっと、これは違うな。途中から世界一の殺し屋が混ざった。
ともあれ、ころりと態度を変えたティーアは、にーさまだいすき、と言いながらぼくに抱きつくのだった。
……チョロいとは言ったけど、妙な取引を覚えないようこの手はあまり使わないほうがいいかもしれない。
「いいなあ、俺もセフィの話聞きたいぞ」
「とーさまはだめー」
ショボーンの顔文字みたいな顔してすねる父さんは、うん、めんどくさい大人だな。
基本カッコいい人ではあるんだけど、たまにすごい子供っぽいというか。それでいいのかあんたって思う時がちょくちょくあるんだよなあ。
「あ、ごめん」
そんなことを思っていると、突然父さんがそう言って足を止めた。
何事と思って同じく立ち止まって彼を見上げれば、
「店、通り過ぎちまった」
そんなことを言うので、ぼくはドリフよろしく盛大にずっこけるのだった。
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回れ右して少し。父さんに連れられてぼくたちが入ったのは、雑多な表通りから脇に入った裏路地だった。
するとその瞬間、街並みの様子がガラッと変わる。
今までは粗末ながらも活気にあふれ、明るい雰囲気だったけれど、そこは人気が少なく、また行き交う人の顔にもあまり生気が感じられなかった。彼らのいでたちは表通りのそれよりもはるかにみずぼらしく、一目見て貧困層だと言うことがはっきりとわかる。
そんな彼らの視線が、ぼくたちに集まる。当然だろう、今のぼくらの格好は、とてもここに似合うとは言えない。中には、あからさまに警戒や敵意を向けてくる人もいた。
なるほど、母さんが警戒するわけだ。もしこんなところに子供が迷いこんだら、どうなるかわかったもんじゃない。
ぼくはそっとティーアの手を取ると、離れないように身体を寄せる。それから、父さんからはぐれないように空いた手で父さんのズボンをつかんだ。
「……誰もが富めるわけにはいかないんだね」
「来るたびに力不足を実感するよ。元町でこれだからな、他はもっとひどいぜ」
小さくそう交わして、それからぼくらはもう何もしゃべらなかった。
貧富の差か……難しい問題だな。もしかしたらあの中には、それよりもさらに下の人もいるかも知れない。端的に言って、非差別階層とか。
現代日本人の記憶を受け継ぐぼくにとって、そんな立場はなくて当然と言う意識だし、すべての人に人権を認めることは原則だ。人は誰もが、幸福に生きる権利があるのだから。
けれど……この世界はまだ、そんな段階には至れていないのだろう。もしかしたら、表現の自由もないのだろうか? 王室に不利益を与えかねないものは、すべて検閲されているのだろうか?
国における物質を満たすことは、人の一生を費やせば可能だろう。それは日本の高度経済成長期を見ればわかる。けれど、精神を満たすことは……。
ぼくは改めて、漫画家をやる前にすることの多さにめまいを感じた。
「ここだ」
父さんの声で、ぼくは我に返った。
どこをどう通ってきたか定かではないけど、ぼくたちはやや開けた広場らしきところに来ていた。そして目の前には、傾きかけたあばら家。
こんなところに魔法書が?
首を傾げるが、父さんがここだと言うのだからここなんだろう。ぼくはそのまま連れられるままに、その家へと足を踏み入れた。
「おや……久しぶりに見る顔だね」
中に入ってすぐ現れたのは、左クリックでひたすらクッキーを量産し続けるババアみたいなおばあさんだった。
しわが刻まれたその顔には、相応の時間を生き抜いてきたもの特有の迫力がにじみ出ている。格好がいかにも魔法使いを思わせるローブが、それに拍車をかけている。
目を引くのは、額をまるごと覆うハチマキだ。グレーのそれには、神々のトライフォ……もとい、北条家の鱗紋に似た文様が金色で刺繍されている。
「おっすババア、まだ生きてたか」
「あんたの葬式見るまでは生きてるさ」
「相変わらず口の減らねーババアだ」
歳のせいかさすがにしゃべりはゆっくりだが、呂律はしっかり回っているし、目にはいきいきとした光が宿っている。
この人が、元気に生きていることは間違いないだろう。
……ティーアさん、怖くないからね。あんまり抱きしめないでおくれ。
「そっちのガキどもはあんたの子かい」
「おう、セフィとティーアだ。特にな、セフィは全世界を揺るがす天才だぞ」
父さん……言いすぎだよ……。
「前々から親バカとは思っちゃいたが、どうやらあたしの見立て違いだったようだね。あんたぁただのバカ親だ」
「これを見てもそんなことが言えるかな? セフィ、読んでみろ」
自信たっぷりに笑いながら、父さんは人差し指を立てながらぼくに振り返った。
その指の上にマナが広がり、とある形を取る。それは文字で、
「『くたばれババア』……って父さん何言わせるの!?」
思わずハメられたぼくだった。
「ほう……もうマナが見えるのかい」
「そういうことだ。っつーことで英才教育をと思ってな、何か魔法書をおくれ」
「それが人にものをねだる態度かね」
ドヤ顔で言いきる父さんを、おばあさんがじろりと見やった。
まあうん、本当に人にものを頼む態度じゃないよね。
「ったく。あんたら、こんな大人にだけはなるんじゃあないよ」
「はい、そのつもりです」
「セフィィィ!?」
父さん、日ごろの行いがモノを言うんだよ?
「で。メン=ティの魔導書でいいのかい」
「んあ……ああ、おう。ティライレオル式で頼む」
「なんだい、けち臭い。あんたの懐具合なら、カルミュニメル式も買えるだろう」
「ちちちちがわい、初心者向けを選んだだけだい」
父さん、キャラが行方不明になってますよ。
足りないんですね? 手持ちが足りないんですね?
「はっ、そういうことにしとこうかい。ほれ、ティライレオル式大全」
「ババアァァーッ!? 最高級品出してくんなよ! 初心者向けっつっただろ!?」
「ケケケ、うちにあるのは大全か極大だけだよ。わかったらさっさと払いな、特別に大金貨七枚にまけてやるから」
「く、くうううっ、ええい、持ってけ泥棒ーっ!」
そう叫ぶと、父さんは半泣きになりながら一枚の青く輝くコインを、おばあさんの手のひらになかば叩きつけるようにして渡した。
「蒼金貨一枚、確かに。あいよおつりだ、まいどあり」
入れ替わりで大きな金貨三枚と、あまり厚くはないけどやたらでかい本を渡された父さんは、漫画のような滝涙を流しながら、なおも渡した白金貨とやらを恨めしそうに眺めていた。
が、やがて恋人に振られたメロドラマのワンシーンみたいに、たたらを踏みながら外に飛び出していく。
「くそーっ、相変わらずの強欲ババアめ! 早くマティアス様に連れていかれればいいんだ!」
そんな捨て台詞を残しながら。
ああいう大人にはなりたくない。
ちなみに、マティアス様とはこの世界で信仰されている死神のこと。つまり、遠回しに「死んじゃえ」と言っているわけだね。
「やれやれ、何歳になっても坊ちゃまは子供みたいだねえ。親になって久しいっていうのに」
けれど、そんな父さんを見送ったおばあさんの態度は、それまでと打って変わって優しい雰囲気に満ちていた。
その豹変ぶりに、ぼくは思わずそちらへ目を向ける。
「セフィ坊や、ティーア嬢ちゃん。あんな威厳の足りない父親でも、大事にしてやるんだよ」
「……はい。孝行のしたい時分に親は無し、って言いますしね」
「坊ちゃまの子とは思えないね、あんたは……」
「そういうあなたは、父さんとはどういうご関係ですか? 父さんは誰にでも気さくですけど、あなたには特にあけっぴろげに自分を出していたように見えましたけど」
「そいつは、父親に聞いたほうがいいね。長い話になっちまう」
「……わかりました、そうします。では、ぼくたちもこの辺りで」
それだけ交わして、ぼくはぺこりと頭を下げてそこを後にした。ティーアもそれに従わせる。
「……父さん?」
外に出てみると、父さんは周囲をきょろきょろと見回していた。どうしたのかと思ってぼくもそれに従う。
そうしてみると……周りには十人ほどの男が倒れ伏していた。素行のよろしくない類の人種だろうことは一目瞭然で、いわゆるチンピラに分類されそうな人たちだ。けれど、彼らはみんな一様に白目をむいて気絶している。よっぽど怖い目に遭ったのだろうか。
「首筋、もしくは鳩尾に一発。よっぽどの手練れの仕業だ」
「……死んでるわけじゃ、ないよね?」
「ああ。しかしだ、こんなところでそれだけの手練れがうろついている理由が見当たらない。一つくらいしかな」
ぼくは思わず口をつぐんだ。その「一つ」に心当たりがあったからだ。
「帰りはもっと気を付けたほうがよさそうだな」
そして、そう結論付けた父さんに、ぼくは頷く。
彼の顔は、紛れもなく強者のそれだった。
当作品を読んでいただきありがとうございます。
感想、誤字脱字報告、意見など、何でも大歓迎です!
異世界転生物らしいことをようやくやれた回のような気がします。
これもちょっとした技術チート……と言い張るには少しインパクトが足らないか。