◆第54話 超古代文明の謎
藤子には、特殊な日課がある。
自己鍛錬ではない。それは一般的な日課であり、彼女でなくとも行うものだ。
「よっと」
歓待の宴も終わり、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まったインティスの夜。藤子は、街の中心にある借り宿の屋根に上がってぐるりと周囲を見渡した。
真夜中であっても、霊石が建材の中心になっているこの街は、淡い光が随所に漂っている。しかしそれは、鬼気迫る人魂のようなものではない。どちらかといえば、柔らかく暖かい、炎のような光だ。
「……炎、か」
薄い表情を浮かべて、藤子は己の右目をそっと手のひらで覆った。ずれた袖口から、手首にあてがわれた漆黒の腕輪が静かに煌めく。
そうしてそのままそこにしゃがみこむと、しばらく身動きせずに黙り込んだ。
それがどれほど続いただろうか。彼女は後ろに人がやってきたのを感知して、ようやくその姿勢を解いて改めて立ち上がったのであった。
「お主か」
「うむ」
緑とも黄色ともつかぬ鮮やかな頭髪を持った巨躯の老爺――この街の長、幻獣ペリドットドラゴンのシイルだ。
「外に出てきたのが見えたと思ったら、屋上にまで上がっていったものだからな。気になったのだ」
「……ふ、そうじゃな。普通であれば、とうに日の落ちたこの時間はものみな眠りに着いておる頃合いじゃのう」
シイルに言葉を返しながら、藤子は空を仰ぐ。不自然なまでに丸い月が、彼女の真上で単調に輝いていた。
その隣にシイルが立つ。
「問おう。ここで何を?」
「……星詠みを」
「……それはどういう?」
再度問われた藤子は、視線を落とすことなく口を開いた。
「星の動きを、位置を調べ、記録するのじゃよ」
「そんなことをして、何になる? そもそも、この空間の空は」
再三の問い。それを受けて、藤子は自嘲気味に笑った。
「ふふ、そうじゃのう。確かに、この世界では何の意味もない行為じゃな。特にこの空間の空は、本物の空ではない……」
そして今度は視線を下げると、そのまま眼下に目を向ける。
そこには、壁にはりついて息をひそめながら、耳をそば立てる弟子が2人ほどいるようだ。思わず、くすりと笑みが漏れる藤子。
「しかしな、幼い時分より毎日こなしてきたことじゃ。異世界に渡っても、その習慣は抜けんのじゃよ。何より、帰った時にこの腕が鈍っていては目も当てれらぬしのう」
「なるほど」
そこでシイルは、ようやく納得したように数度頷いた。
そう、これが藤子の日課である。
夜毎に空を眺め、そこで繰り広げられる天空の演舞を眺め続ける。その様は毎日微妙に変わり続け、やがて1年でほぼ元通りになる。しかしその移り変わりを知ることは、記録することは、彼女にとって重要なことであったのだ。
「地球には……世界を蹂躙する邪神とその眷属が常に跋扈しておった。しかし連中の活動は、活発になる時と鈍化する時がある。その目安となるのが星の状態であったのでな。この星がここにある時は、これが。というように……。それを見極めて、なるべく被害を抑えるためにも、観察と記録は何より重要であった……」
「邪神、か……。我々にとっては、それは神話でしか語られぬものにすぎぬが……」
「左様よ。なればこそ、この世界で星詠みなぞはする意味はないが、な……まあ、先にも言うた通り癖のようなものじゃし、技術の維持のためもある……それに」
そこでもう一度、藤子は笑った。意味ありげに、そしてやはり自嘲するように。
それから再び空に目を向けて、その揺れる瞳で月を見た。
「夜のしじまに一人埋もれながら、物思いにふけるのも悪くはないものよ」
それは、どこか空虚な響きを帯びていた。
シイルはそれをうっすらと感じ取ったようで、すっと目を細くする。しかしそれについて言及することはなく、しばらく場は沈黙が支配することになった。
が、それに耐えられなくなったのか、藤子がそれを破る。
「時にシイルよ」
「何か?」
「何故幻獣たちはかような場所にこもっておるのじゃ? 何も亜空間の中に閉じこもらずともよかろうに」
「……先ほども思ったが、よく亜空間だとわかったな?」
「わしは元々、結界と空間の魔法の専門家でな」
「なるほど。しかし、ふむ。何故……と、問われればそうだな……かつての罪故に、となるか」
「ほう?」
興味深い返答に、藤子は身体ごとシイルに向き直った。
今度は、シイルが月を見上げる番となる。
「我ら幻獣は先史時代、人間と変わることなく共に現実空間で生きていた。それは4000年に至り、世界は大いに栄えていたものだ……目指すべき技術の完成形が夢物語ではなくなり、さらなる繁栄を極めようと、誰もがそれに向かって……」
月を写す彼の瞳は、過ぎ去った景色を見ているかのように焦点が遠い。
階下では、セレンと輝良が息をひそめて次の言葉を待っているようだ。
「ふむ……先史時代と言えば、科学と魔法が融合した高度な文明があったようじゃが。それは幻獣も交わってのことであったのか」
「いかにも。人が受け継ぎ、考察し、構築した科学。幻獣が受け継ぎ、考察し、構築した魔法。先史時代とは、それらによって成り立つ文明だったのだ。我々は、それをエルフィア文明と呼んでいた……もはやその名を知る者はほとんどいないが」
「……やはり、滅んだのか?」
ずばり聞いた藤子に、シイルがゆっくりと、しかしはっきりと頷いた。
「……ある日突然、エルフィア文明は滅んだ。何の脈絡もなく、そしてあっけなく……。……いや、当時我はまだ赤子であったため、真実はもう少し段階を踏んでいたかもしれぬが……それでも詳細を語ろうとする者はいなかったのでな」
「うん? 先史時代から生きておるのか、お主? ということはこの空間、時間の流れが外と違うのか」
「いかにも。この街……いや、幻獣が住む空間はいずれも、現実の空間に比べて時間の経過が遅い。およそ8分の1といったところか。エルフィアが滅んでおよそ600年、新たな歴史が始まっておよそ300年だが……我はいまだに存命している」
「やはりか。ということは、この街に限らず幻獣の街という空間は……新たに生まれる幻獣を保護する自治体ではなく」
「エルフィアの末裔を隔離するための、檻だ。我々はあの日、神々によって世界中の各所にバラバラに縛られたのだ。そして、召喚魔法の技術を身に着けたもの以外は立ち入ることができぬようにした。全ては、文明を滅ぼした贖罪のため……と聞いている」
「……お主ら、一体何をしたのじゃ? 文明が瓦解することは、別段珍しいことでもない。しかし介入権を行使しうる神々がいるとはいえ、これほどあからさまな介入を受けるのはなかなかないじゃろう」
「我も詳細は知らぬ。世界を滅ぼす兵器を押し広めた代償、としか……」
「……ニャルラトのようなことをしたのじゃな」
己が戦ってきた邪神のことを脳裏に浮かべて、藤子は一人納得する。
地球世界に、知恵に追いついていない技術、核を流布させた邪神だ。それと似たようなことをしたのならば、確かにこの仕打ちもやむなしだろう。
幻獣と言う種族全体が負っているのは、いささか徹底が過ぎる気もするが。
「しかし……ふむ、この世界の幻獣と召喚魔法の関係は、そういうことじゃからなのかのう」
あごに手を当て、藤子は思考を巡らせる。
この世界の召喚魔法は、藤子が地球で見知ってきたものとはかなり勝手が違う。対象を完全に呼び出すことができないのである。
それは時空に属する魔法が未発達だからだと藤子は考えているが、ともあれ召喚で呼び出せるのはあくまで対象の「魂」だけ、というのがこの世界の召喚魔法である。
召喚者は他者の魂をその身に宿すことで、自己の能力を爆発的に上昇させることで他を圧倒するのだ。そのため相応の戦闘技術が求められる高度な職が召喚士であり、彼らは魔法使いでもあり、戦士でもあるというのがこの世界の認識である。
この魔法はどんなものにも使うことができ、極端な話をすると、戦場に集めた兵士の力を1人に集めるという使い方も可能(もちろん非人道的とされている)だ。けれども、契約を結んだ幻獣を呼び出すことが一般的である。
そして多くの場合、召喚士は各地に潜んでいる幻獣を見つけ、対話をすることで契約する。しかし、運よく幻獣の街を訪れることができた召喚士は、これよりもさらに強力な幻獣と契約するチャンスを得ることができる……。
「……強い幻獣と契約したくば、幻獣の街を探すべし。魔法書にはそう書かれていたが……それはかつての超文明の生き残りがいるからか」
「左様、失われた技術は今の技術を凌駕しているからな。しかし、かなりの数の幻獣が、あの滅びの日と共にこの世界から消えているから、一概にそうは言えぬ。
それに、消えた者は主に文明の発展に深く寄与していた実力者たちであった。赤子の我を見込み、将来の長とせよとおっしゃってくださった先代幻獣王様も……。
かくいう我がペリドットドラゴンも、もはや我1人しか残っておらぬ」
「そうか……ふうん……まあナルニオルは見るからに『怒らせると怖い』タイプじゃったからな……」
「……そうなのか」
「うむ……爽やかな笑顔の似合う元気そうな快男子であったが、……あれはそういう口じゃろうな」
異世界人に気さくに話す主神の姿を思い出しながら、藤子は苦笑した。
とはいえ、手当たり次第に女に手を出すどこぞの主神に比べれば、ナルニオルのほうが主神には相応しいのかもしれない。ナルニオルが女たらしでないという確証はないが。
「……なれば、結界から抜け出すような行為はやはり慎むべきか……」
「やはり出たいのか?」
「然り。この空間は極めて狭いのだ。血も濃くなってきていて、数も減り始めている。我々は少しずつ滅びに向かっている……。だからこそわずかな望みをかけて、外に出る機会となる召喚士との契約を欲している。故に、あれほどの歓待をするのだ」
「……なるほどのう」
先ほどまで行われていた自分たちに対する宴は、確かに街全体を上げての盛大なものだった。
契約を結ぶつもりなど欠片もない藤子は、その手の話はすべてあしらっていたのだが、その気のある人間だったら、引く手あまたの状況に相当気が緩むだろう。まして酒が入ればなおさらである。
そしてこの状況を聞いて、藤子は「あしらっておいて正解だったか」と思う。
世界を救う男、セフィを補佐せよと言われ、しかしそのためにどうすればいいかの具体的な話を一切聞かされていない現状。しかしそのセフィ、魔王だの邪神だのを倒すような勇者には見えない。彼がやろうとしていることはひたすらに、技術革新と漫画製作でしかない。
このため、彼が生み出す技術や文化が恐らく世界を救うことになるのだろう、と藤子は踏んでいる。だからこそ、今は失われている技術、あるいは知識、文化を多少なりとも残す存在がいるならば、力を貸してもらいたいとは思っていた。
しかし、彼らがかつて神の逆鱗に触れていることを考えると、彼らを解き放つことはむしろ、世界の滅びにむけて傾けることになりかねない。
ナルニオルに告げられた滅びの時は300年近く先だが、地球の科学知識を持つセフィがいれば、そこに至るまでの技術ジャンプが起きても不思議ではないだろう。そしてその過程で、世界を滅ぼすような兵器が出来上がる可能性は当然、否定できるはずもない。
(あるいはセフィが世界を救う、というのは、そうした技術が開発されるのを防ぐ、という意味なのかもしれんな)
そう考えて、藤子は今後のことを思案する。
ひとまず、結界諸々に関わることに首を突っ込むことは、しないことにしようと決める。
その上で、得られる知識は全てもらい、あとは今までと変わらず適当に街を出ればいいか……。
(はっ、なんのことはない、今まで通りではないか。ま、難しく考える必要はないか)
内心でひとしきり笑った後、改めて口を開く藤子。
「……ではシイルよ、わしらは3日ほど滞在しよう」
「うむ……長居はできぬだろうな。現実との時間差が広がるばかりだ」
「左様。その間になるべく、幻獣やエルフィア文明について徹底的に調べさせてもらおうかのう」
「よかろう。我も各所に手をまわしておく」
「あとは……そうじゃな、そこにいる莫迦弟子どもの、ちょうどいい稽古相手を見繕っておいてくれるか」
くく、と笑う藤子に、隠れていたつもりの2人が息をのむ。
それから、「ほら見ろ」「だってだって」とかいう声が聞こえてくる。
それを聞いて、シイルもほとんど変えなかった顔に薄く笑みを浮かべた。
「ふ、よかろう。請け負った」
すると直後。
「お手柔らかにお願いします!」
「死なない程度で……!」
そんな声が飛んできたので、思わず爆笑する藤子だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
幻獣の街は精神と時の部屋の逆バージョンみたいな空間ですね。
端的に言えば竜宮城というか。ここでうっかり数年過ごそうものなら完全に浦島太郎でしょうね。そんな経験をした召喚士ももしかしたらいたかもしれません。




