◆第53話 幻獣の街
「その前に」
道を開けられても微動だにせず、藤子はシイルに告げる。
「2つほど言っておきたいことがある」
「なんなりと」
「まず、無理に敬語を使わんでよい。幻獣……特に竜種と呼ばれる連中に敬語と言う概念が希薄であることは、ものの本で知っておる」
「……感謝しよう」
藤子の言葉に、間髪入れずシイルが頷いた。ただし口調とは裏腹に、その仕草自体には敬愛の念がある。わからないものには一生わからないかもしれないが……。
「それから、わしの出自や正体については誰にも告げんでくれ。後ろの2人にも秘匿しておったのをここで暴露されたは、わしの落ち度でもあるが」
「理由は?」
「一番の理由は、わしの存在そのものがこの世界にとって異分子であるが故に」
そこで藤子は一度言葉を区切った。そして、大きく息をつく。
その後ろで、セレンと輝良がごくりと生唾を嚥下した。
「……さながら、体内に入った病の素のようなもの。わしがいるだけで、その場所は相応の傷を受けることになる。そしてそれは、わしが派手に動けば動くほど激しくなるのじゃ。故に自重せねばならん」
続いた言葉に、弟子2人は同時に心中で同じ言葉を叫んだ。
どのあたりが自重してるの?
――と。
「……なるほど。人に知れ渡れば、より大きく動かざるを得なくなると言うことか」
「左様。それに何より、わしは確かに滅びに傾きかけた世界の天秤に均衡をもたらすために呼ばれたが、本命ではないのでな」
「ほう?」
「救い主とされる者は、わしともう1人。本命はそやつじゃ。詳細は後ほど話すが……おまけのわしよりも、讃えるべきは他にある故、あまりわしに構わんでくれてよい、ということじゃな」
「なるほど。ではその件については、街を預かる我が責任を持って対処しよう」
「感謝する。……では、引き止めて悪かったな。中へ参ろう」
「うむ。案内しよう」
こうして藤子たちは、幻獣の街へと足を踏み入れることになった。
その際に、
「セレン、輝良。わしのことについて思うところがあるじゃろうが、しばし待て。いずれ説明する」
そうセレン達に告げることは忘れない。
もちろん、手綱を完全に握っている藤子に逆らう2人ではない。半ば条件反射じみた了承を返し、あれこれと考えていた思考をそこで遮断したセレンと輝良であった。
さて、幻獣の街インティス。その全体が、結界によって覆われていることを一目で看破できる人間はそうそういないだろう。まして、その効果まで読み解ける人間となると、ほんの一握りと言っても過言ではない。
が、藤子はその一握りである。そこにある結界の姿も、効果も全てお見通しだ。
街を覆う結界。それは、幻獣に対してのみ人の姿を取らせるという幻影系の結界である。
それを証明するかのように、街に入った藤子たちに続いたシイルは、一瞬光に包まれたのちに人間の姿となった。
人型となった彼は厳然とした佇まいの老爺だったが、そこに年齢による衰えは一切感じられず、むしろ頑健な肉体を維持した彼は、立派な偉丈夫そのものであった。
なお、輝良は既に人に変化しているために、結界の効果は作動しなかった。人間だと結界に誤認させるだけの変化をできていることが嬉しかったのか、いつもと変わらぬ眠そうな目つきの割に、口元は緩んでいた。
「ほう、これが幻獣の街か……」
「すごー……なんか、ムーンレイスの都会とも違う感じ?」
「……様式が、全然違う。不思議」
シイルに連れ立った歩くインティスの街並みは、なるほど一般的な国々の街とはだいぶ趣が違う。それを、
(森の中の結界に隠れているという立地上、人間の文化や技術があまり入り込まず、結果独自の技術が発達したのじゃろう……)
と藤子は見た。要はガラパゴス化のようなものだ。
根拠は単純で、少なくとも外観の上ではレンガや木の類がまるで使われておらず、各種の霊石によって構築されているためだ。
使われている霊石は大きさも質も様々だが、そこに隙間は一切なく、継ぎ目もほとんど見られない。バラバラの石という状態が逆にうまく互いを繋げているだろう、堅固なたたずまいとなっている。
均一ではない石材を用いて組み上げられたそれらの家々は、日本の石垣を彷彿とさせる形だ。しかし石垣と異なるのは、屋根に至るまでがすべてそうした霊石のモザイクとでも言うような組み上げられ方をしていることである。実に精緻な技術だ。
またそれらの家々は、建材の霊石の力が干渉しあうことで中空に浮いており、その輝きと共に幻想的な雰囲気を醸し出している。家々に至るための階段もまた一段ずつ浮いている。
道のところどころを横切る小さな川は用水路だろうか。このかすかなせせらぎもまた、景色を描き出す一つの彩だ。これほど「ファンタジー」という言葉が似合う景色も、なかなかないだろう。
そんな街に住むのは、名前に冠している通り幻獣たちである。いずれも結界の力で人の姿を保っているため、ただ目で見ただけでは彼らの原型が何であるかは判別できない。
何せ、道の両端で、あるいは家の窓から、屋根から藤子たちを見ながら歓談に興じている姿は、本当に人と大差がないのだ。
その会話の中身も、人間がそこらの道端で交わすようなものと変わらないのだから、知的生命体が持つ相似性というものは不思議である。
「人間だ、久しぶりだね」
「召喚士はどいつだ? あのすらっとした青い子か?」
「それらしい気配は感じないぞ?」
「じゃああの魔人族……はなさそだな」
「そうだな」
「うん」
「なんか今、すんごい失礼なこと言われたような気がするんだけど!?」
漏れ聞こえる野次馬の会話に、思わずきょろきょろするセレンであった。
一方藤子は、どんな言葉が聞こえようが意に介さず、泰然自若に歩を進める。その目と心は、どんな些細な情報も逃さぬと見開かれており、事実それから逃れられるものはないだろう。
また輝良は肩身が狭そうに、そしてやや不愉快そうに顔をしかめた。元々、押しかけてくる挑戦者や求婚者から逃げるように生活していた彼女である。人の視線は、あまり得意ではなかった。
「……見られてる。落ち着かない」
「珍しいのであろうよ。元々召喚士はあまり多くないしのう……」
「トーコは召喚士って言っていいのかなあ?」
「大抵のことはこなせる故、召喚士でもある、が正しいかもな。もっとも、得意分野と言うわけではないが……」
「トーコが得意じゃない、とか、信用できない」
「同感だなあー」
「わしにも得手不得手はあるのじゃがな……」
たとえば創造の類とか、と付け加えて、左右から同時に「難易度の基準がおかしすぎる」とツッコミを受ける藤子である。
そうした調子で街の中を進み、たどり着いたのはあの外から見えていた教会風の建物だ。
近くで見ればそれは、周囲の建築物とは明らかに異なる。これだけは一般的なレンガ造りであり……いや、霊石による強化レンガが普及している昨今、ごくごく普通のレンガで組まれた家屋はほとんどないので、一般的とは言えないか。
また、その造形は他と同じく外で見られる様式ではないが、こちらは独特と言うより古いと言ったほうがいいだろう。
一見すると教会のようだが、現在各地でみられる教会とは、さまざまな個所で違いがあるのは特徴と言えるだろうか。
「さあ、入られよ」
シイルの導きで、その建物の扉が開く。
そのまま中に入る途中、ヴィニス語でも先史時代の古ヴィニス語でもない文字が刻まれたプレートが藤子の目に入った。
少なくとも、このアステリア大陸で使われている文字ではない。かといって、今まで見てきたあまたの異世界で見てきた文字でもない。
藤子は魔法使いであるがゆえに文字の解読は得意とする分野の一つではあるが、さすがに単語3つだけでは不可能。話者さえいればできなくはないが、それを探すことは、恐らく骨を折るだけで終わるだろう。
(しかし、どこか気になる。材料が揃ったら、そのうち解読してみるか)
そこまでを一瞬のうちに思考して、藤子はさも興味を失った体で中へと入った。
後に続いた2人も似たような仕草をしてから中に踏み入ったが、彼女たちの場合は単に「藤子がまた何かしようとしてるのか」といった程度の考えである。
「ふむ」
中の様子を見て藤子が最初に思ったのは、ここがやはり宗教施設だったのだろうということである。
扉をくぐった先は、ホールになっていた。その奥には、金色に輝く像が安置されている。背後にはやはり金色の、円をあしらった十字架が立っていた。さらに壁まで行けば、彩も鮮やかなステンドグラスがはめ込まれている。
地球の、強いて言うならばキリスト教の教会がこの雰囲気に近い、と言えよう。
それを知らないセレンと輝良は、まさに見たことのない景色に言葉を失っている。
「この街に宿はない。故に、稀に訪れる客人にはここを使ってもらう慣習だ」
「なるほど。……ちなみに、ここがいかなる場所か、尋ねても?」
「詳しくは。ただ遥かなる大昔、世界が今の形をなすよりも以前のもの、その全盛期の姿を写したものと聞いている」
「ほう……では神話時代のものか」
「定かではない。しかし、確かに文字は知らぬものばかりが使われているようだ」
そうか、とシイルに頷きながら、藤子はこの聖堂らしき空間の正体に思いをはせる。
歴史や神話を辿るロマンは、故郷地球では味わえなかった感情だ。故に、藤子にとって謎の解明は、良質のエンターテイメントとも言える。
恐らく、神々にここのことを尋ねれば答えはわかる。何せ、彼らは文字通り神話の時代から名を残しているのだから。
しかしそんなことはしない。それは、興を削ぐ行為に他ならないのだ。
「グランド王国の神話級ダンジョン、リルリラ大聖堂のモデルとも言われているようだが……」
「あそこには数えきれんほど足を運んだが、それらしい面影はないな」
「……やはりそう思うか」
「まあそれはともかく……わしらはここを自由に使ってもいいのじゃな?」
「そうだ。破壊の類は御免こうむるが」
「それはせぬよ」
くすり、と笑う藤子だが、その表情はどこか真面目だった。
「1階にある部屋は全て寝室になっている。好きな部屋を使うがよい。2階から上の部屋は、何故か1つたりとも開かぬ。よくはわからぬが、封印されているのかもしれぬ」
その言葉に、藤子がまた笑った。今度のそれは、いたずら小僧のような、好奇心に満ちた笑みだ。
「……試してみても?」
「構わぬ。因果から離れたトーコならば、あるいは」
「よし。逗留の間にあれこれ試してみるとしよう」
「もし開いた時は、我にも一報をもらえると助かる」
「うむ、そうしよう」
とんとん拍子で話が進んでいく。
まあ旅に限らず、平素から藤子の決定にセレン達が口を挟むことはないのだが。
「あれ、絶対よさげなおもちゃ見つけたって思ってるよね」
「……うん」
そうしてこそりとそう言葉をかわして、それぞれ内心で気合を入れる。
(トーコ、どう来るかな? 私たちになんとかして開けさせるかなあ? それか、トーコが開けて私たちがそこに放り込まれるとか……)
(トーコ、逗留って言った。なら、しばらくはここにいるはず……。封印を解くのに、アタシたちも駆り出される? それとも解いた後に?)
((……どっちにしても、きっと厳しい修行になるんだろうな))
大体考える方向も結論も同じな2人だったが、その思考回路はものの見事に自分たちがとんでもない目に遭うことが前提となって組み上げられている。
4年という時間、ひたすらしごき抜かれた彼女たちは相当に感覚がマヒしていると言えよう。セフィに言わせれば、恐らく「ある種の社畜」と答えるところであろう。
まあ今回については彼女たちの考えすぎで、
(神話の情報が断片でもあるのならば、ぜひぜひこの目で確かめねばな! かつての世界がどういうものであったのか……それを知ることは、いずれセフィに還元できよう。なればこれも、わしの仕事と言って差し支えあるまい)
と、セフィのサポートという己の分をまっとうするためには必要、という言い訳めいた言葉を心の中で呟くほど、藤子自身はあくまで探検家の気分でいたのであった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
なんだかんだで、「これぞファンタジー!」って風景をはっきりとは思い浮かばなかったりします。
そもそも定義のあいまいなものであるような気もしますけど、かといって行き過ぎた科学は魔法と区別がつきませんし?
個人的には、FF9のブラン・バルが一番ファンタジーな景色だと思ってますが。




