挿話 シエルの発明王
俺の名前はアクィズ・ユーディア・ハルアス・フロウリアス。
我ながら長ったらしい名前だと思うが、何分こう見えて、王族に属しているためどうしてもこうなってしまう。
ハルアスは同じくフロウリアスを名乗るグランド王家との区別に必要だし、ユーディアは世継ぎである王太子を内外に示すために必要。とまあかくなる理由で、俺の名前は面倒なのだ。
親しいものは、アキ、と呼ぶ。別に親しくなくても、それで構わないのだが。しかし最近は、やはり王太子には遠慮があるのか、かつて共に学び舎で寝泊まりした友人たちもこうは呼んでくれないのが少し寂しい。
それはさておき、俺は最近になって家族が増えた。まずは息子。俺にとっては初めての子であり、また俺のさらに次を担うであろう世継ぎの君である。
嬉しかった。それ以外に言い表せなかったが、とにかく嬉しかった。
男児は母に似る、と世間で言われている通り、息子は妻譲りの顔立ちをしていた。恐らく、成長すればさぞ美男子になることだろう。
瞳は、俺の血を受け継いでいたのかマルスオレンジだった。二代続けて神の寵愛をいただけることは、まったく光栄の極みだ。特にマルスオレンジは、他の色に比べると明らかに絶対数が少ない。きっと、この国の将来を任せるに足ることだろう。
息子には、シエルの守り神にして生と死を司る神、マティアス様にちなんでマーシュと名付けた。民を、家族を慈しむ優しい子になれば。そう、思った。
息子とは別に、もう二人家族が増えた。腹違いの弟と妹だ。
彼らは生みの親であるベリー母上の意向で、長くハイウィンドからは離れた土地で暮らしてきた。生まれたのもエアーズロックの別宅なので、俺はつい最近まで彼らの顔を知らなかった。
けれど、彼ら……いや、弟のことはよく聞き及んでいた。
父上がしきりに天才と呼んでいたからというのもある。しかし、それに見合うだけの実績を幼くして発揮していた弟のことは、否が応でも世間が放っておかなかったからな。
何せ、弱冠6歳にして紙と砂糖を、7歳で鉛筆、色鉛筆を、11歳でサスペンションを開発したのだ。これを天才と言わずして何というのか、というものである。
この他にも、パンノキの効率的な育て方、摘果という技術を開発したのも弟だし、熟したパンノキの実と摘果した若いパンノキの実で、強力粉と薄力粉という異なる料理素材ができることを発見したのも、二つを掛け合わせた中力粉という素材を作ったのも弟だ。さらに言えば、これらの粉を用いた菓子の類も、元をただせば弟の開発である。
そして初めて顔を合わせて、俺もそれに納得した。弟……セフィは、天才だと。
普通、周囲から褒めそやされれば増長するのが人間と言うものだ。ましてや子供なら、なおさらと言うものである。俺にだって、そんな覚えはある。
しかしセフィは、自らを誇ることは決してなかった。物腰は常に穏やかで、受け答えはとても11歳とは思えない。誰にでも礼儀正しいし、なるべく相手を立てようとする。時折テンションが振り切れて妙なことを口走ることもあるようだが、父上の子だと思えば、それも別段不思議でもない。
そして、何か閃いたとなると、とにかく試してみようと周りを気にせず行動に突っ走るのだから……なるほど、天才である。
そんなセフィは、恐らく俺よりも民からの信頼を寄せているだろう。大陸随一の貧国を、その類稀な頭脳で今まさに押し上げようとしている若き天才。期待しないはずがない。一部では、シエルの発明王と呼ばれているようでもある。
父上もそんな風潮は案じており、セフィが担ぎ上げられて国を簒奪するのではないかと一時は危惧していたが、本人からきっぱりと王様にはならないと宣言されたので、以降は気にしていないようだ。
実際、俺もそれとなく聞いてみたが、
「為政者に必要なのは人気じゃなくて、手腕だよアキ兄さん。ぼくにそっちの力はないから、王様にはならないほうがいい。客寄せパンダが関の山だよ」
と言って、政治からは一定の距離を置いている(ぱんだ、なるものが何かはよくわからないが)。実に悟った弟である。
正直、兄として負けたと言う思いがないわけではない。しかしそれは、俺個人の勝手な感情に過ぎない。この温厚な弟に、悪意がないことは彼と出会ってからの付き合いでよくわかった。裏の無い素直な、人に好かれやすい性格をしているのだから。
さて、そんなセフィと共に暮らすようになってから、1月ほどが過ぎた。
俺は少し空いた時間を使って、市井を見てこようと我々王族のプライベート空間である塔(アベリアの塔と名付けられている)から出た時のことである。
「ティーアいいかい、少しでもズレや歪みがあると失敗しちゃうからね。印をつけたところは確実に、ぴったりと繋げるんだ」
「うん、わかった」
「それじゃあ持ち上げるよ! せーのっ」
「よいしょー!」
そんな声が聞こえたので、俺はふと城の裏庭へ足を運んだ。城壁からのぞく王家の山を眺められる、なかなかいい景色の庭だ。
そこに入って俺は、何やら大きい物体をああだこうだと動かしているセフィとティーアを見つけた。相変わらず、仲のいい兄妹だ。
しかし2人が何をしているのかは、まるでわからない。何やら人間が2、3人が入れそうな箱はなんとなく、まあ、箱なのだろうとは思うのだが……もう1つのほうは皆目見当がつかない。
ただ1つわかることは、2つの「何か」を繋げようとしていることくらいか。
何がしたいのか、何をしているのか。俺は気になって、しばらく2人の作業を観察することにした。
セフィは、俺が見たこともない工具を使って手際よく2つの「何か」を連結していく。何やら太めの管が2つを繋いでいるが、要所要所に箱らしきものがついていて、管はその中を通るようになっているようである。時折、調子のいい口笛を吹いては楽しそうに作業を行っている。
一方のティーアは、セフィの指示に従いそれらの品々を所定の位置で固定する役目を担っているようだ。一見するとわからないが、彼女はマナを用いて微動だにすることなくものを完全固定している。並みの技術ではない。
2人の作業は、そうして続く。
セフィは手元に用意した設計図と思われる紙を見ながら、ティーアにきめ細かく指示を出し、ティーアは万全の備えでそれに的確に(口笛にすら鼻歌で)応える。なんとも息の合った作業風景であり、俺は2人の間にある確かな信頼関係を垣間見た。それは恐らく、11年間共に過ごしてきたからこそ獲得できたものなのだろう。
「よーし、完成だー!」
「やったー!」
おおよそ1時間半だろうか。2人は諸手を上げて、文字通り万歳をした。どうやら完成したようだ。
……それだけの時間、ただ弟たちの作業を見ていた俺がただの暇人に見えるが、そこは深く考えないでもらいたい。
とはいえ完成したのであれば、いよいよ俺の好奇心は抑えがたいほどに膨らんでいた。
早速、俺はいかにも偶然を装って2人の前へと歩み出たのである。
最初に、ティーアが俺に気づいた。
「兄様、アキ兄様だよ」
「やあ、何だか楽しそうだな」
「あ、兄さん。ちょっとうるさかったかな?」
「いや、俺は耳がいいんだよ」
それより、と2人を制しながら、改めて俺は出来上がったものを見る。
近くで見ると、それは箱というより桶のようだ。外装も内装も木で覆われている。桶と言うには大きいが……。
それから、その桶? から伸びた管は最短距離ではなく、ある程度うねって距離を稼ぎながらもう1つの物体に繋がっているようだ。
もう1つのものについては、近づいても謎だ。
……うむ、よくわからぬ。
「これは一体なんだい?」
「よくぞ聞いてくれました!」
俺の問いに、セフィはおもむろに妙なポーズを取ったかと思うと、芝居がかった口調になる。
こういうところは、本当に父上にそっくりだな。
「これはずばり『セフュード流循環式浴槽』です!
まずこれに見えたるは魔力式ボイラー! 内部に構築された魔法式により、マナを込めるだけで水を沸かします! お湯はこの配管を通ってこちらの浴槽へ!
浴槽には、蒼天回廊より取り寄せた最高級のファルウ木材を使用しています! そしてその中には、保温材として新開発のポップ繊維を詰めているので、長時間の保温が可能でございます!
さらに!
浴槽から出たお湯等々はこちらの排水口を通じて集められ、ボイラーへと戻るのです! 2つを繋ぐパイプは水霊石ろ過機と浄水機により、まさに鉄壁!
これによって、ほとんどの水を無駄にすることなく、1日30時間使える、夢のお風呂が完成したのです!」
「さっすが兄様! 完璧!」
まるでセールストークのようなセフィの演説に、すかさずティーアが拍手する。
……彼女は、本当に意味が分かっているのだろうか? 俺には正直、あまり理解できなかったのだが。
いや、効果のほどは理解できる。しかしそれよりも、聞き捨てならない、しかもあまりに先進的過ぎるものがいくつも出てきて、俺の理解力を越えてしまっていたのだ。
「せ、セフィ……マナを込めるだけで、水を?」
「うん。魔法式を物質に組み込むのは思ってた以上に苦戦したけど、トルク先輩やエルト所長のおかげでなんとか形になったよ。ぶっちゃけ、これが1番手間取ったかなあ」
「……保温材、とは……」
「言葉の通り、ある程度の時間温度を保つための道具だよ。正確に言えば、温度変化を鈍化させるもの、かな。材料は炎霊石と氷霊石、それから綿」
「……配管には何もついていないようだが、これで本当に液体を高いところに運べるのか?」
「それはサイフォン効果って現象を利用したもので……んっと、ぼくも細かい理論は把握してないから、まあ、そうだとしか。一応、ここのバルブを操作すれば止めることもできるけど」
「ば、ばるぶ?」
「うん、こうやって左右にひねることで弁を開閉する機構のこと。これで流量の調整ができるんだ。あ、こっちのは基本閉じとくんだ。開けたら完全に水を廃棄する形になるから」
俺はめまいがした。
想像を絶していたのだ。この決して大きくはない水回りの装置全体で、一体どれだけの数の新技術が使われているのか!?
既存の技術など、木を切ったり部品を繋ぎ合わせたり、その程度ではないだろうか? いや、真実技術と呼べそうなものと言えば、せいぜい水霊石浄水機くらいではないか……!
「あ、ちなみにろ過機と浄水機は全自動」
「なんだって!?」
俺は再度めまいを感じながらも、思わず声を出した。
だがセフィは、それに対してあっけらかんと答えるのである。
「空気中のマナを使うんだ。部品は全部純ミスリルで、空気中のマナを吸い寄せてくれるんだよ。それが自動で中の魔法式を励起させて……」
「わ、わかった。よくわかった。これがどれだけ規格外で、最先端で、採算度外視なものなのかはよぉくわかった」
なおも続くセフィの言葉を遮りながら、俺は頭を押さえていた。
このめまいは、断じて気のせいではない。俺は、この世の常識を盛大に破壊する技術の数々に、完全に打ちのめされていたのだ。
この弟は……なんという傑物なのだ……! これが本当に、まだ11歳の少年がなしたことか!?
なるほど、天才である。そうだとは思っていたが、もはや迷いはない。
弟は、天才だ。まごうことなき天才である。技術開発の天才……巷説に聞く「シエルの発明王」とは、伊達でも酔狂でもなんでもなく、端的に真実を表した言葉だったのだ。
俺では、この弟には勝てそうにない。……いや、そもそも同じ舞台に上がれるほどの存在でもないかもしれない。
これが器の差というものか……これほど圧倒的だと、悔しさは逆に感じないものなんだな。
「……それで、セフィ。これを使ってどうするつもりなんだ?」
改めて、この道具一式の用途を聞く。仕組みがこれほどのものなのだ。さぞかし有用なものなのだろう。
しかし、セフィの返答は俺の予想を簡単に上回るのである。
「え? 浴槽を入浴以外にどう使うの……?」
それも、本気で。
俺は、思わずその場で頭を抱えてしまった。
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「どう、アキ兄さん?」
「ああ、心地いい。想像以上だ」
「それはよかった。がんばったかいがあったよ」
そう言うと、セフィはにこりと笑った。小人族らしい屈託のない笑みだ。まあ彼はハーフだが。
「兄様、これ暖かくてきもちいーね。癖になりそう」
「いいんだよ、癖になっても。ティーアは女の子なんだし、身体を清潔にしておくのは大事だし」
「いいの?」
「イインダヨ! グリーンダヨ!」
「やったー!」
セフィは、相変わらずわけのわからないことを言ってティーアを楽しませているようだ。
俺はと言うと、あの後セフィの試運転に付き合わされ、そのまま一緒に風呂なるものに浸かっている。正面には、セフィとティーア。
ちなみに3人とも全裸である。最初は俺もティーアも渋ったが、セフィ曰く入浴とはそういうものなのだという。
神殿で禊ぎに行う沐浴とは異なり、単純に心身のリフレッシュのためだけのものらしい。そのためには、衣類は必要ないそうだ。むしろ、浴槽のお湯が汚れるのでつけてはいけないとか。
人前で裸をさらす行為は極めて忌避感の強いものであったが、やってみればなるほど。こうしてゆったりと浴槽につかり、縁に背を預けていると、そうしたものは不要なのだと認識させられた。
俺の獣耳と尻尾を2人にさらすことになったが、思えば彼らは俺の家族だ。機会がなかったとはいえ、隠す必要はない。
セフィもティーアも、驚きはしたがむしろ俄然俺に興味を示してくれた。何かと半端者扱いされ、王には相応しくないと言われがちなハーフサンセットの身としては、心洗われる純粋な目だった。やはり、家族はいいものだ。
まあ、11とはいえ、妹とはいえ、女と全裸でこのような距離感を持つことを見とがめられることは間違いないだろう。やましいところは何もなく、ティーアも完全にセフィのことしか意識していないようなので(セフィにのみ恥じらいを見せるので、そういうことなのだろう。兄妹なのだが)、毅然と対応するしかあるまい。
「……しかしセフィ、どうしてまたこのようなものを」
「え? そりゃあ、風呂に入りたかったに決まってるじゃない」
「そ、そういうものか……?」
「もちろん! 白米が食べられないのは究極我慢するにしても、風呂だけはもう我慢できなかったからね! 激しい稽古の後にただ軽くぬぐうだけって、絶対間違ってるよ衛生的に!」
俺は首を傾げた。
またしても熱弁を振るったセフィだが、その物言いはまるで「風呂というものを最初から知っている」ような……。
……うーむ、いかん。身体の外からじんわりと温まるこの風呂というものは、思考力を鈍化させてしまうようだ。心身のリフレッシュ、とはなるほど誇大表現ではないらしい。これでは深い思考はできそうにないな。
まあ、いいか。どういうことがあるにせよ、セフィのしていることは誰かに迷惑のかかることではないのだし。
そう考えて俺は、頭に乗せていた手拭いを落ちないように手で押さえると、静かに肩まで浴槽に浸かることにした。
「うむ、これはいいものだな……」
そうつぶやいて顔を上げれば、城壁の奥にそびえる王家の山。それが支える青い空は、まさに絶景だ。
そこにセフィの調子のいい口笛が鳴り響いて、染みわたっていく。まるで聞いたことのない雰囲気の音楽だったが、不思議と嫌ではない。
気づけば俺は、そこにティーアと共に鼻歌を乗せていた……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
時系列の調整と、お風呂回をぶち込みたいのとで、挿話を用意しました。
保温材の名前がポップ繊維なのは、わかる人にはわかるネタですかねえ。
なお、ディアルトパパ上の嫁さんは順番に人間族、陽人族、小人族。なかなかにハーレム系な主人公です。




