◆第51話 合格
魔法王国ムーンレイス。大陸の東南部に位置する大国。
その都クレセントレイクは、月の都とも言われる。単に、三日月の形をした湖に寄り添っているから、あるいは月人族の治める国だから、クレセント王国の後継者が建国したから、と言う程度の理由だが。
それでも最古級の街であり、月の都と言う異名はなかなか似合いのネーミングと言えるかもしれない。
恐らくは、かつての政治家の誰それが国の喧伝のために名づけたのだろう、と藤子は思っているが。
そのクレセントレイクで、ここ数年話題になっていることがある。爆発音や破砕音など、物騒な音がどこからともなく聞こえる、というものだ。
住民にしてみれば、不安以外の何物でもない。しかし、どれだけ派手な音が鳴り響こうと、そこで何かが起こっているわけでもないので、次第に人々も慣れた。今では、「妖精さんが喧嘩している」などというメルヘンチックな話になっているくらいである。
そして今日もまた、その派手好きな妖精さんが、クレセントレイクの街中で盛大に快音を響かせていた。
まあ実際のところはそんな穏やかなものではなく、知らぬが花とはよく言ったものだ。
なぜならその音の正体は、藤子が弟子をいたぶる……もとい、稽古をつけている音なのだから。
正確には、彼女の膨大な力に共鳴しての地鳴りなのだが。
「足元が留守じゃぞ」
「ん……っ、く……っ」
「戦いの最中に下を見るな」
「――っ!?」
「一発を回避したからとて安堵するな」
「うぐぅっ!?」
「追撃には備えんか」
「ん……っ、くそ……カオオォォォっ!」
「ふんっ!」
「かひゅっ!?」
サファイアドラゴンのブレスをものともせず、突っ込んだ藤子の鋭い拳を受けて輝良は地面に落ちた。
翼や尻尾の小型化に成功し、より人に近い姿を取れるようになった彼女だったが、その全身は既に傷だらけあざだらけで、とても人に見せられる姿ではない。
一方の藤子は、無傷である。服にも汚れさえついていない。元来屈強な膂力や膨大な魔力を持つ幻獣の輝良ではあったが、二人の力量差はそれほどまでに隔絶していた。
「相変わらず、力押しで何とかしようとする癖が抜けんな。それでは強くはなれんぞ、輝良」
「う、……うう」
「技術は一朝一夕で身に着くものではない。焦るな。普段のお主は、今少し冷静であろうが」
「……ん」
悔しそうに呻く輝良の身体を引き起こして、藤子はその傷を癒してやる。
即座に万全の状態まで回復した輝良は、のっそりと立ち上がった。そうして、己よりも数段背丈の低い相手に対して、最大限の礼を払う。
「……ありがとう、トーコ」
傍からは、そうは見えないかもしれないが。
「良いか、下半身の強化を怠るでないぞ。お主の他を圧倒する膂力は、万全な下半身がなければ宝の持ち腐れぞ。
原型ならば鍛えるまでもなかろうが、人の身体はそうしなければ使えるようにならん。それ以外の立ち居振る舞いは、及第点と言ったところじゃな。
先刻の調整が進めば、等加速度的に実力は上がるはず故、急くな。長き道のりも、一歩ずつ進むものぞ」
「ん……精進する。また、よろしく頼むよ」
言葉少なに、輝良は頷く。いつもと変わらぬ眠たげな瞳ではあったが、そこには確かに意思の光があった。
それを確認すると、藤子は後ろで観戦していた残り二人の弟子へと目を向ける。
「では次、ライラ」
「はいっ」
そして、輝良と入れ替わりでライラが藤子の前へとやってきた。
後ろでは、やや背丈の伸びたセレンが、輝良と話し込んでいる。単純な力はともかく、戦闘技術という面ではセレンに分があるのだ。
弟子同士で切磋琢磨ができるのは、いい傾向と言えるだろう。同じものを目指す者同士が伯仲ならば、より高みが彼女たちの先に開けるのだから。
かつての藤子が、そうであったように……。
「よろしくお願いしますわ!」
脳裏に浮かびかかった過去の幻影を振り払い、藤子はライラと向き合う。
あの日、無謀ながら彼女に挑んだ童は大きくなっている。実力も、そしてその立ち居振る舞いも。もはや、他人を見下す不遜な子供はそこにはいない。雛鳥は世界の広さを知り、ただ大空に挑み続けるのみ。
「うむ。かかってくるがよい」
そして藤子は、そんなライラの前に仁王立ちに立ちはだかる。今、ライラにとって唯一と言ってもいい壁として。
合図は、空へ跳ね上げられた一枚のコイン。それが地面に落下した時、修行は始まる。
――金属音。
と同時に、ライラが一つの魔法式を組み始めた。そしてそれを見て、藤子は踏み出した足を止める。その状態のまま、彼女はほう、と笑った。
ライラが唱えようとしている魔法の正体を察して、待つことにしたのである。実戦で相手の攻撃を待つ、ということはほぼありえないが、それでもライラがしようとしていることは、待って結果を見極める必要があると判断したのだ。
なぜなら、そこで今まさに紡がれている魔法は、藤子の魔法であったから。
そしてそれに、セレンと輝良も一歩遅れながらも気がついた。二人の視線が、信じられないものを見るような目が、ライラに注がれる。
(拙い、まこと拙いのう。されど……なぞっておる。わしの描いた魔法式を、しかとなぞることができておる。下手でもなんでも、形になっておるのであれば、魔法は姿を見せる……)
文字の手習いがそうであるように。
ライラは唱える。一心不乱に、その全神経を研ぎ澄ませて、すべてを注ぎ込んで、魔法を組み上げていく。
そして、その時は来た。
(来るか)
藤子は身構えた。この4年間、3人の弟子との修行において、一切構えを取らなかった彼女が今、初めて。
何せこれから来るのは、己が創りあげた魔法なのだ。その威力、規模のほどは、彼女自身が誰よりも理解している。
「『ヒマワリ』!」
魔法が完成した。
刹那、二人の間に現れたのは黄金に輝く花畑。整然と並んだ背の高い花は、この世界にはない花。太陽に向かって伸び、太陽に向いて咲く花。その名は向日葵。
それらがすべて、藤子を向いていた。満開の花が向いた太陽は……されど、殲滅の対象。やはり黄金に輝く魔法の弾丸が、一斉に放たれる。
しかし藤子は、回避しない。なぜならば、この魔法は常に太陽を向く向日葵のごとく、敵を常に追尾する魔法だからだ。対象にロックされたものは、防御、もしくは解呪を選ばなければならないのだ。
そして彼女が選ぶのは、防御である。解呪も当然可能だが、これはライラの実力を測るものでもある。受けきる以外の選択肢は、あり得なかった。
「瘟!」
藤子が吼える。全身に魔力をみなぎらせながら。
そして迎え撃つ。ただ一人の身にのみ降り注ぐ無数の魔弾を、真正面から臆することなく。
一発一発の威力は、人間など軽く吹き飛ぶほどである。地球の兵器で言えば、対戦車ライフルにも匹敵するだろうか。藤子にぶつかり横にそれた弾丸の欠片でさえ、地面を穿ち壁を貫く威力を秘めているのだから、過剰とも言えよう。
その集中砲火が、十数秒は続いただろうか。一般人ならば、恐らく塵も残るまい。
しかしこのような魔法を使ってなお、相手に傷を負わすことすらできない戦いを、藤子は続けてきた。だからこそ――黄金の攻撃を受けてなお、彼女の身体にはダメージがない。
それを見て、ライラは残念そうに笑うと、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
藤子は即座に接近すると、その身体を抱きとめる。そして、ライラを回復させる。
「見事であった」
珍しく、にこやかに笑いながら。
「わしの魔法をここまで再現できるとは、天晴よ。見事、実に見事なり」
そして言う。
それを聞いて、手放しかけた意識を引き戻されていたライラも、うっすらと笑った。
「……でも、一発で、私のマナは枯れてしまいましたわ。それに、……放つまでに、かなりの時間が」
「できたことに意味があるのじゃよ。それはこの世界で紙を作ることに等しい。お主ならば恐らく、時間さえあればわしの魔法のすべてを再現できるであろう。もはや、わしが教えることはなくなったわい」
「……ありがとう、ございますわ」
事実上の免許皆伝を言葉を聞いて、ライラはそこでようやくにこりと笑う。
しかし、藤子はすぐににやり、といつもの底意地の悪い顔をして言った。
「これで最終詠唱をしっかりと宣言できれば、完璧であったがな。さすがにそれは難しそうじゃのう」
「あんな奇妙な言葉、発音どころか発声も難しいですわよ……」
藤子の魔法は、その全てが日本語で構成されている。ライラはその大半を、詠唱破棄というこの世界としての技術を用いることでその問題を乗り切った。
しかし、無詠唱にはできなかった。それだけの技量には至っていなかったのだ。
ならば名前は宣言せねばならないが、その名もこの世界の人間にとっては異世界の言語なのだ。ろくに発音もままならないのが普通であろう。
それでも、ライラはしっかりと発音できたほうである。魔法名もイントネーションの違いこそあれ、読み上げることができたのだから。
そうでなければ、これほどの威力はなしえない。名前には、それだけの力が込められている。
もっとも、術の要である最終詠唱……すなわち和歌を破棄しなければ、それだけでも完全に限りなく近くなるが……それを日本語を知らぬ人間に求めるのは、酷と言えるだろう。
後は、ここに日本語が使える人間が――そう、たとえばセフィ辺り仲立ちすれば。この世界においても、完璧な形で藤子の魔法が牙をむくだろう。
「すごいすごい、すっごーい! 藤子の魔法使うなんて! 信じられないよ、ライラ!」
「何をどうしたら、あんなにきれいに組めるんだ? 知りたい、人間にできてアタシにできないはずが……」
二人の後ろで、セレンと輝良が拍手と共に感想を口にする。
そちらに、ライラが得意げに笑顔を向けた。そして、どうだとばかりに胸を張る。
「あっ、このー! トーコの弟子歴は私が一番長いんだからなーっ、私だってーっ!」
「元のポテンシャル的には、幻獣のアタシが一番。……なのに、なんでだ?」
得意満面の妹弟子に、羨望のまなざしを向ける姉弟子たちであった。
他方、そんな弟子たちの姿をほほえましく眺める藤子の顔は、どこか楽しげだ。その胸中にある感情を、彼女自身は否定するだろうが。
ともあれ、ライラの教導という藤子の仕事は、かようにして完遂の時を迎えた。
アステリア大陸の東部連合の中で「青花」の呼び声高い彼女が、遂に西へ移動し始めるのはこの数日後のことである。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回は少し短いですが、藤子編の話の節目ということで一つ。
なお、ヒマワリの正しい綴りは、「陽廻」となります。
日本語とヴィニス語の違い……をもう少し出していきたいですなあ。




