第46話 王都ハイウィンド
シエル王国の都、ハイウィンド。
その歴史は古く、少なくとも記録の上ではほぼ大陸最古級の街とされているそうだ。まあ、ここに限らず各国の都という都は、おおむね同年代頃からあったとされているらしいんだけども。
ともあれ、この街は長い歴史を持つ。シエル国内では、もっとも歴史ある街と断言していいだろう。
そして恐らくだけど、この世界で最も標高の高いところにある街と断言してしまって、問題ないと思う。それくらい、ハイウィンドの街は高地にあった。
高原からさらにせりあがる小さな山脈の中、その奥の奥。険しい山道と細い尾根筋が連続した先に、この街はあるのだ。さすがに雲を眼下に拝めるほどの高さではないみたいだけど、それでもその雲の位置はいつもよりだいぶ近くに見える。
「……すげえ」
「ふあー……」
思わず感嘆の声が出てしまうぼくら。竜車の御者台から見上げるハイウィンドの姿は、大きすぎて中の様子がさっぱりわからなかったのだ。下から見えるのは、風にたなびいている大きな旗くらいかなあ。
街が高いところにあるだけじゃない。大きな壁が、ぐるりと周囲を取り囲んでいるのだ。しかもそれは三重になっていて、まるでどこかの巨人の漫画の街みたいだ。さしずめ、今目の前に見えるやつはウォールマ○アってところか……。
……思ってたより、めちゃくちゃ立派なんですけど?
いや、だってシエルって最貧国なんでしょ? 今まで散々そう言われてきたからそうだと思ってたんだけど、案外この世界って生活水準高い?
……まあ待て、まだ中を見たわけじゃない。ガワは良くても中身がアレなんてのは、いつの時代どんな場所でもよくあることだ。
きっとこの街も……って、ぼくはなんで自分の国の首都をわざわざ自分から貶めてるんだ?
「ハイウィンドか……12年ぶりだなあ」
街の威容に気圧されてるぼくたちを尻目に、母さんがしみじみとそう言った。
「12年……ってことは、母さんは妊娠した頃からずっとエアーズロックだったの?」
「ああ。政治の道具にはなりたくなかったし、アルに迷惑をかけたくなかった。あの頃は、ちょうど貴族階級の『掃除』の最終段階だったから……」
「……上流階級の腐敗とかしがらみとか、そういう世界にだけはぼくもかかわりたくないんだけどな……」
「うん……しかしそれも仕方ないだろう。セフィには才能がある、エアーズロックにいつまでもとどまっているような器ではないから」
その言葉に、ティーアがうんうんと頷いた。
ぼくに才能があるかどうかはともかく、何かをなそうと思うなら首都。これはどこの世界でもきっと変わらないんだろうな。
「ベリー妃、セフュード殿下、ティーア殿下。これより中に入ります。ワゴンの解放をお願いします」
「ああ、わかった」
「ワゴンの解放?」
「どーいうこと?」
「多くの功績を上げる王子殿下のご帰還です。民にお顔を見せておかねばなりません。そのためにこの竜車は、拓くことができるようになっているのです。まして両殿下は、民の前にお出になるのはこれが初めてですから」
「パレードも兼ねてるんだね……」
思わずため息が出た。
いやだなー、人前に出るのはあんまり得意じゃないんだよ、これでも。
それに、暗殺者とかがぼくたちを狙ってたら……。いや、ホントに嫌だからね、暗殺なんて。リンカーンとかケネディじゃないんだから。そんな伝説のなり方は絶対嫌。
まあでも、仕方ないんだろうね。ロイヤルファミリーの宿命か……。
城門が迫る。……それだけで、妙にその向こう側が騒がしいのがわかった。これはかなりの人がいそうだぞ。
憂鬱な気分を全開にしていられるのはあそこまで、か。うう、気を引き締めないと。
「に、兄様、どうすればいいのかな? 大勢の人がいるんでしょ?」
「う、うん、笑えばいいと思うよ。こう……優しい感じで……ふんわりと笑って……手を振るとか……」
生前、ニュースなんかで見てきた天皇陛下や皇太子ご夫妻の様子を思い浮かべながら、そのまねをしてみる。
俗に言う皇室スマイルを浮かべながら、緩やかに手を振ってみる。
ティーアがそれをまねて、ぼくの鏡写しみたいに小さく笑った。いつもはどちらかと言えば活発な女の子だから、おしとやかな雰囲気を醸し出すこの笑顔は、なんだか新鮮だな。天使。
「そこまで難しく考えなくていいさ。私も最初、結婚のパレードの時はとっても緊張したけど、案外民というのは顔がわかればそれで満足するものだ」
「そ、そゆもんかな……」
「そもそも、アルも私も、それに他の妃もみんな長く冒険者として生活してたから、根は庶民と変わらないから。それで民のほうも慣れてるから、静かでお堅い雰囲気を出すよりは、こう……いえーい、とか。そんな風に砕けた感じのほうがいいんじゃないかな」
「……父さんの影響が大きすぎる」
どこまで今のシエルの根底にいるんだ、あの人。
だとすると、だよ。王太子じゃないとは言っても、ぼくの立場ってめちゃくちゃ重いよね? もしかしなくても。
そう思うとますます緊張してきたじゃないか……。
なんて考えてそわそわしていると、竜車の速度が緩やかに落ちていくのがわかる。そしてそれを認識したのとほぼ同時に、ワゴンが天井から開いて、ゆっくりとぼくたちは太陽の下にさらされることになった。
いつの間にか、城門がすぐ目の前に来ていた。そして門は、きっとぼくたちを待っていたんだろう。ぼくたちの乗った竜車が完全に止まる少し手前で、ゆっくりと開かれていく。
「開門!」
そんな声に合わせて。
――大きく開け放たれた城門。その向こうには、旗を持った兵士たちが整然と並んでいた。彼らは左右に分かれていて、それによって一直線の道が形作られている。
道の彼方にはまたしても巨大な城壁と、その先に続く巨大な門扉。そしてその上には、兵士たちが持つそれよりもはるかに大きな……そう、遠くからも見えていた旗が翻っている。
そこに描かれているのは、白い翼を背負った、これまた白い花。純白のそれらが合わさった紋章は優美で、何より空のように染め抜かれた美しい青地によく似合っている。ハルアス・フロウリアス家の紋章。
ぼくがそれを確認できたのとほぼ同時に、彼方から鐘の音が聞こえてきた。教会か何かかな? まるで嬉しさを表現しているかのように、間を置かずに響いてくる。
そしてそこに、トランペットのような音色のファンファーレが重なって、さらに響きは幸福感にあふれていく。
「さあセフィ、ティーア、本番だぞ」
「う、うん」
「は、はぁい」
鳴り響く音楽(待てよ、音楽ってこの世界に生まれて初めて聴くような?)を聴きながら、ぼくたちは母さんに促されて立ち上がる。そこには……。
「う、わあ……っ」
「す、すごい……」
人垣が、十重二十重に連なっていた。そしてそれを形成する人々が、みんな手を振り、笑顔を振りまいてぼくたちを受け入れている。
思わず逃げ腰になるのをなんとか抑え込みながら、集まった人たちに応じる。精一杯の笑みを浮かべながら、手を振った。
すると今度は、それに負けじと歓声が上がる。別に勝負してるわけじゃないんだけど、なんか負けた気分になって、それからその考え方がどうにもおかしくて、ぼくは思わず笑いを深める。
……父さん、エアーズロックに来てた頃はいつもこんなことしてたんだろうか? だとしたら、どんな気持ちで当事者やってたのかなあ。
ぼくとおんなじ気持ち……のような気がする。なんだかんだで、ぼくとあの人は似ているらしいから。
しっかしまあ……飛んでくる歓声のほとんどが、ぼくとぼくの功績をたたえるもので、半端じゃなくむずかゆいぞ。
紙に鉛筆に色鉛筆に……まあ確かに、相当なことをしてきたとは思ってたけど、都ではこんなにも歓迎されてたのかなあ?
……っていうか、想像以上に人多くない!? 沿道に至るまで人、人、人。人だらけなんですけど!
いや、そりゃ確かにさ、皇室の人たちが動くときはこれくらいの人はいたかもしれないけども。でもここは東京じゃないですよ、日本じゃないですよっ?
一体この大きな壁に囲まれた街の中に、どれだけの人が暮らしてるんだろう? ましてまだ壁は二つも残っていて、あの先にはきっとまだ大勢の人がいるんだろうな……。
「……母さん、これいつまで続くの?」
「ずっと腕振ってるから痛いよぉ……」
「こういう時の竜車は、ものすごくゆっくりと相場は決まってる。諦めなさい」
「えーっ」
「そんなあー」
そんなちょっとした会話も、人々の声に応じる形で中断せざるを得なくなる。
いやもう……王族って大変ね!
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二つ目の城門をくぐった先も、大体似たような感じだった。
ただ、建物や人々の様子は明らかに裕福になったので、きっと富裕層が住む地区なんだろう。貴族街みたいなものか。
そしてここは最初の街並みと違って、道が何度も折れ曲がり、なかなか三つ目の城門まで進めなかった。
大方、城内に敵が進入した時のための備えだろう。日本の城郭にも、こういう要素はあったもんね。
そんなわけで、そんな入り組んだ街並みを、相変わらずの牛歩で進んでたっぷり1時間弱。
もういい加減みんな飽きたでしょ、って言いたかったけど、それでも歓迎は続いて、ようやくぼくたちは最後の壁の前までやってきた。
こちらは一つ目、二つ目の門と違って、正面に旗をつけた長槍を手にした四人の儀仗兵が待ち構えていた。交差させた槍は文字通り通せんぼで、ドックさんが先頭に立って、堅苦しい口上を述べてやっと道と扉を開けてくれた。めんどくて長ったらしい様式に沿って、だけど。
ともあれそうしてぼくたちは、やっと王宮と思われるところまで入ってきた。
いやー……うん……思ったより、小さいっすね。
「……なんか、エアーズロックの家とあんまし変わんないね?」
というのは、ティーアの感想だ。
でも、ぼくも同感。
ま、その、さすがにあの家よりは大きいよ。それは間違いないと思う。
でも、こう、なんていうか……皇居とか? ベルサイユ宮殿とか? そういう、いかにもなお城を想像してたので、どうもぱっと見た感じ家にしか見えない。
……まあ、フランスのシャトーなんかはこういう形式、か。そういえば、エアーズロックの実家もシャトーっぽい雰囲気だったっけ?
シエル王国の建築様式というか、城塞建築はこういうものなのかもしれない。
で、確かに見た目はあまりお城っていうか宮殿っぽくないけど、手前にずらりと並んだ人数は実家の比じゃない。ここはさすがに、王宮って感じだね。
『ベリー王妃様、セフュード殿下、ティーア殿下、おかえりなさいませ!』
使用人や、あるいは政治家と思われる大勢の人たちの唱和が、ぼくたちを出迎える。
全員が一言一句違えずタイミングもばっちりだったからか、道中のパレードで聞いてきたどの声よりも大きく感じて、ちょっとびっくりする。
けれど母さんは慣れたもので、ドックさんに手を取ってもらいながら堂々と竜車から降りた。
続いて、ぼくたちもドックさんに降ろしてもらう。
……いや、別に降りられないわけじゃないからねっ? 単にそういう作法っぽいから従っただけだから!
「王妃様、長旅お疲れ様でございました」
「いや、歩いていたわけではないから、さほどでもない。道中、セフィがいいものを作ってくれたしな」
「……ははあ、またしても、ですか」
「そうだ。後でアルにも話すから、できる限り広く伝播させたい」
「畏まりました、その時をお待ちしております」
母さんが、出迎えの先頭に立っていた若い男と話をしている。
ゆったりとした格好はいかにも上流階級って感じだけど、どことなく服に着られている感じがある青年だ。30歳……前後ってところかな? 執事か何かだろうか。
そんなことを考えていると、母さんに呼ばれた。
「セフィ、ティーア。こっちに」
「はい」
「うん」
言われるままに母さんに近寄り、ぼくたちはその青年の前に並ばされる。
「彼はシディン、こう見えてシエルの中枢を担う有望な執政官だ。アルの右腕と言ってもいい」
なん……だと……?
「王妃様、あまり持ち上げないでください。私などまだまだ……とと、申し訳ありません。えー、初めまして、両殿下。ご紹介に預かりました、シディン・ハザ・ルザリアニスと申します。主に行政や司法に関する業務を陛下より賜っております」
跪きながら、シディンさんはゆっくり、けれどはっきりとした言葉遣いで言った。
行政や司法を……それって、つまり都知事みたいなものってこと? そんな重要な仕事を、こんな若い人が?
父さん……大抜擢過ぎやしないですかね……。
「初めまして、セフュードです。それから、妹の」
「あ、えと、ティーア、ですっ」
「これからお世話になります、よろしくお願いしますね。……ティーア、ほら」
「あ、うん、……あの、よろしくお願いします」
揃って頭を下げるぼくたちに、周りの空気が少しざわつく。
「両殿下、我々にそんな、滅相もない。お顔を上げてください」
「……ああ、そういえばぼくたち、王族だったっけ。でもあまりそういうことは教えられてないので……それに、お世話になるのは本当でしょ?」
「……陛下のようなことを仰せになられる」
「まあ、その息子ですから?」
ぼくの言葉に、シディンさんがふっと微笑んだ。
それに対して、母さんが楽しそうににまにまと笑っている。
いいじゃん、別に。英才教育とか受けたわけでもなし、そもそも心情的には前世を引きずってるから、ぼくほど王族らしくない王族っていないと思う。
「……では、私は一旦これにて。次は……」
シディンさんと入れ替わりで、また別の人がぼくたちの前に来る。
今度の人は、動きやすそうなぴしっとした服装。鎧は着けてないけれど、顔つきも鋭ければ全身から漂うオーラが半端ない。やっぱり若いけど、どう見ても軍人さんだろう。
「彼はカバル、私の同僚です」
「お初にお目にかかります。それがし、軍務と警備の長を拝命しております、カバル・エマ・ルザリアニスにございますッ。エアーズロックの出身にございます!」
跪いたカバルさんは、やっぱり軍人さんのようだ。防衛大臣みたいな感じかな?
「エアーズロック! じゃあ同郷ですね、よろしくお願いします」
「もったいなきお言葉!」
かっちりとポーズを取る様は、なんとなくだけど、生真面目な人なんだなあって感じがする。
口数は多くないのかそれとも時間的なものなのか、それでカバルさんは次の人に交代した。
今度の人は女性。それも、耳が尖ってる。エルフだ! や、この世界では月人族って言うんだったっけか。
「殿下、こちらがシェンマ殿ですぞ」
「どうも両殿下、初めまして。シェンマ・ケラ・ルザリアニスと申します。主な職務は宮中の儀式やレガリアの管理など、でございます。儀仗兵の頭、と思っていただければ」
「それは、……ぼくや父さんにとっては、頭が上がらなさそうな役職ですね」
ぼくの言葉に、笑いが起きる。どうやら大正解らしい。
……儀式や王権の象徴の管理、ということは、日本で言えば宮内庁みたいな感覚でいいだろう。彼女は宮内庁長官、って感じかな?
言葉から思い浮かぶイメージは、堅そうなものばっかりでちょっと気が滅入る。
ぼくにしろ父さんにしろ、そういう堅苦しいことはどうも苦手だから、彼女にはこれからいい意味でも悪い意味でもお世話になりそうだ……。
「いざって時は、お願いしますねシェンマさん」
「はい。殿下とて容赦はしませんので、お覚悟を」
くすり、と笑うシェンマさんは、その言葉とは裏腹に優しそうな人だ。
ほえほえしたゆるふわお姉さんであることを願うだけだな……。
それからしばらく、入れ代わり立ち代わりで色んな人から自己紹介された。でも、そんないっぺんに紹介してもらっても、正直覚えきれないよ。
ぼくが覚えられたのはシェンマさんまでの3人で、その先はぶっちゃけ覚えてない。10人目あたりからは、覚えようと言う努力すら放棄した。
だってしょうがないじゃない……100人はいたんだもん……。立ったまま紹介され続けるのも、案外つらいもんですよ……。
まあ最初の3人を覚えられたのは、あの3人が同じ苗字だったからってのもある。どう見ても兄妹には見えないから、きっと鈴木とか田中みたいな、使ってる人が多い苗字なのかな、とは思うんだけど。
しょっぱなからの3連続だったから、印象に残ったんだよね。
それが終わってからも、あれやこれやと面倒な手順やら何やらがあって、ぼくたちが本当の意味で落ち着けるのは、それからさらに1時間は先のことになった。
そしてそこでようやくぼくたちの前に現れた父さんは、見るからにげんなりしているぼくとティーアを見て、大爆笑してくれやがったのだ。
その瞬間、ぼくたちがいつも以上に全力で父さんをいじりにかかったのは言うまでもない。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
日常回(?)はもうちょい続きます。
そして新章ということもあって、新キャラの登場ラッシュが続きます……うまくさばききれるだろうか……。




