第42話 エアーズロックのダンジョン 6
※今回はかなりグロめです。その分短いですが。
「ギイィィゥ」
黒いトカゲがうなり声を上げる。本来であれば、そんな器官なんてないはずのトカゲが……。
その口元から、聞きたくもない音が響いてくる……ごきり、ぐちゃり、べきりと……。
そしてその正面で……今の今まで、あの優しい表情をたたえた顔があった……はずの、身体が……。
ゆっくり、ゆっくり……時間の流れが止まったんじゃないかと思うくらいに、ゆっくり……仰向けに……倒れた……。
嘘だ。
そんな……そんなこと、ありえない……ありえるはずがない!
だって、だってシェルシェ先輩は! 前世から凄腕の冒険者で、ぼくたちの誰よりも強い、……強い人だった!
そんな先輩が、先輩が……、う……嘘だ……! 信じない、信じられるわけがない……!
「いやあああぁぁぁーーっ!?」
すぐ隣から、耳をつんざく悲鳴が響いてきた。
思わずどきりとして、自分がそんな声を上げてしまったのかと一瞬錯覚する。
けれど違う、これはぼくじゃない、これはティーアの……。
そうだ、まだ8歳に満たない彼女にとって、こんな……こんなところを見るのは……。
「ティーア……っ!」
ぼくはとっさに、ティーアの顔を自分の胸元にうずめる形で抱きしめた。
見ちゃいけない。ダメだ、ダメだ……あれは、あれは子供が見ていいものじゃない……!
そうだ……そういうのは、大人の役目だ。ぼくの……心だけは大人の、ぼくが代わりに、それを見なければいけないもの。
黒いトカゲは、なおも咀嚼を続ける。血が、そして脳漿がその口元がだらだらとしたたり落ちていく。
吐き気がこみあげてくる。けれど、それを死に物狂いで抑えながら、ぼくはその様子から目を離すことができなかった。歯なんて砕けてもいいくらいに奥歯をかみしめ、それを、ただ眺めつづける。
そいつの後ろでは、もはやピクリとも動かない大きなトカゲの死体。その腹部に、大きな穴が開いているのが見えた。
まさか。こいつ……卵胎生?
本当のマスターモンスターは、胎児だったこいつで、……だから、先輩は。まだ終わってないって。不意を突いて出てきたこいつに?
なんだよ……どうすればいいんだよ……ぼくは、ぼくは一体どうしたらいいっ?
そんな疑問だけが、すさまじい速度で何度もぼくの頭の中を駆け巡る。
すぐ手元でティーアが悲鳴を上げ続け、震える身体を必死にぼくに押し付けてくる。
自分より先に誰かが取り乱すと、逆に冷静になれるってよくフィクションなんかで見るっけ。きっと、今のぼくはそんな状態なんだろう。
「グァァァハハハ……」
黒トカゲが、まるであざ笑うかのような声を上げた。
その瞬間、ぼくの頭にかあっと血が上る。
「お……お前なんかが……っ!」
勝手に、口が動いた。
震える声は、怒っているからか、悲しいからか、悔しいからか……今のぼくには見当もつかない。
「先輩を……っ! 先輩を笑うなあぁぁーっ!!」
初級爆魔法!
心の中でそう叫ぶ。刹那、黒トカゲの腹が爆ぜた。激しい音が響く中で、そいつはようやく先輩だったものを口から吐き出す。
原型は、まったく残っていなかった。あの、少しくせのある銀色の髪も……穏やかだったブロンドの瞳も……そこには、何も。
また、頭に血が上ってくるのを感じる。そしてもう、ぼくを抑え付けていた心のタガはどこかへ吹き飛んだ。
「死ねぇぇーーっ!!」
こいつを生かしていたらいけない。絶対に、こいつだけは許しちゃダメだ。
そして考えるよりも早く、ぼくは初級爆魔法を作っては放ち、放っては作りを繰り返す。
威力は低い。所詮、暴走した人間が唱える魔法なんてこんなものだ。そもそも、中級以上の魔法をまだ完全には使いこなせていないぼくなんだから、当然だ。
連結魔法の要素もない、ただ形だけの式が延々と爆音を響かせ続ける。
「ッガアアァア!」
けれどその爆風の中から、黒トカゲが躍り出てきた。動きは、最初に戦ったあの大トカゲとりも早い。小さい分、洗練されている。
その牙が、ぼくの右肩をかすめた。その衝撃で、ぼくは吹き飛ばされ、ティーアから少し離れたところに転がっていく。
痛さなんて感じなかった。そんなものを感じていられるほど、今のぼくは、冷静じゃない!
黒トカゲが、まったく光のない瞳を向けてくる。目障りだ。まったく……ッ、その顔すべてが不愉快だッ!
ぼくは立ち上がり、マナを凝りかためながら黒トカゲをにらむ。
「もっと、もっとだ……ッ、もっと力を……!」
そして泣き叫ぶティーアの前に出る。これ以上、これ以上好きになんてさせるもんか!
魔法を……! マナを、練り上げるんだ……!
銃……そう、銃だ! すべてを貫く、悪魔を滅する、銀色の弾丸を! 考えうるイメージのすべてを魔法式に変える、その腹積もりで!
――土! 造成! 成形!
「グアアァァー!」
黒トカゲが襲ってくる。でも避けない……避けるもんか!
――炎! 増幅! 非制御!
「グゥフフヒイヒヒヒ!」
怖気が走るようなキモい顔が、ぼくの右腕に食らいつく。キショい鳴き声と破砕音に続いて、ぼくの右腕が壊されていく。
腕から、二の腕へ。二の腕から、肩へ。次は……頭か?
……構わない。
これくらい、こんなことくらいで! これくらいの痛みでッ!
――風! 起風! 拡張!
「うわあああぁぁぁぁーーーッッ!!」
左手を、黒トカゲの頭にたたきつけながら魔法を放つ。
邪悪なものを打ち砕く! ただそのイメージのみを純化させた魔法を!
この世界じゃ絶対にありえない砲音が、盛大なマズルフラッシュと共に響き渡る。
それによって生み出されたものは、まさにシルバーブレット。魔のものよ、滅ぶべし!
けれど――――。
そこで魔法は暴発して、すべてが消え失せてしまった。
それに巻き込まれて、ぼくは黒トカゲともども派手に吹き飛ばされる。
「うがぁっ!?」
顔面から地面に落ちて、その瞬間に左目から光をとらえる力が消えたのを感じた。
――失敗した。
当然だ、当たり前だ。魔法は……特に無詠唱は、精神状態によって成否が分かれる。怒りに我を忘れ、無謀で何も顧みずに構築した式なんて……成功するわけがない……。
……失敗した。
失敗した、失敗した失敗した失敗した――。
かすむ視界の果てで、まだ生きているらしい炎霊石ランプの光に照らされながら黒トカゲが立ち上がる。
そして、血を顔から滴らせながらも、怒りと思われる顔つきでぼくのほうへと歩いてくる……。
……ああ。
どうやら本当に……ぼくは……もう、ここで終わりらしい。
……なんだよ。
漫画家に……なるって言ってたくせに……。
そうか……ぼくは、またその夢を果たせなかったのか……。
……いや……いいんだ、それはもう。いいんだ。
ただ……先輩の敵を取れなかった……ティーアを守れなかった……。
今はそっちのほうが……、悔しくてならない……。開発と絵だけやってないで……もっと……もっと魔法の練習、しておくんだったなあ……。
黒トカゲが、大口を上げてぼくに迫る。ぼくは、そっと目を閉じようとして――。
「グゥゥアァァ――ギイイィィィッ!?」
その黒トカゲが、突如悲鳴を上げて後ろへと吹き飛んで行った。派手な音と共に、壁から土煙が上がる。
そんな半分の視界の中に、新しい人影があった。
大きな身体だ。黒く焼け、鍛え抜かれた大きな身体。
くるりと振り返ったその人の顔は精悍で、額には見覚えのある古い向う傷……。
「……とう、……さん……?」
「セフィ……! がんばったな……、よくがんばった……! あとは父さんに任せろ……すぐに終わらせてやる……!」
ああ……なんて、なんて逞しい人なんだろう。なんて頼りがいのある背中なんだろう。
強い……きっとこの人は、ぼくなんかとは比べ物にならないほど強くて、ずっとずっと高いところにいる人だ。
父さん……この人が、ぼくの父さんなんだな……。
「ティフ、久々に全力全開で行くぞ……!」
「おうよ!」
その言葉と共に、父さんの身体が淡い光に包まれた。その肩には、猛禽類を思わせる大きな鳥がいるように見えた。
それもやがて光になり、父さんの身体へと吸い込まれ……そして、父さんの身体から、爆発的な勢いで猛烈なオーラがあふれ出る。
マナの鍛錬のようなものとは次元が違った。まさに全力全開と言う言葉通りの、父さんのすべてが込められた体勢なんだろう。
そして父さんはそのオーラをさらに激しく爆発させながら、地面を蹴った。
「去ねやァァァッ!!」
閃光。
そして……ぼくが意識を保っていられたのは、そこまで。
暗い暗い、どこまでも深い闇の奥底へ、ぼくは沈み込んでいく。
聞き覚えのある呼び出し音がなっていたような気もしたけど……それに気を向けているだけの余裕は、もう残されていなかったのだ……。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
レギュラー級のキャラ初の死者が第42話目に来たのは単なる偶然です。
残念ながら、夢オチではないです。




