◆第4話 もう一人のプロローグ
既に日は落ち、辺りを照らすものは無数の星々と、夜空の女王たる月だけだ。されど街はいまだ眠ることなく、煌々と明かりをともし続けている。
歓楽街はいまだに喧騒が絶えず、酒の入った人々が今のこの瞬間で輝く。どこにでもある、街の光景。
そんな夜の街はずれ。まったく人通りのない裏路地を、一人の少女が歩いていた。
街灯すら死にかけたその通りで少女を照らすものは、ただ夜風をまとった黄金の女王だけ。それでもなお、明かりはそれで十分とばかりに彼女はもくもくと歩き続ける。
年の頃は、十前後と言ったところか。歩きに合わせて、鴉の濡れ羽色したポニーテールが静かに揺れる。
その装いは薔薇色の和風だが、その襟元は、左前。さらに裾はマントのように広げられ、風になびいている。すらりとのびた脚は一切の穢れもなく、艶めいている。
と。
少女が、不意に足を止めた。そして、左右で色の異なる瞳が――青と赤の瞳が、ちらりと横へと流れる。
しばらく、静寂が流れる。遠くで、歓楽街の嬌声がかすかに上がっている。
さらに静寂。少女は、一切動かない。
しかし次の瞬間――少女は最小限の動きで上半身をわずかにそらした。直後、そのわずかな動きがなければあわや、という地点を獰猛な爪が通り過ぎる。
「はっ!」
その爪をやり過ごし、少女はためらうことなく目の前の奇妙に変形した腕をつかみあげた。そうして自らのほうへと引きずりながら、眼前の虚空から光り輝く弾を放つ。
「グィィッ!?」
気味の悪い悲鳴が、裏路地通りに響いた。さらに直後、肉が千切れる音と血潮が吹き上がる音が続く。
だが少女は、それに気後れすることなく冷静に、そして冷徹に言い放つと、引き寄せたそれ――鬼を思わせる巨体の頭をわしづかみにして持ち上げた。
「グ……ッ、ガッ、キサ、貴様……!」
「ふん……雑魚の分際で随分と思い切った行動に出たな。このわしを相手に、気づかれぬとでも思ったのか? わしが何をした女か、知らぬわけでもあるまいに」
時代がかった山の手言葉を隠すこともなく、少女は言う。
体格差は1メートル以上もあろうというのに、少女がそれを苦にする様子はない。
当然だ。彼女は、何もない空中を、そのまま足場として踏みしめているのだから。彼女にとって、この程度の体格差は問題ではなかった。
「うガ、アア……! 主様の、主様ノ敵……! 恨みッ、ここで晴らさで……!」
「先に人類に牙を剥いたはうぬらではないか。逆恨みもほどほどにせいよ、莫迦者が」
色違いの相貌が、異形の視線を釘付けにする。そしてそのまま、串刺しにする。
鋭い視線に射抜かれた異形はもはや、言葉を口にする気力すら削がれてしまっていた。
そこに宿っている深淵が、あまりにも理解を越えた深さであったがゆえに……。
「失せろ」
「グアアァァァーッ!?」
そして少女は、これまたためらうことなく拳を握りしめた。当然、そこに収まっていた異形の頭は……それに合わせて粉々になった。
ぼどり、と力を失った肉体が地面に落ちる。合わせて、タールのようにどす黒い、異形独特の血潮が噴水のように吹き上がり、少女はその返り血を嫌う風も見せず浴びていく。
が……次の瞬間その返り血は、少女の身体を避けるかのように、零れ落ちていく。そして、ほどなくして少女は何事もなかったかのように直前までの柔肌を取り戻した。
そしてまた、静寂が訪れる。
「残党狩りも、そろそろ終いか」
夜のしじまに、彼女の独り言が浮かんで消えた。今まさに目の前で絶命した存在など、至極どうでもよさそうな声音であった。
夜風が、彼女の小さな身体を撫でていく。少女はしばらく、それまでの冷徹な色を一転させて、どこか懐かしそうに歓楽街の方向へと目を向けた。
そしてそのまま、風の中に立ち尽くしていたが……。
「……むっ?」
その目の前に、突如として赤い光が湧き上がった。そしてその光に、少女の身体が少しずつ引き寄せられていく。
「これは……召喚の反応光? じゃがこの様子は……いずこかの神によるものではないか。神が直接干渉するなぞ、通常は……」
ありえぬ、という言葉を少女は飲み込んだ。通常ではなければあり得る、そう思ったからだ。
それから、自らを強制的に引きずり込もうとする赤い光の中にあってなお、慌てるそぶりも見せずに刹那、思考する。
「……これもまた一興、か」
そうしてにやり、と笑うと、少女は抵抗をやめた。
その瞬間、枷がなくなった赤い光はあっという間に少女の身体を飲み込み――そして、少女の姿が消えると同時に、その場から残光すら残すことなく光は消え去った……。
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赤い光が徐々に収まっていく。やがて光が完全に消えたことを確認し、少女は目を開いた。
最初に視界に飛び込んできたのは、一段高くなった場所にしつらえられた玉座であった。次いで、その後ろにかけられた大きなタペストリ。そこに描かれるは、星と三日月の意匠が重なり合った紋章だ。
周囲に目を移せば、そこはいくつもの柱が居並ぶ謁見の間であることがよくわかった。ただし人の気配は一切ない。後方には、人の身をゆうに超える巨大な扉……。
「……空気が違うな。異世界まで連れてこられたか」
『その通り』
少女がひとりごちた、その言葉に、すぐさま言葉が返ってきた。その声は朗々と響き渡る青年のもので、しかしその言葉の意味するところはさすがの少女にもわからなかった。
だが、その声がどこからやってきたかは理解した。また、それがどういう存在によるのかも。だから少女は、声のありか……一本の柱へと目を向ける。
『即バレか……さすがとしか言いようがねーな』
少女の視線を受けて、その柱の前に赤い光が浮かび上がった。それはそのまま人の姿を取る。やがて、飽和した光がはじけた後、そこには一人の青年が立っていた。
その姿を、少女はじろりと眺めやる。上から下まで、なめるように観察するつもりで。
爽やかに整えられた青年の短髪は、燃える炎のごとく赤かった。それが何より人の目を引く。そしてその瞳もまた、炎のように赤い。
一方身にまとう衣服は、青いカーディガンを白のシャツ、それに黒いジーンズという極めてカジュアルなものだ。その中で、黄金の台座に光を放つかのごとき存在感の赤い宝石を据えた首飾りが、神々しさを醸し出している。
線の細い身体つきではあるが、華奢ではない。背丈は、少女と比べて頭二つ分は大きいか。
そしてその顔つきは、眉目秀麗。美形と呼んでなんら差支えの無い、整った顔立ちである。
しかし、その甘いマスクが少女の心を動かすことはなかった。
「元人間か。そのわりにはなかなかの神威を持っておるな。それなりの地位にあるようじゃが……」
あくまで観察者に徹して、少女は感想をこぼした。
その気取らない態度に、青年はにっと笑う。そして、
『あー、あー、テステス……日本語はこれでよかったか? 通じてるか?」
それまで少女にはわからない言語を用いていたものを、日本語に切り替えた。
「ああ、それでよい。……で?」
それに応じた少女は、そんなことより、と言いたげに問うた。
「わざわざ人を異世界まで召喚した理由を聞かせてもらおうか」
「気が早いと言うか、話が早いと言うか……」
腕を組んで顎をしゃくる少女に、青年が苦笑する。が、すぐに取りつくろうと、表情を引き締めて、改めて少女と向かい合った。
「俺の名前はナルニオル。この世界で、主神をしている」
そう名乗った青年――神に対して、少女は態度を変えない。「それで?」と言いたげに、うっすらと瞼を閉じただけだ。
「あんたにはあれこれ言葉飾る必要なんてないだろうから、単刀直入に言うが……俺たちの世界を助けてほしいんだ」
少女はやはり無言。
「俺たちの世界は、317年後に滅亡する。今いるこの世界線だけの話じゃない。すべての世界線が、すべての可能性が、317年後の滅びに向けて収束してしまっているんだ」
「なるほど、よくわかった。つまり……」
ナルニオルの言葉を遮った少女は、組んでいた腕を解いた。
そして彼にさらに歩み寄りながら、続きを口にする。
「この世界の存在では、滅びへ向かわせる原因を除くことができぬと。故に、わしをわざわざ召喚したのじゃな。この世界に、新たな可能性を産むために」
「ご明察。どうだ、引き受けてくれるか?」
「報酬次第、と言っておこう」
顔を突き合わせられて、一瞬ナルニオルが真顔になった。が、すぐににやっと笑みを浮かべると、すれ違いになりながら少女の肩を叩く。
「あんたは本当に話がわかるな。さすが、かつては神を殺し、今や単身異世界を渡り歩く伝説の魔法使いだ」
「返事を聞こうか」
「おう。報酬は、あんたの世界への帰還。それでどうだ?」
にい、と白い歯を見せて笑うナルニオルの顔は、どことなくいたずら小僧のそれに似ていた。
その燃え盛る瞳に、同じく燃え盛る自身の右目を重ねながら、少女も笑う。
「ふっ、なるほど。さすがに主神よ、よく考えてある。他世界の神々はわしを厄介払いできる。お主らは自らの世界を救える。わしは己の世界に帰れる。誰も損はせぬ、そういうことじゃな」
少女の言葉に、ナルニオルは答えない。ただ、満面の笑みを浮かべるだけだ。
「よかろう。その口車、乗ってやろうではないか」
「サンッキューベリィマッチ!」
少女の返答と同時に、ナルニオルは嬉々として握り拳を作り、それから親指を立てて少女に向けた。
一方の少女も、そのハイテンションなナルニオルに合わせる形で、親指を立てた手を笑顔で向ける。
が、すぐに真顔に戻ると、ナルニオルへ改めて問う。
「で? わしはどう動けばいい? わかっておると思うが、異分子であるわしがこの世界を直接救うなぞ、歪みを産むだけじゃろう」
「ああ、その通りだ。だから、準備はしてある」
言いながら、ナルニオルはフィンガースナップを決める。直後、彼らの足元に衛星写真とも言うべき映像が浮かび上がった。
「今俺たちがいるのは、ちょうど今立っているあたりだ。俺たちの世界で一番の国、セントラル帝国。ここの東に、シエル王国っていう国があるんだが……」
言いながら、彼は映像の端の方へと歩いていく。
そして、ある一点で足を止めた。その足元にある街影に、「シエル王国」という文字が浮かび上がる。ご丁寧に日本語だ。
「ここに、世界を救えるかもしれない可能性を持つやつがいる。そいつを助けてやってほしいんだ」
「なるほど、わしは裏方に徹すればよいのじゃな。方法は?」
「問わない。直に関わらない限りは、あんたの自由にやってもらって構わんさ」
「ふむ……では、神でも名乗ってみるか。この世界の神は、不介入主義ではないのじゃろう?」
「おう、ガンガン介入してるぞ。だから普通は神を僭称するのは許さねーが……あんたの場合、こっちが助けてもらう側だからな。その辺も、好きにしてくれ」
「わかった。好きにさせてもらおうかの」
頷きながら、少女はくくく、と笑った。幼くも整った顔立ちにおおよそ似つかわしくない、悪党のような笑みだった。
「それで? わしが手を貸すべき英雄の卵の名は?」
「おう、そいつなんだがな……」
もう一度、ナルニオルのフィンガースナップ。すると、足元の映像がとある子供の顔へ変わる。
「こいつだ。名を、セフュード・ハルアス・フロウリアス。まもなく5歳ってところだな」
「卵も卵か……まあよい、了解した」
白みがかった金髪に、サファイアのような青い瞳の幼児を数秒見つめ、少女はまた、うっすらと笑う。
それから、手振りでもう十分と伝え、彼女は踵を返す。
それを見て、ナルニオルが手を掲げた。すると床の映像はたちどころに消え、代わってあの巨大な扉が音もなく開き始める。
「それじゃ頼むぜ。伝説の魔法使い、光藤子さんよ」
「ふっ、期待はするなと言っておこう」
少しずつ入り込んでくる光を浴びながら、少女――藤子は、不敵な笑みを後ろに向けた。しかし、既にナルニオルの姿はそこにはない。
それを当然と言わんばかりに受け流すと、藤子は扉の外へと足を向けた――。
この年、大陸一の大国セントラル帝国では、有史以来未だに踏破者のいない神話級の遺跡から現れた少女の噂が、随所で聴かれるようになる。
しかしそれは、直後に行われた新帝即位の話題でかき消され、他国へ流れ出ることなく立ち消えたのであった……。
当作品を読んでいただきありがとうございます。
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ようやくダブル主人公が出そろいました。
物語のメインはあくまでセフィで、藤子はサブとなります。
主にセフィというキャラではできないことを行う、サポートをするポジションとして動いていくことになります。
しかし仮にも主人公なので、セフィとは異なる独自の行動もします。
そんな藤子がメインの回は、サブタイトルの頭に「◆」のマークを入れて区別しますので、ご了承ください。