第32話 51歳児、父
「セフィ様、ご友人がいらしております」
「んあ、友達? わかった、すぐ行くから待っててもらえるかな」
「かしこまりました」
部屋を出ていくフィーネを見送り、ぼくは机に向き直る。
友達、というとたぶんシェルシェ先輩だろう。元町在住の知り合いは他にいないし。
ただまあ、先輩には悪いんだけど、今ちょっと龍に目を入れる的な作業をしてるので、もう少しだけ待っていてほしい。ごめんね。
ぼくは、持っていたペンを下ろす。鉛筆じゃなくて、ペンだ。そして向かう紙には、鉛筆で描かれた大まかな絵が、縦並びで四角く区切られた4つのスペースにそれぞれ入っている……。
そう、いわゆる4コマ漫画の原稿だ。深いストーリーや奇想天外なオチはない。習作なもので。
いやまあ? 原稿って言ったところで、そもそも印刷用の道具がまだ何一つないからどうしようもできないんだけどさ。
ただ、パソコンなんてありえないこの世界で漫画を描くとなるとこれ以外の手段がないので、今のうちにアナログのペン入れには慣れておいた方がいいと思ってね。最近は時間にも余裕ができてきてるから、空いた時間はこの手の練習もしてるのだ。
何せ生前は、パソコンを買ってからずっとデジタルで絵を描いていた。アナログでの漫画描きなんて、実は1年もやってない。うん、ぶっちゃけほとんど専門外なんだよね。
アナログはつらい。だってミスったら戻せない。コントロールキー+Zキーの恩恵は、神からもたらされた慈悲みたいなものだ。
なので、どうしてもペン入れをする時は緊張する。今みたいにほとんど息を止めて、全力で集中しないと、とんでもないことになっちゃうからね。
線が角ばる程度は、まだいい。最悪の場合、紙が破れる。それだけは避けないと。
カリカリと、小気味いい音が静かに響く。他の筆記具では出ない音。アナログならではのこの音は、なんだか漫画描いてるぜって気分になるので、これに関しては素直に楽しいと思う。
そんなことで何を、って? 気分とかノリって、大事だよ?
自己満足だろうと自己暗示だろうと、創作をする上でテンションってのはすごく大事だ。モチベーションなんて、簡単にブレるからね。自己満足でそれが維持できるなら、安いもんだ。
「……ふぃ。こんなところかな。まだ連続した曲線は慣れないなあ……」
出来上がった原稿を持ち上げて眺めながら、つぶやく。
改めて少し離して見てみると、やっぱり粗が目立つ。なまじ前世でデジタルのきれいな線を見てきただけに、自分で自分に及第点をつけるのに躊躇するレベルだ。
でも、できないならできるようになればいい。これに関しては本当に、がんばればなんとかなることだから。
「問題は……」
もう一度原稿を机に置き、消しパンを手に取る。そしてそれで、インクが乾いている部分の下書きを消してみる。
しかしその跡は、完全には消えない。どれだけこすりつけても、やっぱりパンでは限界があるんだよね。
「……やっぱ本格的に漫画を描くなら、消しゴムは必須だよなあ」
パンを持ったまま、手の甲に顎を乗せてうーん、とうなる。
ただ、作り方はさっぱりわからない。そこは藤子ちゃんに聞くしかないとして……材料、あるかなあ。プラスチックとか、どう考えてもこの世界にはないだろうし。
石油も……あるのかなあ。昔は日本でもわずかには採れたって話が残ってるから、この世界でも似たようなものはあるとは思うけど……。
「……それもまた後で、か。仕方ないね」
今は先輩を待たせてる。これ以上は、いくら親しい友人と言ってもまずいだろう。
小さいため息と一緒にパンを置き、ぼくは立ち上がった。
それから伸びを一つして、机の上を片づけて……っと。
よし、じゃあ下に行こう。
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ゲストルームに入ってぼくが最初に見たもの。それは母さんに跪き、最敬礼をしているシェルシェ先輩の姿だった。
今まで見たこともない状態に、思わず固まるぼくである。
「あ、セフィ。お友達だぞ」
「あ、う、うん……」
母さんに言われて、初めて動き出すぼく。
それに合わせて、先輩が一言断ってから立ち上がった。
「……あの、とても息子の友達を出迎えてるシーンじゃないけど」
「いや、それはその、あれだ。私は元町では有名だからな……」
なぜか目をそらす母さん。
やましいところがあるなら、そんなことをする必要なんてないでしょ? それ、絶対何か隠してるでしょ?
ところが母さんは、妙によそよそしい態度で部屋から出ていく。
「で、ではセフィ、私はおさらばするとしよう。友達同士、積もる話もあるだろう」
そんなことを言いながら。
なんだかなあ……。
「セフィく……、セフュード殿下」
ぼくが首をひねっていると、後ろから先輩に声をかけられた。
振り返れば、少し顔をしかめた先輩とご対面。
殿下?
「はい?」
「驚きました……まさかあなたが王子だったとは……」
「……うん?」
ナンデスカ、ソレハ?
「本当に驚いたんですよ! 仰られた通り来てみれば、このお屋敷で!……いえ、あなたにはあなたの事情があったからこそ隠していたのでしょうが……」
「ちょちょちょ、ちょーっと、先輩待ってください」
「きっと王族には王族の悩みが……はい?」
「……王子?」
先輩を遮って、それからぼくは聞きながら自分を恐る恐る指差した。
確認するように、ゆっくりと聞く。
それに対して先輩は、目をぱちくりさせた。
「……え?」
「え?」
「いや、だってあの方、『不死身』のベリーで……えぇ?」
「は? 不死身?」
「…………」
「…………」
まるでかみ合ってない!
ナニコレ、え? ちょ、どういうこと?
「気づいてしまったようだな!」
ぼくと先輩が呆然と見つめ合っていると、突然聞き覚えのある声が乱入してきた。
この声は……!
「父さ……なんかかっこいいポーズ決めてきた!?」
そこには、片手で顔の半分を覆い隠しながらも、空いた片手をその腕に添え、脚は前後にクロスさせて少しニヒルな笑みを浮かべ、入り口の壁によりかかった父さんが!
いや……何で今それをする必要が!?
「ここは積極的に攻めるべきかと思ってな」
「誰に攻めるのさ……」
フッ、と笑う父さんに、心底脱力を禁じ得ないぼくだ。
この人、基本カッコいいんだけどたまにこうやってふざけるんだよなあ。主にぼくの前だけなのは、合わせようとしてるのかそれとも素なのか……。
嫌いじゃないけどね? 親しみやすいっていうか?
「あー、畏まらなくていいから。そのままそのまま」
その父さん、先輩が跪こうとするのを見て、慌ててポーズを解いてそう言った。
それを受けて、先輩は一瞬硬直する……そして、緊張した面持ちでゆるゆると身体を起こした。
「シェルシェ君……だったな。すまんな、セフィたちには俺たちのことは何も話してないんだ」
「そ、そうでしたか……まことに申し訳ありません……」
「いや、いいんだ。学校を出るまではせめて……とは思っていたが、どうせいつかはわかることだからな。とりあえず2人とも、座りなさい。それからティーアも呼ぼう……フィーネ」
「はい、畏まりました」
父さんに言われて、フィーネがきびきびと動いているのが隙間から見えた。
それを見届けて、父さんはテーブルに着く。促されて、ぼくたちも呆然としながら席に着くのだった。
ほどなくして、ティーアが部屋に入ってきた。運動しやすい、簡素なドレスが彼女の普段着だ。
「父さま、お呼びですか?」
「ああ。さ、ティーアも座りなさい」
「はい」
……いつの間にそんなやり取りが交わせるようになったんだい。知らないうちに妹が成長してる……!
ぼくが感動に打ち震えていると、隣の席にティーアが座った。それから、にこっとぼくに微笑みかけてくる。
天使!!
「さてどこから話すべきか……いや、まず名乗ろうか。俺の本名、お前たちまだ知らないだろ?」
父さんに聞かれて、あわてて意識を切り替える。それから、コクコクと頷いた。
ティーアもこっくりと大きく頷く。
「俺の本名……フルネームはな、長ったらしいんだが……ディアルト・ユーディア・ハルアス・フロウリアスという」
ハルアス……フロウリアス……だと……!?
「「えええぇぇぇ!?」」
突然の告白に、思わず大声を上げるぼくとティーアだ。
この国の人間なら誰だってこうなるだろう。
フロウリアスは、かつてのフローリア王国から続く王家の姓。そしてハルアスは分裂当時、シエル王国を領した王子の名前。
つまりハルアス・フロウリアスは、シエル王国の正統に属する証となる姓なのだ。
しかもここにユーディアがつくと、もっと価値は重くなる。これは、王位を継いだものと次期国王……つまり王太子の2人しか名乗ることが許されない名前。神話の初代、ユーディー王にちなんだ歴史と由緒ある名前なのだから。
そして驚くことはもう1つ。
「と、父さんが……!?」
「ディアルト4世……!?」
歴史の授業で習った。今の王様、ディアルト4世は、税制度や政治制度、教育制度、郡制度、はては度量衡に至るまで、あらゆる分野において多大な功績を残す人なのだと。
特に教育には即位当時から強い熱意を持って臨み、「人は国の宝である」というスローガンのもと、国全体に学校教育制度という画期的なシステムを導入した本人として知られる。
それからおよそ20年が経ち、今やシエル王国は大きく変わりつつあるのだという。身分を問わず教育の門戸を開いたことで、豊富な人材が育っているのだ。
およそ20年という時間は、決して短くはなかった。しかし、それによって育ったかつての子供たちは今、各国の優れた技術や知識を吸収し、シエル王国の発展に寄与しているのだという。
そして驚くべきは、その資金が国庫ではなくすべてディアルト4世の個人資産からねん出されていることだ。
元ミスリル冒険者であり、大陸中のダンジョンに挑んだ過去を持つ王は即位当時、シエル王国の1年の歳入を大幅に上回る資産を持っていた。それを、惜しみなく国のために注ぎ込んだのである。
かくなる経緯により、ディアルト4世は賢君の呼び声高い。「教育に思想を持ち込むな」という王の指示により、生徒の前で王を賛美することが許されていないにも関わらず、何度も教師陣が王を称えようとするのだから、国民からどう思われているかは推して知るべしというか。
……でも、そんな名君のイメージと、今ぼくたちの目の前でにやにや笑っている父さんは、まったくかみ合わない。もう50代に入ったっていうのに、いたずら小僧みたいに笑ってるんだよ?
焼けた肌も、ちっとも王様らしくない。これじゃまるで農夫だ。身体つきに至っては、相変わらずの筋肉センセーションだもんなあ。
「ふふっ、ははははは! そうそうそれ! お前たちのそんな顔が見たかった!」
おまけにこんなことを言うんだから、世話ないよ!
「そんな理由で伏せてたの!?」
「そうだ!」
「言い切った!?」
「嘘だ!」
「どっちだよ!!」
ギャグマンガか、このやり取りは! 大草原不可避すぎるよ!
「……父さま、王様の名前を勝手に名乗ったら殺されちゃうんだよ?」
「違うんだティーア、俺が本人だから! 俺王様だから!」
「嘘ついちゃダメなんだよ? マティアス様に舌べろ引っこ抜かれちゃうんだよ?」
「信じてくれティーアァァ!」
ティーアの赤い瞳が、疑いの色で染まりまくってる。彼女もぼくと同じ感想を抱いているようだ。
「どうです先輩、こんな人が王様に見えます?」
「セフィィィ!?」
「いえその……ボク、以前に遠目から御尊顔拝見したことありまして……」
「まーじーすか」
……なんでドヤ顔なんだ、父さんよ。
「先輩ほんとー?」
「無理しなくていいんですよ、先輩?」
「うちの子供たちが親に手厳しくて悲しい」
「日ごろの行いがモノを言うって、ぼく昔から言ってたよね父さん?」
「まあうん……陛下の英雄像がどんどん崩れていってはいますが……」
「シェルシェ君!?」
「ほら」
「ほらぁ」
「ぬわーーっっ!!」
あ、今炎に巻かれて死んだ。
ほっほっほ、子を想う親の気持ちはいつ見てもいいものですね……って、なんでぼくがゲマなんだ。
「セフィく……セフュード殿下」
「あのー先輩、その呼び方やめてくださいよぉ。ぼくは先輩より年下で、同じ部屋で寝泊まりしてるルームメイトですよ? いつも通りでお願いしますってば」
「…………。……ふふ、じゃあ、セフィ君」
「はい、なんですか?」
「確かに陛下が王様っぽく見えなくなっちゃったけどさ……でも、1つ確信はあるよ」
「なんです?」
「親子なんだなあ、って。言動、そっくりだよね」
「…………、先輩!?」
バカな! ぼくは先輩の前でこんなことした覚えはないぞ! 普段からぼくは真摯に紳士として振る舞ってたハズ!
いや、藤子ちゃんとの通信では、日本語や地球ネタが通じる嬉しさから最高にハイ! ってやつになったことは何度かあるけど! それでも彼女との通信は、人目につかないところでひっそりとやってたはずなのに……!?
「いえーい」
「父さんはちょっと黙っててくんない!? 話が進まない!」
「ふっ……遂に反抗期か……」
「いちいちめんどくさいなあんたは!」
その後も、威厳(王様としても父親としても)の欠片もない振る舞いを続ける父さんであった。
まあね……いいんだけどね。やたら厳しかったり、子供に興味なかったり、そんな人ではないんだし。まるで子供だけど……親しみやすいよね、こっちのほうがさ……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今まで何度か匂わせてい増したが、ようやくパパ上の素性が明らかに。
10年以上冒険者をやっていた人なので、民の幸福度最優先で考えた結果、威厳とは縁のない王様になってる感じで。
ちなみに、わりとボクの父がこの人の性格に近いところあったりします……。
なお、ちょっとお知らせを。
明日からの3連休、旅行で自宅を離れますので、今度の週末は本作の更新ができません。
今までなんだかんだで続けてきた毎日更新の記録が、ついにここで途切れることになりますが……なにとぞご了承ください。




