挿話 白い輝きを追って
『藤子ちゃんッ、お願いしまぁぁすッ!』
床に頭をぶつけるのも構わないという勢いで、ぼくは土下座した。相手は藤子ちゃんだ。
いつも通りの朝ではなく、夜。藤子ちゃんに通信しての第一声が、今のものである。
『……いきなりなんじゃ、藪から棒に』
ややつっけんどんな声が返ってきた。
まあね、呼び出して一発目が土下座だったら誰だってこうなるよね。
きっと彼女のことだから、養豚場の豚を見るような目で見下してくれてるに違いない。
『ご飯がッ! 食べたいですッ!!』
そんな彼女に、頭を下げたままの状態でぼくは叫んだ。
彼女はそのまましばらく沈黙していたけど、やがて絞り出すように口を開いた。
『……はあ?』
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『なるほど、米を食いたいと。それも白米をと』
ぼくを床に正座させて、藤子ちゃんは腕組みしながら頷いた。
ここは、ぼくの実家の自室。冬休みなので帰省中なのだ。おかげで夜でも通信ができる。
藤子ちゃんとの通信中は、彼女が自動で周囲の音声認識をごまかしてくれるので、夜だろうと構わず大声が出せるのだよ。
『そうなんだよ。この世に生を受けておよそ7年半、我慢してきたけど、もー我慢の限界』
ドシリアスな顔を全力でしながら、ぼくは深刻な視線を藤子ちゃんに向ける。
そうなのだ。ぼくは、米が食べたいのだ!
この世界、小麦の代用とも言えるパンノキがあるから、パンが主食だ。それはいい。パンだって好きだよ、ぼく。
でも、それとこれとは話が別なのだ。「主食」であってもご飯とパンは別なんだよ! 同じ製造業でも、車づくりと家づくりくらい違う!
日本人の皆さんなら、ぼくのこの気持ちがご理解いただけると思う! むしろ、7年半もご飯を食べずに我慢し続けてきたぼくは褒められこそすれ、否定されるいわれなんてないと思うんだ!
『だから藤子ちゃん! ぼくの昔の道具を用意できた君を信じてお願いするんだ! ご飯を! ぼくにご飯を食べさせてください!!』
『そうまでして食いたいか……?』
『食べたいよ! ご飯だよ!? 藤子ちゃんも日本人ならわかるでしょ!?』
『まったくわからん』
そのときセフィに電流走る――!!
『嘘だッッ!!』
『その自信はどこから出てきた』
『だってご飯だよ!? 日本人の魂だよ!?』
『いや……そもそもわし、不老不死じゃから食わずとも死なんし』
『そうきたかああぁぁ!?』
ぐわあああっと頭を抱えてのたうちまわるぼくである。
くっ、なんてことだ! そんなのありかよ!
『い……いや、でもッ、それでも食べたくなる時ってあるでしょ? お米! ねッ!?』
『ないとは言わんが、どうしても地球の食事がしたいとなってもそこで米を選ぶことは稀じゃのう』
『じゃあ何を食べるの!?』
思わず藤子ちゃんの肩をつかみ、ぼくは問う!
しかし返事は、
『トルティーヤ』
『まさかのトウモロコシ!?』
予想の斜め上すぎる回答! バカな――!!
『……どれだけ凹み倒すつもりじゃ。それほどショックか?』
『うう……まさかお米よりトウモロコシって答える日本人がいるなんて……』
『米にどういう幻想を抱いておるのやら……そんなもの、好みの問題じゃろうに』
めっちゃ深いため息つかれた! しかもこれみよがしだ!
く……っ、でも何も言えない……! 確かにそうだし……!
『……で。米はいいが、もしやお主、栽培するつもりではなかろうな?』
『……ダメなの!?』
『やめておいたほうがいいぞ……所詮、米はこの世界にとっては異世界の物質なんじゃ。どういうことになるかわかったものではない』
『何その経験済みみたいな言い方……』
そういえば、藤子ちゃんって色んな異世界を渡り歩いてるんだっけ?
過去に地球から物を持ち込んでとんでもないことになったこととか、ひょっとしてあるんだろうか……。
『うむ、世界大戦の引き金になったことがある』
『何を持ち込んだの!?』
『簡単な魔法道具じゃったがなあ。まあ道具でないにせよ、何がどうなるかなぞわかったものではない。
検疫の問題はお主ならわかるであろう? 地球でも過去に目を向ければ、梅毒のように海を越えて猛威を振るった病の例があるしな』
『返す言葉もございません……』
その通り過ぎるのよ……。
現代でも、鳥インフルエンザなんかが顕著な例だよね……。他の地域にないものが持ち込まれた時、何が起こるかわかったものじゃないよね……。
わかってるよ、わかってはいるんだけど……!
『じゃ、じゃあせめて、ぼく1人がここで食べるくらいはいいでしょ……!?』
『どうしても食いたいのじゃな……』
また深いため息つかれた!
さらに矢継ぎ早にもう一度ためいきをつかれて、くっ殺せとか思っていると、目の前にちゃぶ台が置かれた。
……ちゃぶ台、だよねこれ?
『やれやれじゃよ。まったく、どうなっても知らんぞ?』
次に、箸が置かれる。
『とはいえ実際に経験したほうがよかろう……』
さらに、卵と醤油さしが。
『ほれ、食え!』
そして最後に、ほっかほかのご飯が盛られた……茶碗!
『と……藤子ちゃん……!』
あなたが神か……!
『何が好みかわからんが、卵かけ飯を嫌う輩はそうおらんと思うてこれにした。いかがかな?』
『はい、大好物です!』
『それは重畳』
ふっと藤子ちゃんが笑ったけど……もはやぼくの意識はそちらからは完全に外れていた。
目の前……ちゃぶ台の上でたたずむ、白いご飯の山。藤子ちゃんが作った明かりを受けて、きらきらと光っている。
『お……お、おお……!』
思わず茶碗を両手でそっと持ち、掲げる。いや、崇める。
これだ……これだよ……! 涙が出てくるな……!
い、いや、落ち着け。落ち着くんだ、セフィよ。このまま崇めていたら、せっかくのご飯が冷めてしまう。それだけは避けねば!
卵を……割る……っ!
醤油を……かける……っ!
そして2つを……混ぜる……っ!
……パーフェクト! 完璧すぎるぜ! 喉が鳴るのを抑えきれないな……!
『じゃ……じゃあ……』
『ああ好きにせい……』
既に手を合わせつつも目を向けると、さもどうでもよさそうに藤子ちゃんは手をひらひらと振った。
いや、たぶん本当にどんでもいいんだろうけど。でも、ぼくにとってこれはある意味での念願なんだ……!
藤子ちゃんがよさそうなので、もう気兼ねはいらない。遠慮なく茶碗を手に取ると、ぼくはこれまた7年半ぶりの箸を手にして……、
『いただきまーす!』
卵かけごはんを食べた!
その瞬間、口の中に得も言われぬ味が広がっていく!
まず口をつくのは醤油の味と香り。けれどそれは強すぎるものではなく、すぐに卵の濃厚な味がやってきてほのかに混ざり合い、絶妙な味へと進化する。
しかしこれだけでは完成ではない。直後にやってくる、ご飯の味。あるかないか微妙だけど、でも確かにそこにある甘さは、ご飯……それもジャポニカ種でなければ出せない至高の味。
これが組み合わさることで三位一体となり、卵かけごはんという、世界一シンプルでありながら世界一完成された料理となるのだ!
そしてその味は……もはやあれこれと御託を並べるまでもない!
『うーーまーーいーーぞーー!!』
思わずリアクションで周囲を破壊したくなるような! そんな味!
これだよ、これ! こういうのが食べたかったんだよ!!
あまりの美味さに、箸を動かす手が止まらないぜ!! ご飯をかきこむって、こういう状態のことを言うんだなあ……!
『ごちそうさまでしたッ!』
そしてあっという間に完食。いやもう、それくらいおいしかったんだってば。
久しぶりに食べたという補正効果もあって、余計だね。
『ああ……やっぱりご飯っておいしいね……!』
『……左様か……』
もう、藤子ちゃんはなんでそんなに引いてるかな。日本人のお米に対する情熱を知らないとは言わせないぞ。
『あ、あのさー、……で、できればおかわり……なん、て……』
……おや?
なんだろう……なんか、……世界が渦巻いてる……よう、な……。
『う、……が、あ、……な……?』
手……手が、……めっちゃブルってる……な、なんぞこれ……何が起きて……。
……って、は、吐き気……? それに、……意識が……なんだか……遠のいて……。
『と、……藤、子、ちゃん……』
『言うたであろう、どうなっても知らぬ、と……』
最後にぼくが見たのは、呆れ顔を隠すこともなく、ぼくの前に立った藤子ちゃん、だった……。
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「はっ!?」
気づけば、ぼくはベッドに横になっていた。
音はない。静かなものだ。
しばらくそのまま、天井を見つめる。見つめながら、今まで何が起きていたかを考えて。
少しくらくらする……若干吐き気もあるような?
……って!
『よう、起きたか』
慌てて身体を起こしたぼくを、藤子ちゃんが出迎えた。そちらに目を向ければ、彼女はどこか退屈気に、椅子に座って本を読んでいたみたいだ。
彼女の、青と赤の瞳がジト目になってぼくを見つめていた。
『え、えーっと……藤子ちゃん? ぼく……』
『じゃからやめておけと言うたではないか』
『えーっと……?』
なんのことだろう……。
ぼくがそう思いながら首をひねっていると、藤子ちゃんは本を閉じてこちらに近づいてきた。それから、青い光を手から振りまきながら、それをぼくにかざす。
すると、かすかに残っていた倦怠感や吐き気が嘘のように消えていった。
『……あのー……何が起きたのか説明していただいても……?』
『ありていに言うと、中毒じゃな』
『はあ』
聞き覚えのあるため息をつきながら、藤子ちゃんがベッドの上に座る。
それから、ぎらっと、彼女の赤い瞳がぼくのほうを見た。
う……迫力……さすが異世界を渡り歩くもの……。
『要は……地球産の米は、この世界の住人にとっては極めて致死性の高い毒だということじゃ』
…………。
…………。
…………。
『……えっ?』
『だいぶ沈黙したな』
『いやいや、あの、……はっ!? 嘘でしょ!?』
『大マジじゃ』
揺らぐことのないまっすぐな視線が飛んでくる!
まーじーで!?
『……そんな! いやでも、わざと毒を盛ったとかじゃなくて!?』
『失礼な、わしは嘘の類はせぬ主義ぞ。というより、そんな面倒なことなぞするか』
『う……う……』
嘘でしょ……。
お米が……白米が……! あの、ご飯が……毒……!?
『そんなあー!? し、信じないぞ、信じるもんかー! あんなおいしいご飯が毒なわけがない! これはきっと機関の陰謀だ!』
『なんのじゃ。……あのなあ、そもそも美味と感じるからと言って毒ではないなどという法則はない。ベニテングタケとて、味は優れておるのだぞ?』
『うぐう――!』
あっさり論破された!
『そもそも、お主は魂は地球人なれど身体はアステリア大陸人。もはやその身体の構造はかつてとは異なる。地球のものが食えるわけないじゃろう』
『そ、そんな……どこのオーバーロードインベスだよ……』
『お主が地球人に戻るというなら話は別じゃがのう。しかしそうすると、恐らくお主はこの世界のものは何一つ食えなくなるじゃろうな……』
『ぐわああああーっ!!』
八方ふさがり!! 完全なる袋小路!!
ぼくはあまりの絶望に、頭を抱えて絶叫したのであった。
日本人の諸君……君たちが食べているご飯、その幸せをかみしめるんだよ……。
ぼくはもう……その幸せを味わうことはできないのだ……せめてぼくの分まで……ご飯を味わってくれ……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
本編とはほとんど関係ないんですが、思いついてしまったので書きました小話です。
これだけセフィにお米お米言わせておきながら、実はボクはお米は好きではなく、心情としては藤子に近いっていうこの。トルティーヤは食べたことないですけどね……。
※トルティーヤ
トウモロコシを挽いた粉から作られる薄焼きパン。主にメキシコのものをいう。
実のところ、藤子が好む作り方食べ方はメキシコのそれではないので、トルティーヤという呼称は正しくなかったりする。




