◆第29話 騒乱ブルードラゴン 4
ダンジョンの攻略は続いた。
主にセレンが傷だらけになりながら前線で身体を張り、後ろからハルートがそれを支援すると言うスタイルだ。
セレンは天性の才覚で次第に刀に慣れてきてはいるが、まだ動きはぎこちない。両手持ちをしている中で、とっさに左手を盾にしかけて大けがをしたこともあった。こればかりは、早急に剣の癖を抜くために刀を使い続けるしかない。
さすがにモンスターとの実地訓練は荒療治が過ぎるが、刀を使った戦い方の訓練を今までする機会がなかったのだから、仕方がない。何せセレンには、一般常識の教育も必要である。
一方ハルートはさすがに軍に所属するだけあって、戦いでの身の振り方やとっさの判断など、どれをとっても一流である。まだ刀に慣れていないセレンの盲点を、的確に守ってモンスターを撃墜している。
彼はそうして、常にセレンが1対1で戦えるように気を配っている。この働きがあればこそ、セレンも今まで致命傷を負わずに戦ってこれたと言っても過言ではない。
2人の後ろにつき、常に戦いを観察してきた藤子はひとまず、そんな感想を抱いていた。
藤子がただ見ていただけかといえばもちろんそうではない。彼女は自ら持つ超絶の回復魔法を駆使して、2人が常に全力で戦いができるように配慮している。
普通ならば、マナは使い続ければ枯渇する。そのため、常時全力で戦うことはできないのが常識だ。
しかし藤子の回復魔法は、使ったマナをも回復させる。これにより、実力的に一番劣るセレンでも、なんとか初めてのダンジョン攻略に食らいつけているのだ。
もちろん、1度の戦闘が終わるたびにアドバイスは忘れない。刀の構え方から振るい方、受け方、立ち居振る舞い。それら動作の中で、直前の戦闘において最も不作法だったところを指摘し、修正するのである。
途中、ハルートもアドバイスを望んできたので、彼にも魔法を操る際の細かな問題点等を指摘している。まあ、こちらは既に完成の域に入りつつあるハルートなだけに、あまり藤子も言うことはなかったが。
「む……2人とも、どうやらここが最下層のようだ」
階段を下りきったところで、目の前に現れた扉を見たハルートが、やや緊張気味にそう言った。
それに応じて、藤子たちも足を止めて彼へ向き直る。
「最下層? じゃあ、ここがゴール?」
「そうだよ、セレン君。しかしここではいおしまい、と言うわけではない」
「うむ。最下層となれば、マスターモンスターが待ち受けている。それを倒して初めて終いじゃ」
「マスター……モンスター?」
首をかしげるセレンである。
無理もないか、と思いながら藤子は一旦休憩を入れることを提案する。
ここまで来るのにおよそ7時間、ほとんど休むことなく全力、かつ全速力で駆け抜けてきた。いくら藤子の魔法で気力も体力も旺盛とはいえ、その精神力までは回復できない。
2人もそれに賛同したことを見て、藤子は簡易の椅子を人数分用意した。それからテーブルと、携行食の類を亜空間から取り出す。
「……もう私は驚かない」
「ははは、お主もだいぶ慣れたのう」
ムーンレイス特産の緑茶(あくまで色だけの話で、味は地球のものとは別物)を給されて、冷や汗を垂らしながらハルートが言えば、藤子はからからと笑うだけだ。
セレンは慣れたもので、出てきたものを遠慮なく、そして嬉しそうにほうばっている。
「さて……食いながら聞け。マスターモンスターとは、平たく言えばダンジョンの主じゃ」
「ぬし……王様ってこと?」
「そんなところじゃ。こやつを倒さぬ限りダンジョンは成長を続ける。周辺のマナを際限なく吸収して拡張したダンジョンは、やがて時空のゆがみを生じさせて圧縮崩壊する。それだけは避けねばならん」
小さいブラックホールと言えれば楽じゃが、と考えながら藤子は言葉を続ける。
「しかしこやつは、他のモンスターとは比べ物にならぬ強さを持つ。故に、最後の関門なのじゃよ」
「さ、さいごのかんもん……」
ごくり、と喉を鳴らしてセレンは緊張の面持ちになった。
「通常マスターモンスターは、その身に宿した『ダンジョン化』の魔法式により、無尽蔵のマナを持つ。このために断続的に攻め続けなければ倒せないのだが……まあ、トーコ殿がいる以上、こちらも常に全力が出せる。その点は我々も相手も、さした差はないだろうね」
「うむ。あとはどのようなやつが待ち受けておるかじゃが……はて、もしやここのマスターモンスター、ブルードラゴンなのではないかのう?」
藤子の言葉に、場が一瞬沈黙した。
それから彼女に目を向けて、ハルートが顎に手を当てる。
「……やはり、君もそう思っていたかね」
「うむ……氷を主体としたダンジョン構成は、冷気の力を持った魔獣が媒介になったからとしか思えぬ。その上で、あの大量のブルードラゴンがここに固執していたことを考えると……」
「身内が取り込まれた……だね?」
「ああ。しかし彼奴らの身体は大きすぎてダンジョンには入れぬ。そのために、とにかくダンジョン自体へ攻撃を仕掛けていたのではないかと……ここまで来て、思う次第じゃ」
「身内を助けようとしていたのか、殺そうとしていたのか……それはわからないが。私もその推測が正しいのではないかと思うよ」
そこでうむ、と頷き合う藤子とハルートである。
他方、セレンはやや青ざめた顔で食事のペースを落とした。
「……超パワーアップしてるブルードラゴンと戦うってことでしょ、それー? 私、大丈夫かな……」
「案ずるな、骨は拾ってやる」
「前提!? 私死ぬの前提なの!?」
藤子の揶揄に、セレンはまたもうわーんと泣き散らすのであった。
「まあ冗談はさておき」
「うう、トーコがひどい……」
「実際問題、どうするかのう? いざとなれば、わし1人で片づけられるが」
「……一つ、試してもらいたいことがあるのだが」
「うむ? なんじゃ、言うてみよ」
「トーコ殿、君は『ダンジョン化』の魔法式を解呪できるかね?」
ハルートの申し出に、藤子は目を丸くした。さすがに、予想していない問いだったのだ。
しかしその意図するところを察して、ゆっくりと顔に笑みを浮かべていく。
「やったことはない。実は神話級と遺産級以外潜ったことがなくてな」
「……なるほど。確かに上位ダンジョンのマスターモンスターは、『ダンジョン化』を受けたものではなかったね」
目を丸くし返してやった藤子はさらにくくく、と笑いながら、されど、と言葉を続ける。
「やれる自信はある。どれほどの時間を要するかはわからんがのう」
「……では……試してみてもらってもいいかね?」
「よかろう。しかし、何故ぞ? マスターモンスターを助けることに、さほどの意味があろうかのう?」
「魔獣が被害に遭っているうちは、ね。しかしもし、人間がマスターモンスターに選ばれてしまったらどうかな?」
「大のためには小を捨てる。そうした覚悟が、貴種には求められるものじゃと思うが?」
「無論だ。けれど、大も小も救えればそれに越したことはないじゃあないか。『ダンジョン化』魔法式の解析は、そのためにしておくべきことだと私は思うんだよ」
そこでハルートは一度言葉を区切る。
それから茶に手を伸ばして口の中を湿らせ、もっとも、と前置いて再度口を開いた。
「君ほどの規格外の存在と出会わなかったら、実行に移そうとは思わなかっただろうね。何せ、悔しいがこの世界はそこまで技術が発達していないのだから」
そう締めくくったハルートに、藤子は笑う。ただし、とても心地よさそうに。
「良かろう。その申し出、受けて立つ」
そうして、自信たっぷりに頷いた。
「じゃあトーコ、私は……」
「死にたくなければ観客に徹せよ。観ることもまた、訓練ぞ。もっとも、此度は闘技的なマナの使い方はせぬじゃろうがな……」
「ううん、それでも十分だよ! じゃあ、トーコを見てるね。ずっと見てるよ!」
そう言って両手で握り拳を作ったセレンに、藤子は苦笑交じりに茶へと手を伸ばした。
その様子を、どこか楽しげに眺めていたハルートもまた、改めて茶に口をつける。
それからしばらく、ダンジョンに不釣り合いなティーパーティーは続いたのであった。
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「では参ろうか」
藤子のその一言で開かれた扉の先は、暗黒に包まれた空間だった。
しかし彼女が足を踏み入れると、そこからじわりと、水に墨汁が広がるかのようにして、光が満ちていく。ほどなくして、その場は昼間のような明るさに支配される。
そこは、いやに広い空間であった。飾り気など欠片もなく、ただひたすらに殺風景な、広いだけの場所だ。
だがそこには、淀んだ瘴気が渦巻いている。天井まで届く勢いの黒い気体がうねりを上げて、まるで意思のある生き物のようにうごめく。長時間の滞在は危険だ。
(縦横高さ1キロメートル、実に画一的な構造じゃな。やはりこと現代級に関しては……)
手早く索敵を済ませた藤子は、ちらりとこの場に必要のないことを考えかけて、小さく首を振る。
それから、この場の最奥に鎮座するそれへと、目を向けた。
「……馬鹿な……」
それを見て、ハルートが絞り出すようにつぶやいた。
そこにいたもの……それは確かに、青いドラゴンだった。その点で言えば、藤子たちの予想は的を得ていたことになる。
しかし、しかしだ。
そのドラゴンの身体の色は、ブルードラゴンのそれとは異なっていたのである。
青い。確かに青いその身体は、しかしブルードラゴンとは異なり、透き通った色合いと光を淡く反射する光沢に包まれていた。その青はカルミュニメルの青に酷似し、その輝きは宝石のそれとイコールだ。
そして爬虫類系の魔獣に特徴的な、縦割れの瞳は――酷似ではない。間違いなくそれは、カルミュニメルの青であった。
「……げ、幻獣……だと……!?」
「……サファイアドラゴンか」
ハルートのつぶやきに、藤子が応じた。
セレンが、どういうことと言わんばかりに、2人の顔を交互に見つめる。
そして彼女たちに応じる形で、青いドラゴン――サファイアドラゴンはその長い首をもたげさせて、一声吼えた。
ブルードラゴンとあまり差のない、甲高い鳴き声。それが、この立方体の空間を砕かんばかりに響き渡る。
「うひゃあーっ!?」
「ぐ……っ!」
その大音声に、ハルートとセレンは慌てて耳をふさいだ。そこに宿るマナを、敏感に感じ取ったのである。
これが彼らに劣る実力程度であれば、この咆哮のみで早くもノックアウトは確実だ。周囲に満ちる瘴気と併せてみても、このダンジョンが現代級というにはあまりにも超難度であることは、もはやだれが見ても明らかである。
(最低でも空白級……もしやすると、遺産級並みやものう。しかし……)
「……そうでなくては、面白くないと言うものよ」
にたり。
藤子は純白の歯をむき出しにして、獰猛な……戦闘狂に類する笑みを浮かべた。
ただ、そこに喜楽があればそれでいい。死は怖くない。むしろ望むところなのだから。
「『百合籠』」
サファイアドラゴンの咆哮が収まると同時に、藤子が自らの魔法を宣言する。
すると橙色に輝く百合の花が、ハルートとセレンを覆う形で現れる。藤子が絶対の自信を持つ、防御魔法。
そしてそれを見て、遂にサファイアドラゴンが立ちあがった。藤子ならば、その背に10人は乗れそうな巨体を動かし、地響きにも似た揺れと共に、分厚い四肢で床を踏みしめる。
「トーコ!」
「……ここまで来ておいて何だが、私では君の足手まといになる。頼みましたぞ」
「おうよ」
そうして2人に、顔だけで振り返って応じ……。
「万事わしに任せておくがよい」
刹那、一直線に発射された冷気のブレスを片手で受け止めながら、改めて藤子は、サファイアドラゴンへと向き直った。
「は、ハルート……あのブレス、ブルードラゴンなんて目じゃない威力してるんだけど……」
「うむ……サファイアドラゴンとはそもそも、長く生き力を蓄えた末に至るブルードラゴンの形態なのだ。つまり……あのドラゴンは、ブルードラゴンなど比ではない力を持っている」
延々と続くブレスを受け止めながら……いや、それを構築するマナを吸収しながら、藤子は薄ら笑いを浮かべる。
そんな彼女の後ろで、ハルートは先ほどできなかったサファイアドラゴンについての説明を、セレンへ行う。百合の花に覆われたその中は、春の陽気が維持されている。衝撃もないのだ。
「全ての魔獣は、ああした最終形態とも言うべき姿を持つ。そしてあの段階に至った魔獣を、学問的には幻獣と呼んで区別しているのだよ、セレン殿」
「どう、違うの?」
「幻獣へと至ったものは、まず例外なく人語を解する。必要に迫られれば、それを口にすることもできるだろう。明確な理性と自我を獲得し、人間と同等の存在になるのだよ」
「……強い! すごい!」
「そうだ。とてつもなく、ね……」
立方体の部屋が、見る見るうちに凍り付いていく。温度はとうにマイナスに振りきれ、もはや人間の活動限界は近い。
それでも藤子は動じることなく、ただ時を待つかのように、一切動かずにブレスを受け続ける。
そして――その時は来た。
「諸共に、悪しきぞ祓う、花『薔火』――」
遂に衰えたブレスごと、全てを飲み込まんとするほどの勢いで藤子は、右手を掲げて高らかに詠う。黒い腕輪が、光をも飲み込んで静かにたたずむ。
「――永き形見と成りにけるかな」
今まで藤子が奪い続けてきたマナが、下の句が成ると同時に、一斉に放たれる。
燃え盛る大輪のバラ。灼熱の花弁はさながら、人々を導く文明の灯火めいて咲き誇った――。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
藤子は案外、育てるとなると徹底的に手をかけるタイプです。
育てる相手は選びますけどね。
そして和歌詠唱第三弾。今回は趣向を変えて、離別の詩です。
最近、ちょっと和歌を考えるのが楽しくなってきました。まあ、所詮付け焼刃でしかないんですがね……。




