◆第27話 騒乱ブルードラゴン 2
「何? ではお主、議会の承認を得ずに独断で単独先行したのか?」
「全会一致だとは思うけれども、それでも軍が出動するまでには時間がかかるからね」
「……民主主義の欠点ではあるな。しかしそうでなくとも、わざわざ親王自ら出張らずともよかったであろうに」
「そうはいかない、私はムーンレイスの軍人だ。有事の際は、誰よりもまず先頭に立つ義務がある。宮家であるならば、なおさらだ」
「早死にする類の男じゃのう、お主も……」
「も?」
「も、じゃ」
ふう、という藤子のため息が真っ白に染まりながら、風に流されて消えていった。
ブルードラゴンたちのブレスは止んでいるが、それでも一度変えられた周囲の環境は、そうそう簡単に戻るものではない。季節は元々冬ではあるが、この周辺はもっと劣悪な何かである。
そんな寒風吹きすさぶ平原を、藤子たちは歩いていた。その道行きのところどころに、ぐっすりと眠りこんだブルードラゴンたちが横たわっている。
その様子を、藤子とハルートの後ろに続くセレンが興味深そうに覗き込みながら、置いて行かれたことを思い出して慌ててついてくる、という調子がここ1時間ほど続いているのだった。
「……しかしだね」
藤子のため息を、追求しないほうが良いと思ったのか。ハルートは不意に話題を変えた。
「この数のブルードラゴンを一気に眠らせるとは。君は一体何者なんだ?」
その口ぶりは、謎を探る探偵と言うよりも、詰問する刑事めいたものであった。
彼の脳裏には、湖畔を出た時に藤子が使った、大規模な魔法が焼き付いているのだろう。無数のブルードラゴンを一斉に眠りに至らしめた、小さな黄色い花の嵐が、今もなお。
「異変好きな、ただの冒険者じゃが?」
「その言葉でくくれるような技ではなかったけれどね……」
苦笑してはいるが、ハルートの目は笑っていない。
魔法立国であるムーンレイス。その軍に属する男の目は、藤子の魔法があまりにも異質であることをしっかりと見抜いていたのである。
噂通り、青い光を伴う藤子の魔法……それがいかに、洗練され、先進的であることか。
それを見抜くことのできる人間は藤子が知る限り、ハルートがこの世界では初めてだった。
「……では、異世界から来たと言って、お主は信じるか?」
見抜いた相手だからこそ。
藤子は、セレンに聞こえない声量でそう告げた。そして、ハルートの様子をうかがう。
最初に彼は、目を大きく見開いて、その青い瞳をことさら小さく丸くした。それからゆっくりと、目を戻しながら藤子の顔を凝視する。
「……信じられないが、私にはどうにも、それが真実のような気がしてならない」
「……ふっ、なればそれが、お主には真実なのであろうよ」
くく、と笑い、藤子は手をひらひらと振る。
「信じようと信じまいと、か?」
「左様。自らが見聞きしているものが真実か、そんなことは誰にもわからぬ。ただそれを考える己があればこそ、それだけは真実となろう。我思う、故に我あり、じゃよ」
「我思う、故に我あり、か……面白い言葉だね」
地球ではデカルトが提唱した哲学命題だが、後世まで強い影響を残す文節でもある。何百年も人々が口にしてきた言葉であればこそ、異世界の人間にも受け入れられるものなのだろう。
ハルートはその言葉に何度も頷きながら、口の中で復唱していた。
「さて……それより、出迎えのようじゃな」
「む」
「うわあっ!?」
倒れ込んだブルードラゴンの影から現れた、1匹のブルードラゴン。比較的若い個体なのか、周りのドラゴンに比べれば小さい。それでも、人間の優に4倍はあろうかという体格だ。それに、3人はそれぞれの反応を示した。
藤子は涼しい顔を変えることなく見つめ。
ハルートは杖を構え。
セレンはのけぞって体勢を崩した。
しかし、そのドラゴンは藤子たちを襲うことはなかった。というより、むしろ藤子たちなど眼中にない様子で、のそりのそりと山の上へと進んでいく。
「と、トーコの魔法受けて無事、って……!」
それを見て、セレンが信じられないと言わんばかりに声を上げる。
しかし当の藤子は、さもありなんと思っていた。
「意識が落ちる直前に、腕をかみちぎったか。痛覚で眠りの強制を妨げるとは、考えたものよ」
「うむ……我々の間でもよくおこなわれている対処法だな……」
そのブルードラゴンは、右前脚の一部が大きく穿たれていた。だくだくと血があふれ、多くの人にとって見ているだけでも痛ましい光景だ。
そしてそれでもなお、そのドラゴンは何かを目指して歩き続けている。
「痛みと眠気で空は飛べぬようじゃな。無理をしおるわ」
「しかしそれだけのものが、この先にはあるということだろうね」
「で、でもあれ。ど、どうするのさ?」
腕を組み、頷く2人に対してセレンが問う。どこまでも藤子たちに興味を見出さないドラゴンの背に、指を向けながら。
彼女の疑問も、もっともではある。敵意は見られないとはいえ、ドラゴンの身体はそれ自体が武器となりうるのだから。ふとした拍子に何気なく動かされた尻尾が、そのまま致命傷になる可能性はゼロではない。
「ふむ……まあ、とりあえずは寝ておいてもらうのが無難じゃな」
「いや、ここはこのまま後をついていくのがいいだろう」
ハルートの発言に、藤子はふむ、と彼を見た。セレンもそれに続く。
「ドラゴンたちが常に一点にブレスを仕掛けていたことから考えても、この先に何か問題があることは間違いないだろう。恐らくだがあのドラゴン、そこに向かおうとしているのではないかな?」
「ふむ、尾行してそこを割り出す、か」
「なるほどー」
「敵意もないようじゃし、それもよい、か。うむ、ではそれで行こう」
一つ大きく頷いて、藤子はハルートに賛同した。
そうして彼女たちは、手負いのドラゴンを追って道が整えられていない平原を進むことになる。
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「わっ、トーコなにあれ!?」
最初にその異変に気がついたのは、セレンだった。……いや、最初に指摘したのは、と言うほうが正しいか。
ともあれセレンはそう声を上げて、前方でうねりを上げて吹き上がっている黒い物質を指さしたのであった。
「高濃度のマナじゃな。お主にわかりやすく言うならば、瘴気と言えばよいか?」
「しょ、瘴気……あれがそうなの?」
「そうだよ、セレン君。見たこともないのも無理はないがね……」
ハルートが、説明する。
「目視できるくらい濃度の高いマナ……瘴気は、自然界では存在しないからね。唯一の例外は、シエル王国の腐海くらいだが、あそこの周辺は生き物が足を踏み入れられる場所じゃない。普通の暮らしをしていれば、まず一生お目にかかることはないだろうよ」
「え? じゃ、じゃあなんであんなところに……」
「うむ、その通り。通常こんな場所で瘴気が湧くなぞあり得ん。……つまり、此度の異変はあれが何らかの一端を担っていることはほぼ間違いないじゃろうな」
説明を継いだ藤子に、ハルートが力強く頷く。
マナは……魔法や闘技を扱う上で欠かせない物質である。それらの技術を用いて、人間たちは種族の違いを乗り越えながら、今まで文明社会を築き上げてきた。
そしてこの世界では、人間のみならず魔獣たちもまた、マナに依存して生きている生き物は相当数に上る。マナとは、なくてはならない物質なのだ。
しかしそのマナも、濃度が高すぎると生き物に害を及ぼす。具体的に言えば、生物の狂暴化や巨大化、突然変異、あるいは自然環境の改変など、その悪影響は多岐にわたる。そのため、そのレベルまで濃度が高まったマナのことを人々は、恐れを込めて瘴気と呼んでいる。
生活になくてはならないが、かといって多すぎると問題を起こす。そう言う点では、地球における酸素とかなり近い存在と言えるだろう。
だが、ハルートの言葉にもあったように、そんな濃度のマナは意図的作りでもしない限り、自然環境には存在しない。
藤子もまたそれをわかっているが故に、この瘴気を原因の一つと断じたのである。
「……だ、だいじょぶかな? わたし魔人族だけど……瘴気に中てられてヘンになっちゃったりしないかな?」
もちろん、マナの悪影響はセレンでも知っている。というより、この世界の人間には常識である。そのため、彼女はやや怖がりながら藤子の左腕にすがりついた。
「お主が暴走だの突然変異だのしたところで、何も恐ろしくない。即座に殺してやるから安心せい」
「ふわーん!? トーコってば相変わらずひどい!」
滝のような涙を流しながら、セレンはぶんぶんと首を振る。
そのさまを見て、藤子は大笑い。それからセレンの肩をばしばしと強く叩いて、笑いながら言った。
「はははは、相変わらず打てば響くやつよ、くくくっ。案ずるな、ふふ、その装備は外からのあらゆる攻撃を弾く。瘴気なんぞに中てられることは有りえんよ、くくく」
それを聞いたセレンは、ぽっと大口を開けて唖然とする。
しかしすぐに復活すると、ムキーとなりながら藤子にぽかりと拳を当てた。
「そ、そゆことはーっ、早く言ってよー!」
「はははははっ、はははは、許せ些細な戯れよ。ふふふっ」
「も、もーっ!」
子供のようなじゃれ合いを続ける彼女たちの身体を、瘴気が徐々に通り過ぎていく。空気とさほど重さが変わらないマナは、風と重力に合わせて下へ下へと流れているのだ。
藤子たちのやりとりを横目で眺めて微笑みながらも、ハルートは前方のドラゴンに気を配り続けていた。
何せ、瘴気は生物を暴走させる。手負いとはいえ、目と鼻の先にいるのはドラゴンだ。そんな相手がいきなり暴れ始めたら、まず無事では済まないのだ。
しかし、ハルートのそんな心配は、杞憂に終わった。
「む……2人とも、ドラゴンが止まったぞ。……いかん、ブレスの式を励起させ始めた!」
「おっと……ではここらが目的地か。ふむ……2人とも今少しわしに寄れ」
藤子がそう言うのと、ドラゴンがブレスを発動させたのは、同時だった。
ブルードラゴン固有の能力である、冷気のブレス。その魔法式が青い光を放ち、口から猛烈な冷気の波動が発射される。その矛先は、やはり藤子たちではなく大地であった。
だがいかに直撃ではないとはいえ、ドラゴンの目前にいる彼女たちを襲う余波は、今までとは比べ物にならない。地球ならばそれこそ、目の前にミサイルを撃ち込まれたようなものである。
「ちはやふる、地球の御霊に血を奉り――斎へ『百合籠』、同胞がため」
猛吹雪が迫る中、藤子が呪文を口にした。刹那、青い光を散らしながら橙色の、しかし半透明の百合の花が現れ、彼女たちを覆い尽くす。
それに前後して、極寒の波が彼女たちに襲い掛かった。だが――。
「……な、なんという強烈な魔法なんだ……」
ハルートが、愕然としながらもそう絞り出した。
下手したら即死もあり得るブレスの余波の一切が、現れた百合の花によって阻まれていた。一部の例外もなく、寒波を寄せ付けないその花はなるほど、まさに彼女たちを守る揺りかごのようである。
やがてブレスの余波がすべて過ぎ去った時、花は一生を終えて静かに枯れていく。淡い光が、さながら魂魄めいて空へと還っていく。
「あ……、あの子まだブレス続けるつもりだよ!?」
「ふむ……きりがないな。どうやら目的地のようじゃし……」
「うむ、事ここに至っては致し方なし。眠ってもらうほうがいいだろう」
そして藤子とハルートは目配せをして、互いに魔法式を練り始めた。
どちらもそこによどみはない。静かだが確かに、そして素早く組み上げられた魔法式に、その域に至っていないセレンが目を見張る。
「疾!」
その声と共に藤子は魔法を放ち、ハルートもまた、それに合わせて魔法を放つ。
藤子は眠りに落とすべく、より強烈な催眠を。ハルートはその妨げとなる傷を塞ぐべく、治療の上級魔法を。
形式や内容は違う。しかしそれは確かに、確かな技術に裏打ちされた超難度の魔法であった。
「グア……ッ、ガ、グウウゥ……」
そして2人の魔法は、即座に効果を発揮した。
傷を癒され、睡魔に抗う術を無くしたブルードラゴンは、眠りの底へと沈み込んでいく。意識を失い、全身の力を失ったドラゴンはそのまま、その場へよろりと倒れ込む。
地面が、かすかに揺れた。
それを見届けて、構えを解く藤子とハルート。
「……これでよし、と」
「うむ。では早速調査と行こう」
そしてその言葉通り、すぐさまドラゴンたちがブレスをぶつけ続けていた地点へと足を運ぶ。
セレンは倒れたドラゴンを撫でていたが、すぐに気づいて2人を追った。
「これは……」
「……ダンジョンの入口、か」
「へえー、これが? 私、初めて見たよ」
目の前に現れた穴。それを見下ろして、3人は順繰りに口を開いた。
それは、平原の真ん中に、忽然と出現していた。あまりにも脈絡がなく、周囲の光景から完全に浮いている。
しかも穴は正確な正方形であり、さらに深みに向かって精緻ではないにしろ階段が続いている。誰がどう見ても、自然のものではないことは明らかだ。
しかし。
しかし、だ。これが実は、自然発生したものなのである。
「ダンジョンができているのは、まあ珍しくもないことではあるが……」
「うむ……そこに向かってドラゴンたちが攻撃をしていた理由は見えてこぬのう」
「……え、ダンジョンってできるものなの?」
「なんじゃ、お主知らんのか」
藤子の問いに、迷わず頷くセレン。
それを見て、藤子はちらっとハルートへ目を向けた。
「……ダンジョンは自然発生するのだよ。マナに魔法式が宿るという突然変異によってね」
「えーっ!?」
「各種の霊石のように、物質に魔法式が宿ることは珍しくない。マナもまた例外ではなく、そこに魔法式を宿すことがある。
マナの場合、そこに宿る魔法式は『ダンジョン発生』……これが生物を媒介にして発動した時、その生物を中核としてこの世に新しいダンジョンができるのだよ。
こうした、新しくできたダンジョンは現代級と呼ばれ、神話級や遺産級とは明確に区分される」
「は……ははあ……世の中わかんないことだらけだあ……」
どこか感心したように、セレンは足元の穴へと目を向けた。
そこから立ち上る瘴気に一瞥をくれながら、藤子が言葉を継ぐ。
「現代級といえば深度も難度もピンキリ、入ってみるまでどんな構造なのかも不明というわけのわからぬ特徴があるが……しかしこれは……」
「うむ、相当難度の高い現代級かもしれないな……」
「しかし、入らぬという選択肢もないじゃろう?」
「ああ、それはもちろんだ。ダンジョンを放置していたら成長して、自然環境を破壊してしまう。早急に潰さなければね」
力強く頷くハルートである。
それを見て、藤子は小さく肩をすくめながらも、彼の背中をぼすんと叩いた。
「なれば、早速参ろうか」
「……うむ。いや、しかし準備がいるだろう……現代級と言えどダンジョン、明かりや食料が……」
「それらはいらぬ」
「は?」
断言した藤子に、ハルートはさすがに何を言ってるんだこいつ、とでも言いたげに表情を崩した。
だが藤子は、それでも構わず笑う。
「口で説明するより、目で見たほうがよかろう。なあに案ずるな、わしは神話級の探索もしたことがある故な」
その顔は、いかにも自信満々と言った様子であった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今まで描写をしてこなかったダンジョンの描写をいよいよできそうです。
まあ、藤子なので普通の踏破の仕方はしないんですけどね。
二度目の和歌、百合籠。前回と同じく、枕詞と本歌取りのオンパレードです。意味はあまり深く考えないでくださいませ。
今回の本歌元は防御魔法ということで防人歌です……。




