◆第26話 騒乱ブルードラゴン 1
クレセントレイク周辺の大地に地震のような強烈な揺れが走った時、藤子は大図書館で魔法書を読みふけっていた。この世界の魔法をより正確に理解しようとしていたのだ。
そこを襲った揺れは、地球の震度に換算すれば5強といったところか。その揺れにあおられて、図書館の中では多くの書架が倒たり本が飛び交ったりした。
「ふむ……? 今の揺れ方は地震ではないな……」
揺れの中でも悠然と本を読んでいた藤子は、揺れが収まると同時にそうひとりごちた。
地震とは、地中深くのマントルの動きで生じるものだ。この世界が惑星に属する空間であることは先般承知済みなので、その仕組みは地球のそれとは変わらない。
しかし今回の揺れは、地表で発生したことを藤子の感覚は掴んでいる。恐らくは、強烈な衝撃が大地に加えられたのだろう。
「……何やら楽しそうなにおいがするな」
そして藤子は、そう結論付ける。笑いながら本をたたむと、やおら席を立って周囲に散乱した書架や本を元の位置に戻し始める。
もちろん、彼女が手を使うはずはない。すべて魔法により動きを制御し、元あった場所へ帰るように指示をするだけだ。
そうして場が片付いたことを確認した彼女は、つかつかと部屋の隅へ歩を進める。それからそこで書架の下敷きになっていたセレンを、首根っこからつかんで引っ張り上げた。
「この程度のものを避けられぬようでは、強くなるなぞ夢のまた夢じゃぞ」
「ぇう……う、うん……」
猫のように空中に引き上げられたセレンの身体の一部が、重力でぬるりと伸びて床に降りた。
「……とっさに身体を変質させて、打撃は最小限に抑えたか。ま、及第点ぎりぎりと言ったところじゃな」
「うー、うん……がんばるー」
ぷよん、とゼリーのように揺れて、セレンの身体が元に戻った。それを面白い身体だと思いながら、藤子は手を放す。
セレンは、魔獣の血を受け継ぐ人種、魔人族だ。その中でも、特にスライム系の魔獣の血を引いている。そのため彼女は、その身体をスライムと同じように軟体性のものに変えることができるという、特異な能力を持っていた。
こうした力は、多かれ少なかれ魔人族には共通した特徴として認知されている。自らが祖とする魔獣の力が、そのまま引き継がれているのである。
(代を重ねることで血が薄まっているはずなのに、能力だけは薄まらず継がれていくというのも奇妙なものよ)
最近知り得た知識を脳内で反芻しながら藤子は、セレンのスライム体で濡れた手をセレンになすりつけてそれを返す。
「ひゃんっ、い、いきなりやめてってばー!」
「察しろ、これが攻撃ならお主死んでおるぞ」
「う、あうー。肝に銘じマス……」
己の意地悪を無理やり修行に変換して、藤子はさあてと踵を返した。
「参るぞ、セレン」
「あ、うんっ!……でも、どこに?」
「決まっておろう」
セレンの問いに、藤子は顔だけを向ける。そこには、底意地の悪い笑みがはりついていた。
それを見たセレンは、ああまた何かやらされるんだな、と思ったという……。
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図書館から出て高所へと移動すれば、何が揺れを引き起こしたかは一目瞭然であった。
「ほう……」
「う、わ、わわわ……っ!」
野次馬たちでうるさい通りを避け、空中を通って図書館の屋根へと上がった二人は、クレセントレイクの対岸を見てそれぞれ声を上げた。
いくつもの甲高い鳴き声が、クレセントレイク湖上を伝って響いてくる。
声の主――それは、空を埋め尽くさんばかりの竜の群れであった。
それに対して、
「うーむ、やはり法則を共有していればある程度、相似と収斂が起こるのじゃな。地球のそれとさして変わらん」
藤子はあくまでも観察者の立場に徹し、
「ブルードラゴンだ!? あんなにたくさん山から下りてくるとか、こんなの絶対おかしいよ!」
セレンは被害者に近い立場で首を振った。
「ブルードラゴンか。確か、マグナルス死火山周辺の高高度に生息する竜種であったな。竜種の例に違わず強靭な肉体を持ち、その翼でもって空を飛ぶ。種族固有の力として冷気に関する魔法式を体内に持ち、それにより発揮される高い戦闘力は、冒険者で言えば最低でもゴールドクラスの実力が必要になる……」
やはり最近読んだ知識をほぼそのまま諳んじて、藤子は小さく頷く。
「……ただし性格は温厚であり、攻撃された時と産卵期を除けば、他の生物に危害を加えることはない大人しいドラゴンである、だったな」
「う、うそだーっ、だってあれ、どう見たって……!」
セレンが指差した先では、複数のブルードラゴンが一斉に地面へブレスを放っている。その衝撃で、またも地面が揺れた。
「うむ、どう見ても暴れる獣にしか見えぬな」
ブルードラゴンたちはいくつかの群れを数個作り、上と下を行き交っている。下に降りた群れはその勢いのままブレスを放ち、上に飛んだ群れは空中を維持したまま体内の魔法式を励起し続けている。
その動きは洗練されており、あの数を統率するに足る存在がいることをうかがわせる。
しかし、彼らがいかにそうしようとも、彼らに対する反撃がなされている様子はない。一見すると、何もない地面に向かってただ攻撃を繰り返しているようにしか見えないのだ。
「……ふふふ、面白い」
そうつぶやいた藤子に、セレンが信じられないものを見るような目を向けた。
そして直後、そんな彼女に藤子が言い放つ。
「参るぞ、セレン」
「……もしかして、だけど……あそこ、に?」
「他にどこがあるというのじゃ」
「いやいやいやいや、無理無理、ぜぇったい無理っ! ブルードラゴンの群れに突っ込むなんてそんな、自殺行為だよー!」
藤子の答えに、全力で首と手を振るセレンである。
だがもちろん、それで引き下がる藤子ではない。ずい、とセレンに顔を近づけると、表情を薄めた鬼気迫る顔で言葉を放つ。
「お主……強くなりたいのではないのか?」
「う……」
「お主の覚悟はその程度か……? 死なぞ恐れていては、わしの域には到底至れぬぞ……?」
「わ……わわ、わかった、わかったよう! 行く、行きまーす!!」
半泣きになりながら、迫りくる藤子を必死に引きはがそうとするセレン。
そうして言質を取った藤子は、いつものようにいたずらっ子さながらの笑みを浮かべると、ゆっくりとセレンから離れる。
「よろしい。なれば参るぞ、ついてこい」
それからそう言い放つと、藤子は青い光の粒子を振りまきながら空へと浮かび上がる。そのまま彼女はクレセントレイク湖の対岸目指して、空を切っていく。
一方、セレンはと言うと……。
「……え? え、ちょ、トーコ!? 待って、私は!? 私、飛べな……うわーん、走って来いってことー!?」
そう叫んで、己の身体をスライム状にするや否や屋根の上から飛び降りた。
……数秒後に悲鳴が上がったが、身体の性質上なんとか彼女は無事だった。
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クレセントレイク湖を挟んで、都クレセントレイクの対岸。その岸辺で、藤子は腕を組んでブルードラゴンたちの行動を眺めていた。
彼らはもはや目と鼻の先であり、原寸の大きさをはっきりと確認できる距離だ。当然、彼らがブレスを地面に吹き付ければ、その余波の直撃を受ける。
ブルードラゴンのブレスは冷気魔法のそれであり、個体の能力によって効果は差が出るが、少なくともメン=ティの魔導書上級レベルの威力は出ている。個体によっては極大に近い威力をも叩きだしているから、周辺は既に極寒地獄と化していた。
しかしそこにどのような意図があって、このような行動を繰り返しているのか。その糸口になるようなものは、見当たらなかった。
「ふむ……彼奴らの力はなかなかに興味深い。魔法と闘技、双方の性質を併せ持っておるとは……理論上は陽人族の太陽術と同じ仕組みではないか。陽人族がかつては竜であったという伝承は、案外真実やもしれんのう」
そんな地獄の中で――まあ言うまでもないかもしれないが――、藤子は涼しい顔で2色の相貌で観察を続ける。
彼女の周辺、半径100メートルほどはブレスの影響を受けていない。そこだけがいつも通りの、クレセントレイク湖畔の様相を呈しているのだ。言うまでもなく、藤子の魔法である。
幾度目かのブレスが放たれ、大地が揺れる。それに合わせて、藤子は後ろへ振り返った。
「なんだここは……ここだけまるで天国のようだ……」
そこには小舟が一隻、湖畔へ着けていた。その先頭に立っていた男――耳が長い。月人族である――が、困惑しきりの顔で周囲を見渡している。
その男と、藤子の目が合った。
「……君は? もしかして君が、トーコ殿かな?」
「いかにも、わしが藤子じゃ。ふむ、これはまた面白い手合いを連れてきたものよ」
応じながら藤子は、にい、と笑う。
そこに、小舟から一つ、人影が躍り出て藤子に高速で詰め寄る。
「トーコぉぉ! いくらなんでもあんなトコに置いてくなんてひどいじゃないかあ!……へぶっ!」
「はっ、遅すぎるわたわけめ。これで連れてきた奴が有象無象であったら、クレセントレイク湖に沈めてやるところであったわ」
一撃で地面に叩き伏せたセレンを見下ろして、藤子は言い放つ。
それから唖然としている男に顔を向けると、にやりと笑う。
「こやつを便乗させてきたのであろう? すまんな」
「え、あ……いや、溺れかかっている人を見れば、普通に助けようと思うものだよ」
混乱から立ち直った男は、地球で言うところのカイゼル髭をなでつけながら小さく笑った。
その瞳も、髪も青い。カルミュニメルの色、青のオールである。それだけで、彼の実力が相当のものであると見て取れる。
装備もまた極めて質のいいものばかりで揃えられており、その立場の程がうかがえる。年の頃は40前後と言ったところか、と藤子は見た。
しかし、そんなさる名家の御仁と思しき男は、1人であった。
「お主以外誰もおらぬのじゃから、見捨てる選択肢もあったであろうに」
「誰もいないなら、なおさらじゃあないかな?」
「……お人よしと言われたことは?」
「1年に何回かは」
肩をすくめながら、男はやはり困ったような顔で笑った。
それに応じる形で、藤子もくすりと笑う。
「そのお人よしが、こんな場所にたった1人でとは。はてさて、一体何用じゃろうなあ?」
「お人よしだからこそ、1人で異変の調査だよ……誰も賛同してくれなくてねえ」
「わしはもう少し大勢来ると思っておったがのう。案外、ムーンレイスも骨のあるものが少ないようで残念じゃ」
「それを言われると、返す言葉もないんだがね」
けらけらと笑う藤子に、男が参ったと言わんばかりに両手を上げる。
セレンは、まだ起き上がってこない。
「しかし、そういう君はここで何をしていたのかな? 危険地帯だと、承知はしているんだろう?」
「異変に首を突っ込むのが趣味でのう。そのついでに釣りでもしようかと、な」
「ほほう……いい魚は釣れたのかい?」
「ああ。大物がかかったようじゃ」
男に頷きながら、藤子はその色違いの相貌で彼の顔を正面から見据える。
それからゆっくりと口元をゆがめながら、彼の首元に人差し指を向けながら、次の句を継いだ。
「その首飾りはムーンレイス宮家の証……3世代前に建てられたイズァルヨ家のもの。そうじゃろう? ハルート親王」
そしてそれを受けて、男――ハルートのほうもにい、と笑う。
「それをわかっていながら、それだけ不遜にふるまえる君も相当の大物だね。さすが、ミスリルは『青光』のトーコ・ヒカリ殿だ」
そうしてしばし、沈黙。
だが二人は、すぐにどちらからともなく笑い出した。
「いやはや、わしもいつの間に二つ名がついたのかのう」
「風のうわさに、君のことは聞いているよ。青い光を伴う魔法を使う、ダブルの少女……名前を聞いて、すぐにピンと来た」
「目立つつもりはないのじゃがのう。しかし『青光』か……そこは『青花』と呼んでもらいたいところじゃがな」
「花……かい?」
「左様、我が魔法は全て花がその意匠であるがゆえに」
言いながら、その手元に光る藤の花を咲かせる藤子。彼女に名を刻む花。それはすぐに風にあおられて空に舞うと、いずこへともなく去っていく。
それを見送る彼女の顔は、ほんの一瞬、どことなく哀愁の色を帯びていた。
ハルートもそれを見送りながら、優しげに表情を緩める。しかしすぐに顔を引き締めると、一歩、藤子へと歩み寄った。
「なるほど……では、『青花』のトーコ殿。君をミスリルの冒険者と見込んで、依頼がある」
「ブルードラゴンの謎の行動……その解明に手助けを、じゃな? 無論、そのつもりじゃ。大船に乗ったつもりでいるがよい。ああ、ただし……」
「ただし?」
首をかしげたハルートに、藤子はいまだ気絶から覚めないセレンをつかんで引っ張り上げる。
「こやつも連れて行く。修行の一環じゃな。足手まといじゃろうが、殺さない程度に引きずり回すつもり故、あまり気を使わんでくれ」
「……彼女は君の弟子だと言っていたがね?」
「一応な。無理難題を吹っかけたつもりが、突破されてしまってのう。仕方なくじゃ」
「おや、そうは見えなかったけどね。もしかして、君も相当のお人よしなんじゃあないのかな?」
「はははこやつめ、抜かしおるわ」
そう言って2人は同時に破顔すると、互いに笑い出す。
だがそんな2人の笑い声を、もはや幾度目かもわからない極寒のブレスの轟音がクレセントレイク湖の彼方へさらっていった――。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
新展開ということで、しばらく新キャラが続きそうです。
カイゼルひげって、あれです。世界史で出てくる19世紀のヨーロッパ君主的なヒゲです。
中世から近世にかけてはなかったスタイルですが、そこは異世界なので、既に存在しているっていう、そんな感じで。




