第23話 来たれ鉛筆 上
鉛筆の芯づくりは、意外とシンプルだ。
黒鉛と粘土と水を混ぜる、芯の形に成形、焼成、油を通して出来上がり。単純に工程数だけでいえば、4段階なのだ。
ただ、言うは易し行うは難しという言葉がある通り、これを設備もなしにできるかとなると……できないんだよねえ。文明の利器って便利だけど、その製造工程は人類の英知が詰まっているのだね。
しかもこの世界は、地球と違って文明の度合いは中世な部分も多く、よくっても近代に入り始めたかどうか、程度の技術力しかない。そんな場所で、芯を作ると一口に言っても、そうそうできることじゃない。
特にぼくが心配していたのは、焼成だ。鉛筆の芯を作り上げるには、実に1200℃という高温の状態で焼き上げる必要がある。申し訳ないけど、この世界でそんな温度を用意して、かつ維持するなんて果たしてできるだろうか? と思っていたわけです。
ところがふたを開けてみれば、一番苦労したのは芯の形に成形する段階だった。
鉛筆の芯。あれって、断面が正確な円だよね。そう、これをうまく形にできなくって、試行錯誤を繰り返すことのなったのです。
方法としては単純で、穴に原料となる黒鉛の混合物を通すことで細長い芯にする、つもりだったんだけど……。
こと「正確な」図形を描くことは、人間には難しい。特に、曲線からなるものは。
よしんば描くことができたとしても、さらにそれを正確に「穴を開ける」となると、相当の技術が必要になるわけで。そんなことを、素人ができるわけもなかったのでした。
この辺りが工房の家主である大将も専門外だったので、結局専門の細工師さんに外注することになった。これに大体1か月半かかった。
「というわけで、今日はようやく焼成までこぎつけることができたのでした」
「兄さま、誰に話してるの?」
「……ティーア、これはある種のお約束なんだ。気にしないでおくれ」
「? はーい」
つい日本人の癖が出てしまったね。カメラがあるわけでもないんだけど。
それはさておき、今回ぼくたちがお邪魔したのは、大将が懇意にしてるという鍛冶屋さんだ。
「おう、お前が紙の発明者なんだってな。うちに何の用だ?」
そう言ってずいっと出てきたのは、ゴリラの顔をしたおっちゃんだ。
いや、別にサル顔ってわけじゃない。そんな、容姿をけなすと言う意図があるわけじゃないんだ、本当だよ。リアルにゴリラなんだ。
「は、はい。えーっと……」
進化した猿に人類が支配されてる例の映画を髣髴とさせる見た目に、思わず口ごもるぼく。もちろん、何かされるわけはないんだけども。
ティーアも彼にはくぎ付けだ。
シェルシェ先輩やトルク先輩はぼくより長生きだから、こういう人種も会ったことはあるんだろうけど……。
「なんだ小僧、陽人族見るのは初めてか?」
「あの、はい。恥ずかしながら……」
「恥ずかしがることはねえよ。他の国はともかく、シエルは陽人族の人口は多くねえからな」
陽人族。この世界にいる多くの人種の1つで、いわゆる獣人と呼ばれる人たちだ。この鍛冶師さんはこの通りゴリラな感じだけど、その種類は様々で、さらに言えばどれだけ獣の要素を持っているかも個人で相当違うんだとか。
ぼくも授業で習っただけで、実際に見たことがあるわけじゃないんだけど、人によっては本当に動物が立って歩いているような人もいるらしいよ。とにかく獣っぽければ十把一からげに陽人族なので、人口比率では実は人間族と1,2を争う数がいるらしい。
ちなみに、そんな彼らの守護神は太陽神マルス。太陽を背負うほど大きな、美しい白い毛並の大狼として描かれる。神話には篤実で公明正大な性格に描写され、裁判の神でもある。
……同じ狼でも、主神を殺したフェンリルとは正反対な神格だ。
「で? 俺にどんな用だ? 確か炉を使わせてほしいって聞いたが」
「あ、はい。そうなんです。実は……」
ぼくは事情を説明する。
高温で焼成したいものがあること。そのために、それを扱う職場を探していたこと。そして、鍛冶屋ならそれがあるだろうとアドバイスを受けたこと。などなど。
「……なるほど。確かにうちは鍛冶屋だ、金属を溶かすくらいの熱は扱ってるな」
「ええ、そう思いまして。少し設備を貸していただきたいんです」
「貸す、か……」
あごに手を当てて、おっちゃんは考えるそぶりを見せる。その顔が、作業場の奥へと向けられた。
それから、その中の一つをおっちゃんは指差す。登り窯を思わせる、かなり大規模なものだ。
「……焼く、ということは溶解用の炉ってことでいいんだな?」
「はい」
そうそう、そういうのです。そういうのを探してました。
「ふーむ……まあ紙の発明者っていうなら、間違いはねえか……。小僧」
「はい?」
「いいだろう、貸してやる。貸してやるが……こいつは危険な道具だ。触ることは許さん」
「ああ、はい。素人が扱えるものだとは思ってないので、そこは全面的にお任せしてしまうことになりますが」
「わかってる。その代わり、値は張るぞ?」
「構いません、白金貨20枚までなら払えます」
「そんなには取らねえよ!?」
まあ、ぼくのお金じゃないんだけどね?
藤子ちゃんありがとう。っていうか、最近倍々ゲームでお金増えてるけど、ダンジョンもぐりってそんなに儲かるの……?
「……わかった、わかったよ、金額はとりあえず後回しだ。どれくらい手間がかかるかわからんからな」
「はい」
「で? 焼くとは言うが、何を焼くんだ?」
「それなんですけど……」
ここでぼくは振り返る。それに応じて、先輩たちが目的のものを差し出した。
それは、オレンジ色の光沢を持った土器だ。細長い筒状に整形してあって、中には焼くのを待つだけの鉛筆の芯が入っている。それが、全部で10個だ。
「これです」
「これ、おま……土霊石土器か!?」
「ええ、そうです」
あっさりぼくは答えたけど、これがいかにとんでもないものかはわかっている。わかってはいるけど、あえてスルーしたのだ。
土霊石とは、以前紙すきで使った水霊石と同じく、この世界のファンタジック・マテリアル。基本的に水霊石とは同じ構造だけど、そこに刻まれた魔法式が土属性であるところが違う。
また、水霊石の効果は主に浄化だったけど、土霊石は主に強化だ。特に、名前通り土に関するものにはより強い影響を与える。これを混ぜた土製品は、とんでもない高性能になるのだ。
この性質を生かして、この世界では超性能の耐火レンガが量産されている。前世、地球では耐火レンガを作る材料に耐火レンガが使われるくらい、その製造には手間がかかるものだったはずなんだけど。この辺りは、ファンタジー万歳って感じだね。
そして……そんな超性能なものが量産されているおかげで、この世界の金属加工技術はバカみたいに高い。この1か月半で調べまわってわかったけど、この関連業だけは地球で言う18世紀レベルの技術を有していた。紙も印刷も蒸気機関もない時代に、溶鉱炉が平然と存在してるんだよこの世界……。
「お前……どこの金持ちのボンボンだよ……? うちの炉でさえここまでのもんは使ってねえぞ……」
「家と言うか……スポンサーがすごいと言いますか」
お察しの通り、今回ぼくが用意した土器は、藤子ちゃんがゲットしてきたものを使っている。神話級ダンジョンに潜れる彼女は、平気な顔でほいほい最高級品を仕入れてくるので、ぼくは本当に助かっている。
この筒も、最高級品のトパーズみたいな逸品を、粉末状にして混ぜた粘土(前回山で採った奴。盛大にあまりました)で焼き上げた土器だ。そのため、その性能はただの土器とは比べ物にならない。
まず、硬い。指で叩くと、まるで金属のような甲高い音を響かせる。ためしに木剣で殴ったけど、割れるどころか木剣のほうが折れた。当然、ぼくの手はしばらくしびれまくって動かせなかったよ!
そしてその耐火性、耐熱性も土器の比じゃない。シェルシェ先輩にお願いして火の中級魔法で実験したけど、約1800℃まで耐えた。十分すぎる性能である。
その性能を説明しながら、ぼくは土器を受け渡す。
「……何入ってるんだ、これ?」
「えっと……一言で説明するのは難しいですね。完成したら、でいいでしょうか?」
「ああ……ま、それでいい」
かくして、遂に芯の焼成が始まる。
溶解炉は、さっきも言ったけど登り窯みたいだ。ただしその大部分は、土霊石レンガで作られている。似たような技術水準の地球の中世じゃ、間違いなくオーパーツになりえるだろう。本来はこの中に、加工する金属を入れて溶かすわけだね。
その中の中央に、おっちゃんは筒を並べていく。何も説明してないんだけど、その並びは等間隔だ。さすがプロ、わかってる。
それからおっちゃんは、炉の中に薪を並べていく。こちらも、隙間は小さいけどやっぱり等間隔。この辺りもなんか、登り窯みたいだなあ。
そして最後に、おっちゃんは釜の入り口に手をかざして……、
「遥けき神よ、我、此処に願い奉る。御身に宿りし始源の火、此れなる身へ貸し賜えんことを。万物創造の火の一片こそ、卑小なる人の匣へ貸し賜えれ。鋳金魔法が式位の三、御出でまし給え、神火!」
そう唱えた。そしてその瞬間――炉の中は、強烈な炎で満たされたのだった。
「うわあっ!?」
「きゃあっ!?」
あまりに強く、激しい熱と光に、ぼくとティーアは思わず声を上げながら目をそむけた。
それから、恐る恐る視線を戻していく。
「な、なんです今の……?」
詠唱だったのはわかる、けど……少なくとも、メン=ティの魔導書では聞いたことのない詠唱文だった。
しかも威力は高いのに、炉の外まで火が出てくる気配が一切ない。限定された範囲の中でのみという性質も、メン=ティの魔導書とは一線を画していた。
「すげー! おっちゃんここの炉って、魔法道具なのか!」
おっちゃんから質問の答えが来るより早く、トルク先輩が飛び出した。そのままおっちゃんの前まで行くと、興奮冷めやらぬといった様子であれこれを話し始める。
その怒涛の勢いに、ぼくたちはぽかんとするしかない。
「……今のは、錬金術だよ」
そこに、苦笑しきりのシェルシェ先輩が助け舟を出してきた。
ティーアと揃ってそちらに向けば、彼は炎の音に負けじと、やや声を張り上げる。
「モノに魔法式を組み込む技術が錬金術、っていうのはもう習ったかな?」
「いえ、まだ聞いたことは……」
「わたしも知らないー」
「じゃあ説明するけど……錬金術は、今言った通りモノに魔法式を組み込む技術。そして組み込まれた魔法式は、新しく作られた魔法もあるんだよ。あれはその一種で、炉に魔法式を組み込むことで燃料や細かい温度調節、消火のタイミングなんかを全部制御してる魔法道具なんだ」
「へえー、すごいんだねー……」
「全自動……だと……!?」
ウソでしょ、ちょっと。ここは本当に、つい1年前まで紙の無かった世界ですか!?
魔法! 魔法で溶解工程を全部制御してるだって!? ここは21世紀か!?
「もちろん、あれは最先端の技術だよ。錬金術自体もここ80年程度の歴史の浅い技術だけど、ムーン・グランド・シエル三国同盟内じゃ結構出回ってて……」
「れれれ、錬金術って卑金属を貴金属に変える技術なんじゃあ……!?」
「ああ、さすがに語源は知ってるんだね。うん、当初はそうだったよ。
でもそのために魔法式により目的にあったものを加えたり、削ったりしてるうちに、新しい魔法を作る人が出てきた。既存のどの体系にも属さない、その人独自の魔法をね。魔法式にモノを刻み込む技術も、そこから生まれたんだ。
それをより有効利用しようとした結果、錬金術は新たな魔法式を作る、それをモノに刻む技術になったんだよ」
「――まーじーで……」
それ以上は、言葉が出てこなかった。頭を殴られたような、なんてレベルじゃない。経絡秘孔を突かれたような気分だよ。
なんだよそりゃ。この世界の魔法って、めちゃくちゃすごいんじゃないか!
新しい魔法を作る? そんなことが技術体系として存在するんなら! もしかしたら、地球で使っていた道具も再現できるんじゃないのか!?
たとえば、乾燥機だ。
ぱっと思いつくだけでも、ものすごく弱くした火と風の魔法を組み合わせれば、それを任意で出るような吹き出し口につければ、ドライヤーにできるんじゃ!?
それさえできれば、紙を作るときにどうしても必要な乾燥の工程も、大幅に短縮できるはずだ!
「せ……先輩、れ、錬金術、できます……?」
「残念だけど、ボクは……」
ぼくの意図を察したのか、申し訳なさそうに、先輩が首を振る。
でも、まあ、仕方ないのか。先輩の合計年齢は50代後半。前世を生きていた頃は、まだ錬金術も今ほど発達してなかったのかも。
「でも、トルク先輩なら」
「え?」
続いた先輩の言葉に、ぼくは思わず彼の顔を正面から見上げる。
「彼女、錬金術師を目指してるんだよ。だから……」
そして彼は、炉へと指を向けた。
釣られてそちらに顔を向けてみれば……確かに。おっちゃんと何やら熱く語っているトルク先輩の目は、今まで見たこともないような輝きにあふれていた。
「もし触りだけでも知りたいなら、彼女に聞いてみるといいと思うよ」
「……はい、ありがとうございます!」
頷きながら、ぼくは早くも再現すべき地球の利器を、脳内でピックアップし始めていた。
採らぬ狸の皮算用? 上等だよ! 少年は大志を抱いてこそさ!
錬金術! 鉛筆完成したら、絶対マスターしてやんよ!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ダンジョンもぐりは儲かります(誰もがとは言ってない




