第21話 書いて消すならすぐにでも
「はああぁぁ!? 軟黒曜を筆記具にするう!?」
「うわわわっ、お、落ち着いてくださいトルク先輩……」
「これが落ち着けてられっかい、軟黒曜っていったらお前、ブレイジアのほ、宝石だぞ、ほーせき! そんな畏れ多いもんで字を書くって……!」
「いやっ、あー、あははは、おっしゃる通りだとは思イマスガー……」
がっくんがっくんと全身を揺さぶられるぼく。確かにトルク先輩の言う通りではあるので、あまり抵抗できないのが物悲しい。
けどこのままにしておくと、獣のような獰猛な目を向けているうちの天使が裁きの雷を下しかねないので……ストップをかけないとね。
「で、でもですねトルク先輩。宝石って言ったって、軟黒曜がそういう扱いなのは、黒がブレイジアで高貴な色だからってだけでしょう? それに、入手だけなら別に珍しいものじゃ……」
「ばばば、ばっか! それがダメだっつーの! ブレイジアで黒がどんなか知らないたぁ言わせねえぞっ!?」
「ええ……?」
えー……? 宝石、でしょ……? それ以外に何があるって言うのさ?
そんなぼくの反応に、トルク先輩は一瞬口をぱかっと開けて唖然とする。それから、頭を抱えて空を仰いだ。
「だーっ! おいシェルシェ、お前話してねーのかあ!?」
「え、はい。だってシフォニメル様のことは別に信じてないし……」
「お前はよくってもなー!?」
「あ、あの、ホント話が見えてこないんですけど、どういうことなんです? ぼくにとってこれ、別にそんな大したものじゃないですけど?」
「あんなあ!」
「はひ」
キッと睨むように顔を向けられて、思わず変な声が出た。ホントになんなんだろう、トルク先輩がこんなにかたくなに拒むなんて初めてじゃないだろーか?
あまりの剣幕に、さすがのティーアもちょっと怯え気味だ。ちょっと前の、人見知りが激しかったころに見たいになってるぞ。
「黒ってのは、新月派にとっちゃいっちばん尊い色なの! お偉いさんしか使えない色! それでも庶民が手に入れやすい軟黒曜は、新月派にしたら身近なご神体なんだよっ!」
「な……」
「だから、それで字を書くなんて、とんでもねーっつーこと!」
「ははあー……そういうことですかあ……」
あー、っと、つまり、日本的に言うなら、お地蔵さんで漬物つけるみたいな、そんな感覚ってことかな?
なるほど、それは確かに畏れ多い。罰当たりだ。
ぼくは思わず、作業台の上に置いておいた軟黒曜……黒鉛を眺めやる。
……これが、ねえ……。
「えと、新月派っていうと、ブレイジアに信徒が多い宗派でしたっけ? 新月の女神シフォニメル様を崇める……」
「そーだよ。そんな国の連中に、これを道具にしますなんて言ったらお前、くびり殺されても文句いえねーからな?」
「うへえー」
……この世界の宗教には、いわゆるナントカ教みたいに目立った教えと言うものはない。創造主であるラルシーユから世界が始まり、多くの神々が世界を支えている、という宗教観は、世界全体で共通している認識なのだ。
その代わり、個々人の信仰はそれぞれの神様にささげられる。そして、どの神様を一番信じているかで、宗派のようにすみわけがなされているというわけだ。
一番信仰が厚いのは、やっぱり世界の管理を直接司っていると言われている、8柱の神。この世界に生きる種族それぞれの守護神でもある、と言う風に言われてるみたいだから、余計なんだろうね。
その中でも、今話題に上がった新月の女神シフォニメルは、ブレイジア国民に信者が多い。月の運行と、新月時にもたらされる闇夜、そこから転じて闇の力を司るとされている。
そのため魔王を立て、モンスターの血統を受け継いでいるブレイジア民には、他の地域に比べてシフォニメルに対する信仰がかなり強い傾向にあるらしい。
つまり、よく言えば自分たちの信じている神様に対して一途、悪く言えばそれ以外を意に介さない盲目的なところがある、んだとか。そんな彼らを不用意に刺激したら、どうなるかわかったものじゃない……というのが、トルク先輩の気にしているところみたいだ。
「あたいは別にシフォニメル様の信者じゃないけどさ。自分の信じてるものを、他人がどうこう言うのは嬉しくはないじゃん?」
「ええまあ……確かに……」
いやー……宗教って、ホント怖いですね。それはこっちの世界でも一緒なんだなあ……。赤い理念のおじさんたちに聞かせたら、それみたことかと鼻息荒くしそうだよ。
ぼくは……前世が日本人なだけに、そういう信仰に関する感覚はどうしても鈍い。
一応ハーフウィンディアであるからして、名目上マティアス様を信じてます―って人前では言ってるけど。
どっちかって言うと、ぼくにとっては藤子ちゃんが一番身近な神様って感じがするんだよなあ。生きてる人間を神様のように感じる、っていうのは日本人独特ですか?
「ボクも昨夜セフィ君に言われて驚いたんだけど……」
話が一段落したところで、おもむろにシェルシェ先輩が口をはさむ。
「あの後ベッドでいろいろ考えたんだけど、個人的には別にいいんじゃないかって思うんですよね」
「おいシェルシェ!?」
「いやうん、ボクが冥府派だからっていうのもないわけじゃないんですけど……」
冥府派とは、死神マティアス様の宗派だ。彼が守護する小人族に信者が多い。
特にシェルシェ先輩は、一度その死神様の配慮で転生をしている。かの神様に対する信仰は、たぶん他の小人族に比べても篤いんじゃないかな。
「逆に考えてみればいいんじゃないですか? 自分が書いた文字には神様が宿ってる、そう考えればいいのでは? 詭弁かもしれませんけど、宗教って元々そういうものですし」
あなたはどこのジョースター卿でしょうか。
っていうか、その発想はホントになかったです、先輩。なるほどなあ、そういうのもあるのか。
「……なるほど」
トルク先輩も、目からうろこって顔だ。
確かに、こじつけではあるけど筋は通っている。これで書けば、シフォニメル様の加護を受けられるって建前はすごくアリな感じがするぞ。
……なんか、必勝祈願の受験生の姿が脳裏をよぎったけど。それは忘れることにしよう。
「……トルク先輩」
「あー、……うん。シェルシェはやっぱ天才だなあ」
ぽりぽりと頬をかきながら、トルク先輩が少し困ったように笑う。
対してシェルシェ先輩は、それを否定しなければ肯定もしない。
そしてそのまま、ぼくにちらっと顔を向けて、いつもようにぱちりとウィンクをした。
「……じゃあ、実験、しますよ?」
「ん……うん。ごめんな、セフィ」
「いえ、いいんですよ。ぼくも配慮が足りなかったです」
実際その通りなんだよね。さっきも言ったけど、ぼくはどうも信仰の感覚が薄い。いつの日か、熱心な信者相手に無自覚で無礼を働いちゃうのも否定できない。
そんな日を回避するためにも、こういう些細なことでもちゃんと言い咎めてくれる人の存在はありがたい。口うるさいと思うこともあるだろうけど……良薬は口に苦いものだよね。
子供だから許される、がいつまでも通用するわけでもないんだし、こういう繊細な問題には真摯であるべきだ。
……ま、それはさておき。
「それじゃ、改めて鉛筆づくりを始めたいと思いまーす」
ぼくの宣言を受けて、その場の全員から拍手が上がったのでした。
「えー、まず黒鉛……軟黒曜を、手ごろな大きさに砕きます」
「エエェェェェエエ!?」
さっと金槌を取り出したぼくに、トルク先輩がどこぞのアスキーアートみたいな声を上げた。
いやうん、さっきの話の流れでこれをするのは確かにとんでもないってことはわかるんだけども……こんな大きい状態じゃ鉛筆に使えるわけがないんで……。
「セフィ、お前……作り方はブレイジア民には教えないよーにな……」
「はい、そうします」
そうなったら、本当に殺されかねないよね。それだけは勘弁してもらいたい。
……ともあれ、黒煙を叩く。結構きれいな音が響いて、いくつかの破片がぱらぱらと散った。
ぼくはその中から、極力薄く細くなっているものを選んで1つ指でつまみあげると、用意しておいた2本の小さい、そして細長い木の板で挟む。
はさむ位置は、ちょうど箸でモノをつかみあげるように先端だ。そしてそこを、しっかりとひもで縛る。取れないようにだ。
「……はい、完成です」
「早あ!?」
トルク先輩のオーバーリアクションが続く。シェルシェ先輩が苦笑し、ティーアが無邪気に万歳する。
無理もない。紙に比べたら、本当に一瞬でできたと言ったも同然だもんね。
でも、初期の鉛筆って実はこの程度だったりするのだ。そもそも黒鉛って物質は、そのままでも十分文字を書くものとして使うことができるからね。
けれど、黒鉛の筆記具としての利用が始まっておよそ200年。黒鉛の一大産地で、当時鉛筆の生産を独占していたイギリスにおいて黒鉛が枯渇する。資源だもの、使えばなくなる。
こうして黒鉛不足が始まるんだけど……限りのある資源をできるだけ有効活用するために、黒鉛を他のものと混ぜ合わせる方法が生み出された。これが、一般的に「鉛筆」と言って誰もが思い浮かべるあの製品の、芯の元祖になる。
その後は、その配合の改良なんかが進められる。鉛筆の濃さが定義されるようになったのも、この頃。配合の比率で濃さが決まるからね。
「いやもちろん、これで完成ですおしまい、なんて言いませんよ」
「だよなあ?」
「確かに字を書くだけだったらこれで十分なんですけどね。ただこれだとどうしても無駄にもなるし、何より使いづらいので……」
ぼくは説明する。これはあくまで初期段階で、最後に目指すものはもっと洗練されたものだと。
より黒鉛を効率的に使うためにも、この文字を書く部分……つまり芯の改良を進めること。それから、これを覆う部分の作成などをすること。これが鉛筆づくりの工程になるだろう。
芯は、できればBのものを作りたい。ぼくが生前好んで使っていたのが、この濃さだからだ。好みの問題になるけど、どうせこの世界での開発者はぼくだ。Bを基準にして鉛筆を作ってやろうと思う。
あと周りを覆う木だけど、これは布とかで覆うより扱いが楽だから。短くなったら削ればいいんだもんね。こっちは単純に木材探しから始まるだろうから、ちょっとめんどそう。サイズ剤の悪夢再来になるかも。
「はーっ、相変わらずよく考えてるなあ」
「これだけはっきり道筋立ててあるなら、あとはやるだけだね」
「やっぱり兄さますごいー!」
いやー、考えてるっていうよりは、単に歴史を辿ってるだけっていうか。まあここは、答えが既に見えているぼくだからできることだね。
「……けど、その前にさセフィ。それ……」
「あ、はい。まず使ってみましょうか」
うん、試してみないとね。ぼくも黒鉛そのものの芯を使った鉛筆は初めてなので、どんなふうになるか、正直ちょっと心配だ。
ふむ……しかし何を書こうか。最初だし、ちょっと凝りたいところだけど……って、そうか。ここは、これだ。
そう決意しながら、ぼくは手にした鉛筆を動かした。紙の上に現れたものは……小さな丸を抱えた、下を向いた三日月。新月の女神シフォニメルの紋章だ。
「……おお」
「なるほど」
「きれー!」
うん、なかなかうまくできた。それに思ったより、これ書き味がいい。加工されてないから、てっきりめちゃくちゃ動かしづらいものだと思ってたよ。
そりゃもちろん、ぼくが知ってる鉛筆に比べればだいぶ劣るけどさ。あれは数百年の積み重ねがあるからこそだもんね。
「……セフィ君、すごいね」
「え、何がです?」
ぼく、まだ鉛筆の効果実証してないですよ?
「いや、フリーハンドでこんなきれいな円を描ける人なんてそうそういないよ……」
「……え?」
言われて改めて、今描いた紋章に目を向ける。
下を向いた三日月。その下にできた空白にある、小さな円。そのどちらも曲線はなめらかで、かなり真円に近い形状に仕上がっている。
「……なるほど」
思わずそう口に出た。確かにこれは、普通の人間がさっと描ける出来じゃないかもしれない。
ぼくは、漫画……というより絵の基本は、円だと思ってる。このシンプルにして難しい図形には、絵を描く上で必要な要素のすべてが含まれていると思うからだ。
線の曲がり具合、その比率。これを身体に覚えさせることができれば、あらゆる場面で応用が利く。だからこそ、きれいな円を描けることは、とても重要だと思うのだ。
藤子ちゃんからもらった筆記具での練習は、もちろん絵を描くこともあったけど、こういう基礎練習もぼくはかなりしている。
何せ、転生してから今に至るまで、日常的な練習ができていない。やれるときは徹底的にやって、極力技術の低下に努めていたわけで。
それがここでこういう形になって出てくるとは。
「兄さま、魔法陣の授業でも褒められてたよねっ」
「え? ああ……そういえばそんなこともあったっけ」
「そう言えばってお前、それとんでもないことだかんね?」
なぜか呆れられた。
「……まあいいや、で? これを消せるんだな? 紋章描いといて消すってのも、大概だけど」
……あ、そうかそうとも取れるか。
ぼくは、最初だからシフォニメル様に敬意を払って、と思ったんだけど。しまった。今後気を付けよう……。
「はい、えーと……これを使います」
気を取り直してぼくが取り出したものを見て、全員が唖然とした。
「パンです」
「「「えええ!?」」」
そして全員が声を上げて驚いた。さすがのシェルシェ先輩も相当びっくりしたらしい。
……そうだよねえ、そう思うよねえ。
っていうか、ぼくも思う。最初にパンで文字を消そうって思った人は、何を思ってそんなことをしたんだろうね?
コロンブスの卵とはよく言ったものだけど、本当にどこからこんな発想を持ち出してきたのやら。
「安心してください、これは売れ残って捨てるしかなくなった古いパンですから」
「あ、ああー……なんだびっくりさせんなぃ」
「だよね、いくらなんでも新品はないよね」
「食べちゃダメなの?」
ダメです。
それはさておきだね。
「えー、こいつで文字をこすればですね……」
言いながら、ぼくは描いた紋章にそっとパンを当てる。
……さっきもそうだったけど、実はぼく、パンで鉛筆で書いたものを消したことはない。美術系の学校に行ってたら、木炭デッサンなんかで使う機会はあったかもしれないけども。
というわけで、なんだかんだで実は本当に消えるのかと半信半疑だったりします。ホントに消えるんですかね、これ?
第一、地球の現代におけるパンに比べればこの世界のパンってまだまだ発展途上って感じも結構あるし、不安なんですけど……。
…………。
……おお。
おおおおお!
消える! 消えるぞ!
完全に消えるってわけじゃないけど……それでもほとんど消し去ってる! すごい、すごいじゃないかパン!
「……こんな感じです」
そしてそんな感動や一時の不安を出さないように、ぼくはキメ顔でそう言った。
「……すごい」
「……どうなってんだ、これ……」
「兄さま、わたしもやってみたい!」
反応は様々だ。ぼくはひとまず頷いて、ティーアに鉛筆とパンを手渡した。
そして、彼女が鉛筆を動かし始めるのを見て、残る2人に意識を戻す。
トルク先輩が、黒鉛を手にしげしげと眺めている。シェルシェ先輩が、それにならっていた。
「魔法でもないのに、なんで、こうなるんだ……」
「魔法じゃ説明できないことも、世の中にはあるんですね……」
元地球人としては、まったく共感できないセリフだなあ……。
科学ですよ、と言っても信じてもらえるわけもないよねえ。魔法が存在する世界だと、こうなるんだなあ。
さてどう説明したものだろう……と思ったけど、よく考えなくても、ティーアを構ってたほうが面倒もないや。
「ティーア、どうかな?」
「うん、おもしろーい!」
書いては消せるという感覚は、そういう感想に繋がるんだね。子供らしい、と言えばいいのかな。
……でもあの、ティーアさん? その相合傘によく似た図形に並んだ、ぼくと君の名前はどういう解釈をすればいいのかな?
その意図を聞くのが怖くて、それ以上追及できないぼくなのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
というわけで、今回から鉛筆作りがスタートです。
劇中でもありましたが、黒鉛はそのままでも鉛筆として使えます。ただ、もう300年近く前から、鉛筆の芯は黒鉛とそれ以外のものとの化合物となっているので、実際のところどんな書き味なのかは想像もつきません。
今の芯は、製造に当たって書き味をよくする工夫がなされてるので、今に比べれば書きづらかったんだろうな、でもかといってまったく書けないようなレベルでもなかっただろう、という想像でお送りしました……。




