◆第125話 王様救出作戦 中
ざばり、と水が盛り上がる。そこから現れたのは、液状の体内に小人化した三人を抱え込んだセレンだ。
ミリシアの案はあたりであった。スライムと化したセレンなら、多少の隙間さえあれば通過できる。その能力を最大限に発揮して、四人は無事に城の中へと潜入することに成功したのである。
顔だけを水上に出した状態で、セレンは油断なく周囲を見渡す。どうやら台所の水場に出たらしい。
「あの水路、やっぱり排水口だったんだね……」
液化していて喋りづらい口をもごもごと動かしながら、セレンは後ろを振り向く。彼女が通ってきた水路には、鉄の格子がはめられていた。
ピエリジェスが他人の身体に頓着がなかったのか、それともわかった上でこの経路を紹介したのか。
それはセレン達にはわからなかったが、とりあえずあとで藤子にモノ申しておこうとセレンは思った。
それから、改めて周囲を見る。料理人らしき人間が数人、慌ただしく調理を行っているようだ。ただし、既に最終工程に入っているようで、水場のほうに人が来る気配はない。
「無用な騒動は起こさないに限る……セレン、ここはさっさと移動しよう」
「うん、同感だね」
板場の喧騒を横目に見やるレストンのささやきに、セレンが頷く。
それからそのままスライム態の特性を、いかんなく発揮して無音の移動を開始する。天井をはい回り、緩やかではあるが気づかれることなく、水路のさらに先へと向かう。
「次はあの水路だ……それを道なりに進む」
「はーい」
見取り図片手にレストンが指し示した水路に向けて、ぬるぬると移動していくセレン。しばらくすると、水路というより管とも言うべき地点に到達する。
「……またしばらく水中だね。みんな、空気入れ替えるよ」
体内の三人の首肯を受けて、セレンがうごめく。一旦身体を板のように平べったくすると、三人ごと空気を飲み込むようにして球形になった。ちょうど、空気が入った風船のような状態である。
中から外を見ることは困難ではあるが、人間が水の中で呼吸ができるはずもないので仕方がない。
「よし。じゃあ行くよ」
そうして、セレンは一声かけてから管の中へとぬるりと入り込んでいった。
そのまま水の流れに逆らい続けること、しばし。セレンは複数の管が合流する地点へとたどり着いた。
「……レストンさん? なんか道がいっぱいあるところに着いたんだけど、この後どうすればいいの?」
「あ、そこは下だ。ここへ水を供給している管があるはずだ」
「おお、ホントだ。ここを降りていけばいいんだね」
「ああ。その先がゴールのはずだ」
「わかった」
レストンの指示に従い、下へ下へと進んでいく。
それがまた、しばらく続き……。
「うわっ!? っと……!」
突如視界が開け、広い空間に落ち込んだセレンは、水柱を起こしながら派手に着水した。
その衝撃は中の三人にも届き、悲鳴が上がる。
「ぷはぁっ! あーびっくりした! みんな大丈夫?」
先ほどとは異なり、勢いよく水面に顔を出したセレン。そんな彼女に、体内から弱弱しいが応じる声が届く。
セレンが慌てて身体を動かして三人を体表まで押し出してみれば、三人とも荒い呼吸を整えようと深呼吸を繰り返した。
とはいえ、三人とも外傷はない。顔色が悪いわけでもないので、セレンは特に問題はないだろうと判断する。そのまま、三人が落ち着くまで警戒に当たることにした。
(……なんだろう、ここ? 水がたくさんある……それも、これ……すっごくきれいな水だ)
さながら地底湖とも言うべき光景が、彼女の目の前に広がっていた。しかし、その壁は継ぎ目のない石材らしきもの――セフィが見れば、コンクリートと看破するだろう――で覆われており、金属でも石でもない、黒い管がところどころに走っている。明らかに、人の手によって造られたことは間違いなかった。
そこでふと、セレンは下を見た。光は少ないが、それでもかなり深いところまで見通すことができた。不純物がほとんどないのだろう。これほどきれいな水を、セレンは見たことがなかった。
(……あれは……?)
次いで、より遠くへ視線を向けたセレン。その目が、ちろちろと揺らめくろうそくらしき明かりをとらえた。
それは何やら、部屋のような場所から漏れ出ている。どうやら、窓があるようだ。
(あそこから入れる、かな?)
そうして次の向かう先に見当をつけたところで、ようやくレストンが声をかけてきた。
「と、とりあえず目的地には着いたな」
「ここが、目的地なのですか?」
「ん……水しかない」
「ああ、通称水の間って呼ばれてるらしい……」
そこで苦笑を浮かべながら、レストンが説明を始める。
曰く、グランド王国には元々、王城の地下に巨大なため池があるという噂があると。そしてその正体が、王族しか入ることが許されない、水の間と呼ばれる場所なのだ、と。
「けどな、そいつは事実だ。ディアス王子から直接聞いたからな、間違いないだろ」
そう言うレストンは、「具体的になんのための場所かは教えてくれなかったが」という言葉と共に肩をすくめ、説明を締めくくった。
「……じゃあ、ここに王様が?」
「ああ、ここに幽閉しろと命令していたのを聞いた。確か部屋があるって話だが……」
「あ、じゃああれかな。さっきから光が漏れてる窓みたいなのがあるんだ」
「本当ね。他にそれらしいところは……なさそう、ね」
「ん……とりあえず、あそこ」
全員の意見が一致したところで、セレンは全身を小舟のような形へ変える。そして三人をそこにしっかりと乗せて、光に向かって泳ぎ始めた。
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アクィズが実の兄であるディアスに捕えられ、地下深くに幽閉されてからそれなりの時間が経過している。その間にアクィズに許されたことは決して多くはない。
当初はなんとか脱出と思い、あれこれ試行錯誤はしたものの、それはできなかった。そもそも太陽術を封印されているため、超人的な力は出せない。そのため、必然的に多くの時間を思考に費やすことになった。
その中で様々な考えが脳裏をよぎったが、最終的に彼が注力することになった思考、疑問は一つのものに帰結した。
それは、なぜディアスは己を殺さなかったのか、というもの。
シエルとグランドは元々一つの国だが、全土を巻き込んだ兄弟喧嘩の果てに分裂した歴史がある。そのため、両国にとって互いは仮想敵国だ。それは分裂してから今に至るまで変化はなく、アクィズもグランドが攻めてくるということ自体に疑問はない。
そしていざ戦争となれば、相手の総大将を狙うことも疑問ではない。また、シエルとグランド双方の王族が顔を合わせる機会は代替わりの際の挨拶くらいしかないため、このタイミングで己が狙われたことも、アクィズにとって疑問ではない。
だが、生かしたままにするということには疑問であった。
たとえ宣戦布告がなく、完全な不意討ちであったとしても、これは戦争。相手の国のトップを生かし続けるメリットなど、存在しないのだ。
シエルの情報を得るために、という理由は考えた。だが、そうであればここに幽閉されてから一度たりとも尋問を受けていない、という事実が矛盾となる。アクィズは幽閉以後、ただここに閉じ込められているだけなのだ。
戦争に勝った後に、公開処刑するため、という理由も考えた。しかし、この都までの道中で人々の様子を見ていたアクィズは、とても今のグランドが戦争をできる状況ではないと見ていた。
シエルには戦争経験がないという弱点もあるが、それに勝るとも劣らない飢餓や王家への反感という要素がある以上、守り手が優位であることはこの世界の戦争も同じだ。
もちろん、グランドが子供や老人まで徴兵して軍を編成していることは、アクィズが知ることではない。そのため、この否定理由は正しいものではないのだが、全面的に間違っているわけでもない。この要因がなければ、セフィたちの戦いは熾烈を極めただろう。敗北していた可能性も高い。
結局、この疑問に対する答えは今も出ていない。
そしてこの疑問を混迷させる最大の要因が、今彼の目の前にいる。
茶髪をやや無造作にひっつめた、淡い水色の瞳の少女。彼女はこの部屋に据え付けられた、どう見てもこの時代にそぐわない調理器具を使っているのである。より正確に言えば、地球の電子レンジとほぼ変わらぬ道具で温めているだけ、ではあるのだが。
彼女の名は、フローラ・ユーディア・ロムトア・フロウリアス。カフィルカ5世唯一の子であり、ディアスの義理の妹に当たる人物である。
その正体は、もちろんアクィズも知っている。彼女の年齢が、セフィの一つ下であることも知っている。
その王女様は、アクィズがここに幽閉されてからずっと、この行為を続けている。ここに食事を持ってくるのは、彼女ただ一人なのだ。
明らかに時代を逸脱した道具が置かれたこの部屋が、王族以外入れないような場所であることはアクィズには想像がつく。だが、なぜここに来るのがよりにもよって王女なのか? アクィズにはそれがわからなかった。
しかもそれを直接問えば、フローラは「ディアスお兄様のお言いつけで」と答えるのである。アクィズには、兄の考えがまるでわからなかった。
「……さあ、アクィズ様。お食事の用意ができましたよ」
温め終わった音に、そのフローラがふわりと笑みを浮かべる。そして機械――機能が何も変わらないので、レンジと呼称しよう――から湯気を上げる食事を出してきた。
疑問は尽きない。尽きないが、それでもアクィズは形式どまりではない謝辞を継げて、食事を受け取るのである。
それはもはや、ここに幽閉されて以降日常になってしまった光景だった。
だが、今日はその日常に異変があった。
「何者だ?」
まさに食事に口をつけようとしていたところで、アクィズはただならぬ気配を感じて振り返った。視線の先には窓。そこには、スライムらしきものがうごめいていたのだ。
しかもそのスライムの体内には、小人のような存在が三人。すわ魔物襲来かと、アクィズはフローラの前に出て身構える。
が……。
「あれれ、ばれちゃった? 王様敏感なんだね……」
そのスライムが、緊張感のかけらもない声で応じた。
それから器用に触手めいた身体を伸ばすと、ずるりと窓を開けて、そこからぬるぬると入り込んでくる。
と同時に、中にいた三人が体外に出る。さらにそれに合わせて、三人の身体が徐々に大きくなっていく。
最終的にはスライムも人の形を取り、魔人族らしい青い肌の人間となった。
いっそ不気味が過ぎるその光景に、フローラはもちろんアクィズも唖然と目を向ける。スライムが人になったと言う点だけでも驚愕だったが、その後ろに立った三人もまた驚愕に値した。身体の大きさを瞬時に変える術など、この世界にはまだ存在しないからだ。
しかもうち一人は魔獣ハーピーだし、さらにもう一人はアクィズがここに幽閉される際、ディアスの側にいた人間なのだから、驚かないはずがない。
その一人……陽人族の男レストンは、ばつが悪そうに頬をかき、それでもアクィズの視線からは逃げることなく、まっすぐ正面に目を向けていた。
ちなみに、最後の一人……眠そうな顔をした娘は、今の状況などまるで目に入っていないかのように、レンジを観察している。
そんな状態のまま、しばし沈黙がその場に満ちた。
その沈黙を破ったのは、スライムから人の姿を取った少女。魔人族……セレンだ。
「えっと、私たちセフィ君の依頼で王様を助けに来ました!」
その発言はかなり棒読みであった。それでも緊張感皆無の声音でえへらと笑うセレンに、アクィズはがくりと脱力した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
やっとセレンのスライム態を出せた……(大の字




