◆第124話 王様救出作戦 上
時間を少しだけ戻して、ケルティーナ平原における、シエル王国とグランド王国の組織的戦闘が終わった頃合い。藤子の指示を受けてグランド王国に向かっていたセレン達三人は、無事に王都ヴィユーフェイルに到着していた。
しかし、今や都に華やかな雰囲気は一切ない。それは、先年セフィが来訪した時よりもさらに加速しており、ともすれば零落した雰囲気すら漂っている。
道には気力をなくした様子の人々が横たわり、商店街ににぎわいの欠片もなかった。
その様子に、ミリシアはことさらに顔をしかめるのであった。
「……ひどいわ。国の上層部が瘴気に飲まれると、こうなってしまうのね」
幻獣の町で、人間と変わらぬ生活をしていたミリシアにとって、この光景は堪えるものがあるようだ。
一方で、厳しい自然の中で生きてきた輝良は眉をひそめた程度。
セレンなどはむしろ、
「グランド王国って大体こんな感じだった気がするけどなあ」
と言う始末である。幼少期、この国の底辺で生きていた彼女にしか言えぬ言葉だろう。
そのようなことをひそひそと言い合いながら、三人は都のスラムに向けて歩く。それに伴って、ただでさえうらぶれた雰囲気がさらにみすぼらしくなっていく。
スラム、貧民街と呼ばれる区画は、どこにでもあるものだ。光があるところに必ず影があるように、それは繁華街の逆位置に相当する。
ある意味で、必要悪とも言える存在ではあるが……この国のスラムの規模は、他国とは比べ物にならないものであった。
三人が全員経験したことのある街と言えば、シェルドール連邦のマレナやグドラシア森国のレグリアアグリア、あるいはシエルのハイウィンドだが……。そうした街のスラムは、貧しいながら彼らなりの秩序があり、また国の上層部も適切な付き合いを模索していた。
だがグランド王国のスラムは……悪くいってしまえば、掃き溜めとでも呼べそうな惨憺とした様子である。
「……こんなところで、本当に王様を助けられるのかしら?」
「さあ? でもトーコが言ったことだし、大丈夫でしょ」
「ん。トーコは完璧」
「……あんたらのその無条件の信頼が逆に怖いのよね……」
半目で二人を眺めやりながら、ため息をつくミリシアである。
そんな調子で、スラムを歩くことしばし。ちょうどスラムの中心近辺に辿り着いたところで、その男は現れた。
「よう」
「あ、レストンさんだ」
「ん」
「どうも、こんにちは」
ライオンの顔を持つ巨漢の無音の登場に、セレン達は動じることなく応じた。
その自然体の反応に、レストンは内心で舌を巻きながらもそれは表に出さず、三人を手で招く。
「……手筈は聞いてるか?」
「詳しくは聞いてないよ。レストンさんと合流して、王様を助けろとしか」
「それだけ聞いていれば十分だ。体力はまだあるか?」
「余裕。トーコの修行のほうが、何倍も地獄」
「……悔しいけどカグラに同意だわ」
「おう……トーコの修行って一体……いやそれはいい、行けるならいいんだ……」
少しうろたえた様子で、レストンは軽く咳払いをする。
かつてほとんど戦えなかったセレンに、たった数年で実力で追い抜かれた事実は覆せない。セレン本人の才能もあったのだろうが、最大の理由はやはり藤子の教育方針なのだろう、とレストンは考えるのである。
ただ、同時にそれを自分が受けたいかというと、二の足を踏むのも事実であった。あるいは、その躊躇の無さが一部の化け物とも言うべき実力者に必要なものかもしれないが……。
「それじゃあ行くぞ。トーコの弟子に言うだけ無駄かもしれないが、万が一に備えていつでも戦えるようにな」
「はーい」
「ん」
「了解です」
三人がしっかりと頷くのを見て、レストンもそれに頷く。
それからちらり、と離れたところで地べたに寝転がっていた仲間――浮浪者に変装している――にちらりと目配せすると、セレン達をいざなってスラムから姿を消すのであった。
時刻は夕方。普通の街なら、家路を急ぐ人が見え始める時間帯。けれどもグランド王国の都に、そのような人の姿はほとんど見当たらなかった……。
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レストンは、シエル王国が指針を決めた直後にグランド王国に戻ってきていた。それはシエル王国を見捨てたわけでもなんでもなく、そうしろと改めて彼に依頼が入ったからだ。
依頼主は、セフュード・ハルアス・フロウリアス。そしてその依頼とは、アクィズ王の救出である。
その高い難易度に難色を示したレストンではあったが、それに藤子も協力させることでセフィは同意させた。
そしてそれに従いレストンは、グランド王国軍がシエル王国軍とぶつかるよりも前から、主要都市を調査していたのだ。
「……で、だ。トーコの使い魔? があれこれ手伝ってくれて、見つけたのがここだ」
そのレストンがセレン達をいざなったのは、王都ヴィユーフェイルの外延部だ。場所はスラムではなく、貴族街、その中にたたずむ公園である。現代日本のいわゆる公園ではなく、自然公園といった様子だ。
とはいえ、周辺に人通りはない。時間も時間だが、それだけ人心が乱れているのだ。
「レストンさん、ここは?」
「見ての通り、公園だな。普段は貴族の子女が歩いたりしてるらしい」
「……ここのどこに、王様がいるのですか?」
「隠し通路があってな。その奥にいる……らしい。トーコの使い魔情報だから、俺が実際に王様を見たわけじゃねえんだがよ」
「なるほど」
「入り口は噴水だ。中心辺りにあるから、まずはそこに向かうぜ」
明かりのない公園を、四人は迷うことなく進む。目指した噴水は、さほど時間をかけずに見つけることができた。繁栄の時代を思わせる大きなそれは、暮れなずむ空の中で水音を響かせている。
「……立派な噴水ですね」
「シエルとグランドが分かれる前からあったらしいぜ」
「へえー。……で、これのどこが入り口なの?」
「あの噴水、横にずらすことができるらしい。その下に降り口がある、っつう話だ」
「なるほど。じゃあカグラ……」
「ん。任せる」
セレンの目配せを受けて、輝良が前へ出た。そのままためらうことなく水の中へ踏み込むと、噴水の土台を両手で抱え込む。
「……ふん」
そしてその気の抜けた声と共に、土台があっさりと動いた。地面と土台がこすれる音はない。輝良の膂力の巨大さがわかる光景であった。
彼女はそのまま動かした土台を無造作に横へ置いて、顔を出した穴を覗き込む。そこには、梯子がかけられていた。
「……ここ?」
「お、おう……そのはずだ……」
眠そうな目を向けて軽く言う輝良に少し引きながらも、レストンは頷く。
それを見て、セレンとミリシアも梯子のもとへと移動した。レストンは最後だ。
「……順番は?」
「んー、最初は武器がなくてもなんとかなるカグラかレストンさんかな? 地下の広さがわからないから、ミリシアは最後、かな」
「そうだな、俺もそんなところだと思う」
「うう、また屋内ですか……」
ハーピーロードという種族特性上、閉所では活躍しづらいミリシアが小さくため息をついた。
その後、レストンが先頭を買って出て、その後に輝良、セレン、ミリシアと続くことになる。
ただ、そうして警戒して地下へと降りた一行ではあったものの、降りている最中も、降りてからも、何かに襲われるということはなかった。
「ここは……下水道、でしょうか?」
最後に降り立ったミリシアが、明かりに照らされた周囲を見渡してそう口にした。
レストンが太陽術で造った明かりはかなり強く、随分奥までしっかりと内部を照らしている。それによって四人の前に浮かび上がったのは、ミリシアの言う通り下水道だった。
石で組み上げられた通路は、決して広くない。人がぎりぎりすれ違えるか、といった程度だ。そして足場には水が流れている。セフィが見たら、古代ローマの下水道を想起したかもしれない。
「あー、トーコと初めて会った日を思い出すなあ」
その様子を眺めながら、セレンが懐かしそうにつぶやいた。あの日、かつて所属していた組織が脱出に使ったのは、導水渠だったことを思い出しているようだ。
「……妾は身動きがしづらくてかなわないわ」
「俺もだな……こういうところだと、ガタイがいいのもマイナスだ」
一方、ミリシアとレストンは苦笑するしかない。戦うために腕を広げれば、片や鳥の翼が、片や筋骨隆々の身体がつっかえることは明白であった。
「ん……仕方ない」
「そうだねえ、何も出てこないことを祈るしかないね」
肩身が狭そうな二人を見ながら、セレン達も苦笑する。
けれども、彼女たちもプロである。雑談はそこで切り上げると、大まかにだが打ち合わせを行い、暗い下水道の中を歩き始めるのであった。
向かう先は、暗がりではなかなか気づけないほど緩やかにつけられた勾配の、上のほうである。
「この水路の上流が、王城の中を経由しているらしくてな。そこから中に入るって寸法だ」
「なるほど。確かに水は必要なものですものね」
「ああ。で、その抜けた先から行ける特殊な場所……なんでも王族しか入れない場所があるらしいんだが、王様はそこに捕らえられてるらしい」
「王族しか入れない場所かあ……何か魔法でもかかってるのかな?」
「……あり得る」
水を足でかき分ける音を響かせながら、仕事の話を続ける一行。話し声が石造りの水路内で反響して、それぞれの聴覚をわずかばかりに混乱させた。
四人はそれでも気後れなどしない。淡々と、一定のペースで歩みを続ける。
水路は決して一本道ではなかったが、レストン……というよりは、藤子の使い魔ことピエリジェスの事前調査のおかげもあって、道に迷うことは皆無であった。
そうして歩き続けておよそ一時間、四人は遂に、城への侵入口の目の前まで到着した。
「……え、待ってレストンさん。まさかとは思うけど、あそこから入るとか言いませんよね?」
ミリシアがそう言いながら、指差した場所は……人が一人通れるかどうかという大きさの穴だった。というより、どう見ても排水口だ。
しかもそれは、天井近くの壁にある。人間が簡単に進入できる場所ではない。
「おう……そのまさかだな……。俺もここまでは聞いてなかったぜ……」
その排水口を、半ば呆然として眺めるレストン。その武骨な手で、後ろ頭をごりごりとかいた。
彼の後ろから、同じく眺めるセレンは苦笑と共に首を傾げる。
「うーん……私は全身をスライム化すればあそこ通るのは難しくないけど、みんなはちょっと難しいよねえ」
「んーん……アタシは行ける。変化使う」
「あ、そういえばカグラの格好はそもそも変身した姿だったっけ」
原型の輝良は、そもそもこの水路自体入れない。いくらなんでも巨体過ぎる。
「……でも、そっか。その手があるんだね」
「セレン、どういうこと?」
「うん。つまりね、カグラに変化の魔法をかけてもらうんだよ。そうすれば二人とも入れるんじゃないかな?」
セレンの提案を受けて、ミリシアはなるほどとばかりに輝良を見た。
一方、輝良の能力を知らないレストンは怪訝な顔をする。
「……アタシ含めて、三人分はキツイ。トーコの魔法、重い」
「そこはなんとかがんばってさ! カグラなら行ける行ける!」
「……無理。絶対無理、原型になってしまう」
「えー、そーおー? 私行けると思うんだけどなあ……」
無茶ぶりもいいところであった。
そもそも藤子の魔法は、この世界の魔法とは次元が違う。高度な技術がこれでもかと使われた、極めて精密な魔法なのだ。世界の法則を完全に無視するほどの魔法は、そうでもしなければ実現できない。
輝良の姿を人間足らしめているのは、ただの人化の魔法ではないのだ。術者が想像しうる、ありとあらゆるものに変身できる。しかも、範囲は自分に留まらない。それが藤子の教えた魔法であり、それを正しく行使できている輝良の能力は、既にこの世界の並みの人間では絶対に到達できない高みにある。
問答を続けるセレンと輝良を尻目に、そんなことをレストンに説明するミリシア。それを聞いたレストンは、顎が外れるのではないかというほどの大口を開けて目を白黒させるのであった。
彼の反応を見て、ミリシアは自分もこうだったかなとふと思う。それから、彼が再起動するのを待つのも兼ねて、言い合いを続けるセレンと輝良に口を挟んだ。
「カグラ、その魔法だけどさ。かなり細かく変身内容を決められるんだったわよね?」
同時に向けられた赤と青の視線。それにため息で応じながらも、ミリシアは己の意見を口にする。
「その上で聞くんだけど、妾たちをあそこを通れる生き物に変化させるのと、ただ小さくするだけ、どっちが楽?」
「……それは、圧倒的に後者」
「そうよね? だったら妾たちを小さくして、セレンに運んでもらえばいいんじゃないかしら? セレンはスライム状になれるわけだから、そこに下半身を埋めるような形で」
……その時セレンと輝良に、電流が走る――。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
書くのが久しぶりすぎて一部のキャラが安定しねえ……ッ(歯ぎしり




