第122話 二人の心
ケルティーナのあちこちから、戦勝を祝う声が聞こえてくる。少し周りを見渡しても、あのカバルさんさえ嬉しそうに盃を傾けているから、本当に誰もが喜んでるってことがよくわかる。
この状況を作り出したのが、セフュード兄様だというのがわたしにはとっても、とっても誇らしい。やっぱり兄様は、すごい人だ。
わたしは兄様みたいに頭脳労働は得意じゃないから、前線で戦ったけど。兄様の思ってた通りに動けたと思う。最初は少し怖かったけど……シェルシェ先輩が殺された時に比べれば、全然だった。
終わった後、兄様に褒められて、頭を撫でてもらったし……何より、宴席で兄様の隣でお酌ができたから、わたしとしては今日は満足な一日だ。最近は、あんまり兄様のそばにいられなかったから、すごく……すごく嬉しかった。
本当なら、これはライラ義姉様がすべきだとは思うんだけど……まだ狐のお面を外せないから、仕方ないよね。うん。
その義姉様は、魔法兵隊の人たちと一緒だ。なんだかすごく尊敬されてるみたいで、魔法兵隊の団結がすごい。
そんな感じで、勝利の夜は更けていく。そんな中、わたしは部屋に戻る前に義姉様に声をかけられた。
「ティーアさん、二人で少しお話がしたいのですけれど、よろしいです?」
「へ? う、うん」
「では場所を変えましょう」
深夜でもまだお面を着けてる義姉様だから、暗い廊下ではちょっと不気味だ。でも全身から感じる気配は物騒じゃない。大丈夫だと思う……たぶん。
義姉様に連れてこられたのは、まだ撤収しきれていない陣の外。シエルの国旗が夜風ではためく音だけが、静かに聞こえてくる。
「……義姉様?」
「ええ……この辺りにしましょうか」
周りに人気はない。改めて確認する……けど、うん。やっぱり義姉様に悪意はない……と思う。
ただ、こうやって呼び出される理由がわたしには思いつかない。二人きりで話すようなことって、何かあったっけ……?
「ティーアさん」
「うん?」
わたしに振り返った義姉様に、わたしは首を傾げてみる。それに応じるようにして、義姉様も首を傾げた。鏡写しみたい。
「……私も色々と考えましたが、やはり、あまり考えすぎても意味がないと思いますので、単刀直入に申しますわね」
「う、うん」
「貴女は……セフィの何ですの?」
「へっ?」
義姉様の質問の意味がわからなくて、わたしは思わず目を丸くした。
兄様の、何? 何って言われても……わたしはただの妹ってだけで、それ以外は……別に、別に何も……。
「この二カ月、セフィの近くにいてずっと疑問だったのです。セフィと貴女の間にある空気は、とても兄妹のものには見えなくて……そう、あれはまるで」
――恋人同士のようだった。
義姉様のその言葉を聞いて、わたしは一気に顔が熱くなるのを感じた。それは人からはそう見えるんだ、という嬉しさと気恥ずかしさで……。
「や、ち、が。わ、わたしはそんな、兄様とは、そんな……」
全然まとまらない頭を必死に動かして、あたふたと手を振りまくるしかできなくって。
そんなわたしの様子に義姉様はくすくすと笑う。
「ふふ、ポーカーフェイスが苦手なところはそっくりですのね」
「ふえっ!?」
「否定なさらないで。見ていればわかりますわ。セフィを見ている時のティーアさんは、恋する乙女そのものでしたわよ?」
「うーっ、うううう……」
は、恥ずかしい……!
わ、わたしそんな風に兄様のこと見てた? そんなつもり、ないのに!
もう、忘れないといけないのに……捨てないといけない、のに。
「でもだからこそ……私は悔しいんですの。傍から見ていて、彼が一番気を遣っているのは貴女なのですから」
「え……」
「私だって、彼にもっと見てほしいのです」
そう言いながら、義姉様はお面をそっと外した。
そこから出てきたのは、わたしが知る限り一番の美人。兄様にも通じるような、魔法の申し子であるティライレオルグリーンの瞳が、まっすぐわたしを見つめていて。
その瞳は、その表情は、わたしが知る限りまったく見たことのない、悲しそうな色をしていた。
「ね、義姉様……?」
「隠すつもりはありませんわ。だって私は、彼の婚約者なのですもの。私は……私は、彼のことが好きですのよ」
「……っ」
突然の告白に、わたしは息をのむ。じわりと漏れ出た義姉様のマナが、恐ろしいくらいに澄み切ったマナが、それが本音だと言外に言っていた。
「でも……だから私は、彼には本当の意味で好いている人と一緒にいてほしい、とも思うのです。それがきっと、一番幸せなことですもの。そうは思いません?」
「…………」
「私……もし彼が本気で貴女のことを愛しているなら、身を引いてもいいと思っております。……体面というものがあるので、正妻という立場そのものを譲ることはできませんが……それでも、それ以外のすべては譲ってもいい、と……そう、思っています」
嘘だ、なんて。
わたしには言えなかった。言葉とは裏腹に、義姉様の顔はどんどん暗くなっていく。お面を持つ手に、力がどんどん加わっていくのもわたしにはよくわかった。
本気じゃない。でも、そういう気持ちもある。きっと、そんな感じなんだと思う。
でもそれって……それって、義姉様、わたしだって――。
「だから、ねえ。ティーアさん? 私、貴女の気持ちが知りたいですの。彼の想いが貴女に向いているのなら……貴方はそれに応えられますの?」
やめて。
これ以上は、やめて。
わたし、わたしはこれ以上、兄様ことを考えちゃいけないの。
許されないんだから……もう、子供じゃないんだから……だから、だからわたしは……。
「わ、わたし……は……」
喉がカラカラだ。声が出そうで出てこない。
否定しなきゃ。しなきゃいけない。
違うの。だって、わたしは妹だから。
兄妹で、そんなことは、しちゃいけない、だから。
わたしは、わたしは……!
「……そ、ういうんじゃ、……ない、から……」
わたしは、セフュード兄様の妹。それだけ。
それだけ、なの……。
「……そう。そうなのね。わかりましたわ」
真向かいに立つ義姉様は今、頷いたんだろうか。
なんでだろ、目の前のことがよく見えない。
……ああ、なんだか目元がじんじんする……。
「ごめんなさい、辛いことをさせましたわ……」
「……ね、えさま……?」
気がついたら、わたしは義姉様に抱きすくめられていた。
……? 何が、どうなったの?
「ごめんなさい……貴方の気持ちを否定させてしまって。そんなにセフィのことが好きなのね……」
「ち……ち、が」
「なら、この大量の涙は何ですの? 貴女の心が言葉を拒んでいるからではありませんの?」
「ち……ちがううう、ちがうのおお、わた、わたしは、わたしはあっ、に、にいさまのこと……にいさまの、こと……!」
ああ。
もうダメだ。
わたし、わたしこれ以上は、もう、自分を騙せない……。
「うええぇぇぇん! 兄様あぁぁだいすきだよおぉぉう! ずっと、ずっと一緒にいたいよおぉ……! やだよぅ……離れたくないよぅ……うえぇぇ……ひぐっ、ううぅぅ……!」
それからわたしは、義姉様の身体をきつく抱きしめたまま泣き続けた……。
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ティーアさんが泣き止んだのは、実に三十分は経ってからでしょうか。
その間、私は泣き続ける彼女の背中をさすりながら、ほんの目と鼻の先の彼女を眺めていましたわ。
そして思っていました。
ああ、やはりそうなのですね、と。
少し強引に、彼女の心に踏み込んで確かめてしまいましたが……これで確定です。
ティーアさんは、妹としてではなく……家族としてではなく、一人の女性として、セフィのことを愛している。
彼女が今までその人生ではぐくんできた気持ちは、私には到底わかるはずもありませんけれど……けれども。
その気持ちが大きかったからこそ、彼女は必死にそれを抑えつけていたのだろうとは、想像がつきましたわ。
残念ながら兄妹間の恋愛は、現代の倫理観では決して認められるものではないのです。この世界は、同性間の恋愛については比較的寛容ですが、兄妹間の恋愛はそうではありませんから。
ましてや二人は王族。それを表に出すわけにはいかないでしょう。
そんな状況で、ティーアさんが選んだのが諦めることだったのでしょうね。
彼女の選択を、愚かと誰が言えるでしょう。世間の常識に挑むなど、師匠くらいの理不尽でなければできることではありませんもの。
同じ状況になれば、私もきっと彼女と同じ道を選ぶでしょう。……初恋は時間が忘れさせてくれると、そう自分に言い聞かせながら。
けれども私は、何故かその選択を取り下げてほしいと思いました。
同情でしょうか? それとも、醜い優越感からでしょうか? 実際のところがどうかは、すぐにはわかりそうもありませんけれど。
ただ……これほどまっすぐに一人の人間を想えるティーアさんの気持ちを、せめて私だけは否定したくなかったのです。ふとそう思ったのです。
そしてティーアさんが、とても好ましいと……そう、思いました。
少なくとも、今はこの二つが理由だと思いますの。
「……ね、義姉様……ごめんなさい……」
ようやく落ち着いたティーアさんが、おずおずと口にしました。
私はそんな彼女に、気にしないように告げます。そもそも、本音を知りたかったとはいえ彼女の開きたくない心の扉をこじ開けたのは、他でもない私なのですから。
それでもティーアさんは違うと言い、ぽつりぽつりと語り始めました。
「しちゃいけないことを最初にしたのはわたしだから……わたしが兄様を好きになっちゃったのがいけないんだから……」
――だから、わたしは兄様の隣にいる資格なんてないの。
そう言って、ティーアさんは私の胸元に顔をうずめました。
ああ……貴女という子はは本当に、どこまでいい子なの?
どうしてそこまで自分を犠牲にできるの? もう少しわがままになってもいいのではありませんこと?
自分が好いた人のためなら、いくらでも自分は我慢できると、そう言うのでしょうか?
だとしたら……だとしたら、どれだけ似たもの兄妹なのでしょう。あなたの兄も、似たようなことを私に言ったのですよ?
でも、そうですわね。だから私は、ティーアさんに親近感を持ったのでしょう。
彼女が持っている気質は、その心根は、双子だからでしょうか。彼に……セフィに似ている気がするのです。
私がセフィに惹かれたのは、彼の優しい性格が最初でしたわ。だから、きっと彼女にも似たような感覚を持ったのではないでしょうか。
そう思えば、私はそれまでよりも強く、思いました。この子に、これ以上やせ我慢はさせたくない、と……。
だから、私は。
「……ティーアさん。……いえ、ティーア?」
「…………」
「セフィの隣は……まだ片方空いていましてよ?」
気づけば、そう言っておりました。
その言葉に、ティーアは目を丸くして顔を上げました。その美しい、無垢なナルニオルレッドの視線が、私に注がれます。
「私の師匠の言葉に、こんなものがありますわ。『バレなければ犯罪ではない』……」
それが詭弁であることはわかっています。そもそも、そんな詭弁を正当化できる師匠だからこそ言えることであることも。
だから師匠に及ばない私がそれを言うのは、悪魔の誘惑に他ならないかもしれませんわね。
けれども……そう、それがなんだと言いますの?
良いではありませんか。私はただ……この純粋な義妹に、もう少しだけ幸せになってほしいだけなのです。たとえ彼女が恋敵であっても、彼女を見捨てることはもう、私にはできそうにないのですから。
「……それにティーア、貴女がそこに入らなかったら、他の誰かが来てしまうかもしれませんわ。セフィはお人よしですから、そう言う人を拒むことはしないかもしれません。どこの誰かもわからないようなぽっと出の人間に、彼の隣は渡したくありませんわ……そうは思いませんこと?」
ふふ……よくもこんなことが言えるものです。ティーアを誘うふりをして、私は私の欲を満たそうとしているのですから。
でも、ティーアを妬む気持ちより慈しむ気持ちのほうが勝ったのですから、許してほしいですわ。そうでなかったら、私はセフィを是が非でも独り占めしたいと思ってしまったかもしれませんから。
……私も、なんだかんだで師匠の弟子と言ったところでしょうか。
「だからティーア……」
愕然と、と言った様子と、本当にいいのか、という逡巡の気配をないまぜにして、ティーアがこくりと喉を鳴らしました。
そんな彼女の頬をそっとなで、私はさらに誘います。
なんだか、本格的に悪魔になった気分ですわね。言葉遣いがいつも以上に芝居がかってきているのは、そんな精神状態の現れかしら。
「一緒に行きましょう? ね?」
そして私のその言葉に、少しの間を空けてティーアが口を開きます。恐る恐る、と言った風に。
「……い、……いい、の……かな……。わたし……兄様や、義姉様の、邪魔じゃない、かな……」
「ええ。私はそんなこと、もう思っていませんわ。セフィだって、きっと」
「……わたし……わたし」
そこで彼女は、遂に私から身を離しました。そして、少しだけ高い私の顔を、今までとは違う目の色で見つめてきます。
「……もう少しだけ……がんばってみる……!」
「はい。私、応援しますわ」
決心した彼女に笑いかけて頷き、私は改めて狐面をかぶりました。
そして、ティーアに手を差し出すのです。
「……そうと決まれば、今夜はもう戻りましょう。明日から、きっと忙しくなります」
「……うん!」
そっと握り返されたティーアの、剣士とは思えない柔肌の温もりを感じながら、私は足を陣屋へと向けました。
少し、……いえ、かなり?
強引ではありましたが……自分の気持ちを認識してから、ずっともやもやしていた心のしこりを、取り払うことができたようで、今夜は久しぶりにぐっすりと眠れそうですわ。
……けれど、やはり神々は見ているのでしょうか。
私は、まだまだ眠るわけにはいきませんでした。
「……あれ? ねえ、義姉様……あれ、って……」
そう言って、陣屋から少し外れたほうをティーアが指差しました。
それにしたがって視線をそちらに向けると、そこから何者かが外に出ていく姿が。
あそこは……あそこは確か。
「……武器庫ではありませんでしたか?」
「うん、確かそうだったと思う」
私たちは、同時に互いを見合わせました。そしてやはり同時に、同じ結論に至ります。
「「まさか……間者っ?」」
夜はまだ、終わりません。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
箸休め的な意味も込めまして、ティーアとライラの和解でした。
次回、もう少しだけ戦いが続きます。
ちなみに、セフィにはまだ前と後ろがあいていま(ry




