第121話 ケルティーナ平原の戦い 3
グランド王国軍は、もはや進むことなどできなくなっていた。
左右に展開し、敵軍を包囲するはずだった両翼。しかしその翼は早々にもがれ、半ば死に体と化した本陣周辺には、絶え間なく大規模な魔法と雨のような矢、そして超速の弾丸が撃ち込まれ続けている。
それでも、なお。
「かあアァァア進め進めェェイ! シィィィエルの連中なぞ、なぞォォ!! ひねりつぶすのだアアァァ!!」
唾を飛ばしながら叫び、わめき立てる男のいでたちは、残念ながら当初十万いたグランド王国軍において、最も上等のしつらえである。
型も何もない、剣をただ振り回すだけの男の名はカフィルカ5世。瘴気に飲まれ、もはや正常な思考を失ってしまった哀れな王であった。
しかしそんな、気の狂った王を王として戴こうと言う物好きは決して多くはない。そもそも今回の行軍は一般人が大半を占めている上に、このような様子をさらけ出してしまっては、畏敬の念など抱くはずがないのだ。
そしてこれが、勝っている時はまだいい。鬱憤を、そのまま敵にぶつけることができる。それで得られるものがある。
けれども、今のような負け戦であったら?
答えは簡単だ。誰も、付き従おうとは思わない。
「えええああああ逃げるなアアァァ!! 貴様らそれでもそれでもそれでも余の兵士カアアァ!!」
カフィルカ5世がわめく。わめき散らす。その姿を見て、さらに人は離れていく。悪循環であった。
「がああああ!! ディアアァァァス!」
しかし、そう思ったとしても従わなければならない立場の人間もいる。
その人間の一人……ミスリルアーマーで武装したディアスは、カフィルカ5世の癇癪に応じてその場にゆらりと現れた。
いつものようにあまり感情を表に出さない鉄面皮のまま、彼はさながら煽るかのように緩慢な動作で跪く。
「……ここに」
「突撃だあァァァ!! 敵を! 敵を!! あのゴミどもを粉砕するのだアァァ!!」
ディアスの声を聞くや否や、カフィルカ5世が吼える。血走った目は、高台に陣取るシエル軍に釘付けだ。
その遠吠えにディアスは静かに、そして淡々と答えた。
「……もはやそれは不可能です。これほどの打撃を受け、兵の士気もどん底。この戦……既に決しております」
彼の言葉は既に、客観的事実であった。今ここから戦況をひっくり返すには、それこそ神にも匹敵するくらいに理不尽な力が必要だろう。
だが、ただの人の身にそれができるはずはない。
「不可能ではなァァァ!!……ァァアアアアい!! 粉砕! 粉砕するのだァァ!!」
とはいえ、正論や理屈が通じるほど、カフィルカ5世は正常ではない。
ディアスの言葉には一切耳を傾けず、ただひたすらに突撃を叫び続ける。彼にはもう、見えていないのだ。目の前に横たわる、現実というものが。
「……わかりました」
それでもなお、ディアスは狂王の言葉に頷く。
頷くが、しかし。
「ならばこれまで」
ディアスは頷くと同時に動いた。バネが跳ねるように立ち上がると、その勢いのままにカフィルカ5世に躍りかかる。その手には、一本の矢が握られていた。
彼はそれを、勢いよくカフィルカ5世の後頸部に下からしゃくりあげる形で突き刺した。矢じりはそのまま、ほとんど抵抗を受けることなくカフィルカ5世の頭部を破壊しながら突き進み、ほどなく脳へと到達する。
ここまでされて、生きている生物はいない。カフィルカ5世もまた、瘴気に飲まれていたとはいえ肉体は人間そのもの。
故に――彼はそのまま、恐らくは何をされたのかも理解できないまま、唐突な死を迎えた。
力が抜けたカフィルカ5世の身体が、緩やかに頽れていく。その右手から、剣が零れ落ちた。そしてその手が……何かをつかみ取ろうとするかのようにかすかに泳ぐ。その先には何もないというのに。
けれどもその表情は、どこか穏やかなものだった。それがカフィルカ5世が、最期に残したものとなる。
「…………」
物言わぬ骸となったカフィルカ5世を見下ろして、ディアスはしかし、無言であった。
その顔はやはり冷徹な白面であり、義理とはいえ父であり、また一国の盟主を殺めた人間の顔ではない。
だが彼にとって、それこそ感慨にふけるとか、良心の呵責にさいなまれるといったものこそ、ありえない。彼にしてみれば、カフィルカ5世とはその程度の存在でしかないのだから。
「……やれ」
そして彼は、誰にともなく言った。
その言葉の意味を理解できた人間が、ここにどれほどいたことだろう。少なくとも、王を殺すという凶行に突然走った王子に我を忘れていた周辺の兵士たちには、一切わからなかった。
だが、それを理解したごく少数の人間は、即座に動いた。ディアスと同じくミスリルアーマーに武装した騎士たちが、一斉に標的目がけて襲い掛かる。ディアスも同時に動いている。
次なる標的は、そう。
「――連結上級風魔法」
「ぎゃああああ!?」
周囲の目撃者だ。
「王は流れ矢を受けて戦死した。それが真実だ」
巨大な竜巻によって次々と空に投げ出されていく、罪なき兵士たち。
その姿をつまらなさそうに見上げて、ディアスは冷たくつぶやいた。
そうして彼は、竜巻をその場に残したまま踵を返す。マントが翻って、そこにあしらわれたグランド王国の国章が揺れる。
「さて……最後の詰めだ。これでフローリア王国が蘇る」
シエル王国の本陣を睥睨して……彼はそこで、ようやく笑った。
にやり、と。
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「なんだなんだっ?」
突然グランド王国軍のど真ん中に発生した巨大な竜巻に、誰もが浮足立った。
ぼくも一、二度目をこすって、それを見直したけど現実は変わらない。確かに、敵軍のど真ん中に竜巻があって、しかもそれが敵軍を蹂躙していた。
「な、何が起きてんだ!?」
目を丸くして、トルク先輩が言う。それはここにいる人間全員の代弁だろうなあ。
ただ、こんな突拍子もない出来事の説明は、さほど難しくない。どうせ魔法だろう。この世界はファンタジーだから。
問題なのは、なぜそんなことが起きたのか、かな。敵軍を蹂躙しているわけだから、究極それによる被害は関係ないわけだし。
「伝令、ライ……じゃない、月子に伝達をお願い。もしあの竜巻が近づいて来たら対応お願い、って。それから、あれはウチの人間がやったのか? って」
「御意!」
近場に控えていた伝令役の兵士の一人に告げて、ぼくは状況の把握に努める。
とりあえず、だ。敵の両翼を包囲してる二軍に関しては、あのままでいい、かな。完全に極まってるっていうか、喉元に刃先的な状態だ。
竜巻でうちの攻撃が一時止まったけど、それは相手にも言えることだし。このまま包囲を続けて無力化させよう。うん。
で……問題は敵の中央。あそこには本陣があったかと思うけど……うーん、ムスカ大佐の名言を言いたくなるような攻撃が広がってる。
あんなでかい魔法をぶっぱなせる人間、ライラくらいしかいないと思うけど……彼女にはあくまで両翼への合流の阻止と行軍の牽制しか言ってない。いくら現場判断があるとはいっても、あそこまではしないだろうし……。
「……セフィ」
「どしたの、先輩?」
いつの間にか隣にいた先輩に顔を向ける。考え込んでたから気づかなかったよ。
その先輩は、いつも頭に巻いてるバンダナを締めなおしながら言った。
「あれ、連結の魔法が使われてるっぽいぞ」
「……まーじーで?」
その魔法を知ってる人間って……二桁いかないんだけどな……?
「殿下!」
再び考え込もうとしたところで、伝令が戻ってきた。ひとまず居住まいを正したぼくは、彼に問いかける。
「お疲れ、どうだった?」
「ハッ、ツキコ殿はあれには関わっていない、と」
「……やっぱりそうか。わかった、ありがとう」
「ハッ!」
下がっていく伝令。その後ろ姿もそこそこに、ぼくはあごに手を当てる。
連結は、ぼくのオリジナルだ。少なくとも、他人があれに辿り着いたという話は聞かない。だからあれを使える人数は変わっていないはずだ。
その大半は、シエル側にいる。例外は唯一、グランド王国にいるディアス兄さんだけだ。
「……まさか、ディアス兄さん?」
他に思いつかない。
そしてその予想は、ほどなくして肯定された。
ディアス兄さん本人が、降伏を示す旗をはためかせてこちらに向かって来ていたのだ。
その動きに応じる形で、周辺にいるグランド王国軍すべての攻撃が止まる。どうやら、ひとまずは戦いは終わりになりそうだ。
「で、殿下! ディアス王子が使者として参られました……」
「……わかった。場所のセッティングをお願い。それからうちも戦闘を終了させて、……念のため、敵の兵士は捕虜にしておいて」
「はっ」
「あ、捕虜への虐待とかそういうのは全面的に禁止だからね。食事もうちの兵士と同等のものを与えて、ちゃんと遇すること。万一それを破ったやつがいたら……打ち首で」
「は……!? は、はいっ!」
伝令役がものすごく意外そうな顔をした。うん……この世界の戦いではそういう考え方はまだなさそうだもんね。そもそも、ちゃんと正規の手順を踏んでいるなら戦争後に全員蘇生する世界だしねえ。
でも、今回はそうはいかないからね。ちゃんと人道的な対応をしないと。それでどうなるかは、地球の歴史が証明してるもの。
「先輩、ファムルさん。ディアス兄さんとの会談はぼくが受ける。二人は戻ってくる兵たちの対応お願いしてもいいかな?」
「あいよ、喜んで。どっちみち政治的な話はあたいの専門じゃないしな」
「そうね、あたしもそういうのはニガテ。こっちのことは任せときなさいな」
「ありがとう、よろしくね」
二人にお礼を言ってから、ぼくは本陣を後にする。
そして兵士にディアス兄さんのところまで案内される。
「……ディアス兄さん」
「ああ。久しぶりだな、セフィ」
天幕で人払いのされた場所で待っていたのは、間違いなくディアス兄さんだった。相変わらず感情がわかりづらい人だ。
身に着けているのはいつかも見たミスリルアーマーだけど、汚れは見当たらない。戦場にずっといてそれはおかしい気もするけど、使者として来てるわけだし、掃除でもしたのかな。
それでもルミノール反応を調べたら、すごく血の跡がわかるんだろうな。……なんて益体もないことを考えながら、ぼくは兄さんに座るように促した。続いてぼくもその正面に座る。
「……それで、ディアス兄さん? ここに来たのはどういう要件で?」
「お前のことだから察しはついているだろうが……グランド王国は降伏を申し入れる」
「降伏、ね……」
「ああ。見ての通り、もはや我々に継戦能力はない。兵力の差も意味をなしていない。この状況で勝つことは不可能だ」
「……うん」
それはぼくの見立てでもそうだ。ただ、こうもあっさりと相手方から言われると……なんていうか、違和感があるんだよなあ。
裏があるような気がする、というか……それだけじゃない気がする、というか……。
「お前の言いたいことはわかる。だが、嘘偽りや罠は一切ない。私の言葉は、今のグランドの総意だ」
「うーん……」
腕を組みながら、考える。こういう状況も、藤子ちゃんの攻略本には書いてあったはずだ。思い出せ、思い出すんだ。
何かがひっかかる。その根っこはなんだろうか?
嘘、偽り、罠はない……。
……嘘、偽り、罠「は」、か……?
「……兄さん、まだ隠してることがあるんじゃないの? 今言ったこと以外にも、戦うわけにはいかない理由ができた、とか」
そう、確かそういう風に書かれていたはずだ。
果たしてそれは、正解だったのだろう。ディアス兄さんの眉が、ぴくりと動いた。表情に相変わらず変化はないけれど。
「……鋭いな。さすが、と言うべきか」
そしてそう言った兄さんは、一度そこで口を閉ざした。
それから数秒の間を開けて、続きを口にする。
「……シエル打倒を掲げて軍を率いていた王が、戦死したのだ」
「……おおう」
「元々この戦争を大々的に肯定していたものは少ない。私も反対派だった。ましてや、無理に徴兵された民が圧倒的に多いのだ。だからもはや、王が掲げていた名分は意味をなさない……と、そんなところだ。これ以上、王のわがままに付き合わせて我が民の命をあたら無駄に散らせるわけにはいかない」
「なるほどね」
そりゃあすぐにでも降伏したいわな。被害はうちより向こうのほうが多いんだし。
「わかったよ。その降伏、受け入れる」
「すまない、恩に着る」
そこで兄さんは、その場で頭を下げた。
かくして、襲来から二カ月以上もかかったこの戦争は、わずか数時間の戦闘で決着を見る。
後世、ケルティーナ平原の戦いと呼ばれるこの戦闘は、大勢の予想を大きく裏切って、シエル王国の圧勝となったのであった。
……しかし今日という日は、まだ終わらない。まだ、終わらなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
7月から会社の社内システムが入れ替わり、それはもう目も当てられないことになってます……。
仕事したくない小説書き続けたい……。




