第119話 ケルティーナ平原の戦い 1
夜が明ける。ゆっくりと太陽が、山の向こうから顔を出していく。
「……始まる、ね」
その様子を横目でちらりと見て、ぼくは誰にともなくつぶやいた。
準備はできる限りのことをした。あっちこっちに仕掛けも施したし、用意した新兵器の整備もばっちり。ぼくの装備だって万端だし、攻略本もちゃんと読み込んだ。
……大丈夫。負けない、負けるつもりなんて、これっぽっちだってない。
ぼくはぐっと両の拳を握りしめて、改めて彼方に目をやった。
夜明けの光を浴びるのはぼくたちだけじゃない。そこにいるのは、ディアス兄さんもいる、グランド王国軍だ。
伝令の話だと、向こうの総兵力は回復魔法で復帰した人間と逃亡をした人間の差引を勘案して、おおよそ五万ちょっとではないだろうか、といった感じらしい。
この辺りの曖昧な感じが、いかにも中世っぽい雰囲気ではあるんだけれども……。
「……鶴翼の陣、か。藤子ちゃんの予想通り……だなあ……」
その様子を見届けて、ぼくはゆっくりと頷いた。
前方でずらり、と横に広がるグランド王国の兵士たち。
ただの横並びじゃない。左右の翼に当たる箇所は、中央の兵よりも前にせり出ている。ケルティーナ南部に広がる平原を、ほぼいっぱいに占拠して登ってくる敵軍の姿は、否が応にも恐怖と緊張を高める光景だ。何せあれは包囲を目的とした陣形……そして、防御に適した陣形だ。
対するこちら側は、魚鱗の陣を敷いている。決して多くはない人数の集団をさらに三角形を描くように集めた陣形で、一部が崩れても後ろからすぐに次の兵を繰り出せるという、消耗戦に向いた陣形。そして、正面突破に向いた陣形でもある。
彼我の兵力差は二倍。しかもうちの兵力の半分は隠しているので、見た目の差は実に四倍もある。さらに言うなら、魚鱗は包囲戦に弱い。構成単位はあくまで横陣だから、左右からの攻撃に弱いのだ。
ならばなぜ包囲に対応した陣形を敷いていないのか……と言うと、これは単純に相手が一枚上手だったからだ。こちらは少数を生かすために魚鱗に構え、敵軍を正面突破したのち分断した敵軍を各個撃破する、という予想図を描いていたんだけど……。
それを見抜いた相手方は、夜が開ける直前に陣形を組みなおしたんだろう。ただ勝つだけでなく、リスクを回避するのは当然のことだもの。
……と、言うのは実は建前。これは、というよりここまでは予想通りだ。そう、直前ぼくが自らこぼしたように、藤子ちゃんの予想通り、なのだ。
彼女が描いた絵図面は、実は複数あった。あの時もらった攻略本という名の分厚い書物は、そのふざけた名前とは裏腹に、あらゆる状況にも対応できるよう多岐に渡る詳細な情報が書き込まれていた。相手方の行動に合わせて先に進むという記述形式だったのは、前世の子供時代にゲームブックの類に耽溺していたぼくへの配慮だと思う。
ぼくはその中から、今回の戦術を引用することにした。具体的な内容はおいおい、戦況の進行に沿うけれど……その前提として、敵に横陣もしくは鶴翼という、横に広くて層の薄い陣形を取ってもらう必要があった。そのため、包囲戦に弱い陣形を用意したのだ。
そして先にも言った通り、兵力の半分を隠した。これによって、包囲戦に対する防御力をさらに低く見せかける。隠した分は、もちろん伏兵として活躍してもらう。
加えて、あちらは先の戦いでは異世界の神槍グランゼニスによって、のっけから大被害を被っている。あのレベルのどでかい先手は、間違いなく警戒されているだろう。そしてあの攻撃は、密集していればいるほど、被害が大きくなる。面ではなく点の攻撃だからだ。
これらの要素を加味して警戒できる頭があるなら、兵を横陣もしくは鶴翼で展開せざるを得ないだろう、というのが藤子ちゃんの予測だったのだ。
かくしてグランド王国軍は、鶴翼の陣でもってこちらに対面した。
「……セフィ、ぴったりだったわね……っ」
その藤子ちゃんの予測を、ぼくはもちろん軍議の場で説明していた。当然いろいろと意見を言われたけれど、新兵器の説明と、それを利用した戦いを想定していることを説明して封殺した。
それを聞いていた人間で、今回の作戦の要の一つを担うことになったファムルさんが、ぼくの肩の上で息も絶え絶えと言った様子で、けれども誇らしげに胸を張っている。
なぜファムルさんがこうも瀕死なのか、というと。彼女には、夜の間にいくつかの夢幻魔法を行使してもらっているのだ。
夢幻魔法は、自身のマナに応じて想像を実際に創造する魔法。発動までに時間がかかる上に、融通が利かないのでとっさの戦闘には向かないけれど、戦争となると話は別だ。事前の仕込み、という意味で、これほど向いた魔法はないだろう。
ただ、マナの枯渇が死に繋がる夢人族にとって、その多用は文字通り命の危険がある。だからぼくは今、さほど使う予定がない自分のマナを、絶賛彼女に補給中だ。さすがに全部持っていかれると、ぼくも持たないから半分くらいでやめてもらうけどさ。
ちなみにこの本陣に、ティーアとライラはいない。カバルさんもいない。全員、それぞれの役目を追って別の場所にいる。
ここにいるいつものメンバーは、ぼくとファムルさん、それに後ろで地面にしゃがみこんで、でっかい装置を前にしたトルク先輩の三人だ。いずれも、直接的な戦いには向かない面子だね。
まあぼくは総大将だし、トルク先輩にはここからやるべきことがあるしね。
「うん、予想通りだ。だからここから先も、予想通り動くよ」
ファムルさんに頷き、トルク先輩と視線を交わし合う。と同時に、先輩は装置の操作を開始する。
今まで説明しなかったけど、その装置からはマナが緩やかに立ち上り続けている。しっかりと見える人間には、何かわからずとも何やらやっているであろうことはわかるはずだ。たぶん、敵陣にいるディアス兄さんなら見えてると思う。
ただ、それで何をするつもりかはわからないだろうな。わかっても困る……まあ、わからせるつもりなんてないけども。
マナの先には、空中に浮かぶ物体が全部で五十個。マナをうまく視認できない人には、まさに何もないのにものが浮いているように見えるかな。
それのサイズは、今ぼくがいるところからは点程度の大きさにしか見えないけど、実際は六畳くらいの大きさの立方体。そう、あれはかなり高いところに浮いているのだ。装置から湧き上がってるマナは、それを浮かし続けるためのエネルギー源、兼推進誘導装置なのだ。
そしてその物体が、先輩の操作に従って前へ……つまり敵陣のほうへと飛んでいく。正確に言えば、ほとんど散開することなく中央めがけて、だ。
速度は、さほど大したものじゃない、歩きと走りの中間くらいの速度かな。さらに、まるで等加速運動をするみたいに、少しずつスピードが上がっていく。そのあたりは、トルク先輩の操作のたまものだ。
敵軍が、一旦動きを止めた。たぶん、王様かディアス兄さんの演説が始まるんだろう。実際、周囲に音はないから、それらしい声がここまで聞こえてくる。……いやま、言葉として認識するにはちょっと難しいくらいには、音量下がってるけどさ。
決戦に際して、あれやこれやと形式が存在するのも中世っぽいよね。
……まあ、戦場でそんなことをしている暇なんて、与えてたまるかって話だけどね。。
「先輩、そろそろ」
「おーっし、行くぜっ!」
演説が終わる頃合いを見計らって、ぼくは先輩に合図を送る。それを受けて、さらに装置を操作された。
するとその瞬間、装置から上がっていたマナの色が変わった。属性が変わったのだ。そしてそれによって、空飛ぶ物体の下部がぱかん、と開いた。かと思えば直後、そこから無数のスイカが降り注いでいく。
それらが着弾したのは、ちょうど敵軍の突撃が始まり、鬨の声が平原に響き渡ったその瞬間だ。
平原の真ん中から、着弾と同時に激しい爆音。そして巨大な爆発が地面と、それから敵軍の中央を吹き飛ばした。その突然すぎる出来事に、敵軍の進撃が思わず止まり、混乱の悲鳴と怒号が上がり始める。
うちのほうも、情報を知らされてなかった兵士たちがうろたえてるみたいだけど、それはがんばって声を張り上げて鎮めさせる。
「よっしゃあ、決まったぜ!」
一方で、先輩が立ち上がりながら拳を振っていた。うん、あれは先輩がこの二か月弱の間かかりきりだった新兵器だからね。気持ちはとてもよくわかる。
うん。
皆さんには、あれが何かもうお分かりかと思う。ばらまかれたものは、スイカなんかじゃなくってずばり爆弾。
そう、あれは爆撃機だ!
……いや、そんな高性能なものではまだまだないんだけどもね。あれは、魔法で浮かべた風船みたいなものだし。
でも、この世界では恐らく史上初の攻撃になるだろう。……あ、エルフィア文明終わった後の史上で初ってことでね。
「先輩、駄目押し行っちゃってください!」
「おうよ!」
再び先輩が、装置を操作する。すると、もう一度立ち上っていたマナが静かに途切れ、浮遊物へのマナの供給がなくなった。
その直後、物体は空中にその身をとどめる術を失って、がくんと落下し始める。
そう、爆弾の入れ物も爆弾なのだ。まあ、ばらまく用の爆弾が移動中に作動しないように注意して造ったから、爆弾としての性能はそこまで高くないんだけども。それでも十分だ。
何せ、あれらの爆弾はぼくが昔、シェルシェ先輩と開発したオリジナル、爆発魔法がその根幹。威力も精度も、今この世界で造れる普通の爆弾の比ではない。魔法とはまったく便利なもので、その辺りの構築もわりと簡単にできたのだ。
そして、トルク先輩の研究はずばり、空を飛ぶこと。まだまだ飛行機の域には遠く及ばないけれど、なんとか物体を浮かべることには成功するところまで研究は進んでいるのだ。
そんな中で、地球から転生してきたぼくが爆撃を秘策として起用したのは、ある意味で必然だったと言ってもいいんじゃないだろうか。
……ちなみに、爆弾の見た目がスイカなのは、地球で最初に犠牲者を出した投下物がスイカだから、という逸話(諸説あります)をモチーフにしてる。茶目っ気のつもりだったけど、この世界のスイカは完熟すると爆発して種をまき散らし繁殖するという、ものすごくアレな生態らしいので、誰も何も突っ込んでくれなかった。
……なんて、それは蛇足か。
ともあれ、出鼻をくじくことに成功した。さらに言えば、鶴翼陣の中央近辺はかなり層が薄くなった。
まあ、ここが薄くても両翼が健在なら包囲戦には十分持ち込めるだろう。けれど、これでいい。順調だ。次は、その中央部分を完全に削り取ってやろう。
とはいえ、既に敵軍の混乱は収まりつつある。軍隊特有の整った動きをこれほどきれいに取り戻せるのは、間違いなく優秀な指揮官がいる証拠だろう。もちろんそれは、戦場を俯瞰する総指揮官だけでなく、まさに現場で指揮を執る人たちにも必要なこと。
予想していなかったわけではないけど、やっぱりグランド王国は張子の虎ではないらしい。雑兵は父さんのゲリラ戦でかなりの数が逃げてる分、正規兵の比率が増えてるのかもしれない。
いずれにしても、王様が瘴気に飲まれているということだけじゃ、ぼくたちの勝利は保証されない。それが、統率を取り戻して迫ってくる敵軍の様子を見てはっきりとわかった。
オーケー。なら、ぼくはそれに応えなければならない。今ここにいる唯一の王族として……。
「弓兵隊、敵軍中央に向けて構えっ!」
ぼくの号令に応じて、弓兵が一斉に弓を引いた。
「そのまま静止! 放つのは待て! 次、魔法兵隊! 同じく敵軍中央に向けて、詠唱開始! 魔法は各自最大威力のものを!」
次いで、魔法兵たちが魔法を唱え始める。たちまち、まるで重なる気配のない不協和音が、けれど朗々と戦場に響き始めた。
それを見たからだろう、敵軍の進軍速度が緩む。やがて彼らを襲うだろう魔法を打ち消す体勢に入ったんだろう。
戦争においてこの世界が、前世の地球と異なる最大のポイントがこの魔法の存在だ。これがあるから銃火器が発展していないんだけど、逆に言うとこの魔法が、前世で言う銃火器に対応したものだ。
ただし、魔法はあくまで魔法だ。魔法式によって構築された、マナで構成されたものでしかない。だからこそそれは、解呪あるいは抵抗によって、容易に無力化され得る。
これを貫通するためには、単純に魔法の数と質でもって飽和させるか、敵の魔法兵を無力化する必要がある。そのために、この世界の弓兵の存在意義は極めて高い。魔法に依らず遠距離から攻撃する、唯一の手段だからね。
そして……普通なら、弓の射程距離は敵も味方も同じだ。そう、普通なら。
「……鉄砲隊、同じく構えっ!」
最後に、銃を構えた鉄砲隊が敵軍中央に狙いを定める。
それを見て、ぼくは一息ついた。まだ、まだ慌てるような時間じゃない。
……話を戻そう。
今、ぼくたちの状況は普通「じゃない」。なぜなら、シエル王国は山の国。そして今ぼくたちが陣取るケルティーナは、山裾からこの高地に上がってくる街道のある意味終点とも言える場所にある。
つまり、ぼくたちのほうが高い場所にいるのだ。これが意味することは、一つ。
弓矢の射程距離は……その分長い!
「弓兵隊、放てっ!」
かくして、敵軍がいまだ弓矢の射程距離にこちらを収めるより早く射程に収めたぼくは、号令を発した。
それに応じて、一斉に矢が空に舞い上がった。かすかに風を切る音が鳴り、それらは弧を描き、さらには雨となって敵陣に降り注いだ。
目当ての場所は、あくまで敵軍の中央だ。敵軍を突破するつもりはないけど、あの地点に敵がいてもらっては困るからね。
先の爆撃で、こちらの目的はさておきあくまで中央を狙っていることは、向こうにも気づいた人間がいるだろう。だから恐らく、あの地点では相当数の魔法兵が、こちらの魔法に対する備えをしているはず。
弓矢の役目は、それを崩すことだ。別に全員は倒さなくていい。一人でも魔法兵の体勢を崩す、それだけが目的だ。
そして!
「魔法兵隊、放てっ!」
ぼくの号令で、一斉に魔法が放たれた。
高所にいればいるだけ有利なのは矢と同じだが、ほぼ一直線を描いて飛ぶのが魔法の特徴だ。その中に一つ、とりわけでかい……というか、明らかに極大魔法クラスの魔法が全種、一丸にまとまってうなりを上げている。
あれは間違いなく、ライラだろうな。彼女には、魔法兵隊を率いてもらっているのだ。うちの軍に極大魔法使える人間は、ライラしかいないからね。
皇族ということでこういう状況における立ち居振る舞いなんかも学んでたようで、魔法兵隊の放つ魔法の攻撃は、一糸乱れぬ美しい攻撃になっている。
当初は狐お面の謎の女性にいきなり従えと言われて困惑があったようだけど、皇族特有のカリスマオーラと他の追随を許さない魔法の技術でもって黙らせたらしい。今はむしろ、あの魔法兵隊はライラの命令に忠実だ。
うん……彼女、ぼくよりよっぽど指揮官に向いてると思うよ……。
まあ、傍目から見ていると攻撃のおよそ半分が力を失って消滅しているみたいだけどね。とはいえ、ライラの極大魔法(しかも連結魔法でつなげてる)だけで十分なような気もする。
ちなみに、彼女は藤子ちゃんの魔法もいくつか使えるんだけど、確実に死人が激増するし、地形も変わるらしいから今回は禁止させてもらってる。
「弓兵隊、魔法兵隊、第二射用意っ!」
続けて命令を出しながら、ぼくは徐々に近くなってきた敵軍を睥睨する。
その刹那、敵軍の両翼から一斉に矢が、続いて魔法が飛んできた。左右にはほとんど攻撃を加えていないから、その勢いはあそこにいる敵兵の数だけうちよりも暴力的だ。
けれど、ぼくは慌てない。
こちらに迫ってきていた攻撃が、そのはるか手前で何かに阻まれて地に落ちたのだ。
敵だけでなく味方にも動揺が走ったのは、ちょっと秘密を徹底しすぎたかな? この辺りは反省しておこう。
「さすがファムルさんの夢幻、抜群の防御力ですね」
「ふっふっふー……任しときなさいよ! この手の魔法は、アルたちといたころは、よく使ってたもんね……!」
まだ復調は遠そうなファムルさんが、再度胸を張る。
そう、今の現象こそファムルさんにお願いしていた夢幻魔法だ。いわゆるバリアだね。敵の攻撃は、それによってことごとく防がれたというわけだ。
効果範囲と防御力を上げるために矢と魔法しか対象にしなかったけど、ぶっちゃけそれだけで十分だ。これで受ける衝撃は、そうそう簡単にはぬぐえないだろう。
さて……いよいよ虎の子だ。
「鉄砲隊! ってー!!」
ぼくの号令が、騒然としている戦場の中に響き渡る。
この世界発の激しい銃声がその直後に鳴り響き、かくして困惑の色をまったく隠せていないグランド王国軍に、三千発の弾丸が容赦なく叩きこまれた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
なんだか戦記物じみてきましたが、こういうシーンを書くのは本当に初めてなので、うまく書けてるかどうか自信がないです。
あと、サブタイに1ってありますけど、もしかしたら3話以内に終わるかも・・・。




