第118話 覚悟
グランド王国軍の進撃が始まって、およそ一か月半が経った。その間、戦況は……というと、なんとか一進一退を維持できている。
それと言うのも、やはり父さんが言っていた通り、「死んだはずの名君が、国を守るために生き返る」というシチュエーションが多大な効果を発揮したためだ。
これによって、決死隊には予想を大きく上回る一万という人数が集まった。そして父さんは、この決死隊で徹底的にゲリラ戦を行ったのである。
これはぼくの進言もあってのことではあるけれど、父さん自身もこの人数で十倍はあるグランド軍に勝てるとは思ってなかった。だからこそ、地の利を生かした戦いを選択したわけだ。
シエル王国は、その多くが高地。つまり守ると言う点においては、それなりに優位性があるんだよね。それを最大限に活用したわけ。
ただ、敵軍はほとんど減っていない。まあ、戦闘不能状態になった人数はその比じゃないからいいんだけどね。戦争では、死者よりけが人のほうが厄介、ってのはこっちの世界でも変わらない。回復魔法で治療するにも限界はあるし、極大レベルの使い手なんてそうそういるものじゃない。
というわけで思っていた以上に時間を稼げているんだけど、それでも限界の閾値が低いのはこっちだ。そしてつい先日、これ以上は無理と見て、遂に父さんたちは最後の突撃を敢行した。
藤子ちゃんが用意した異世界の神槍とか言うのも使い、さらには召喚魔法を限界まで使ってだ。これによって、グランド王国軍は、たかだか五千程度のシエル王国軍から、四万近い犠牲者を出して一旦後退した。当然、その数が全部死者ではないので、少し時間を設けて治療をしてるんだろう。最終的には、たぶん七万くらいには軍が回復するんじゃないかな。
ともあれ、この突撃のおかげでケルティーナ周辺の危険度は下がり、ぼくはその隙間を縫うようにしてケルティーナに入場することができたのだった。それが、国境を突破されておよそ二カ月が経った日だ。
お供はティーアやライラ、トルク先輩にファムルさんといういつものメンバーを筆頭に、ハイウィンドで今回徴収して、新兵器を使うための訓練を施した三千人だ。
新兵器……つまりは銃。これを、原型ができていたとはいえ量産体制まで持ち込み、かつ兵士に訓練をつけるというにはやっぱり、時間が足りなかった。移動時間も含めて考えれば、むしろよくやったほうだとは思うけどもね……。
そしてケルティーナに着いたぼくを待っていたのは、この二か月間で各地から召集をかけたおよそ二万五千の将兵だった。
で、まあ。彼らを誰が指揮すんの? ってなったら、当然現状継承権を持ってて現場にいる王族はぼくだけ、なわけで。
「……と、まあ……以上が大まかにだが、現状の報告だな」
「おけ、把握した」
かくして先の現場責任者から引き継ぎの報告を受けて、ぼくは頷く。
それからぼくは、全身から力を抜いて、同時に深いため息をついてから。
「なんで二人とも生きてんの!?」
思わず全責任者、つまりは父さん――母さんは重傷につき療養中だ――にツッコんだ。
「えええええ、俺たちが生きてちゃ不服か!?」
「いや違うけど! むしろうれしいよ! けど、あんだけ大見得切っといて普通に生還ってどうなの!?」
あんな見事な死亡フラグを、こうもあっさりへし折るか普通!?
あんたはコブラか!!
「ひでえ……俺は息子の教育を間違ったのか……」
「嘘泣き下手すぎ!!」
「ちっ。まあ……お前の言いたいこともわからんでもない」
大根役者はよよよ、と泣いたふりを見せた直後に、深刻な顔でこちらに向き直った。
「俺たち二人だけ生き残っちまったからなあ……」
そして天井を仰いで、遠い目でつぶやく。
その様に、ぼくも居住まいを正した。コメディはやっぱり戦時中には鳴りを潜めるものだね。
そう。
およそ一万の決死隊は、最後の突撃によって全滅した。まさに玉砕とでも言うべき散り方で。
その中で、突出した戦闘力を持っていた父さんと母さんだけが、敵の撤退までその命を繋ぐことができたのだ。
結果、母さんは片手――利き手じゃないのは不幸中の幸い――を失い、片足の腱が切られてしまったし、父さんも召喚術を長く使いすぎた影響で、筋肉痛の数万倍の痛み(らしい)が常に全身を覆っている状態。どちらも今後の生活に支障が出るほどの重傷で、はっきり言って生き残ったのが奇跡だ。
けれども、父さんたちにしてみれば、「生き残ってしまった」という感覚のほうが強いだろう。
ハイウィンドで別れる直前、二人が見せた覚悟は本物だっただろう。本当に己の命を投げ出して、自分の国を救おうとしていたはずだ。それはもちろん、二人の下に集まった人たちも。
ぼくは前世込みで戦争なんて経験していないし、なんなら人とケンカした経験も多くないけど、彼らの心境は旧日本軍のそれに近いものなんだろうなと、なんとなく察しはつく。
そりゃあ、太平洋戦争中の日本人の精神状態は異常だったとは思うんだけども。それでも人間は、そういう心理状態になり得るんだよね。
今の父さんたちは、戦後かつての最前線から帰還した某氏の、「恥ずかしながら帰って参りました」という発言を、同じ心境で言えるだろう。
でもね、父さん。さっきは思わずおどけてしまったけど。
「……それでも、ぼくたちは嬉しいよ……父さん」
「…………」
ぼくの言葉に、父さんは視線を合わせることなく頷いた。そのまま、外へと視線を向けるだけだ。
「……父さん。後はぼくたちに任せてよ。今はとにかく、ゆっくり休むことに専念してて」
「……ああ」
その返事にぼくは頷くと、静かにその場を後にした。
部屋を出れば、そこには藤子ちゃんが腕を組んで待っていた。
「よう。心の準備はできたか?」
「……一応。まだ、完全とは思えないけど、ね……」
彼女に苦笑で返しながら、ぼくは軍議の場へと向かう。場所はケルティーナの中じゃない。既に主だった将兵は城壁の外に陣を敷いていて、敵に備えているからね。
向かう、とは言ったけど、その前にぼくも武装を整える必要があるから、その前によるところはあるけどさ。
「二人のことはわしに任せておけ。……と、言うてもあの二人のことじゃ。完治は拒みそうじゃがな」
ぼくの隣に並んで、藤子ちゃんが言う。それには同感だ。
名誉……とはまた違うんだろうけど。生き残ってしまったことに良心の呵責を覚えているんだ、生き残った代償、この世に残るための楔みたいな感覚でいる可能性は高い。
「……それでも二人の意思は尊重してほしい、頼むよ」
「わかっておるよ。親切の押し付けは嫌いじゃ」
そう言うと、藤子ちゃんはくすりと笑った。
そのまま、しばらくぼくは口をつぐむ。状況が状況だけに、あまりふざけるわけにもいかないし……んー。
「……ねえ、藤子ちゃん?」
「うん?」
「勝てる、かなあ?」
「不安か?」
「そりゃあ、ね……」
平時なら、質問に質問で返すなァーと言うだろうけど、今はそんな場合じゃない。
ぼくは彼女の問いに、自嘲を込めて笑った。
「ぼくは平和な時代の日本人だったんだもの。戦争なんて、まったく考えてもいなかった……そんな人間に、いきなり戦争の指揮官になれなんて……」
「まあ、土台無理な話ではあるな」
「だよ。……怖いんだよ、すごく。ぼく一人で済む話じゃない……ぼくが下手したら、この国の人みんなが不幸になりかねない……重いよ、……責任が、すごく重いんだよ……」
本当のプレッシャー、ってのはこういうのを言うんだろうな。これに比べれば……大学受験とか、親戚からの孫催促なんて、怖くもなんともない……。
父さんには任せてとは言ったけど、はっきり言って、逃げ出したいよ。逃げて、王子なんてしがらみ捨てて、静かに絵だけ描いていたい……。
気づいたら、いつの間にかぼくの足は止まっていた。
そのぼくを数歩分追い抜いて、藤子ちゃんが振り返る。
「何当たり前のことを言うておる」
「……藤子、ちゃん?」
顔を上げてみれば、彼女の美しい二色の視線がぼくのそれに重なった。
「死ぬことが怖い、犠牲を増やすことが怖い……そんなことは当たり前のことじゃ。わしのようになってはいかんぞ、セフィ。永遠を戦うためだけに用いるような人間には、な」
「…………」
「よいかセフィ。恐れることを知らぬことは、勇気ではない。恐れてなお逃げぬことが、本当の勇気じゃ。恐れることに打ち克つこと、それが本当の強さというものぞ」
「……それ、地平線の」
「うむ」
聞き覚えのある言葉。生前……ぼくが唯一アルバムを集めていた音楽ユニットの曲、その歌詞だった。
それを指摘したぼくに、藤子ちゃんはにこりと笑う。
そんな彼女につられるようにして、ぼくはさらに、その曲の歌詞をそらんじた。
「弱い心に立ち向かうこと……不条理と嘆いてもきりがない……」
「左様。……守れなかった小さな光は、数多くあろう。それはこれから先も約束された事態でもあろう。されど……彼らの分まで生きることすら恐れてはならんぞ、セフィ」
「…………」
彼女の言わんとしていることは、理解できた。確かに、彼女の言う通りだろう。
……でも、理解できることと納得できることは、決して同じなんかではなくって……。
「セフィ」
そこでさらに、藤子ちゃんが言った。
そしてぼくの眼前に、彼女の顔が迫る。その両手が、ぼくの頬に添えられた。
「一人で背負い込むな。立ち向かうべき壁に、一人で立ち向かう必要はどこにもないのだぞ。わしは手伝えぬが……」
それだけ言って、彼女が離れる。それから、まるで道を譲るように通路のわきに退いた。
思わず顔を上げると、藤子ちゃん……の、さらに向こうに見慣れた人影があった。
「……みんな」
「兄様、大丈夫だよ!」
「ティーアちゃんの言う通りですよ、セフィ」
「まったくだぜ。あたいらだっているんだぜ?」
「そーそー! このファムルちゃんがついてるんだから、どーんと構えてなさいって!」
彼女たちが、口々に言ってくれる。その言葉を聞き終えると、すぐに藤子ちゃんがくくく、と笑った。
「ああ言うがな、セフィ。要はあやつらもお主と同じ心境なのじゃよ。お主ほどでなくとも、同じ種類の重圧を背負っておるのじゃからな。さて、あとは単純な除法じゃ」
そして両手を広げて、ぼくに掲げて見せる。
「十割る一と、十割る五。どちらが少ない?」
「……そりゃあ……」
まるで値踏みしているかのように……。手のひらの向こうにあるかわいい顔が、にやっと笑った。
……やれやれ。
どうも藤子ちゃんにはかないそうにない。
いや……そもそも張り合おうとか思っちゃいけないくらい、差のある相手だってのはわかってたことなんだけど。
それでも……そういうところを感じさせない、とでもいうのか。いつだって対等の存在だと思わせてくれる彼女の言動は、ぼくを助けてくれてるんだよなあ。
「……十割る五に、決まってるね」
だからぼくは、そこでようやく、肩の力を抜いて笑うことができた。
「おう、正解じゃ。それでいい。さあ、行ってこい!」
そこで藤子ちゃんはぼくの後ろに回った。そして、ばすん、とぼくの背中を軽めに叩く。
軽めに、とは言っても、たぶん彼女の見た目からは考えられないほどの力ではある。ぼくがそれを予期できたはずもなく、それに押し出される形でぼくは数歩分前へ出る。
けれど、ぼくは藤子ちゃんを咎めるつもりはなかった。振り返るつもりも。
そのまま体勢を整えたぼくは、小走りにみんなの元へ行くのだ。そうして、極力いつもの自分を意識して、声をかける。
「行こう。負けられない戦いだよ!」
全員から、一斉に返事が返ってきたのは言うまでもない。
……なお。
この後、追いかけてきた藤子ちゃんに、「攻略本」と題された分厚い戦術指南書を渡されたんだけど……。せっかくいいムードだったのに、ものすごい勢いで晴れ舞台から叩き落とされたような気分になったことを、追記しておこうと思う。
あれが彼女なりのギャグだったのかどうかは、確認しないほうがいいような気がするぼくだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
さあ、いよいよ今章の佳境です。




