◆第117話 決死隊
幾度となく繰り返した、グランド王国軍に対するゲリラ攻撃。その陣頭指揮を執っていた男……ディアルトは深く呼吸をついた。
場所は既に、ケルティーナの防壁目前まで後退している。もはやこれ以上退くことはできず、目の前に迫りくるグランド王国軍を決死隊だけで打ち崩すことは絶対に不可能である。
それを認識していてなお、ディアルトは不敵に笑う。
そもそも、自分たちで勝とうなんて微塵も思っていない。本命はこの後やってくる息子たちであり、そのための時間稼ぎが彼の仕事なのだから。
その仕事も、成果は上々だ。実に十倍もの敵を相手に、一ヶ月以上持ちこたえているのだ。グランド王国側は、さぞ焦りを感じていることだろう。
一応、あちらには長男が所属していて、その彼も今回の戦争にはグランド王国最大の騎士団長として従軍しているはずだ。
幾度もしかけたゲリラ戦において、ひときわ統率のとれた部隊を何度も見てきてが、ディアルトはそこに彼がいるだろうと考えている。
ディアルトの長男は優秀だ。長男……ディアスがいなければ、グランド王国の斜陽はもっと早く、今回のような大規模な遠征も不可能だっただろう、というのは、シエル王国で一致した意見だ。
そのため彼は、三人いる息子の中で、もっとも知略に長けているのは恐らくディアスだろうと、彼は思っている。
そして実際、決死隊に一番被害を与えているのは、彼が率いる天空騎士団だ。その用兵能力は、明らかにディアルトに比肩するレベルであった。
他の二人とは異なり、あまり顔を合わせることのできなかった息子の成長はディアルトにとって喜ばしいことではある。
だが、そんな息子と戦うことになっていることは、喜ばしいことではない。
それがたとえ、|見せかけの敵対であったとしても(・・・・・・・・・・・・・・・)、殺し合いには変わりない。
「アキは……いくらなんでもあの中にはいねえだろうなあ……」
うっすらと目を細めて、ディアルトは敵軍を睥睨する。
グランド王国に向かってから消息を絶っている次男……アクィズのことは、開戦以来続くディアルトの憂鬱であった。
その身を過度に案じているわけではない。その点については、光の女神を自称する少女……藤子が、どうにかすると断言したからだ。
末の息子、セフュードを瀕死の状態から万全まで癒し、空間制御の技を駆使し、ミスリルクラスであるディアルトの攻撃を一度も受けなかった彼女の力は、信じるに値するものであった。
だからディアルトが今憂慮していることは、戦後に敵に陥れられた息子……アクィズの世間的な評価である。
誰から見ても、圧倒的な功績をあげているのはセフュードのほうだ。それに対して、アクィズの功績は目立つものではない。
王の視点に立てるディアルトならば、二人の息子の功績はそもそも比べるには分野が違いすぎる、ということはわかる。
いや、実のところ彼は、政治……あるいは王という分野においては、セフュードよりもアクィズのほうに軍配を上げることもやぶさかではないと思っている。何せセフュードは、王族としては優しすぎるのだ。
しかし一般市民に、そういう見方はできないだろう。ディアルトの治世において、学のある人間は爆発的に増えたものの、それでも彼らが一般市民の枠を超えることはないのだから。
そしてそれを知っているからこそ、民から得られる信頼がいかに危ういものであるかも彼はよくわかっている。民は、存外簡単に為政者を見限るものなのだ、と……。
「アル、どうしたのです?」
「ん? いや……まあ、な……」
あれこれを考えこむディアルトの隣に、いつの間にかベリーがいた。その身に似合わぬ巨大な剣を背負った彼女の姿は、かつての旅路で出会ったころとほとんど変わらない。
一方ディアルトはと言えば、年齢に似合わぬ体躯であることは間違いないものの、随分と老けたものである。死は怖くないが、それでもかつての力を十全に震えないことに対する不満は、決してないわけではない。
もちろん、だからと言って嫁にそれをぶちまけるなど絶対にしないのだが。
「……戦後のことを考えていた。アキは今のところ、王族としての実績がない。それに対して、セフィがなした実績が大きすぎる。このままだと、国が二つに割れかねん……と思ってな……」
「……なるほどなのです」
ディアルトに、ベリーは頷く。政治にはほとんど関わっていない彼女ではあるが、決してそうした論理が理解できないような女ではない。
「この戦争、勝ったとしたらその功績は、間違いなくセフィなのですよね……アキ君がちょっとかわいそうです……」
「そうなんだよなあ……。セフィ自身はそんなの嫌うだろうけど、担ぎ上げる人間が出てくる可能性は否定できねえしなー……」
うーむ、と丸太のような腕を組んで、ディアルトは空を仰いだ。
しかし時代の流れは、彼にそれ以上の思考を許さない。
迫る敵軍が、いよいよもって弓矢、あるいは魔法の射程距離に入ったのだ。それは同じ武器を使う以上、両軍に言えることだ。
「先王陛下!」
「おう」
決死隊の一人が、ディアルトの下に駆け込んでくる。その意味を正確に把握して、ディアルトは不敵に笑った。
そうして手を掲げた彼に合わせて、シエル王国軍から音が消える。
「……いいかお前ら。何度も言ったが、俺たちの仕事は勝つことじゃねえ」
しん、と静まり返った戦場に、ディアルトの声だけが朗々と響き渡った。
その声に、ベリーはもちろん決死隊の全員が、顔を引き締めて姿勢を正す。
「一人でも多く、敵を倒す。一分でも長く、敵を引き付ける。それが俺たちの仕事だ……」
そこで一度言葉を区切りながら、ディアルトは居並ぶメンバーを静かにゆっくりと見渡す。
そこにいるのは、いずれも老兵ばかりであった。その多くは、ディアルトと同じく老齢ながらもしっかりとした身体の持ち主であり、冒険者、もしくは兵役、騎士位のどれかに従事していたであろうことは想像に難くない。
「俺たちは十分長く生きた! この国の、最低だった時代を生き抜いてなお、十分生きた! 今の豊かなシエルを作り上げてなお! だがそれでこんなところで終わるなんざ、見過ごすわけにゃあいかねえよな! せっかく築き上げた豊かな暮らしは、子供たち、孫たちに残してやりてえじゃねーか!」
太い声が響き渡る。それに応じて、老兵たちが一斉に声を上げる。
「どうせ俺たちゃ、長くねーんだ! 敵と戦って死ぬなんて役目、かわいい子供、孫たちにやらせるわけにゃいかねーだろ! だからお前ら……ちょっくら先にあの世に行くとしようや!
そんでもって、後から来る連中のために、あの世を暮らしやすいところに変えちまおう! できないわけがねえだろ、俺たちゃこのシエルをここまでしたんだからなあ!」
そこで兵たちの声は歓声となり、平原を駆け抜けていく。
びりびりと、地鳴りとすら勘違いさせられそうな大音声。それは、難しい時代を生き抜いてきた猛者たちの、存在証明にも似た怒号。
そしてそれを蹴散らしながら、ディアルトはどこからともなく槍を取り出した。
空間をゆがませて現れたそれは、穂先が稲妻を思わせる形状になっている。うっすらと青白い光すら放っているかのような、濃厚な存在感をにじませる切っ先。その身体には、紫電が激しく、されど静かにまとわりついていた。
刃だけではない。太く、そして長い柄は、美しくも奇妙な装飾が施されている。それは青白い穂先や、そこからほとばしる紫紺の雷電ともまたうまく似合う、絶妙な色合いだ。
その姿に、そしてそれを手にするディアルトの姿に、あれほど周囲に響いていた決死隊を黙らせ、視線のすべてを釘づけにしていた。
神槍グランゼニス。遠い異世界の、強大な武器。並みの人間であれば、手にすることも叶わない強靭な武器。いや、この世界には存在しているはずがない、規格外の武器。
それが今、確かにディアルトの手の中に存在していた。
「これなるは……俺をこの世に再度遣わした、光の女神様より借り受けた神槍グランゼニス! さすがの俺も長くは使えないが……それでも、一発ぶちかますくらいなら朝飯前よ」
獰猛な笑みを浮かべながら、ディアルトはグランゼニスを構える。その長大な獲物を、投げるために。
ばしり、ばしり、と。穂先から迸る稲妻の音が響き、多くのものの肌を粟立たせる。その音は、次第に大きく、長くなっていく……。
「貫け!」
そしてその頂点を見たディアルトは、吼えた。
吼えて、それから、全身の最高の力をみなぎらせて、グランゼニスを解放する。
「――グランゼニス!!」
刹那、すべての戒めから解き放たれた異界の神槍が、押し寄せる軍団に突き刺さった。
それはまさに、神の御業。光を超えて、巨大な閃光と雷雨をまき散らしながら、グランド王国軍の真ん中を穿ち抜いたのである。
それによって、軽く数千の兵士が稲妻によって黒く燃え尽き、さらには数千の兵士が着弾の衝撃と巻き上がる土くれの嵐によって、意識を刈り取られた。
混乱の渦すら巻き起こる暇もなく、グランド王国軍はそのおよそ十分の一を失ったのである。
そしてそれを見るや否や、ディアルトはうろたえることなくさらに吼える。
「我が友にして伴侶よ! 生涯をその風に委ねた者、ディアルトの名において招く! 汝の名は!」
「――我が友にして伴侶よ。風をその生涯に委ねた者、ティフの名において応じる! 我が名は!」
「「神風の翼、ティフ!」」
それは、祝詞だ。魂に強固な繋がりと信頼を抱き、盟約を交わした人間と幻獣だけが奏でる神秘の術式。
裁判を司る厳格なる太陽神、マルスの盟約で交わされる何よりも強固な絆は、召喚士と呼ばれる魔法使いだけが唱えることのできる祝詞なのだ。
ディアルトは今、己が契約する幻獣ティフを正当な手段で呼び出した。それに応じた彼女は、彼女が理想と願う姿でもって出現する。
人を数人も乗せられるほどの、巨大な猛禽類。その羽毛はすべて白く、ふわりと広げた翼から舞い落ちたひとひらが、まるで光そのものであるかのように輝いた。
神鳥と形容するに相応しいその姿は、即座に光そのものとなってディアルトの身体に重なる。彼の身体と、ティフの魂が重なり、同調し、呼応し、響き合う。
それこそ、召喚士の正しい姿。契約者の魂をその身に宿し、二つで一つの力を振るうもの。
かくして、ディアルトは翼を背負う光の闘士となる。マナの輝きを惜しげもなくきらめかせて、奇跡の冒険王は大号令を発した。
「全軍――突撃ッ!!」
応じるシエル王国軍の雄叫びがそれに勝るとも劣らぬものであったことは、誰の目にも明らかであった……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
グランゼニスまさかの再登場。
ていうか、もしかしてこの話の主人公ってパパ上なのでは……(




