◆第116話 神々の円卓
この世でもあの世でもない、どこにも存在しない空間。存在しないが確かにどこかにある、そんな矛盾をはらんだ空間に今、一つの円卓が置かれていた。
周囲に置かれた椅子は全部で八つ。うち、空席は六つ。残る二つには、赤髪の男神と青神の女神が隣り合って座っている。
男の名はナルニオル。アステリア大陸の主神であり、武勇の神。
藤子の前に現れた時とは異なり、アステリア大陸の歴史的な衣装を身にまとっている。それは現在、エルフィア文明時代よりもさらにさかのぼる極めて古い意匠のもの。さらに言えば戦うための装束であるそれは、彼が武勇を司ることの証左とも言えるだろう。
そんな彼に並び、寄り添う女の名はカルミュニメル。アステリア大陸の副神にして、魔法の神。
彼女はナルニオルの妻であり、今まとう服装は、夫に合わせてか神話時代のものを着用している。こちらも戦うための衣装だが、性別の違いだろう。それはワンピースのような形状になっている。
と。
そこに、なんの前触れもなく二つの人影が現れた。
「……おう、二人とも来たか」
それを見て、ナルニオルがどこか嬉しそうに声を上げた。
そんな風に声をかけられた人影……それは、まだ年若い二人組の少年である。
だが彼らの姿は、ごく一部を除いてまったく同じであった。魔法の色を示すティライレオルグリーンの美しい頭髪と瞳はもちろんのこと、身にまとう衣装もまったく同じ。当然ながら顔も、そして月人族の耳も同じだ。
異なるのは、ナルニオルから向かって左に立つ少年の頬に、血色の逆三角形が描かれていることくらいだ。……いや、注意深く観察できれば、二人の利き手が違うこともわかるだろうか。
彼らの名前は、ティライレオルとシフォニメル。それぞれ、満月と新月の神。二人はすなわち、双子である。
「兄様、間に合った?」
ティライレオルが、幼いかんばせをほころばせながらナルニオルの空いていた隣に座る。
彼に少し肩をすくめた様子で、それでも隣にシフォニメルが座った。
「ああ、十分間に合ってる。まだ前哨戦も終わってないからな」
「そっか、よかった。今回は見逃すわけにはいかないもん、遅れたらどうしようかと思ってたんだ」
えへへ、と笑うティライレオルの姿を、ムーンレイスの人間が見たらさて、どう思うだろうか。それくらい今の彼の姿は、どこでにもいる少年のそれと変わらない。兄を慕う、弟のそれなのである。
そう、ティライレオルとシフォニメルはナルニオルの弟。血のつながった、実の兄弟である。
「……だから言ったじゃんか。まだ慌てるような時間じゃない、ってさ」
シフォニメルが、呆れたように両手を肩くらいまで挙げる。どこか皮肉げな笑みがたたえられた彼の顔は、ティライレオルと同じでありながら、どこか邪悪な気配が漂っていた。
「いいじゃん、別に。こういう時でもないと、兄様たちに面と向かって話なんてできないんだから」
「はいはい……ホント、相変わらずだよ。お・に・い・ちゃ・ん?」
頬をぷう、と膨らませてむくれるティライレオルに、シフォニメルはからかうような調子で笑い、わざとらしいため息をつく。
そんな双子のやり取りを、ナルニオルとカルミュニメルは微笑ましく見守っていた。
しかし、それが終わると双子の表情は一変した。それまでの子供らしいものではなく、幼いながらも凛々しく、遠い先まで見通す英知あるものの顔へ。
「……で、兄様。今どんな感じ?」
「ま、予想はついてるけどさ。一応、確認でね」
双子が同時に発した言葉に、ナルニオルは頷いた。
「まあ大体予想通りさ。ディアルトが決死隊を率いて、グランドをけん制し続けてる。その間に、セフィは銃の開発を急いでいて……ってところだな」
「一つ予想と違うとしたら、藤子ちゃんの動きかな」
ナルニオルの言葉を継いだカルミュニメルに、双子の瞳が集まる。
それに頷きながら、彼女はさらに言葉を続けた。
「ボクたちとしては、もっと世界の動きに干渉すると思ってたけどねえ。本当に最低限しか動いてないみたい。随分ボクたちに配慮してくれてるみたいだよ」
「へー、そうなんだ? それは嬉しい誤算だね」
「ふぅん……あいつくらいの力があるなら、ボクたちの要請なんて断れるだろうに。妙に律儀だね。嫌いじゃないけど」
「実際に動いてるのは、藤子の弟子たちだな。連中に、自分がしたほうがいいと思うことをやらせてる感じだ。さっきも、グランドの別働隊を弟子たちが蹴散らしてたし」
その言葉に、双子はやはり同時に目を見開いた。その仕草には一切のよどみがなく、まさに同時だ。
ただ、それから続いたリアクションは違っていた。
ティライレオルは腕を組んで何やら考えるような仕草を見せ。シフォニメルはにやり、と楽しそうに笑って頬杖をついたのである。
「へえ……ってことは、グランドが勝つ可能性はほとんどなくなったわけだ? 今まで見てきた世界線じゃ、セフィが出張っててグランドが勝つのって、その別働隊の作戦が成功した時だけでしょ?」
「そうだな、今後のシミュレートでも既にシエル側の勝率は九割を超えてる。ひとまず、この戦争で俺たちが求めるものはクリアしたと言っていいだろうな」
ナルニオルの返答を受けて、シフォニメルがくすくすと笑う。どこか着飾ったような、軽い調子の笑い声が円卓の間に響いた。その雰囲気は、当代の魔王と非常によく似通っている。
しかしそこに、ティライレオルが口を挟んだ。
「……でもさ、兄様。今の世界線はそれ以外の不安要素もあるでしょ? あまり一方的に片方が勝っちゃうと、そいつらがどうするかわかんなくなるんじゃ?」
「それな」
弟に応じたナルニオルは、苦笑と共に人差し指を向けた。
それから彼は横に視線を動かす。それは妻であるカルミュニメルに向けられ、それを受けてカルミュニメルが口を開いた。
「今後の動き如何だけど……この後起こりうることとして、当初の問題とはまったく別の事件で世界が滅びる可能性が出てきてるんだ」
「……嘘でしょ、義姉様?」
「嘘じゃない。ただ、その辺りに関する演算はまだかなり不十分なんだよ。みんながリソースを別のところに割いてるから」
カルミュニメルはそう言い切ると、向かいに座る双子にまっすぐ視線を向けた。
そこで双子が見せたリアクションはやはり同じで、二人とも同じ眉を顰め、両手でもって頬杖をつく。
「……クー義姉、参考までに聞くんだけど、どんな滅び方するのさ?」
「エルフィア文明と同じ滅び方を。……ただ、今度はメインシステム部分が破壊される。震源地が中枢部になるんだ」
「これが何回やっても、その結末だけは変わらねえんだ。なのに、その結末を引き起こす人間は計算のたびに変わる」
「えええ、兄様それってまずくない!? アマテラス様に無理言ってまで地球からセフィ君引っ張ってきたのに、それで滅亡とかなったら……」
「そういうことだ。……ってわけだから、ティル。シフォン。ちょっとばかし力を貸してくれねえか?」
そう言ったナルニオルの表情は、どこまでも真剣であった。主神にふさわしい威厳と、カリスマを兼ねそろえたオーラが彼の姿には重なっているようでもある。
対して双子はその顔に、どちらも一瞬、あくまで一瞬だがとろけるような表情を見せた。直後に二人は顔を見合わせて、やはり同時に頷くのである。
そして、言う。やはり神らしい力を伴った声で。
「「なるほど、わかったよ」」
完全に重なる双子の言葉が、周囲に響き渡る。
「「元の滅亡要因」」
「に割いてるリソースを削るんだね?」
「はもう回避に向かいつつあるもんね」
「「だけどまだ完全じゃないから」」
「『第二世代』のリソースは削らない」
「『第一世代』がまず準備をしておく」
「「ってことだよね?」」
双子の言葉は、息が合うというレベルのものではなかった。それはまさに以心伝心のなせる業。まるで一つの魂が、同時に二つの身体を動かしているようななめらかさだ。
そして彼らに対して、ナルニオルとカルミュニメルは満足げに、そして神妙に頷く。二柱の神にとって、この双子の神はそれだけ信頼のおける身内なのであった。
彼らこそ、アステリア八大神の第一世代。すべての神の中でも、一番最初に現れ世界の調整に当たった神。日本で言えば、イザナギやイザナミ、あるいはアマテラスら三貴子に当たる世代である。
そして当然ながら、彼らの能力は残る四柱の神――第二世代と比べると隔絶している。それこそ天と地ほどの差が、厳然たる事実として存在するのだ。
だからこそ、この円卓の場には第二世代を呼んでいない。これから第一世代らが行う権能のやり取りを終えた上で、ようやく八柱全員の能力が同程度に落ち着くからである。
「よし。先のことが一旦確認できたところで、まずはこの戦争の行方を見守ろう」
固い表情を崩して、ナルニオルは椅子に深く身体を預けた。それを合図にするかのように、残る三柱も身体の力を抜く。
「そうだねー。この世界線のセフィ君が、どういう風に戦うか見てみないとね」
「うんうん。ぼくの末裔をお嫁さんに持ってったんだから、ここは華麗に勝ってもらいたいなあ」
「ボクの末裔も、関係つきそうだけど……この戦争には間に合いそうにないんだよなあ……」
各自、ゆったりとくつろぐような調子で、口々に言葉を交わし合う第一世代の神々。
けれども、彼らは一様に一つの場所に視線を向けている。
そこは、円卓のちょうど中央。虚空となっているそこには、シエル王国とグランド王国の戦いが、場所ごとに切り分けられて、克明に写しだされていた。
この世界の神々は、世界のあり方に強く干渉する。だが、一地域の戦争程度では口をはさんだりしない。彼らはあくまで、世界という大きな枠を維持することが仕事なのだから。それを理解している四柱の神々は、ただの傍観者にすぎない。
第二次フローラ戦争。それはすべての可能性において必ず起こるこの戦争の、神々が用いる呼称。
その戦いは、間もなく折り返し地点に差し掛かっていた……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
四人目の神様登場、新月の女神……もとい神、シフォニメルでした。
彼自身も言っていますし、地の文でも触れていますが、ブレイジアの魔王家は彼の末裔です。




