◆第115話 一騎当千
藤子が三カ国の動きを俯瞰していた頃合い。セレン達三人は別行動をとり、小さい街道を下っていた。
国力に比して街道の整備が整っているシエル王国は、主要街道以外も道は相応に存在する。三人が通っているのはその中でもとりわけ小さく、狭い道であった。より正確に言えば、現在は既に使うものがいない旧街道である。
そして彼女たちはその道の真ん中で、完全武装したグランド王国軍と正対していた。
「うへえ、さすがトーコだね。言われた通りになったよ」
「……当然。トーコだから」
「なったはいいけど、これ、さすがに妾たちでどうにかなることじゃないと思うんだけど……」
ミリシアは冷や汗をかきながら、迫りくる軍から目を離さないでいる。
そこにいるのは、全員が鎧に身を包んだグランド王国の正規軍だ。
戦争に応じて徴収された雑兵ではない。すなわち、相応の訓練を受けて相応の実力を持つ人間の集団である。
その総数は彼女たちには判断がつかないだろうが、実際にはおおよそ五千。常識で考えれば、三人でどうにかなる数ではない。
しかし、セレンも輝良も、負ける気はしていない。もちろん、目の前に展開する兵たちを脅威に感じていない、というわけではない。それでもなお気負いがないのは、それが藤子の予想通りの状況だからであり、ひいては送り出される際の彼女の「全力を出せば負けはない」という言葉があるからであった。
一方、彼女たちと遭遇したグランド王国軍はどうすべきかで逡巡していた。
彼らはこの旧街道を使い、本体を釘づけにしているシエル王国軍をやりすごそうとしている。うまく進むことができれば、敵を挟み撃ちにすることができる。そういう作戦であった。
もちろん、カフィルカ5世の案ではない。差し金はディアスである。
だから彼らは、旧街道に入る前、あるいは出た後に敵とぶつかることは想定していたが、街道内で接敵することは強く懸念していなかった。いや、正確に言えば、この場所を使う人間がいることそのものが想定外であった。それだけこの街道は、長く使われていないのだ。
つまるところ、彼らはセレン達が敵となる存在なのかどうか。その一点の疑問が解けず、戸惑っているのである。
とはいえ、それはセレン達にしてみれば隙でしかない。彼女たちは、藤子の密命を受けて行動しているのであり、グランド王国軍は明確に敵である。
「カグラ、最初に大きいの一発、やっちゃって!」
「……ん、了解」
グランド王国軍がはっきりとした軍事行動に出るよりも早く、輝良が一歩前に出た。そして体内で魔法式を励起させる。
それに応じて膨大な魔力が練り上げられ、輝良の口元に集結していく。その色は青く、またすべての動きを停止させる氷の力に満ちていた。
「……ッ! ぜ、全軍退……」
「かあああぁぁぁぁぁーっっ!!」
そして、それは放たれた。ドラゴンの持つ戦術兵器とも言うべき魔法、ブレス。サファイアドラゴンたる輝良が放つ、冷たく輝く息が、グランド王国軍を真正面から飲み込んでいく。
軍団の先頭に立っていた男が直前に退避を号令しようとしていたが、それは空しくブレスに飲み込まれ、息つく間もなく軍団は凍りついた。
軍団にとって不幸中の幸いだったのは、兵を前後に長く展開していたことだろうか。これにより、前方にいた兵士たちが文字通り肉の壁となってブレスの威力を減衰させており、ブレス一発で全滅、という事態には陥らなかった。
だが、それでも混乱は多大である。何せ、突然ドラゴンのブレスが飛んできたのである。それを後方の兵士は視認できていなかったから、彼らにとって突然の戦線崩壊にも等しい事態は、まさに青天の霹靂としか言いようがなかった。
「……どう?」
「んー、たぶん千人くらいはいけたんじゃないかな? 二千……まではさすがにいってないかも。でもすごく混乱してるみたいだし、今突っ込めば行けるよ」
「……ん。じゃあ、やる?」
「だね!」
もはや軍としての機能を喪失しかかっている相手を見やりながら、セレンと輝良はあくまでマイペースに言葉を交わす。二人は既に臨戦態勢に入っている。
セレンの言葉はほぼ正しい。五千ほどいたグランド王国軍は、およそ三千ほどまで数を減らしている。
総兵力のおよそ半分消失するという事態は、連絡手段が未発達のこの世界においては既に全滅と言っても過言ではないほどの損失である。これが現代地球なら、指揮系統を維持できたかもしれないが。
それを理解しているのかいないのか、セレンたちはひょうひょうと混乱の渦中にある軍団をさらに容赦なく削ろうと言っている。それも、どことなく楽しそうに。
そんな二人から視線を向けられて、ミリシアはこれ見よがしにため息をついた。
「……あんたたち、やっぱり感覚がおかしいわよ……」
「そうかな?」
「普通」
「違うからね、絶対違うからね!」
ぶんぶんと首を振るミリシア。とはいえ、そんなことを言ったところでどうにもならないことは理解しているし、そんな段階でもないことはわかっている。
なので彼女は、再度ため息をついてから前に出る。そうして、セレン、輝良と同じ地点に立つのである。
人それを、観念した、と言う。
「よーし、それじゃ……突撃ぃ!」
そして三人は、セレンの掛け声と共に、一斉に飛び出した。
閃く白刃が、青い剛爪が、黄金の竜巻が、グランド王国軍を蹂躙し始める。彼らが本当の意味で全滅するまでに、さほどの時間はかからなかった。
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「……うーん、やっぱり重装備の人を千人も切ったらガタが来るなあ」
刀身をかざして状態を確認しながら、セレンがぼやく。
何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、実際のところただの数打ちで、千人も連続して切れるはずはない。まして鎧を着こんだ相手なのだから、普通なら二桁も難しいだろう。
セレンの刀に、仕掛けはない。本当にただの量産品、どこにでもあるただの刀だ。
それでも千人切りを成し遂げたのは、ひとえにマナによる能力強化と、セレン自身の技量があってこそ。
しかしセレンは、藤子に遠く及ばないと思っている。いや、実際その通りではあるのだが、いかんせん比べる相手がおかしい。彼女はこの世界においては、既に達人を大きく超えた化け物の域に足を踏み込んでいる。
「……替える?」
刀に向けて眉をひそめていたセレンに、輝良が声をかける。
「そう、だねえ……この状態じゃ、ちょっと先が不安かな。お願いできるかな、カグラ?」
「ん、任せる」
セレンに応じて、輝良がマナを練り上げた。幾重にも編みこまれた複雑な魔法式が空中に走り、空間にぽっかりと穴が開く。空間魔法。この世界……現在の歴史では、藤子以外ではまだ誰も到達していない魔法だ。
その構造はこの世界のものではなく、藤子のそれと同質であるため、より正しく言うのであれば、この世界の魔法ではないのだが。ともあれ、もたらされる結果としては変わりがない。
輝良はここに、藤子から今回の作戦に必要な道具を受け取って収納しているのである。その中には、セレンのための武器が何種類か存在している。
そして実際、彼女が中から取り出したものは刀である。セレンが手にしている刀とまったく同じ形状、意匠の数打ちだ。
それを輝良から受け取ったセレンは、ひとまずとばかりに刀を抜く。新品の刀身が、陽光を受けてきらりと輝いた。
「うん、やっぱりカタナはいいね!」
状態を確認して、納刀。そうして新しい刀を佩くと、セレンはそれまで着けていた刀を打ち捨てた。
「……セレン、捨てちゃうわけ?」
「ん? 別に、トーコは回収しろなんて言わなかったよ。むしろどんどん使い捨てろって」
「…………」
ミリシアは釈然としない、と言いたげに首を傾げる。
ただ、この世界に刀の研ぎ師がいない以上、回収してもあまり意味がない。刀身そのものは鋳つぶして再利用できるかも知れないが、それこそこの世界は無限に資源を集められる世界だ。リサイクルなどという概念は、生まれようがない。
一つ懸念するとすれば、明らかに異世界の産物である刀がここに残ることで、環境もしくはその後の歴史に何らかの影響が生じるかもしれない、ということくらいだが……。
ただの人であるセレン達にとって、そんなことを考える余地などあるはずもないのであった。
「さてと、それじゃあ先に進もうか。早く王様を助け出さないとね」
「ん。急ぐ」
「はあ……襲われなきゃいいけど……」
意気揚々と歩き始めるセレンと輝良に、ミリシアは少しだけ出遅れながら続いた。
ため息交じりに彼女は、一度だけ後ろを垣間見る。が、それはほんの一瞬。翼をばさり、とはためかせながら、すぐに二人の隣に並ぶ。
和やかとも言うべき、何気ない会話が旧街道から遠ざかっていく。三人の少女が後にしたそこには……。
朱に染め抜かれた凄惨な景色だけが、静かに夕日に浮かんでいるのであった。
グランド王国軍別働隊、文字通り全滅。その報告が本隊のディアスに届くことはなかった。しかし彼は遅々として進まない行軍の遅れから、そしてシエル王国軍の変わらぬ士気から、その結末を悟る。
開戦してからおよそ一ヶ月と少し。戦いは、まだまだ終わらない――。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回はちょっと短いです。
戦闘シーン……というか、セレンたちの無双シーンを描写してもよかったんですが、一般兵相手に夢想するシーンって、ゲームでプレイならともかく文字で爽快感を出そうとするとしんどかったので、いっそと思いきっちゃいました。
なお、一番多く敵兵をぬっころしたのは輝良です。




