◆第114話 俯瞰するもの
戦況は、刻一刻と傾いていく。天秤の左右がシエル王国とグランド王国であるならば、それはぶれることなくシエル王国が沈んで行っていると断言してよいだろう。
今もまた、大軍に物を言わせて突き進むグランド王国軍がシエル王国軍を蹴散らしている。
そこは高度が上がり、やや規模を縮小した森に挟まれた街道だ。街道に沿って行軍していたグランド王国軍を、左右から挟撃したシエル王国軍。しかし数の差はいかんともしがたく、一時間にも満たないうちに森へと撤退していくのだ。
その様を、何もない空に仁王立ちで見下ろす少女の姿があった。黒い和装に、玉虫色に色づく羽衣をまとった少女――藤子だ。
そんな位置にいる彼女の目には、今まさにグランド王国軍の勝利に終わった小競り合いの様子がはっきりと映っていた。そしてほどなくして、彼女はぽつりとひとりごちる。
「……シエル側はうまくやっておるのう」
そうして、特に感慨もなさそうに小さくふむ、と漏らす。
一見するとシエル側が負けていた戦い。だが、空から見ていれば、そもそもシエル側に「勝つつもりがなかった」ことがよくわかるのだ。
森から現れたシエル王国軍。彼らの攻撃は、行軍する兵士にはまったく向けられていなかったのである。
では何か、というと……それはずばり、食料だ。
グランド王国軍は大軍である。シエル王国に勝ち目はない。そんなことは言うまでもなく、両軍の誰もがわかっているだろう。だが、唯一グランド王国軍が劣っている点がある。食料の消費速度だ。
生き物は何かを食べなければ生きていけない。日本では「腹が減っては戦はできぬ」と言われているが、まさにその通り。どんな大軍であろうと、腹を満たすことが出来なければその力は十全に発揮できないのはこの世界でも変わらない。
シエル王国側は、それを狙っている。食料を徹底的に削ることで、グランド王国の継戦能力を減じようというわけだ。
シエル王国が切り札とした、セフィの新兵器。そのための時間稼ぎを引き受けた決死隊は、グランド王国軍を確認して以降徹底してその作戦を続けている。
食料を狙うだけではなく、夜襲も繰り返している。その戦いも、すべて不意をつき、間隙を縫うゲリラ戦に徹した形。そのため、グランド王国軍の進軍は極めて遅くなっている。
彼らの目的は、一つ一つの戦いに勝つことではない。そんな小さな戦術的勝利など、眼中にないのだ。時間稼ぎこそ彼らの目的であり、この戦争の勝利条件への第一歩である。
「対してグランド側は、のう……ディアスはうまくやってはおるんじゃが……」
視線をグランド王国軍、その中心に向けた藤子は、同時に小さくため息をつく。
「……王の存在がつくづく足を引っ張っておるのう。あれではいかにディアスが兵を引き締めても無意味じゃ。使えぬ人間を上に戴いた軍ではなあ」
その視線の先では、深追いを厳しく諌め襲撃によって減じた物資の確認を優先しようとするディアスと、そんなことには目もくれず森に向けて追撃を放とうと叫ぶカフィルカ5世の姿がある。
彼らの周囲では、騎士も兵士もなんら区別なく、困惑して右往左往していた。こうした指揮系統の混乱も、彼らの進軍が遅れている理由でもある。
まあ、藤子にとってそんな状況はどうでもいいことだ。彼女はシエル王国……と言うよりはセフィ個人の味方であり、グランド王国に肩入れする理由は微塵もない。
だが彼女の視線は、カフィルカ5世に注がれていた。彼女も、カフィルカ5世の姿を直に見るのはこれが初めてなのである。
カフィルカ5世。グランド王国の現国王。だが既に瘴気に飲まれ、その意識は狂気に沈みこんでいる。
決して悪いとは言えぬ彼の顔は、比喩でもなんでもなく歪んでいた。筋肉の一部が硬直しているのだろう。その上で、目は思いきり見開かれていて瞳孔が小さく見える。さらに言えば、眼球に走る血管が多く浮き出ていて、どこからどう見ても正常な精神状態でないことは明らかである。
その言葉も抑揚がなく、かと思えば突然激しくアクセントを乱高下させるなど常軌を逸しており、発言内容も支離滅裂。こんな人間が指揮系統の頂点にいるのだから、グランド王国軍はたまったものではないだろう。
「もう少し多く瘴気に飲まれたら……わからんな。魔物のように変異を起こして、凶悪な化け物になるやもしれんのう」
そうなったら、少しは己にも出番が来るだろうかと考えながら、藤子はグランド王国軍から視線を外した。そしてその二色の瞳を、遠くに向ける。
赤と青が見つめた場所。それは、今まさに小競り合いのあった街道を見下ろせる位置にある、小高い丘だ。既に高くなっている地点の、さらに高位に位置したそこにはほとんど草木がなく、さながら荒野のようになっている。
そこに、ティマールに騎乗した人間がいた。その数、五十騎。多くは男だが、およそ五分の一は女である。
いずれも騎乗した彼らだが、そのいでたちはやや趣が異なっていた。鎧はないが、戦闘を目的とした動きやすさが重視されたものであるが……その意匠は、明らかに大陸東部のものではない。
そしてその意匠、藤子には心当たりがあった。
「……セントラルの手の者、か?」
セントラル帝国での滞在期間は極めて短いが、それでも滞在したことがある。常に周囲にアンテナを張って情報を集めている藤子には、その程度でも十分判断できる情報を持っているのだ。
しかしさすがの彼女も、帝国の人間がこんなところにいる正確な理由はわからなかった。見当がついていないわけではないが、確証は一切ない。
が、わからないのであれば。
「探ればよいだけのことよ」
藤子はそうつぶやいて、にやり、と笑った。
それに応じて、彼女の身体からかすかに青い光の粒子が湧き上がる――。
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荒野とも言うべき丘に立つ、五十騎。その先頭の男が、過去に消えた道具、双眼鏡でもってシエル・グランド両軍の戦いを見下ろしながら口を開く。
「……お粗末なことだ」
その口調は平坦で、目の前で繰り広げられている戦争に対する関心の薄さがうかがえる。
が、男の言うことにも一理はある。それくらい、グランド王国軍……正確に言えば、カフィルカ5世の行動がお粗末なのだ。
「まったくですね、閣下。さすが、我々を拒むだけのことはあります」
「仕方あるまい。シエル王国は長い間戦争をしていない、辺境の国だ。常識と言うものが足りんのだろうよ。一方のグランド王国はといえば、あのありさまだ」
閣下、と呼ばれた男がため息交じりに応える。
彼に声をかけた男もまた、再度まったくですねと切り返した。
そんな彼らがまとう服装、その背に翻るマントには六つの星が描かれている。中央にひときわ大きな星があり、その周辺に正五角形を描く形で小さな星が囲んでいる。
この絵柄こそ、アステリア大陸最大にして中心たる国、セントラル帝国の紋章である。すなわち彼らは、藤子の予想通りセントラルの人間ということになる。
ではなぜ、彼らがこんなところにいるのか?
その答えは、この大陸における戦争のルールが関係している。
戦争の際は、神に誓いを立てて加護を受けることがこの世界の常識である。その下にあって、人間の行動は当然神々が漏らさず確認している。
その一方で、人間もまた戦いを確認するようになったのだ。正確に言えば、この場合の「人間」とは、戦争に参加しない他国の人間である。
彼らは神々を信用していないのではない。他国が行う戦争の行方を見極め、自分たちに火の粉が降りかからないように……あるいは、漁夫の利を狙うために。他国の戦争を気にするのである。
どこの誰が最初に始めたかは、定かではない。しかしこの、他国の戦争を視察するために生まれた制度が、観戦武官である。
この制度、地球にもあったものである。ただし、この制度の確立には様々な条件が必要であり、歴史の表舞台に出てくるのは十九世紀から二十世紀にかけてだ。
文明の発達具合が当時の地球に追いついていないこの世界だが、神々の加護という存在が成立に必要な条件の代わりとなっているのだろう。そしてその条件に神が関わっているために、この世界における観戦武官制度は暗黙の了解とも言うべき、拒めない制度として定着していた。
だが、セントラル帝国からの申し出は今回、シエル、グランド双方から拒絶されている。
シエル王国からは、新兵器の導入を決めていることもあって、セフィが直々に。グランド王国からは、気がふれているカフィルカ5世から理不尽ながら直々に。
この制度はあくまで受けることが暗黙の了解なのであって、拒んではいけないという規則はない。そのため、拒まれた側はあまり大きく出ることができず、戦場から一歩引いた場所から観察するにとどまっている、というわけだ。
ただ当然ながら、その行為は彼らにとっては「非常識」なのである。
「……しかしここまで来て、何もせず何の成果もなく変えるわけにもいかん」
「は。いかがなさいますか、閣下?」
閣下、と呼ばれた男は振り返ることもなく頷く。
「三十だ。三十をあの中に紛れ込ませる」
「ふむ……それぞれに十五ずつ、ですか?」
「そうだ。あのごたごたの中になら、紛れ込んでも気づかれまい」
「なるほど。ではそのように致しましょう。人選はいかに?」
「そこは貴殿に任せよう、キドナス卿」
「……仰せのままに」
男の指示を受けた男……キドナスは頭を垂れると同時に、ティマールを操り回頭した。そうして、後ろに控えるものたちを選んでいく……。
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「なるほど」
その一部始終を観察しながら、藤子は一言漏らした。
大方予想通りであることに小さな満足を感じながら、なおも彼女は考える。
観戦武官の存在についてではない。それは彼女にとって、そこまで大した問題ではなかった。
問題は、彼ら本人である。
「大半が合成獣か……先日会うた技人族の男の関連があると見て、間違いなさそうじゃな」
そう、彼らの魂の形状は、極めていびつなのであった。
藤子は基本的に、一度見たものは忘れない。興味がなければその限りではないし、時間が経てばまた話は別だが、それでもつい最近見聞きしたものは覚えている。合成獣特有の、特徴的な魂のゆがみ方は、それはもう忘れられないほどにしっかりと記憶に残っていた。
そしてそれを看破すれば、ここに来ている観戦武官そのものにも疑問が沸くのである。
藤子は、あの技人族……エドガンが最終的に、セントラルの帝都、アステリアまで至ったことを把握している。さらに言えば、宮殿にまで足を運んだことも。
そこから考えれば、合成獣を連れた観戦武官が、セントラル帝国の上層部の差し金である可能性は高いと、藤子は見た。国のトップ……すなわち星帝本人の意思かまでは彼女にもわからないが、それでも派遣する観戦武官と、その関係者に合成獣を大勢仕込むことができるくらいには、身分の高い人間が絡んでいる。それが藤子の予想だ。
その目的は何か?
否、もちろんシエル王国とグランド王国の動向が目的ではあるだろう。
しかし、それがどこまで、あるいは誰が狙いなのか。そうした深い事情は、傍から見ているだけではわからない。
とはいえ。
「邪魔じゃな」
藤子はそうひとりごちて、目を細めた。
これから起こるであろう、セフィによるこの世界の戦争の常識を変える戦い。それを他国の目にさらしてやるほど、彼女はお人よしではなかった。
藤子はセフィの味方だ。セフィがこうむるであろう面倒事を、事前に取り除いてやるのも己の仕事だろうと、彼女は思っている。だからこそ彼女は、邪魔と言いきった。
「機を見て少しずつ間引くとしよう。そうじゃな……セフィが出張ってきてから、か。それまでは」
そこで言葉を切る藤子。その全身からわずかにのぞく青い光の粒子を引っ込めて、彼女は空中で踵を返した。
そして、そのまま空を歩きながら続きを口にする。
「せいぜい思うままに泳ぐがいい。この水槽は大きいぞ」
そうして締めくくった彼女の顔には……にやり、と。
いつものように悪がきのような、黒い笑みが浮かんでいた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
一旦セフィを離れて、藤子たちに視点を移します。
藤子やその弟子たちの動向、セフィの一人称では賄いきれない部分を数回に分けて描写した後、本番に行こうかと思っています。




