挿話 隣までの距離感
私の名前はライラ・イズァルヨ。あ、でも。そろそろライラ・フロウリアスになるのでした。
そう、私はもうまもなく嫁ぎますの。お相手は、まあ、その。敢えて言うまでもありませんわよね。
貴族であり、宮家である私の結婚は、当然のように政略結婚ですわ。国の繁栄、皇室の繁栄。それが第一であって、そこに私の意思はありませんから。
ただ、それでも私の婚姻は、世間的には幸運と言えるのでしょう。それくらい、私に用意された相手は「いい人」だったのですから。
彼は王族という立場にある人間とは思えないほど腰が低く、その視野は実に庶民的。屋台での食事に誘われた時などは、どうすればいいのかとも思いましたが……。
それでも彼は優しく穏やかで、人懐こい人でしたの。その一方で情緒も表情豊かで、見ていて飽きることがない……そんな人です。
だから私は、この人になら嫁いでもいいと思いましたわ。お父様や師匠がいくら太鼓判を押しても不安があったのですが、顔を合わせて話をしてみて、やっと私はそう思うことができたのです。
とはいえ、それでも私の中にあった感情は、決して恋愛というものではまだなかったと思いますの。
そうした本気の感情を抱いたことが今までなかったので、わからなかったとごまかすことは容易いのですが……それでも私は敢えて言わせていただきましょう。
私は彼に会って、そして言葉を交わしたからと言って、決して心を許したわけではなかったのです。
もちろん許嫁となった限りは、彼の窮地は救いたいと思いますわ。師匠が突然やってきて、その誘いを受けたのもそういうつもりがあったからに他ならないのですし。
ただそこに、恋愛の気持ちはなかったと……私は敢えて、断言するのです。
「……ライラ、これを見てほしいんだけど」
国の命運を左右する戦い。そこに巻き込まれた彼は、その場にいた唯一の王位継承権保有者としての打ち合わせを終えてすぐ、私を呼んでそう言いました。
差し出されたものは、何やら杖のような細長い道具。師匠の亜空間から話自体は聞いていたので、なんとなくこれがジュウという兵器だということは察しがつきました。
そしてそこに刻み込まれている複数の術式から、それが不可思議な破壊現象の衝撃を利用して石くれをとてつもない速度と威力でもって撃ちだすものだということも。
自慢になってしまうけれど、私は自分の魔法的センスを疑っていませんのよ。師匠を除けば、この大陸にいるどの人間よりも魔法に長けているという自負がありますわ。
さらには師匠につけられた命を命とも思わない修行の果てに、相応の判断力と審美眼を得ているとも思っています。
「なるほど、確かに……これが量産できれば、数の不利をかなり挽回できそうですわね」
だから私は即座にそう返し、彼から驚愕の視線ももらうことになりました。
「……わかるんだね」
「ええ、大体のところは」
「さすが、藤子ちゃんの弟子だね。ぼくじゃかないそうにないなあ……でも、だったら話は早いや……」
けれどその驚きをすぐに引っ込めて、彼が次に見せたのは、なぜか悲しそうな表情でした。
その理由がわからなくて彼に尋ねてみれば、彼は
「だって、神様の加護がないんだよ。これで撃ったら、その人は死んじゃうじゃない。いくら強引に戦争に連れてこられたって言っても……ううん、だからこそ、その人には必ず家族がいて、その人の人生があるのに……」
そう言って、力なく首を振りました。
けれど直後、
「でもやらないと、ぼくが死ぬ。ぼくだけなら……まあ、別にいいよ。嫌だけど、そこまで文句は言わない。けど……ぼくの大事な人がそれで死ぬのは、絶対に嫌だ」
それだけは絶対に、と付け加えてジュウに視線を落とす彼は覚悟を決めた精悍な顔でありながらも、やはりどこか苦しそうで……。
なんというか、かける言葉が見当たりませんでした。
つまりうまいたとえが見当たらないのですが……やっぱり、彼はどうしようもなく優しい人なのだと思いますの。
どこにも、誰にも、犠牲なんて出したくない。それを出すくらいなら、自分がなればいいと……もしかしたら思っているのかもしれません。
それは王族という立場の人間には、あまりふさわしくない、のかもしれません。少なくとも、ここ数年は貴族社会の一員として生きていた私には、そう思えましたわ。
けれど同時に、一つの人間としてはとても気高い人なのではないかとも、思えたのです。
そう思った時……私は初めて、この人に嫁ぐことになってよかったと、思えました。
……そのタイミングが、兵器の開発というのもおかしな話かもしれませんけれど、ね。
ただ、一度そう思えば、私が彼に好意を抱くまでにさほどの時間は必要ありませんでしたわ。
その「さほどの時間」の間は、主に兵器開発しかできなかったのですけれども。それでも、なかなかに有意義な時間だったとも思いますのよ。
彼が展開する魔術理論は師匠のそれに近しく……すなわち現代では非常に先進的なものでした。そしてそれを組み込むと同時に、魔法とはまた異なる理屈で施されたらせん状の機構は、非常に興味を惹かれましたしね。なるほど、シエルの発明王というあだ名は伊達ではないのだと、この時確信いたしましたの。
私がしていたのは主に助手のような役回りでしたが、それでも彼は私(いえ、私以外の全員ですね)に対する気遣いは忘れておりませんでしたし、ややもすれば固くなりがちな雰囲気を時折和ませてくれました。どういう意味なのか分からない言葉もいくつかありましたけども。
とはいえ、それだけでは済まないこともありました。
彼の仲間たちに溶け込もうと気を張っていた当初からしばらく経ち、私がそれに気がついたのはちょうどジュウの開発が終わり、量産を始めようとしていた頃でしたか。
(おや?)
私がふとそう思ったのは、義理の妹になるティーアさんの態度でした。それはちょうど、今後の方針を決めようと打ち合わせをしていた時ですわね。
中心になってあれこれと話をする彼の姿を見るティーアさんの姿が、どうにも普通のものとは異なって見えたのです。
視線は彼に釘付け、ほんのわずかに開かれた口はどこか呆然としているような印象すらあり、その顔にはどこか朱色が差しているようにも見えました。
それはどう控えめに言っても、恋する女の子の姿でしょう。
まあ、ティーアさんの気持ちはわからなくはないのです。双子の兄がこれほどすごい人間であるなら、抱くのは憧憬か劣等感のいずれか一つでしょうから。彼女の場合は、前者だったのでしょう。それは構いません。
ただ……私にとって困ったことは、それに応じる彼の態度が妹に対するものとは違っていたこと、でしょうか。
いえ、その。彼は誠実な人です。他者をぞんざいに扱うことなんて私が知る限りありませんでしたし、妙な偏見の類を持っているわけでもないですし。
それでもどうしてかしら? 私に対するそれと、ティーアさんに対するそれでは、どことなく温度差があるような気がしてならなかったのですの。
これは嫉妬なのでしょうか? そこまで彼に入れ込んでいるわけではないと思うのですが。それほど長い時間一緒にいるわけでもないですし……。
けれど、ティーアさんと彼のやり取りに、漠然とした不安感がよぎるのも事実なわけで……。
かといって、ここは故郷ムーンレイスではありません。その辺りのことを相談できる人間がいるわけもなく……。
……あ、一人、いましたわね。
「まあ嫉妬じゃろう」
「そうですか……」
シエルで唯一と言ってもいい知り合いの大人は、その幼い顔にほとんど表情を浮かべることなくあっさりと言いました。
まあ、やはりそんなところなのでしょう。私としても当たりはつけていましたし。ただ、もう少し余韻はほしかったかな、と……。
悔しいことには変わりないですし……。
「お主の気持ちはわからんでもないが、妙な気は起こすなよ?」
「それはもちろん、わかっていますわ。……わかっていますけども」
「……こればかりはすぐにどうにかなることでもない。他人の心をいじることはできるが、そんなことは面白くないし美しくもない。よって……そうじゃな、愚痴くらいは聞いてやる。わしに言えるのはそれくらいじゃのう」
師匠はそう言うと、いつもとは違って優しい笑みを浮かべました。
そして、すっかり差が開いた体格差をものともせず、私の頭をなでるのです。
「……師匠」
「うむ」
自分でもらしくないことをしていると思ったのか、師匠はすぐにいつものように笑いました。
それから私は、彼の仕事をティーアさんと共に手伝いながら、二人の様子を観察することにしましたの。幸い、傭兵のツキコとして手伝いをするという関係上、ほとんどずっと二人と行動することになっていましたし。
けれど私は、その過程でさらに頭を抱えることになりましたわ。
よく考えるまでもなく、彼の周りにはなぜか女性ばかりなのです。ティーアさんや私はもちろんのこと、ジュウとはまた別件の兵器を託されているらしいトルクさんとか、必要な物資をその場で創り出してしまうファムルさんとか。
そして大丈夫だとは思いますが、あの師匠だってそもそも女性です。そうした感情があるようには見えない人ですけど……。
それでも、たまに顔を出す師匠が彼と話しているときは、私たちにはわからない言語を使い、ものすごく親密そうな会話をするのです。その様は、婚約者である私としては、ものすごく、ものすごく、嫌な気分になるものでした。
師匠はああ言いはしましたけど、一度意識してしまうと、今までのような見方をすることはできませんでした。
……私は、どうすればよいのでしょう?
シエル王国にやってきて、およそ一か月半。私がそんな風に内心で忸怩たる思いをかみしめていた時、その知らせはやってきました。
【グランド王国軍、遂にケルティーナに迫る】
それは即ち、時間切れの知らせ。
彼はそれを受け取ってすぐに、ハイウィンドからケルティーナに向けて出兵しました。研究開発を一緒にしていたメンバーと共に、量産した新兵器を携えて。
その際に、まだ正体を明かすわけにはいかないとはいえ。
彼の隣に並ぶことができなかった自分にふがいなさを、そして彼の隣に並ぶことができているティーアさんたちに羨望を抱いたのは……私が弱いから、なのでしょうか……。
わかりません。わかりませんけれど……それでも、私は私にできることをしましょう。
私の名前はライラ・フロウリアス。自他ともに認める魔法の天才。一番輝くのは、戦いの中で。
だったら私は、戦場で彼の隣に侍る野蛮な姫となりましょう。そして彼を害する敵を倒すのです。
少なくとも、今の私にできることはそれくらいでしょうから……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
短めですが、ここらでライラの心境を挟みたかったので、ちょっとした状況説明も加えつつ。
ハーレムタグがようやく機能し始めている……と思いたいです。




