第110話 驚天動地
今、ぼくの目の前には様々なモノが並べられている。
それは鉱石だったり植物だったり、あるいは魔石だったり。本当に様々だ。
その中の一つ、世間一般では魔法陣の作成などに使う魔法塗料……の、入った瓶をぼくは手に取った。そしてその、透明度の低い瓶の中身をまじまじと眺める。
「……これもダメ、かあ」
そしてそうつぶやいた。同時にため息も漏れる。
そのぼくに、離れたところで機械をいじっていたトルク先輩から声がかかった。
「ダメか。この辺りで手に入るものは、もうこれで大体試したんだよな?」
「そうなんだよねー。ってことは、後は普段関係がないところにあるもの、かなあ……」
「となると……ドランバルとかグドラシア辺りか?」
「くらいかな。あとは……そうだなあ、海とか?」
「ああ、あり得るかもしんないな。案外、腐海なんかもありうるんじゃね?」
「可能性はなくはないね。行けるかどうかは置いといてだけど」
そんなことを言い合いながら、ぼくは椅子に腰かけて身体を弛緩させ、先輩は手を休めることなく作業を続けている。
ここは魔法研究所の、いつもの研究室だ。ここでぼくは、印刷機で使うインクの研究をしているのだ。
いや、インク、という表現は正しくない。解析の結果、ムーンレイスから借りてきた印刷機の仕組みにおいて、インクは使わないのだ。内蔵されたモノに魔法を組み込むことよって、対象物を紙面に浮かび上がらせる。そんな技術なのだ。
だから、地球で言うインクジェット式のように液体を紙につけることによる劣化がなければ、トナー式のように熱で吸着させることもない。そして何より、とんでもなく速い。
……は、いいんだけど。その材料がはっきりとわかってなくて、苦戦している。
紙や鉛筆、消しゴムは、地球の知識をそのまま使えた。けど、今回はそれが使えないのがネックなんだよ。何せ、地球に魔法なんてないんだから。
かといって、地球の印刷の歴史に沿って印刷機を構築していくには、必要なものが多すぎる。ついでに言うと、それなりに専門性の高い技術がいくつか必要になる。
なので、ぼくはこの世界で曲がりなりにもかつてあった技術を再現するほうを選んだ。地球式だと、はっきりいって年単位では済まない可能性が高いからね。
てなわけで、前述の紙面に絵なり文字なりを出すための材料探しをしている最中なんだけど……いやあ、うまくいかないね。
トルク先輩はというと、今は飛行船の小型模型を作っている。模型と言ってもただの模型じゃなくって、ちゃんと空を飛ぶ機構を備えた模型だ。
この一ヶ月ほどのぼくの実験の最中に、偶然空気より軽い気体を発見できたのだ。なので、それを利用した飛行船を、まずは小型模型で作ってみようということでここ最近はずっとそっちにかかりっきりだ。
ただ、飛行船というもの自体がこの世界にはまだない(エルフィア文明時代はあったかもだけど)わけで、それに関する知識を持ってる人間なんていない。ただ一人、地球の知識を持っているぼく以外は。
てなわけで、ここ最近は二人で別のことをしながら、たまに意見を交換しあったりしているのだ。
まあ? 飛行船という答えがほぼ明確に見えている先輩に対して、ぼくのほうの進捗はいまいちなんだけど、ね。
「兄様ー」
そこに、いろんな荷物を抱えたティーアが帰ってきた。
力に優れる彼女には、冒険者ギルドなどを通じて材料になりそうなものを集めてもらってる。雑用的な仕事だけど、これについてはしょうがない……と思う。
あの日以来表面上は変化が見えないティーアだけど、どう思ってるんだろうか。もちろん聞くわけにはいかないし、聞いたところで大丈夫って言うだろうけど……。
「お帰り、ティーア。どうだった?」
「うん、言われてたやつは買えたよ。どれも遠くのものだから、思ってたより数は揃わなかったけど……」
「それはしょうがないね……手に入っただけでもよしとしないと。ありがとうね、ティーア」
「えへへへ」
ぼくの言葉にティーアが照れたように笑った。
うん。
天使。
「……えっと、兄様……その、どこに置けばいいの?」
「あっちの机に順番に……ああ、いいや。ちょうど今手詰まりだったし、一緒にやろう」
「うんっ」
立ち上がって近づくぼくに、ティーアが頷く。
うん、いつもと変わらないやり取り。これがいいんですよ、これが。
……いや、現実を見てないだけとも言うんだけどね。
ぼくの後ろで、きっと先輩がにやにや笑ってるんだろうなあ。絶対振り返ってやらないけど。
「えーっと、これはここに。で、こっちはここで……」
「うん。……うん、ここ?」
「そうそう。えーっと、それは……ちょっと大きいな、こっちにしようか」
「うん」
そうやって二人で材料の整理をすることしばし。
不意に星璽が、通信を受けたことを示す音を発してぼくは動きを止めた。
この音は、ぼくにしか聞こえないようになっている。だから人目がある時にこれが鳴っても、周囲に迷惑はかけない。もちろん、そんなところでホログラム通信なんてできないから出ないんだけど……。
今ここにいるのは、みんな事情をある程度知ってる。気にすることはない。
「ごめんティーア、ちょっと藤子ちゃんから通信だ」
「ん、りょうかいー」
というわけで、作業の手を止めて通信を開始した。
ぼくの目の前に、藤子ちゃんの姿が浮かび上がる。左前に整えられた、喪服のように黒い改造和服がはためいている。彼女の美しい黒髪もだ。
『おう、出られる状況じゃったか』
『うん、身内ばっかりだからね。それより、こんな真昼間にどうかしたの?』
『うむ、今からお主のところに行く故、現在地を教えてくれんか』
『え? 来るんだったらいつも通り空間跳躍でいいんじゃないの?』
『わし一人ではないのじゃ。ちと大所帯でな。それに正規の手段でお主に顔を合わせる必要がある』
『……?』
よくわかんないなあ。
まあ、別に彼女の訪問を拒む理由なんてない。むしろ近くにいてくれた方が、何かと気楽だ。
『……魔法研究所だよ。そこのぼくの研究室』
『あそこか、相わかった。もうまもなくハイウィンドに着く、もし手が離せないようなことをしているなら少し時間を空けておいてくれ』
『ん、わかったよ』
『では後でな』
そこで通信は切れた。どうやら、ただの業務連絡だったみたいだ。
ただ、この後やってくるって言うならちょっと片づけないとまずいな。
「……ティーア、今から藤子ちゃんが来るって。一旦実験はお休みだ」
「えっ、女神様が?」
「うん。……さっきの口ぶりから言って、たぶん神様として来る感じじゃないみたいだから、畏まらなくっていいと思うよ」
「う、うん……あっ、でもお茶とお菓子くらいは用意しとかないと!」
「あー……うん、そうだね。お願いしてもいい? ぼくはエルトさんたちにお客さんが来ること伝えてくるから」
「うん、任せて!」
そこでティーアは調理場へ走って行った。
ぼくも一旦部屋を出て、連絡をしにいこう。
さーて……藤子ちゃんが大所帯で、しかも正規の手段でぼくに会いにくるってのは、どういうことだろうね? そんな用事はまったく思いつかないんだけどね……。
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で。藤子ちゃんがやってきたのは、それから45分ほど経ってからだった。
なんか研究所の外がやけに騒がしくなって、なんかドラゴンやらハーピーがどうのこうのって噂が聞こえ始めたタイミングだった。
「待たせたのう」
そう言って入ってきた藤子ちゃんに、ちょうど外を眺めていたぼくは目を丸くした。
彼女と一緒に入ってきたのは、たった1人。大所帯って聞いてたけど、もしかしてここには2人だけで来たのかな?
けどまあ、それはいい。気になるほどじゃない。ぼくが驚いたのは、そのさらに後ろに続いた陽人族の巨漢にだ。
たぶん2メートルは越えているだろうその人は、ライオンの顔をしていた。街に来てすぐにここまで来たのか、たてがみは少し汚れているようだけど、とても立派で堂に入っている。かっこいいなあ。
「……えーと、藤子ちゃん?」
「うむ、今日はな、お主宛ての手紙を……このレストンが持ってきた」
「はあ」
藤子ちゃんの言葉に合わせて、彼女の後ろに立っていた巨漢……レストンさんがさっと控えた。
……あ、そういえばぼく、王子でしたね。
「あ、そんな畏まらなくっていいですよ。楽にしてください、冒険者に接するような感じでいいですから」
「ありがとうございます。俺はレストン、ゴールドクラスだ」
「それはすごいですね。……けど、そのレストンさんが、ぼくに手紙の配送を?」
「極秘の密書になる。本当なら、本人かどうか確認するんだが……トーコの案内だ、それはいいだろう?」
道中にどういう話をしていたのかわからないけど、藤子ちゃんがレストンさんに応じる形で頷いた。
うん、ぼくも彼女のことは全面的に信頼してる。彼女に応じて、ぼくもしっかりと頷く。
それから首を傾げて、詳細を訪ねることにした。
「ぼく宛てに密書、って……一体?」
「これだ」
そう言ってレストンさんが懐から取り出したもの。それを見て、ぼくは思わず背筋を伸ばした。
傍から見ただけでも、それが封蝋をされた正式な文書だとわかったからだ。
それはティーアやトルク先輩もわかったみたいで、少し緊張した面持ちで顔を突き合わせていた。
そして手紙を受け取ったぼくは、さらに顔をこわばらせることになる。
「……グランド王国から?」
思わずつぶやくように言ってしまったけど、これにはレストンさんが頷いた。
封蝋に押された印章は、間違いなくロムトア・フロウリアス家……つまりグランド王家のものだ。今、これを使える人間は恐らく一人。
現王カフィルカ5世は瘴気に飲まれたって聞いている。それ以外で王族は、まだ大人になりきっていない王女様の他は、ディアス兄さんしかいない。
わざわざ密書なんて言う形式で送ってきたってことは、たぶん……。
「ディアス王太子様から、だ」
やっぱり。
「兄さんから……」
「セフュード殿下を名指ししてこれを出してきた。受け取って下せえ」
「う、うん……」
こくこくと半ばなすがままに頷いたぼくは、封に手をつけながら藤子ちゃんを見た。
彼女は何も言わない。代わりに、やれと言わんばかりに顎をしゃくった。
「え、えーっと……なになに?」
言われるままに開封して、中身を手に取ったぼくは早速目を通す。
ディアス兄さんらしいきっちりとした文字が並ぶそれは、密書という言葉とは思えないほどの文量があった。
まあ量については別段気にはならないんだけど……読み進めていくにつれて、ぼくは顔色を変えざるを得なかった。
「……ウソだろ」
そして意図せず、そんな言葉が口をつく。
そのまま停止しまったぼくに、ティーアと先輩がせっついてきた。
「どうしたの、兄様?」
「あの人からどういう話が来たんだ?」
二人の問いに、ぼくは油の切れたロボットのようなぎこちない動作で振り返る。
二人から見て、ぼくは今、どんな顔をしているだろう? 自分でもわからないほど、ディアス兄さんからの手紙に書かれていたのは、衝撃的なことだった。
「……アキ兄さんが、グランド王国に捕まった」
なんとかそう絞り出したぼくに、ティーアも先輩も絶句した。
当然だろう。アキ兄さんは太陽術の使い手で、武器なんてなくてもそうそう後れを取る人じゃない。手紙によれば、ディアス兄さんが罠にはめたみたいだけど……。
……それにも増して、とんでもないことが手紙にはつづられている。
「それで……そのままグランド王国が、攻めてくる……」
絶句した二人は、そのままぼくが続けた言葉に顔を青くした。
「真実じゃ」
そこに追随した藤子ちゃんの言葉が、どこか空虚な響きを帯びて室内に反響する。
「道中、国境沿いを空から眺めたが……既にグランド軍はシエル国境を越えようとしていた。短ければ一日で、長くとも数日で突破されるであろう。その報せがここまで来るのに……はて、いかほどかかるかな」
その内容は、無慈悲すぎる現実だ。
そして藤子ちゃんは、口を止めない。追い打ちのように、容赦なく現実を叩きつけてくるのだ。
「そして今、国王という人質が向こうにいる。この意味がわかるか、セフィ?」
「…………」
「つまりな……今この国には、戦争の矢面に立てる王族はお主しかおらんのじゃ。戦いの責任が、全てお主にのしかかってくるぞ。事前でも、最中も、そして戦後もな」
「……!?」
……現実は。
どこの世界でも、本当に突然牙をむくのな。
ふざけるんじゃないよ。一体全体、どうしろっていうんだよ!
ぼくは逃げ出したい衝動が心の中で膨れ上がるのを感じながら、叫びたくなるのをこらえてその場で頭を抱えてうずくまった……。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
合流し始めるキャラたち。




