◆第107話 夢幻大森林の戦い 中
「これは……」
「空間が、割けてる?」
それを見て、セレンとミリシアが呆然とつぶやいた。
輝良も言葉はないが、驚いてる様子だ。
唯一異常事態に対する耐性を持つ藤子だけが、興味深そうに笑っている。
「なるほどのう、これはこれは……」
くくく、と笑う彼女の目の前には、死屍累々と築かれた化け物の死骸の山。森の中であり、スペースが少ないために余計うず高く積みあがっているようである。
そしてその上には、虚空にぽっかりと穴が開いている。さらに言えば、その穴からは化け物たちが一定の間隔ごとに放出されていた。
化け物が出てくるタイミングで穴が開き、化け物が地に降り立つタイミングで閉じる穴。これが今回の騒動の原因であることは、火を見るより明らかであった。
「この世界には……否、この世界の、今の歴史にはまだ時空魔法は確立されておらぬはず。はてさて、これは今世の天才によるものか? それとも過去の遺産を利用した何者かによるものか? ふふふ、いずれにしても興味深い」
藤子の眼は、研究者の色をしていた。純粋な好奇心が、その美しい瞳を彩っている。
そのまま前へ踏み出し、穴に近づく。襲ってくる化け物など歯牙にもかけず、手を動かすこともなく吹き飛ばしながら。
そんな彼女を尻目に、三人娘は身を寄せ合ってささやきあう。
「……今回は、私たちの出番はなさそうかな?」
「ん。空間魔法はトーコの専門」
「あるとすればあの穴の先、かしら……」
もちろん、周囲に対する警戒は怠っていない。万が一襲撃されても藤子が後れを取るなどありえないとはわかっているが、彼女の邪魔は極力排除したいというのは、口に出さずとも三人は共有している。
まあ、三人の警戒網には魔獣はおろか、普通の獣すらひっかかっていないのだが。それでも気を抜けないのは、ひとえに目の前で笑う師匠の教えあってのものと言えよう。
「ふむ……構造自体は比較的単純じゃな。しかし逐一発動させているわけではない……特定の条件を満たし続けることで、自動で稼働しておるのか」
その師匠は、楽しそうに現象の解析を続けている。
「ここがこうなる……か。なるほど、そしてこちらに繋がって、最後にここで一つにまとまるというわけか。うむ、なかなか合理的な術式じゃな」
空中に指先で光の文字を書きながら、藤子はなおも笑う。
そして彼女は、さらに別の空中におもむろに魔法陣を描き始めた。
恐らくその意味を理解できるものはこの世界にいないが、もし藤子の技術に追随できるものが見れば、虚空に開く穴の構造をそのまま再現していることがわかるだろう。
ほどなくして完成した魔法陣。藤子はそれと虚空の穴を見比べて、満足そうに頷いた。
「うむ、これでよいな。大体わかった」
そしてそうつぶやくと、それまで空中に残っていた光のメモ書きや魔法陣を一斉に消す。
それを見て、セレンが声を上げた。
「トーコ、終わったの?」
「ああ、一通りな。待たせた」
「ううん、全然! それで、どうするの?」
「決まっておる、この穴の向こうに行く」
振り返りながら返ってきた言葉に、セレンたちは表情をほころばせた。直後に引き締めたが、明らかに退屈を晴らせると知った子供のような顔であった。
それを見て取った藤子が、苦笑方々問いかける。
「……暴れられるかどうかは、わからんぞ?」
「いいよ、別に!」
「ん」
「い、いや、妾は別に、そういうつもりは……」
約一名否定しているが、間違いなく他二人と同じような顔をしたのを、藤子は見逃さなかった。
今ここでそれを指摘したら、面倒なことになるだろうと思ったので口にはしなかったが。
代わりに、
(順調に染まっておるなあ)
と内心つぶやくにとどめる。
そうして、苦笑を顔に張り付けたまま藤子は魔法を発動する。四人全員をカバーするほどの大きさの魔法陣が、地面に浮かび上がった。
「……参るぞ」
「うん!」
「ん」
「はい」
三人の返事と同時に、魔法陣が発動する。藤子の代名詞とも言える青い光があふれ、四人の姿を包み込む。
それが収まった時、彼女たちの姿は消えていた。
また、それまで等間隔で開き続けていた虚空の穴はそれ以降、開かない。ただ、静かな森だけが残されていた。
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そこは、薄暗い空間であった。明かりは、中央に設置されたオベリスク状の石柱が放つ魔法の光だけ。
にもかかわらず、そこは大層広い。地球人の感覚で言えば、東京ドームくらいはあるだろうか。そんな広大な範囲を、たった一つのかすかな光だけで照らそうとするのは、土台無理な話である。
しかし、そもそもこの場を明るく保つ意味がないのだから仕方ない。何故ならば、ここに人間はいないのだから。
ここにいるのは、外に送られるのを待つ異形たちだけ。それらが、立錐の余地がないほど辺りにひしめいていた。
と。
そこに、大きな魔法陣が出し抜けに出現した。場所は空中。青い光を伴って現れたそれにより、周囲がいつもよりは明るくなる。
と同時に、化け物たちが一斉にそちらへ目を向けた。
「うっわ、何この数!?」
出現した四人組の一人――セレンが上ずった声を上げた。
足場となる魔法陣がなければ、この化け物の大群に落ちるところだったのだ、無理からぬことではある。
「はっはっは、随分やったとは思っておったが、まだこれほど残っておったとはな」
一方藤子はこともなげに笑い、手をかざした。
そこから光球が放たれる。それはあっという間に天井付近まで飛んでいくと、次の瞬間その場所全体を明るく照らし始めた。
一気に昼間の表くらいの光に満たされたことで、化け物たちは一瞬ひるむ。元が獣なだけに、突然の光量変化に目が追いついていないものが多いようだ。
それを見とめた藤子は、にやりと楽しげに笑うと、自分たちを空中に留めていた魔法陣を解除した。
そうなれば当然、四人は虚空に投げ出されることになる。
「さあやるぞ! まずはゴミ掃除じゃ!」
そして藤子は、落下速度を自ら早めて化け物の中へと突入した。
その身体からはやはり青い魔法の奔流が立ち上っており、それは次の瞬間いくつもの巨大な氷の花の姿となって、槍衾のように天を衝いた。
衝撃により無数の化け物が吹き飛び、また冷気に飲み込まれた化け物は文字通り粉々に砕け散る。
「うっわ、藤子ってば……! 私空中は苦手なんだけど!?」
そう言いながらも、セレンの身体は青い光の粒子に包まれていた。そのまま空中を自在に泳ぐと、藤子から離れた場所へと緩やかに着地する。
その瞬間に、刀が神速で抜き放たれる。居合。それにより、彼女の着地地点にいた化け物が4体ほど首が吹き飛ぶ。
さらに直後振るわれた剣閃により、10体近くの化け物が瞬きの間もなく絶命した。
「セレン……いつの間に飛翔の魔法を」
離れていったセレンの背中にそうつぶやいたのは、輝良。彼女は変化を一部解き、その背に巨大な青い翼を広げていた。
本来の姿であるサファイアドラゴン。その翼を羽ばたかせて、彼女も藤子とは離れた場所へ飛んでいく。その方向は、セレンとも違う方向だ。
輝良は着地と同時に、純粋なマナの塊を大量に放射しながら地面にたたきつける。それにより、着地地点の周辺にひしめいていた化け物たちが嫌な音共につぶれた。
「……三人とも威力がおかしい」
ただ一人空中にとどまったミリシアは、少し顔を青くしながらも全身に太陽術を刻みあげて黄金の輝きを身にまとう。
それによって太陽の力をその身に宿した彼女は、早くも数を一気に減らし始めた化け物の大群、その外延部に向けて無数の光線を発射した。太陽術の基本的な技の一つであり、また奥義とも言われる技、太陽光線。
本来は一条の光線となるものだが、その数が数えきれないほどにまで増えている点が、奥義とも称される所以。使い手の力量次第で、ほぼ無限大に威力を上げられるのだ。
そして太陽――浄化に特化した光線の驟雨は、化け物たちの身体を焼くと同時に消滅させていく。
(張り合いがないのう)
吹けば飛ぶように――実際はその通りなのだが――死んでいく化け物たちを冷めた目で見やりながら、藤子は内心でぼやく。
化け物たちとしては、元々ほとんど身動きがどれないほどここに密集していたのである。そこに敵が飛び込んで来たら、ろくに反撃もできるはずもない。相手に関係なく、ほとんどの化け物は無抵抗のまま死んでいった。
その一方的な、戦いとも呼べぬ戦いをつまらないと思うのだ。藤子はもはや、強い相手との戦いにある種の快感を見出す戦闘狂と言われても仕方がないだろう。
そしてその蹂躙も、ほどなくして終結する。
「……終わり?」
「ん……ミリシア?」
「上から見ても、動いてる敵はもうないですね」
「うむ、生命探知でもわしら以外の生体反応はない。終いじゃな」
その言葉に、唯一武器を使うセレンが刀を収める。
次いで、藤子が手を振るう。すると周辺に青い光があふれ、残っていた化け物たちの死骸が光に分解されて消滅した。
それを見て、三人娘の視線が藤子に集まる。
「……この後は?」
「うむ、先に進む」
「先に……って、出入口らしきものは見当たりませんが……」
高所から周囲を見渡すミリシア。
確かに彼女の言う通り、それらしい箇所はない。周辺の壁や地面、あるいは天井に至るまで、一切の継ぎ目がないのだ。
しかし藤子は、いいやと首を振る。
「魔法による施錠がある。来い、こっちじゃ」
そして彼女は、迷うことなくある一点に向かって歩き始めた。
その背中に、三人は慌てて付き従う。
藤子が目指したのは、この空間の一辺における中央であった。真上から見た四角形として考えれば、わかりやすいだろうか。
そこの壁に手を当てながら、藤子はうむ、と一人で頷く。
「……ここじゃ」
そこには、魔法術式が強固に張り巡らされていた。魔法に堪能なものであれば、それを感じ取れることができるほどには隠されていない。
藤子だけでなく、近づいたことで弟子たち三人娘がそれを認識できたのだから、少なくともある程度の実力者であればその存在は一目瞭然だろう。
それが単に防犯を気にしていないのか、それともその構造に自信があるのかは、誰にもわからないことであるが。
「ここを……こう、か」
その魔法による施錠を、藤子はあっという間に開けた。強固、と言ってもそれはこの世界にとっては、だったのだ。
あらゆる鍵に精通した鍵屋による開錠、そんな手並みであった。
そしてその扉が開く。壁の一部が、上にスライドして出入り口となった。
「よし、では参るぞ」
その先を目指して、藤子が足を踏み出す。当然のように、弟子たちの返事は待たない。
彼女たちが踏み込んだ場所は、狭い通路であった。ダンジョンの通路よりも輪をかけて狭く、四人も並べばもうすれ違うことができない。
ただし、別段暗くはない。天井には、しっかりと明かりがともされていた。それも炎霊石ランプと思われる照明が、間断なく。
明らかに、現代の技術で造れるものではない。となれば、ここはエルフィア文明期の遺跡。
それ見て取った藤子は、情報収集を即断する。すぐに周辺を把握すべく、力を行使した。
たちまちのうちに、情報が集まってくる。それらを統合して、藤子は脳内にここの内部地図を構築した。
さらに生命探知も合わせて、その地図に生物の位置も刻み込んでいく。
「ん……トーコ、分かれ道」
「右に行く」
右に曲がったその先、構造的には行き止まりと思われる地点に、大きい空間があったのだ。
それもその周辺、正確にはその場所の入口周辺や道中の通路を、まるで守るかのようにいくつもの生命反応がある。しかもその反応は、藤子に言わせれば「歪」である。
そしてその反応は、今まで散々に蹴散らしてきた化け物とよく似ていた。
そのため、そんなものが集結している場所には何かがあるだろう、と藤子は当たりを付けたのである。
「……トーコさん、ここ、たぶんですがエルフィア文明の遺跡です……」
「やはりそう思うか?」
しばし歩いたところで、ミリシアがおずおずと口を開いた。
そちらに振り返らず、藤子は応じる。
「はい……ただ、今も稼働している遺跡なんてそうはないはずですよ。動かせる状態のままを保っている遺跡、なら大半が該当すると思うのですが……」
「ふむ。……この場所には、かなりの数の生体反応が感じられる。それも、あの化け物と似たような反応じゃ」
「合成獣、ですか?」
「ああ、恐らくな。となれば、答えは二つ。エルフィア文明の生き残りがいるか、もしくは現代人が遺跡を再稼働したか、じゃな」
断言した藤子に、一行はしばし沈黙した。
「……どちらに転んでも、嬉しくない、ですね……」
それを破ったのは、またもミリシア。
その表情は変わっていないが、どこか固い。
「まったくじゃな……む? ふむ、噂をすれば、じゃな」
彼女に相槌を打った藤子の言葉に、三人は身構える。
その視線の先には、異形の化け物が立っていた。
しかしその姿。今まで見てきた化け物とは明らかに様子が違う。
一見すると、それの体つきはティマールによく似ていた。だが、その尾はサソリを思わせる甲殻類のそれ。また首の根元には、鷹のような猛禽類を思わせる鳥の顔がついている。そして何より目を引くのが、身体から分泌されている半透明の液体。やや緑がかったそれは、床にしたたり落ちると同時に白煙を生んでいた。
明らかに、獣ではなく魔獣をベースにしたであろういでたちである。
「……ナニアレ」
「う、え……き、気持ち悪い……」
「ラージグリフォンの首……キラースコルピオンの尾……」
「分泌液はバイオスライム、と言ったところかな。うむ、これぞまさしく合成獣、と言った感じじゃのう」
生物的に無理のある身体に、それぞれが感想を口にする。
そんな彼女たちを前にして、合成獣は動かない。微動だにせず立ち尽くす姿は、さながら石像のようである。
しかしその口から洩れる不快な呼吸音は、確かにそれが生物であることを物語っていた。
「はてさて、お主らあれとどう戦う?」
「ぶ、物理攻撃はちょっと遠慮したい、かな?」
「そう、ですね……魔法か何かで、倒したほうが……。あの分泌液、かなり危なそうですし……」
「うむ、ひとまずはそれが妥当じゃろうな……」
「……近づいてこないのは、なんで?」
「多分……攻撃範囲に入っていないからだと。一応警戒はしているみたい、だし……」
その言葉と共に、ミリシアは輝良に目を向けた。
「……トーコさん、ここはやはりカグラさんが適任かと思うのですが……」
「ふむ。まあよかろう。輝良よ」
「ん……わかった」
そして振られた輝良は、相変わらず表情の乏しい顔のまま一歩前へ出た。
合成獣はまだ動かない。それを見て、彼女は口元にマナを集中させる。
竜種と呼ばれる魔獣、および幻獣だけが持つ固有の能力。儚い人の身なら、それだけで蹂躙できるとも言われる力……それがブレス。
サファイアドラゴンである輝良が放つそれは、冷気だ。
「……カオオォォォォっっ!!」
刹那、冷たく輝く息が狭い通路内に吹き荒れた。光さえ放つほどの冷気が、立ちふさがる合成獣に向けて一直線に襲い掛かる。
ブレスを放つに当たって、最も効率がいいとされるドラゴン本来の姿でないにもかかわらず、その威力はかつての輝良が放ったものよりも上がっていた。ブレスを放った輝良が本人が一番驚いているほどに。
その威力を証明するかのように、ブレスはようやく迎撃態勢を取った合成獣の身体をほとんど抵抗なく貫いた。合成獣も、ブレスに対抗するように首下の顔がブレスを放とうとしていたのだが……輝良のブレスは、それよりも早く到達したのである。
合成獣は、それによってあっという間に全身が凍結した。体表から液が分泌されていたことも手伝ってか、瞬時に氷像と化してしまった。
そして直後、御者の制御を放たれた完成間際のブレスが暴発。結果、合成獣の身体は内部から一気に膨れ上がったマナによって爆発四散した。
「……うむ、見事じゃ」
あっという間もない幕切れに、藤子は少し満足げに頷いた。
その目の前で、輝良が呆然とつぶやく。
「……こんなに、強くなってたのか」
「当たり前じゃろう。まあ、確かに最近はあまり使わせておらなんだから、無理もないか」
そう言いながら、藤子が輝良の背中を軽く叩く。
「さあて、先へ進むぞ。これから先、少しは楽しめそうであろう?」
そしてそう続けて笑った藤子に対して、頷くことができた者はここにはいなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
なんか一気に特撮っぽくなってきた気がする……(苦笑




