第105話 戻ってきた日常
「あー……娑婆の空気がおいしいわー……料理もおいしいわー……」
「しゃば?」
「あ、いや、なんでもないよ母さん」
生まれて始めての繁殖期が終わり、無事に(?)帰還したぼくは、アベリアの塔で久々のまともな食事に終え、解放感に満たされていた。
暴走状態だったおかげでろくに食事は摂れてなかったし、地下だったから空気も淀んでたしで、本当に何もいいことがないな繁殖期!
聞くところによると、ぼくはどうやら6日間こもっていたらしい。大体平均よりちょい少ないくらい、だったかな。
短いに越したことはないけど、もうちょっと短くできないかなあ。本当にあれ、もうやりたくないんだけど。
「ま、まあ、あれだぞセフィ。繁殖期は、最初のが一番辛いんだ。回を重ねていくと、身体も慣れてるから少しずつ動けるようになるんだぞ」
「そうなんだ。……そう信じたいところだね……」
繁殖期中の自分のことは信用しないことにしたんだ、ぼく。あんなこともあったし。
元日本人の草食系な童貞だった身としては、そういう行為は双方の合意があるべきだと思うし、男が無理やりするなんて、あってはならないことだと思うのだ。
気休めにしかならないけど、直前に藤子ちゃんの改造でぼくの精子の生殖機能を停止させてくれてたのは、本当に助かったよ。
……いや、説得力は皆無なんですけども。
ちなみに、ティーアはあの後すぐに城を飛び出していった。父さんの所に行くと言っていたし、タイミングがタイミングだけに、ぼくはついていく気にはなれなかった。
父さんには言いたいこともあるけど、ティーアが言うには無理を通したとのことだったし、父さんを責めるのはたぶんお門違いだろうから。
「大丈夫よ。ベリーだって最初の時は意識がほとんど残らないくらい激しかったからね」
「シャニスっ!」
「ふふふ、いいじゃないの、別に。性別は違っても、小人族のことを説明できるのはあなたしかいないんだから、ある程度は踏み込んでおくべきだと思うわよ?」
「いいいいや、でも、あれは、そう、セフィが言うところのくろれきしというやつで……!」
かつての旅仲間だったシャニス義母さんは、母さんの繁殖期のことは当然知ってるんだろうな。
ぼくとしては、別に母さんがどうだったかということはさほど興味はないんだけども。……ない、というかあまり考えたくないと言うか。ほら、実の親だし。
「……シャニス義母さん。その、母さんの繁殖期って、当然父さんと旅してる時だったんですよね? どうやって対処したんです?」
「せ、セフィ」
「いや、だって今回はたまたま自宅? にいる時に発症したからなんとかなったけど、もし外遊中に出たら大変じゃない? 今のうちに聞いておいた方がいいと思って」
「セフィ君が正しいわね」
「う、うう……」
くすくすと笑うシャニス義母さんの対面で、母さんが恥ずかしそうに突っ伏した。
うん、本人も言う通り黒歴史なんだろう。藤子ちゃんの言葉を借りるわけじゃないけど、女性の小人族の繁殖期とか、最速でアヘ顔ダブルピース案件だろうし……。
「そうねえ、最初のはブレイジアにいた時だったかしら。ちょうどね、5年に1度の魔王位継承権選定会があって、その観戦に行ってたのよ」
「魔王位継承権選定会?」
「ええと、ブレイジアの魔王位は何より強さが重要視されるのよ。逆に言えば、魔人族で強ければ誰だって魔王になれるの。その選考をするために、5年に1回選定会……という名のバトルトーナメントが開催されるのよ」
「はあ……つまりそこで優勝した人が次期魔王と……」
「いいえ、準決勝まで残った4人が次期魔王候補よ。それが5年に1回更新される。魔王の選定はさらに現魔王が崩御した後、その4人で総当たり戦をやるからね」
「……どこまでも戦闘民族なんですね、魔人族って」
言いながら、ぼくは脳裏にケイ王女をはじめ会ったことのある魔人族のことを思い浮かべてみる。
……うーん、あまりそんな好戦的な人たちには見えなかったけど、な?
というか、トゥラニパゥク殿下はまだしも、ケイ王女やシェルディンタ陛下なんてとても戦う人には見えなかった。でも陛下の場合、魔王なんだしそんな過酷な戦いを勝ち抜いてるんだよな?
……うん、考えないようにしよう。それで話を戻そう。
「で、ええと……そんな大会のさなかで?」
「ええ、そうなのよ。決勝戦だったんだけど……あれ、今のシェルディンタ陛下が……ねえ……」
「?」
「ううう、シャニスそれ以上は……」
「うふふ、やーよ。そう、シェルディンタ陛下ね、ああ見えて……というか見た目通りというか……淫魔なのよね」
「……うわあ」
なんか見えてきた。
「正確にはワイゼリス王家って色んな種族の混血だから、人によって違うんだけどね。あの方は淫魔の血が特に濃く出た方で、……まあ当然、戦い方もそういう戦い方になるのよ。絡め手、と言ってしまえばそれまでなんだけど」
「……あの方の場合、男女両方誘惑できそうで怖いですね」
「うん、実際そうなんだけど」
「マジかっ!」
軽い冗談のつもりだったんだけどな……。
「で? まあその決勝戦が大層激戦になって、陛下ったら全力で催淫を使われたのよね。そうしたらそれが観客席まで波及しちゃってねえ……」
「ううう、あううう……」
「結果ほとんどの客がそれに中てられて、観客席が即席の娼館に早変わり、と」
「ひどすぎるっ!」
「これはまずい、ってことで私たちはファムルの夢幻で急いでその場を離れたんだけど、ベリーが、ね。まあちょうどそれくらいの歳だったし、結果的にそれが嚆矢になったわけ」
「ああ……なるほどファムルさんがいたからいざって時でもなんとかなったわけか……」
本当に夢幻ってなんでもありじゃないか……。
……って、それじゃ参考にならないじゃん!
そんなぼくの心境を察したのか、シャニス義母さんはくすくすとまた笑った。
「普通の小人族は、絶対に一人旅はしないらしいわ。それでパーティメンバーが力ずくで止めるらしいらしいわね」
「本当に難儀だな小人族! 心底めんどくせえよ!」
神様なんでそんな種族作ったんだよ!
特に守護神のマティアス様どうしたかったんだよ!
「もうそれ以上はやめるのです……」
「まあしょうがないわねえ。人間、生まればっかりは選べないしね」
「ううう」
「ギギギ」
「あらあら、似た者親子ね」
喜んでいいのか悪いのかわからねえ!
「あら、賑やかですね」
ぼくと母さんが轟沈していると、一人の女性が食堂に入ってきた。
滑らかにウェーブのかかった栗毛の女の人。背丈はシャニス義母さんと同じくらい。
何より目を引くのは、彼女が抱いた子供だ。
「リリナ」
「何かあったのですか、お義母様がた?」
「ふふ、小人族の繁殖期についてちょっと、ね」
「ああ、なるほど……」
それだけで悟ったのか、その人――リリナ義姉さんは少し困ったように微笑んだ。
そう、アキ兄さんの奥さんだ。そして彼女が抱いている子供こそ、アキ兄さんの息子で王太子のマーシュ君。
いやー、今まで言及する機会がなさすぎたからね。存在が浮上してから登場まで長かったな……。
まあそんなことはいい。幼児の前で凹み続けるわけにもいかないよ。
「……どうも、お久しぶりです」
「ええ。セフィ君初めてだって聞いてたから、少し心配だったんだけど。大丈夫そうね?」
「ええまあ……おかげさまで……」
全然大丈夫じゃなかったんだけど、まさか言うわけにもいかないので、無理にでも笑うしかない。
「……そう言う義姉さんこそ、大丈夫です? あまり丈夫ではないんですから、無理はなさらないでくださいね」
「ええ、ここ1年は結構調子いいのよ。でも、ありがとう」
そんなぼくに微笑みながら、リリナ義姉さんはゆっくりと近づいてきて、ぼくの隣に腰を下ろした。
彼女はどちらかというと病弱な人だ。マーシュ君を産んだ時も、産後の肥立ちが悪くてあまり表に出てこられなかったし。
「ぅー、おいしゃん、げんき?」
そこで甥っ子のマーシュ君が、ぼくに手を伸ばしてきた。その手に自分の手を合わせて、ぼくは思わず笑う。
「はーいー。おじさんは元気になりましたー。心配してくれてたの? マーシュ君は易しいねえ、ありがとう」
そして猫なで声で応じながら、もう片方の手でマーシュ君の頭をなでるぼくだった。
彼の歳の頃は1歳9か月ってところ。地球人換算すれば、2歳くらいかな。いずれにしても、まだまだ幼児と呼ばれる頃合い。その手はとても小さくてふくよかだ。
種族的にはクオーターサンセットとなるんだろうか。でも、アキ兄さんのような狼的な耳や尻尾は見当たらない。見た目は人間族だ。マルスオレンジの髪と目をしているので、要素が全くないわけではないんだけども。
何はともあれ、子供というのはやっぱりかわいいよね。
「この子ったら、セフィ君に遊んでもらいたくって、ここ6日間ぐずってしょうがなかったのよ?」
「うわあ、そりゃなんかごめんなさいというか……でもアキ兄さんだっていたでしょう?」
「いいえ、あの人は大衆浴場の件が終わってすぐグランド王国に向かったから……」
「え?……あ、そうか。即位のあいさつか……」
シエル、およびグランド王国は、元が同じ国だ。その関係で、それぞれの国の王が改まった時は、互いに互いの国を尋ねるという習慣がある。
別に、礼儀とかそういうものじゃない。同じ国だったとはいえお家騒動で分裂した国だからね、互いに互いを「王として認めてやるよ感謝しろ」という不毛な相互承認が由来だ。
ぼくとしては心底くだらない風習だと思うんだけど、ここ五十年ほどはそういう恨みつらみは多少薄らいでるみたいで、単純に王様同士の交流も目的に入ってる……らしい。
詳しいことはわからない……というより、ぼくには関係のないことだったから、あまり聞いてないんだよね。
そうか、大衆浴場の公開が終わったらすぐにグランドに向かう手はずだったっけな……。
「ええ、そうなの。おかげでこの子をあやせる人がいなくってね……」
「あはは……マーシュ君、人見知り激しいですもんねー……」
初対面の人はもちろん、メイドさんなんかにも泣いちゃうから、子育て初心者のアキ兄さん夫婦はかなり困ってるらしい。子供って大変だ。
ちなみに、父さんは顔を合わせると百パー泣かれてた。社会的に死んだことになってるから、今は顔を出す機会はないけどね……。
ぼく? ぼくは大丈夫。何せここに住むようになってから、結構頻繁に顔合わせてたからね。
顔を合わせたら遊んだりお話を聞かせてあげてたし、こないだ半年遅れのマーシュ君の1歳の誕生日に絵本を贈ったくらいだ。
やりすぎ? うん、かもしれない。
なんだろう、ぼくは子供が好きなんだろうか? よくわかんないんだけど、可愛くてついちょっかい出したくなるんだよね。
……思えば、ティーアとの関係もそこから始まってたような気がする……。少しは自重したほうがいいんだろうか……。
「おいしゃん、よんえ、えほん、えほん!」
「絵本ー? うんうん、じゃあ読んであげるねー」
いやでも、子供に罪はないしね! 絵本を差し出されたら、応じざるを得ないよね!
マーシュ君が差し出してきた絵本は、さっきちらっと言った、ぼくが誕生日に贈った絵本だ。
へえ、この中世ヨーロッパな世界に絵本があるんだと思われた皆さん。それは違う。この世界にそんな文化は存在しない。
じゃあなんでここに絵本があるのかというと、お察しの通りぼくが作ったからだ。
紙芝居と併せてることで、漫画を世に出す前段階の素地づくりに有効だと思ったんだよ。まあ、乳幼児へのプレゼントで何がいいか悩んだ結果、でもあるんだけども。
せっかくなので、印刷機の性能確認も兼ねて30部ほど刷らせてもらって、原本をマーシュ君に、コピーを近年子供が生まれた有力貴族や官僚に贈呈したのだ。
ちなみに絵本の内容は、某弱者の反撃なロックバンドのタンポポの歌を拝借させていただいている。まあタンポポという花がこの世界には存在しないので、そこは代わりを見繕いはしたけども。
いや、はい、生前はファンでした。アルバム全部持ってました。
「えーと、むかーしむかし、あるところに寂しがり屋のライオンがおりました……」
「きゃっきゃっ」
まだ序盤どころか出だしなんですけどね、マーシュ君は既にご機嫌だ。もう手あかが付きかねないくらい、何度も読んであげたと思うんだけどねえ。
そんなに好きか、このお話。
うん、ぼくも好きだ。
いいだろう、こと子供の相談にはノーと言えないぼくだ。君が満足するまで付き合ってあげようじゃあないか。
周囲から集まる女性陣の暖かい視線を感じつつ、ぼくは久しぶりの日常を楽しむのであった。
……今日は、ティーアがいないけどね。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
たまには王族の方々、特に兄貴一家にもスポットを当てようかなと思いまして。
ちなみに、うちのキャラは基本大体子煩悩です。




