第102話 新王誕生
厳かな雰囲気が、この場全体に漂っている。余計な音は一切なく、アキ兄さんがまとった豪奢な服から衣擦れの音が響くだけだ。
居並ぶのは、シエル王国の重鎮たち。シディンさんやカバルさんといった内政、軍事に関わる人はもちろん、エルトさんのような一種の変わり種も一堂に会している。
彼らよりもより上座に近い位置に陣取るのは、ぼくら王族。王位継承権の順番の関係で、また現在の一位がまだ一歳の赤ん坊ということもあって、ぼくが一番上座に近いのは、ちょっと勘弁してほしいんだけども……。
そんなぼくの目の前を、アキ兄さんが静かに、ゆっくりと進んでいく。その先は、上座であり玉座。謁見のまで使っているものとは異なり、きらびやかな装飾が施されている。儀式用のものなんだろう。
やがて兄さんは、その玉座へと至ると音もなく腰を下ろした。それに合わせて、儀仗兵たちが一斉に旗を掲げる。風のない儀式の間に、シエルの国章が緩やかにたなびいた。
「これより」
兄さんが声を上げる。しみいるようなテノールボイスは今日も変わらず、この空間全体に朗々と響き渡った。
「余は偉大なる父、ディアルトの名跡を継ぎ。今ここに、王として皆の上に立つことを宣言する」
そしてこの言葉と共に、旗を持つ儀仗兵の後ろに控えていた別の儀仗兵が、手持ちの得物を構える。
それは、武器ではない。地球で言うトランペットによく似た金管楽器だ。
その口から、重厚な音が、旋律が奏でられる。
ファンファーレ。この音はそのまま、ハイウィンドの街にも響き渡るだろう。そして、人々は認識するのだ。新しい王の誕生を。
今この時より、アキ兄さんは王の系譜に名を連ねる。今後、公式文書及び史書にあっては、アクィズ二世の名が続くことになるのだ。
……そう。
シエル王国の王様が、代替わりした。
私財を投げ打ってでも人々に知識と機会を与え、最貧国の名をほしいままにしていた国を改革し続けた名君は、もういない。
今後、父さんの名前はディアルト四世としてのみ語り継がれていくんだろう。
あるいは……その諡号、冒険王としてか。
いずれにしても、頼れる御者が失われたことは間違いない。
アキ兄さんを愚王だと言うつもりなんてさらさらないけど、若い王を不安がる人間がいないわけもなく。
……きっと、これからの国家運営は少しずつ難しくなっていくんだろうな。
偉大な統治者の後に続いた息子が、どれほど大変な事か……。
漫画家を志すぼくにどれほどのことができるかわからないけど、それでもぼくの夢が健全な国家があって成り立つことはわかってる。
だから、ぼくはぼくのできることをしよう。この手の届く範囲で、アキ兄さんを手伝おう。
ぼくは引き続き流れていく即位式の中で、頭を垂れたままそんなことを考えていた……。
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父さんが毒に倒れて、はや八ヶ月が経った。
あの時の衝撃はぼくたち家族だけじゃなくって、シエル全土を震撼させたと言っていいだろう。ハイウィンドには問い合わせが殺到した。エアーズロックからも人が来たんだから、相当だったんだろう。
そして事実だと言う情報が流れると、今度は何も言っていないのに国民の大半が一斉に喪に服した。父さんがどれだけ国民に慕われていたか、よくわかる光景だった。
それからは、大忙しだった。主にアキ兄さんが。
即位式の準備はもちろん、貴族をはじめ官僚全体への細かい指示など、多忙を極めて行った。
ぼくも最低限のことはしたけど、元々ぼくに求められているのはそうした官僚としての能力ではないので、兄さんほど忙しくはなかった。印刷機の解析を済ませ、再現を半分ほど済ませるくらいには。
そうして今日という日を迎えたわけだけど、改めて王様ってのは大変な仕事なんだと再認識した八カ月だった。
まあ、アキ兄さんはもう何年も前から公務にもかなり関与していたから、さほど大変そうにはしてないのは幸いかな。新しい環境に右往左往せず、どっしりと構えて着実に行動して見せたわけだし。新王としては、及第点は当然の優秀な人だと思うよ、うん。
さて即位式も無事滞りなく終わって。
ぼくは手早くいつもの身軽な服に着替えると、同じく着替えを済ませたティーア、それからシディンさんを伴って王宮を飛び出した。
向かう先は、ハイウィンドの外。藤子ちゃんに手伝ってもらって、ぼくが魔改造を施したダンジョンだ。
あのダンジョン、あれから思惑通り初心者から中級者向けの訓練所と化していて、今は出城のように小さな壁で囲まれたちょっとした迷宮都市になっている。いくつか店や宿もできてるんだから、商人の根性には恐れ入る。
けど、ぼくはダンジョンに用があるわけじゃない。鍛錬は欠かすわけではなくって、別に用事があるのだ。
ぼくが二人と共に踏み込んだのは……例のダンジョンのすぐ裏の工事現場だ。
「ごめんお待たせ! 思ったよりかかっちゃったよ」
「おう、来たか。即位式お疲れさん、あれは時間かかるから仕方ないさ」
ぼくを出迎えたのは、この工事現場の責任者。現場監督とでも言えばいいのかな。
日焼けした筋骨隆々の身体は、いかにも工事現場という場所に相応しい。けど、その頭髪はほとんど白髪になっていて、彼の年齢が相応に高いことがわかる。そしてその瞳は、カルミュニメルブルー。
彼の名は――。
「ありがと。それでディノさん、進捗どう? ここしばらくは即位式の準備で来れなかったけど……」
「ああ、順調だ。見ての通り外観は完成した。内装もほとんど予定通りだな。あとは、ぼいらー? の類を組み込んで、最終調整と試験運用だな」
「うっへ、もうそこまで進んだの?」
周囲を見てみると、確かに外観は完成と断言していいだろう。シエル王宮を模しつつ、マティアスの天空城の意匠も組み込んだ外観は、どちらかといえば神殿に近いフォルムをしている。
けれどその中身は、風呂だ。そう、前々から父さんと話をしていた大浴場は、この八カ月の間にここまで来たのだ。設計や機材の開発を行っていたぼくは、その統括責任者という立場なのだ。
できれば即位と同時に公開したかったんだけど、こればっかりは仕方ないだろう。これでも十分すぎるスピードだ。
「ディノの親方ー! こいつどこでしたっけ?」
「どれどれ……おう、これか。こいつはあっちだな。印があるから、向きには気をつけてくれ」
「あいさ!」
「頼むぞ!」
「へいっ!」
慌ただしく遠ざかっていく作業員との短いやり取り。
けれどその中に、彼がいかに信頼されているかが見て取れた。周りの作業員たちも、不平を言うことなく丁寧に、けれど迅速な仕事をこなしている。
ディノの監督っぷりは、一級品だろう。
「……で、だ。セフィ。ちょい」
そんな彼に、手招きをされてぼくは耳を差し出した。
これは、内密な話がある時の合図だ。
「……一番風呂は、俺にくれ」
「言うと思ってた……っていうか、むしろよく今まで我慢してたね」
「まあな、一応父親としての威厳ってものもあるしな」
「それはとうの昔になかったと思うけど……」
「相変わらずだな、お前は!?」
「だってそうじゃない。はあ……わかってる? 父さんさあ、社会的に死んでから今まで以上に粗出てるからね?」
「……マジで?」
「マジで」
そしてぼくは、さも「本気で知らなかった」と言わんばかりに目を丸くしているディノに、にこりと笑って見せた。
後ろから、シディンさんとティーアが笑う声がはっきりと聞こえてくる。
彼らはわかってる。ぼくたちの会話も、ぼくたちの関係も。
だからこそ、ディノはぐぬぬとうなりながらもそれ以上は何も言わないのだ。
「安心してよ、そう言われるのはわかってたから。公開初日は当然アキ兄さんが最優先だけど、試験運用の時は父さんも来ていいから。っていうか、家族総出で試験するつもりだよ」
けど、ぼくがそう言うと、
「よぉっし! さすがセフィわかってる! そう来なくっちゃな!」
あっという間に機嫌を直すと、がははと笑ってぼくの身体をばんばんと叩いた。
それから、どこからどう見ても不自然なほどのハイテンションで、監督へと戻っていく。
勢い余って変装が解けたりしたらどうするつもりなんだ、あの人。まったく、60代も半ばに差し掛かっておいて、子供みたいなんだから……。
「うふふ、父様楽しそう」
「元々王宮のしきたりや仕事をしたかった方ではありませんからね、仕方ないでしょう。それに、ああいう現場の人間と触れ合える仕事のほうが性にあっているとは、常々仰っておりましたし」
「……定年退職後にそれまでの反動で老け込むよりはよっぽどマシなんだろうけども」
「仰りたいことはよくわかりますとも、殿下。万が一のことを考えますと、私も頭が痛く……」
「父様、このお仕事終わってもじっとはしてないと思うなあ……」
「それが……問題なんだよなあ……」
そしてぼくたち三人は、ほぼ同時に苦笑した。
ディノ。それは偽名。その顔もまた、特殊技術で張り付けた実在しないものだ。
彼の本名は――ディアルト・ユーディア・ハルアス・フロウリアス。
そう。
父さんは、死んでない。
死んだことにして、体よく王位をアキ兄さんに押し付けたのだ。
いやまあ、押し付けた、とは言っても、実質のところは長期政権の弊害を嫌った父さんが一計を案じた、と言ったほうが正しい。犯人に仕立て上げられた人だけが割を食ってるけど、そこは元々確かな捜査の下で極刑が決まっていた人が選ばれてたから、被害は最小限と言っていいだろう。
母さんを含め家族は全員このことを知っているし、シディンさんをはじめ官僚のトップはいずれもそれを知らされている。
もちろん、目の前で夫が死にかかっているところを見ていた母さんは、本気で父さんを殴ってたけども。あれは事前に誰にも説明してなかった父さんが悪い。ぼくもティーアも、本当に心配したと言うのに父さんと来たら「てへぺろ☆」程度のノリだったんだから、しかるべき罰は受けるべきだと思うよ、うん。
ちゃんと国益を考えた上での劇だったから、今はぼくもそれを口にはしないけどさ。それでも、王様やってた時よりいきいきと土建業務をやってる父さんを見ると、「押し付けた」って言いたくもなる。
っていうか、本気で毒を自分で飲んだ父さんの度胸は、他の場面で使うべきだよなあ。ぼくがいたから心配してなかった、っていう言は嬉しいと言うよりも呆れたよ。
なんていうか、こういうことが地球の歴史にもあったんだろうか?
あったのかもしれない。絶対に表に出してはいけない歴史だけど。
それを考えると、確かにぼくは歴史が動く瞬間を見たんだろう。王様が毒殺され、代替わりするという歴史が動いた瞬間だ。ただ、その裏舞台まで一緒に見てしまったというだけで。
いやー……こう……なんだろうね、この釈然としない気持ち!
ここまで読んでくださりありがとうございます!
ディアルトパパ上が!
なんと!
遂に!
退場!
しませんでしたー。
まあ、あの引き方はある意味で生存フラグでしたかねーw
ともあれ、新章開始です。第五章は、サブタイの通り少しきな臭い章になると思いますが、なにとぞお付き合いくださいませ。




