第98話 見学の続きと相談と
妙な気分をなんとか振り払って、その後も工房を見て回るぼくたち。
鉛筆工房では、シエルと違って鉛筆に向いた木材が採れるみたいで、ぼくがかつて断念した鉛筆がちゃんと出来上がっていて感心した。
紙の鉛筆も悪くはないんだけどさ。やっぱりこう、鉛筆ってやっぱり木だよね!
ただ六角形じゃなかったから、ケイ王女には持ちやすさとか省スペースの観点から、六角形を推奨しといた。
ついでに言うと、さすがに黒鉛の産地だけあってここでの鉛筆づくりはかなりコストが安く済んでるみたいだった。
シエルに戻ったら、ブレイジアの鉛筆を輸入しよう。国内の産業をつぶしかねないけど、シエルで黒鉛を手に入れるのはほぼ不可能だからね。ここはすっぱり諦めたほうがいいんじゃないだろうか。住み分け住み分け。
一方で消しゴムづくりは、かなり難航しているみたいだった。
そもそも、ぼくが作った消しゴムは、スライム系のモンスターがドロップする銀色の粘液と氷霊石が必要不可欠。
後者はまだともかく、前者を安定供給できるダンジョンはあまり多くない。消しゴムこそシエルの産業には向いてると思うんだよねえ。
それに……。
「粉末にした氷霊石との配合、というのがどうもうまくいかないんだよね」
そう言って、ケイ王女は工房で苦笑した。
彼女の言葉に、ティーアが首を傾げる。
「? そんなに難しかったっけ、あれ」
「難しくないけど、ただ混ぜるだけじゃダメなんだよね。平たいヘラで切るようにしてかき混ぜないと」
ケーキの生地か何かかと思われるかもしれないけど、これはガチだ。
ぼくもこれで最初つまずいた。出来上がったものの状態を見て、もしかしてと思って試してうまくいったのがこの方法だったのだ。
「どうして?」
「細かい理屈はわからないんだけど、練りこんで混ぜちゃうと、熱を加える工程で熱が全体にうまく行き届かなくなるんだ。そうすると質がまばらになっちゃうんだよ」
「そう、なんだ……」
「あと、熱するときだけど焼いちゃだめだからね」
「えっ?」
ケイ王女が、目を丸くする。
ぼくの隣で、トルク先輩が察したようだ。にやりと笑ってる。
「だよなあ、『熱する』って言うと普通焼くって思っちゃうよな」
「ち、違うの?」
「うん。だって表面焦げるでしょ?」
「…………」
こくり、と王女が頷く。
そう、これも消しゴムづくりの落とし穴。
銀色の粘液を消しゴムにするには、なんと湯煎しなければならないのだ。
チョコレートかよ、ってなもんである。
まあ、食べ物じゃないわけだからして。湯煎じゃないと風味や口どけも劣化するチョコレートと違って、表面を絶対に焦がさないという目的がすべてなんだけども。
……この間消しゴムを作った時は、消しゴムが遂に手に入ったっていう喜びでテンションが上がりまくって全然言及してなかったっけ。こういうちょっと面倒な手順で、この世界の消しゴムは作られています。
「湯煎って言うんだけどね。熱したお湯に器を浮かべて、その中で加熱するんだ。あれ、鉛筆と違って高温である必要はないんだよね」
「なるほど……勉強になるなあ」
ぼくの言葉を聞いて、王女は大慌てでメモ紙を引っ張り出してきてメモしていた。
「……よくまあそんなめんどっちー方法思いつくわね。あたしそこまで本気にはなれないわ」
「うん……ぼくの場合これがどうしても必要だったから。ファムルさんにとってのマナみたいなもんです」
「……え、あれを食べるの?」
「食べませんよ!? そう言う意味で必要ってことじゃないです!」
今回ばかりはぼくのたとえが悪かったか。
「ええと、そう。仕事道具としてどうしても必要、って意味でしてね?」
「あー、そっちね。なるなる」
今度は納得してもらえたみたいだ。
「……でだ、こっちがちゃんとした手順でセフィが作った消しゴムだ」
「うわあ、すごい! 見た目もきれいだし、すごくよく消えますね!」
「でしょー、兄様はすごいのよ!」
ファムルさんと話をしているうちに、トルク先輩がぼくの作った消しゴムを見せていたようだ。
うん。自画自賛になっちゃうけど、現状じゃあぼくの消しゴムのほうが数段良質だと思うよ。
「……ボクがシエル王国から輸入した消しゴムより、さらに質がいいみたいなんだけど、これは……?」
「あー、そりゃたぶん、使ってる氷霊石の質の差だろうな。こいつ、最高級品を遠慮なく使うからさあ」
「いい霊石であればあるほど消しやすくなるんだよね、確か」
「へえ、そこでも違いが……。氷霊石はシフォニメル王墓で取れることもあるし、今度お父さんが戻ったら聞いてみようかな」
うむ、素材はいいものが手に入るならこだわったほうがいいよ。
ヘンに節約したところでどうにかなるものでもなし、最悪宝の持ち腐れになっちゃうしね。
まあ、ぼくほど素材を湯水のごとく使いまくれる人間は、この世にはいないんだろうけど。
「ねえセフィく、……王子」
「なにー?」
素材の出所かな?
「今教えてもらったこと、早速試してみてもいいかな?」
あれ、そう来るか。
いやまあ、ぼくとしても素材の出所は説明がめんどいから、ありがたいんだけど。
「もちろん。せっかくだし、みんなで作ろうか」
「いいのかい?」
「うん。見せてもらったお礼ってわけでもないけどさ」
「……ありがとう」
にこりと笑うケイ王女。
その顔が、何か違うものに見えたような気がして、ぼくはまた妙な気分に陥った。
……違うんだってば、そんなんじゃないってば。
これはそれとは違う、もっと別の、複雑な何かで……。
「兄様?」
「……ああ、ごめんなんでもないよ。ティーア、氷霊石の加工は任せてもいい?」
「うん、もちろんだよ!」
「ありがとう、お願いね」
「セフィ王子、作業員の人たちにも見てもらっていいかな?」
「あ、いいですねそれ。呼べるだけ呼んじゃいましょう」
「んじゃ、あたいがそれやるよ。セフィは王女と準備しといてくれ」
「ん……うん、わかった」
何か先輩の言葉に他意を感じたけど、ここは気にしないほうがよさそうだな……。
かくして、ぼくたちは消しゴムづくりをすることになった。
「あたしはどーせ、身体が小さくて何もできないし見学させてもらおうおかなー」
ファムルさんはそう言って、やがて集まってきた作業員さんたちの中に混ざっていたけどね。
できた消しゴムは、そのまま見本として全員にプレゼントした。
それを見た作業員たちが、これを目指すんだと意欲に燃えていたのはいいことだと思う。
シエルもうかうかしてられないなあ、と、そんなことを思いながら、一連の工房見学は幕を閉じたのでした。
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その日の夜。誰もが眠る丑三つ時(もちろんこの世界にそんな区分はないので雰囲気)。
ぼくはこっそりとゲストルームを抜け出して、藤子ちゃんとの通信を試みることにした。
とは言っても、他国の離宮だ。その離れとは言っても、警備の人があちこちにいるようだし、迂闊なことはできない。
なのでゲストルームのバルコニーに出て、そこから今は使ってる人がいない隣の部屋、さらにもう一つ隣の部屋のバルコニーまで、壁伝いに移動した。
そこからそっと中を確認する。
……うん、この部屋に泊まってる客人はなし、と。ここで通信を始めよう。
ちなみに、最初はトイレでもいいかとも思ったんだけど、よく考えるまでもなく嫌だったよね。
てなわけで、ぼくの目の前に藤子ちゃんのホログラムが出現する。
『……やあ。夜にごめんね』
『構わんよ、どうせ寝なくともよい身体じゃ』
彼女はちょっと前に、突然大規模なイメチェンを断行した。
最初見た時はびっくりしたけど、イケメンに服装を指摘されたからと聞いて、ロリババアでも女の子なんだなあと思ってしまったよね。
ただ、今はそういう普段着とかは関係ないようで、ゆったりとした浴衣を着ている。まあ深夜ですものね。
そんな彼女の姿を、改めてじっくりと確認する。
いかにも日本人らしい、かわいらしい顔立ち。地球では東洋人は童顔と言われるけれども、それが加わって藤子ちゃんは余計幼く見える。
けれどその雰囲気はどことなく色っぽい。そこはたぶん、不老不死として長く生きている彼女の精神性がにじみ出てるんだろう。それが浴衣と相まって、ちらりとのぞく鎖骨が実にたまらなく扇情的だ。夜の闇に溶け込む緑の黒髪も、それをより引き立たせているような気がする。
そんな彼女だけど……背丈はというと、今のぼくより少しだけ大きいくらいだ。でも、140センチはないだろう。135くらいかな? ちょうど成人の小人族くらいの大きさだ。
大人らしいあでやかさと、子供らしい幼さが、そんな小さな身体に同居している。そんな彼女をこうやってふと眺めてみて、思う。
……うん。
かわいいけど、ぼくの守備範囲の外だ。その筋の人にはたまらないんだろうけども。
そう判断できた自分に、ぼくは妙に安心して深くゆっくりと息を吐いた。
『……いきなりなんじゃ、藪から棒に。人の身体をなめまわすように見よって』
『ははは……ごめん、その、ちょっと確認って言うか』
『話が見えてこぬのじゃが』
『いや、その……ね。実は……』
『……ふむ?』
とりあえず安心したぼくは、そのまま聞かれるままに藤子ちゃんに大体のことを話した。
一人でため込んでいてもどうにかなるものでもないし、小さい頃から助けられてきた彼女は、ぼくにとって一番信頼できる人でもある。
『……ってわけで。ロリコン疑惑を払しょくしたくてつい?』
『お主……はあ……』
『え……?』
言い終わった直後に返ってきた言葉に、ぼくは思わず藤子ちゃんの顔を凝視した。
『……良いか? 根本的な嗜好は魂に刻まれておる。そしてその嗜好は、肉体によってある程度左右されるのじゃ』
『……つまり?』
『仮にお主が稚児趣味だとしたら、現在12歳のお主が10歳の時分に不老不死となったわしにその手の感情を抱かなんだとしても、なんら不思議ではない』
『な……ッ!?』
『逆に、12歳のお主が4歳の童にそうした感情を抱く可能性があったとしても、なんら不思議ではない』
『…………』
絶望した!
今からグリー○シード生み出して魔女になります!!
『そんな、この世の終わりみたいな顔をせずともよかろうに……』
『だって! だって明らかにやばいじゃん!? 4歳だよ!? 幼児だよ!?』
『別によいではないか……今からお主好みの女に育ててやれば……』
『どこの光源氏だよ!?』
あの変態とだけは一緒にされたくない!
『……落ち着け、セフィ。良いか?』
『う、……うーうー……』
今ぼくがどんな顔をしているかはわからないけど、ともあれ藤子ちゃんはぼくの目の前に人差し指を出した。
その白魚のような指先の向こうに、彼女の顔をぼんやりと眺める。
『冷静に考えてみよ。お主、前世でどのようなキャラクターがお気に入りであった? そうじゃな……軍艦を擬人化したあのゲームなんぞが、選択肢が豊富でわかりやすいか』
『軍艦……ああアレね……』
懐かしい。もはや遠い過去の話だ。……我が鎮守府はもはや誰も訪れないのだなあ。
『妙なことを考えておらずに、レベルの高い順に6つ挙げてみよ』
『榛名、五十鈴、電、プリンツオイゲン、瑞鶴、龍驤』
『……うむ、問題なし!』
『ホントに!?』
どういう診断だ!?
『その中で小さいのは電だけではないか。どころか、他は基本的に大きいものばかりであろう。死んだ当時のお主が28であったことを考えれば、お主はさほど稚児趣味ではなかろうて』
『……信じていいのかな、それは……。基準がゲームって……』
『何を言うか。ゲームであればこそ、本音がそこににじみ出るものぞ。ちなみにわしは涼風、木曾、龍驤、瑞鳳、金剛、初春じゃ』
『かぶってるっ! 初春が君とキャラかぶりまくってるっ!!』
『親近感があってのう』
『どういうシンパシー!?』
まさか異世界のこんな深夜にこんな話をする羽目になるなんて、まったく思いもよらなかったよ!
っていうか!
これ以上は危ない!!
『まあ冗談はさておき』
『冗談だったの!?』
『いや本気でもあったが。ともあれ、わしの見立てではお主は稚児趣味ではないから安心せい。わしも万能ではない故外しておるやもしれんが、少なくともわしは違うと思うぞ』
『……どこにも安心できない……。第一、ぼく前世で恋とかしたことないし……』
確証に近い話ではあったのかもしれないけど、それでも。
過去に経験がない以上、どうしてもそうだと断言できなくて、自分が子供にそういう目を向けてしまうのではないかというある種の恐怖みたいなものがまとわりついて離れないんだ。
それに、仮に藤子ちゃんが正しかったとしたら、ぼくがケイ王女に感じたあの不思議な気持ちは一体なんなのさ?
『やれやれ……。のうセフィ、少ないが経験者として言わせてもらうとな』
『うん……?』
『恋と言うものはな、一度抱くともっと直進的になるものよ。今のお主は、いつもと変わらぬと思うぞ。いつも通り、あれこれ考えを巡らせすぎてあちらへこちらへと思考が飛んでおる、いつも通りのお主じゃ』
『…………』
なんか、暗にディスられた気がするんだけど、気のせいだろうか。
『お主は考えすぎる。急ぎたくなる気持ちはわかるが、急いては事をし損じるものぞ。今少し力を抜いて、ゆるりと歩けばよいではないか』
『…………』
『第一、今のお主はまだ二次性徴すら来ておらんじゃろう? それから考えても遅くはないのではないか?』
『……おお』
『なんじゃその、今気づいた、みたいな挙動は』
『いや、……あまりそういうことは考えたことなかったなあと思って……』
『お主、つくづく一度こうと決めたらそれ以外見なくなるのじゃな……』
うん、そうだね、否定できない。
っていうか、それで前世は死んだわけだし。
『……その気質を、今回のことでも発揮すればよかろうに。ムーンレイスから借りてきた印刷機、まだ解析しておらんのじゃろう?』
『…………、うん……そう、だね……』
棚上げと言ってしまえばそれまでかもしれないけど。
時間が解決することもあるわけで……。
自分の夢を実現するためには、ここで足踏みするわけにはいかない。
……うん。
『……もうちょっとだけ、見て見ないふりをしてみるよ』
『うむ。……まあ、相談くらいは乗ってやる。何かあったらいつでも呼ぶがよいさ』
『ん……ありがとう、藤子ちゃん』
『お主の補佐がわしの仕事じゃからな』
そう言って、彼女はにやりと笑った。
恰好が変わっても、この笑いは変わらないな。彼女にこういう顔を見せられると、すごく安心するのはそれだけ信頼してるからかなあ。どう見ても悪だくみなんだけどね。
『……ねえ藤子ちゃん?』
『なんじゃ?』
『前から気になってたんだけど、藤子ちゃんって本当に恋愛経験あるの?』
『嘘は言わぬと何度も言っておるはずじゃが?』
『いや、だって言っちゃなんだけど、藤子ちゃんの性格ってある意味すごく悪いじゃない? だからどうも信じられないって言うか』
『めちゃくちゃな言われようじゃなあ。わしとて生まれは人の身ぞ?』
『じゃあ、今までどんな人と付き合ってたの?』
ぼくは、純粋に好奇心でそう尋ねた。
神様より強く、不老不死で、傲岸不遜なところも多い藤子ちゃんが、どういう人付き合いをしていたのか。それが気になったのだ。
けれど藤子ちゃんはというと……。
『……誰が言うか、阿呆』
それだけ言うと、ぷいと顔を背けてしまった。
『え……と、藤子ちゃん?』
『知らん。そんな話は知らん』
『ちょ……なんでいきなり全拒否!?……って、藤子ちゃん……もしかして、恥ずかしいの?』
『ふん』
反応薄し。
……待てよ。耳が……赤くなって……る?
『……恥ずかしいんだ!? 初対面の人間に股間さらしておいて、おまけに減るものでもないとか言えちゃうくせに!?』
『…………』
あっ、耳ふさいだ!?
そんなに知られたくないのか!?
『ねえちょっと! そこまでされたら余計気になるんだけど! ねえ!?』
『…………』
彼女の前に回り込めば、彼女はそれだけぐるりと回ってぼくから身体をそらそうとする。
その時ちらっと見えたけど、藤子ちゃんってば眼も閉じてた。見ざる言わざる聞かざるってか!?
『藤子ちゃんってば! おーい!?』
『…………』
その後はほとんど会話にならず、結局ぼくが折れて終わるまでほとんど意味のない追いかけっこが続くことになったんだけど。
いつか藤子ちゃんの恋愛遍歴をはっきりさせてやろう。
そんな野望がぼくの中に芽生えたのは、ある意味で当然とも言えるんじゃないだろーか。
ぼくたちがそんな会話を終える頃、テクタの夜空には風花が舞っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
彼らはただ旧日本海軍の軍艦について語っていただけです(透き通った目で
なお、藤子が述べた6キャラがひさな提督所有の上位陣です……。




