第97話 工房見学
ケイ王女に案内された場所は、テクタ離宮のほぼ隣、川を眼下に眺める少しだけ崖になった場所だった。
なので、移動は歩きだ。
……並んで歩くと、改めてケイ王女が小さいことがよくわかるな。1メートルは確実にないぞ。
「工房は全て川沿いなんですね」
「はい。物を作る上で水は欠かせませんからね。使う意味でも、捨てる意味でも。もちろん物資の運搬もです」
「仰る通りで」
うーん、ご慧眼。
「あちらが紙工房、こちらが鉛筆工房、それからあそこが消しゴム工房になっています。どちらからご覧になりますか?」
「じゃあ、紙でお願いします」
「わかりました。ではどうぞ、案内しますね」
紙工房を選んだ理由は特にない。しいて言うなら、ぼくがこの世界で最初に作ったものだからかな。
はてさて、ここではどんなふうに作られてるのかな?
ちょっとわくわくしながら、ぼくは紙工房へと足を踏み入れる。
そして、思わず「おおっ」と声が漏れ出た。
そこでは、大勢の人々が整然と並び、連携して紙を造っているのだった。
広い空間で、彼らは黙々と作業に没頭している。ある人は叩解を、ある人は紙すきを。同じ作業をずっと繰り返している。
工房の中は仕切りも段差もないみたいだ。見ていると、処理が終わった品をさっと隣に流すように移動させている。より速く半製品を次の工程に回すために、邪魔なものは全部取っ払ってあるんだろう。
……って、これ典型的な流れ作業じゃないか!
「……すごいですね」
ぼくは思わずそう言った。
地球の歴史上、流れ作業……つまりライン生産方式が行われるようになったのは19世紀初頭、イギリスと言われている。
仕組み自体は簡単な流れ作業だけど、一番最初に物事を生み出すということは、とてつもなく難しい。つまるところ、地球人がこの形態を編み出すまでには何千年とかかったわけなんだから。
だというのに、この中世まっさかりな異世界で実現されている。ぼくはそれが、素直にすごいと思ったのだ。
「より効率よく、紙を多く作るためにはどうしたらいいかを考えて、ここにたどり着いたんです」
木槌がセンカ草を叩く音、馬鍬が舟水をかき混ぜる音などなど、様々な音が響く工房を満足そうにみやりながら、ケイ王女。
隣に並ぶぼくもその様子を、しばらく見渡していく。後ろで、ティーアやトルク先輩、それに肩の上でファムルさんが感心したように目を見張っている。
「すんげー、一人が一つの作業に没頭することで効率上げてんだな」
「本当だー。どんどん紙ができてくよ」
「はー、あたし紙が作られてるところ見るの初めてなんだけど、なんていうかこう……随分と機能的なのねえ」
「一つの製品を特定の期間により多く作るためのシステムですよ、これ。工程を一つずつに分けてるから、職人的な技術はあまり要求されない……つまり、素人でもできるってのが一番の特徴なんです」
肩のファムルさんに解説していると、ケイ王女が驚いたようにぼくを見上げた。
「わかるんですか、セフィ王子?」
「え? はい。あとメリットとしては、製品の質が一定にそろえることができることとか、時間ごとの製造数の予想が立てやすいこと、あるいはものの管理を徹底すれば更に生産効率を高められる、とかですよね」
「う、うん、その通りなんだよっ」
「お?」
「あっ」
興奮したのかな。今まで敬語だったケイ王女の口調が崩れた。
それから彼女、やらかしたーって感じで口を押えて顔を伏せながらも、上目づかいにぼくを見る。
……どうやら、彼女も敬語が苦手らしい。ぼくは思わず笑みがこぼれるのを我慢しながら、
「王女、無理はなさらなくていいですよ?」
「……うう。うん、そうさせてもらっても、いいかな……?」
「もちろん。ぼくもそれで、いいです?」
「うん……うん、お願いするよ」
「よーし……敬語封印っと!」
そんな会話を交わして、に、と笑った。
ケイ王女はそれに嬉しそうに笑うと、ふっくらとしたその頬を照れくさそうにかく。
「……えっと、つまりはそういう仕組みを導入してるんだけど、ね?」
「うんうん。これは便利だよね。大量生産するときはこれ、すっごくさ。もしかして、鉛筆なんかも?」
「うん、そうなんだ。って言っても、鉛筆は特殊な魔法道具も使う分、消しゴムはまだ完全には量産体制が整ってないから、完全じゃないんだけど……」
「ふんふん、なるほどねえ」
二回、三回と小刻みに頷く。
消しゴムは、さすがにまだまだ完璧じゃないみたいだな。そりゃま、うちでも量産できるようになったのはぼくが外遊に出る少し前だもんなあ。
「ねえねえ兄様」
「なんだい、ティーア?」
服の裾をひっぱられてそちらに顔を向けてみれば、機嫌が悪そうなのと、なんだか名案思いついたみたいな得意げなのと、妙に相反する感情を浮かべたティーアがいた。
何かありましたかね、ティーアさんや……。
「さっき兄様、メリットって言ったよね? じゃあ、デメリットもあるの?」
「そういえば。王子、そこはボクも気になるな」
「ああ。この方式は確かにメリットが多いんだけどね、作業員のやる気を維持するのが大変なんだよ」
「「「「……?」」」」
全員からキョトン顔を向けられた。
「えっと……たとえばなんだけどね? ティーアはまったく同じ作業を、一日中ずーっとやっていたいって思うかい?」
「……んーん」
ぶんぶんと、髪を振り回す勢いで首を振るティーア。
「だよね。これがたとえば、剣の稽古や魔法の練習だったらまた少しは違うんだろうけど。ただの労働で、一つの単調な作業をこなし続ける気力がある人って、そうそういるもんじゃないんだ」
「ああ……」
「確かに……」
「そうよねえ……」
ティーア達がやや深刻な顔で頷く。
一方、ケイ王女は無言であごに手を当てて、真剣な表情で考え込んでしまった。
「ねえケイ王女、ここの人たちはどういう出自の人なの?」
「え? あ、っと、基本的には社会的立場の弱い人たちだよ。住む家がない人とか。そういう人たちを救済する公共事業としても考えてたから」
「なるほど。ってことは、最初はいいかもしれないけど、そのうち不満を言い出すようになると思うよ。そうなってくると離職率が上がったり、賃金の上昇を要求されたりとか、そういう問題が出てくるんじゃないかな。
でも、こういう単純作業を長く続けてた人たちって、結局社会で重要を占める技術を磨く機会を与えられなかったわけだから、その後どこかで働き口が見つかるかってなると、答えは否でしょ。元の木阿弥になりかねない」
「……肝に銘じておくよ。問題の指摘、ありがとうセフィ王子。あとでみんなと話し合ってみる」
「どういたしまして」
とはいっても、他人事でもないんだよな、これ。シエルでも十分起こり得る。
ハイウィンドに戻ったら、ぼくも父さんに相談してみよう。
「……王女様なんだから、働けって一言いっちゃえばいいのに」
そこに、ファムルさんの空気を読まない発言。
いや確かに、王制だからそれでもいいと言えばいいんだな。元日本人として、労働の自由という概念を持ってるぼくとしては、その発想は正直なかった。
けれど、
「それはできません。民あっての国ですから」
ケイ王女は、そう言って強制を否定した。
「それに、王だろうと民だろうと人です。同じ人に仕事を振っている以上、相手のことは考えてしかるべきでしょう?」
「それは、……うん、そう、なんだけど」
ファムルさんが珍しく言いよどんだ。父さん関係以外のことで。正論過ぎたんだろう。
いや、しかし驚いたなあ。
この中世的な異世界、それも魔王の娘という立場の子から、これだけ現代的な発言が出てくるなんて。
……こういう王族が、粛清されたりとかしなければいいんだけど。
「……ケイ王女って、見た目よりずっとしっかりしてるけど、何歳?」
「あ、わたしも知りたい」
ぼくがまた思考の飛躍をしかかっていたところ、話題を変えるためだろうか。ファムルさんがそう切り出した。
ティーアがそれに追従する。
「ボクですか?」
対してケイ王女は、一瞬目を丸くすると、すぐにいたずらを思いついたような笑みを浮かべた。
……女性に対して年齢を聞くのは、この世界でもあまり歓迎されることではないから、ぼくは聞かないようにしていたんだけども。確かに気にはなっていたことだ。
ぼくたち全員の視線が、王女に集中した。
「ふふ、もうすぐ5歳、だよ」
そして返ってきた答えは……ぼくたちの予想の斜め上を行っていた。
「「「「ええええええ!?」」」」
工房内に、ぼくたちの声がこだました。
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時間の流れの関係で、この世界の5年が地球での6年であったとしても、この世界の5歳は所詮地球人の6歳だ。
つまりは小学一年生。そんな子供が一国の技術体系に革新をもたらし、公共事業も立ち上げ、効率的な生産体系も考え、いずれも成功している。
そんなことがありえるのだろうか? いくらなんでも、超人的過ぎる!
……と、ここまで考えて、ぼくは自分がそうだったなと思い直して、落ち着きを取り戻した。
他のメンバーもそうだったみたいで、ファムルさん以外はわりとみんなあっさりと復帰していた。
まあね。6歳で紙と砂糖を、7歳で鉛筆と色鉛筆を、12歳で消しゴムを完成させてきたぼくと比べれば、五十歩百歩だよ。
ただ、ぼくは転生者だ。前世の記憶、しかも日本人の記憶を持って生まれたんだから可能だっただけだ。
となるともしや?
ぼくの中に、その疑問が浮上したのは、当然と言えるだろう。
何せ、この世界には稀に転生を経験する種族がいるんだから。そして実際にそれを体現した友人を、ぼくは知っている……。
「おー、すげえ。あの窯、もしかしなくっても芯を焼くためのやつだよな?」
「うん、国内の錬金術師にも協力してもらって作った専用の窯だよ」
「あたいら最初は金属溶かす炉使ってたけど、アレに比べると書き込まれてる式が結構違うなあ。形も違うし」
「前と後ろが両方空いてるんだね。前から入れて後ろに出て行くようになってるんだね」
「うひゃー、あんだけの炎があってこっちにまるで影響なしってすごいわね。相当腕のいい錬金術師がいたのねえ」
ショックから立ち直り、場所を鉛筆工房に移したぼくたちは、今まさに芯を焼成するところを眺めていた。
トルク先輩の言う通り、魔法式の構造が違う。熱が外に逃げないよう、より丁寧に、より強固な式が書き込まれているのだ。そしてそれは、ティーアが指摘した部分にかかっているんだろう。
炉は、前と後ろが空いている。その下部には金属の線が伸びていて、数人が回すハンドルに連動してそこを台車が移動するようになっている。台車に乗っているのは焼成する芯を入れた土霊石土器で、出し入れの手間が省く形になってるわけだ。
この台車や金属線に影響が出ないように、そして炉としてはかなり隙間が大きいこの炉から熱を逃がさないように、しっかりとした魔法式が必要だったんだろうね。
……っていうかこれ、さらっと言ってるけどようはベルトコンベア式だよなあ。形は違うけど、発想は一緒だ。
そしてこれは、流れ作業との相性がとてもいい。
なるほど、大量生産が進められるわけだ。
「目下の課題は、炉の炎を維持するために相当量のマナが必要ってことなんだ。だからそこだけはどうしても人頼みで……そこを担当する人によって一日の生産量が変わっちゃうんだよね」
「見た感じ、あれを使い続けるの大変だぞ。セフィなら数時間は行けるだろうけど、あたいだったらもって2時間くらいが限度だなあ」
「そうなんだよ……だから一日ずっと動かすわけにはいかなくて、ここは紙に比べるとなかなか効率が上がらないんだ」
「うんうん、マナを使い果たしたら死んじゃうもんね、やっちゃいけないわ、それは!」
わかるーとか言いそうな顔で頷いてるけど、ファムルさん。
それは夢人族だけだからね?
「ねえ兄様」
ツッコミを耐えているぼくに、ふとティーアが耳打ちしてきた。
「うん?」
「お風呂作る時に作った、ミスリルのあの機械って使えるんじゃない?」
ああ、ミスリルを使った自動化装置か。
「そうだね、あれがあれば全自動化できるかもしれない。……でもどうかな。あれ、霊石にある魔法式程度ならともかく、あんな複雑な式となると……」
「……そっかあ」
「改良すればいけるかもだけど、それにどれだけかかるかなあ」
時間的にも金銭的にも、ね。特に後者。
空気中のマナを吸い、それを使用する魔法式を自動で発動させる。風呂開発で一番力を入れた、ボイラー装置の一丁目一番地な装置。
魔法を全自動化させる、という画期的なシステムを持っているけど、その分素材はすべて最高級品じゃないと納得のいく仕上がりにはならなかったんだよね。
ぼくの場合は藤子ちゃんがバックについてるから、素材の確保は簡単だったけど……。
……って、待てよ?
「ケイ王女、ちょっと聞きたいんだけど」
「うん? なにかな?」
「魔王陛下って、今シフォニメル王墓に行ってるんですよね。よくいかれるんですか?」
「年に3回くらい、かなあ。時と場合に寄るけど……」
「あそこって、ミスリル手に入ります?」
「うーん、ほとんど。名前の通りお墓だから、出てくるのはアンデッドモンスターばかりらしいんだ」
「……なるほど」
じゃあダメだな。
金属物質系のモンスターが主流なら、純ミスリルが手に入るんだろうけど……アンデッドとなると、その手のものは絶望的だろう。
「どうしてそんなことを?」
「いや、大量のミスリルがあれば自動化の装置は作れそうだと思って」
「ええっ!?」
「ああ、あれか。確かにあれなら行けそうだ。改良は必要だろうけどさ」
「あー、それで神話級のこと聞いたのね。神話級でモンスターが落とすアイテムは、どれもいいものばっかりだし」
「ええ。でもアンデッドは金属は落とさないでしょうし……」
「だろうなあ」
「そうよねえ」
ぼくの意図は全員に伝わったようで、先輩とファムルさんは頷きながら少し残念そうな顔をした。
けれど、ケイ王女はそれどころじゃないと言いたげにぼくに詰め寄ってきた。
「セフィ君、その装置って君が造ったの!?」
――――っ!?
「え……い、いや、うちの魔法研究所でやってた研究をかけ合わせたりしたんで、ぼくだけでは無理でしたよ、はい」
「そ、そっか……君がそれだけ苦労したってことは、きっとすごく難しいんだろうなあ……」
「……ケイ王女?」
なんか、また口調がちょっと……少し変わってる、ような?
「……あ、ごめん。……ごめんついでで申し訳ないんだけど、その装置って、どういうものか教えてもらうわけにはいかないかな……?」
「ぼくは別に構わないんですけど……。紙とかと違って、ぼく一人の技術じゃないですし……」
「……だよね。そうだよね。うん、ごめんね、無理言って」
「いえ、こちらこそお役にたてなくて……」
……って、あれ?
ぼく、なんで敬語に戻ってるんだろう?
「セフィく……あっ。じゃなくて、ええと、セフィ王子?」
「はい。……じゃなくって、なに?」
なんだか調子狂っちゃうな。なんでだろう?
「いつかその装置、教えてはくれないかな……」
「……確約はできないよ? それでもいいなら」
「うん、それで十分だよ。いつか、それで。……その前に、ブレイジアで作れれば一番なんだけど」
「そうだねえ……」
そう答えながら、ぼくはあいまいに作り笑いを浮かべた。
なんでだろう?
どうにも頭の中がざわざわする。胸騒ぎがする。すごく、奇妙な気分だ。
ただ名前を呼ばれただけなのに。
それなのにあの瞬間、ぼくの中の何かが反応した。
……もしかして、と思うけど。
いやまさか、そんなはずは。
だって彼女はまだ5歳にもなってないんだよ?……ぼくだって12歳だけども。
違う違う、そんなわけない。
違うんだってば!
ぼくは……ぼくはロリコンじゃない!!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
おや? セフィの様子が……。
※更新頻度について、23日月曜日に活動報告にて連絡をさせていただいております。
こちらにも書きますと、新規作品執筆を開始した関係で、しばらく当作品の更新頻度を2、3日に1回に落とします。何卒ご容赦を。
詳細は活動報告をご参照いただければと思います。




